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4章 港町ミガルへ
夜明けと食事会
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日が昇る前、ミガルの漁師たちはすでに市場に集まっている。慌ただしく漁の準備に奔走する人々の中で、一人、地面をじっと佇む男がいた。
男は糊が効いた張りのある生地のシャツを着て、手には小さなライトを持っている。そして茶褐色の瞳を忙しなく動かしていた。
「こんなところに突っ立って何してんだ?」
泣きぼくろの男ーーサントがガヨに話しかけた。整髪剤の付いていない紺色の髪を下ろしている彼は、探し物を、と端的に答えるだけだった。
サントはそんな彼を物珍しく思った。思い出の中の彼とは別人のように思えたからだ。
4年前、ガヨは当時の首都第三騎士団の分隊長に連れてられてやってきた。21歳の彼はピカピカの制服を常に第一ボタンまで閉め、紺色の髪をかっちりとまとめていた。
外部との交流が活発で開放的なミガル騎士団に対して、伝統や騎士道を重んじるガヨはお高く止まった印象だった。事実、サントは7歳も年下の男に、何度も服装を注意されたものだ。
そんな彼が私服で、かつ髪を下ろした状態で外に居ることが不思議だった。
「探し物なら手伝うぜ。日が昇ったらもっと人が増えちまう」
サントの提案を聞いたガヨの顔が少し曇る。サントは首を傾げた。
「申し出は有り難いのですが、お断りします」
恐らく目の前の生真面目な男は、面倒をかけましと辞退したのだろうが、それがサントの親切心を無下にしていることにすら気付いていない。歩く規則と陰で笑われている男に、サントは盛大にため息をついて、やれやれと両手を広げた。
「おめぇさ、そこはお断りします、じゃなくて、お手を煩わせるわけにはいきません、とか、申し出はありがたいのですがって柔らかく返事するもんだろ」
「失礼いたしました。以後、気を付けます」
ガヨの直角に曲がった腰と後頭部を見ながらサントは片手で頭を抱える。踵をつけたまま足先で軽く地面を叩く。
「で? どんな探し物だ? 団員たちに声をかけてやるよ」
顔を上げたガヨは首を捻り、思い起こすようにして話した。
「銀色の細いチェーンのペンダント……だそうです」
「はあ? チェーンの長さは? モチーフはないのか?」
「いえ、詳しくは。俺は見たことがないので。ただ、鐘のモチーフが付いているそうです。英雄ドルススタッドの」
一瞬、肩がわずかに動いたが、ガヨはそれに気づかず地面を見続けていた。
「へぇ。運が良ければ市場の事務所か騎士団宿舎に届けられてるかも知れねぇな」
ガヨの手元のライトの光がちらちらと動く中、サントは背を向けた。海に出向く漁師たちとは反対方向に歩き出す。がぼがぼ鳴る長靴の中に、硬いヒールの音が響く。
「英雄、ね」
サントの小さな呟きは、出港時間が間近に迫った騒がしい市場の中に消えていった。
***
魚料理がところ狭しと並べられている食堂で、ジブはミガル騎士団員たちに囲まれていた。もっぱらの話題は、ジブが入団試験時に投げた槍の話だった。
「崖下から騎士団に向かって投げたんだって?」
「肩も腕も太ぇもんなぁ。アンタ」
関節の太い指がわしわしとジブの腕を掴む。ジブはちぎったパンを落としそうになりながら、ミガル騎士団員に返事をした。
「いえいえ。あのときは無我夢中で」
苦笑い交じりで適当に返しつつ、ジブはパンをスープに浸して口に入れた。ハーブを練り込んだ、少し硬くてすっぱいパンだった。港町という土地柄か、様々な体格と髪色の集まる食堂で皆が競い合うように大声で話している。
ジブがもう一口、パンを頬張ると食堂がにわかに静かになった。ジブが顔を上げると。見慣れた憎たらしい白金の髪が遠くで輝いている。あんなに騒がしかった食堂は、今や、板張りの床を軽やかに歩くエイラスのヒール音しかしていなかった。
「おはようございます。ジブ。何を食べてるんです?」
エイラスが近づくと周囲が一斉に身を寄せ、1人分のスペースが自然と開けた。
「シンプルな魚料理、いいですね。パンは……独特な色味です。おいしいですか?」
「食ってみりゃわかるよ」
ジブはフォークでサラダを山盛りつついて口に入れた。無垢なふりをしたにこやかな表情がジブを苛立たせる。
「それもそうですね」
ジブの嫌みを意に返さず、エイラスはカウンターに向かった。その背中を団員たちがこぞって見送る姿も、また腹立たしかった。
昨晩、ペンダントを失くしたトニーが戻ってきたのは夜中だった。隣の部屋で息を殺しながら待っていたジブは、ため息をつきながらゆっくりと扉が閉まる音を聞いていた。部屋の中をとぼとぼと歩く足音がかわいそうで、駆け付けて彼の顔を見たかったが止めた。
トニーは慰められるのが嫌いだからだ。
ーーエイラスは何をしていた?
昨晩、エイラスはペンダントを失くしたと走り出したトニーに対処したはずだ。俺をトニー以外見ていないと皮肉って返してまで。だが、それはいい。トニーしか見ていないのは事実だったから。しかし、トニーが落ち込んで帰ってきたことは許せなかった。
ジブは少し冷めたスープをかき込んだ。視界に入らなくともエイラスが近づいてくるのは分かっている。彼が歩けばその周囲の視線と音を奪い、ヒールの音が嫌でも響くからだった。
「ここの皆さんはたくさん食べるんですね。こんなに盛られてしまいました」
トレーにはサラダと魚料理が山盛りになっている。皿からはみ出た魚の尾がエイラスと手をつないでいた。
ジブは焼き魚を口に入れる。困った顔で笑うエイラスを見ながら、ごりごりと骨ごと噛み砕いた。
男は糊が効いた張りのある生地のシャツを着て、手には小さなライトを持っている。そして茶褐色の瞳を忙しなく動かしていた。
「こんなところに突っ立って何してんだ?」
泣きぼくろの男ーーサントがガヨに話しかけた。整髪剤の付いていない紺色の髪を下ろしている彼は、探し物を、と端的に答えるだけだった。
サントはそんな彼を物珍しく思った。思い出の中の彼とは別人のように思えたからだ。
4年前、ガヨは当時の首都第三騎士団の分隊長に連れてられてやってきた。21歳の彼はピカピカの制服を常に第一ボタンまで閉め、紺色の髪をかっちりとまとめていた。
外部との交流が活発で開放的なミガル騎士団に対して、伝統や騎士道を重んじるガヨはお高く止まった印象だった。事実、サントは7歳も年下の男に、何度も服装を注意されたものだ。
そんな彼が私服で、かつ髪を下ろした状態で外に居ることが不思議だった。
「探し物なら手伝うぜ。日が昇ったらもっと人が増えちまう」
サントの提案を聞いたガヨの顔が少し曇る。サントは首を傾げた。
「申し出は有り難いのですが、お断りします」
恐らく目の前の生真面目な男は、面倒をかけましと辞退したのだろうが、それがサントの親切心を無下にしていることにすら気付いていない。歩く規則と陰で笑われている男に、サントは盛大にため息をついて、やれやれと両手を広げた。
「おめぇさ、そこはお断りします、じゃなくて、お手を煩わせるわけにはいきません、とか、申し出はありがたいのですがって柔らかく返事するもんだろ」
「失礼いたしました。以後、気を付けます」
ガヨの直角に曲がった腰と後頭部を見ながらサントは片手で頭を抱える。踵をつけたまま足先で軽く地面を叩く。
「で? どんな探し物だ? 団員たちに声をかけてやるよ」
顔を上げたガヨは首を捻り、思い起こすようにして話した。
「銀色の細いチェーンのペンダント……だそうです」
「はあ? チェーンの長さは? モチーフはないのか?」
「いえ、詳しくは。俺は見たことがないので。ただ、鐘のモチーフが付いているそうです。英雄ドルススタッドの」
一瞬、肩がわずかに動いたが、ガヨはそれに気づかず地面を見続けていた。
「へぇ。運が良ければ市場の事務所か騎士団宿舎に届けられてるかも知れねぇな」
ガヨの手元のライトの光がちらちらと動く中、サントは背を向けた。海に出向く漁師たちとは反対方向に歩き出す。がぼがぼ鳴る長靴の中に、硬いヒールの音が響く。
「英雄、ね」
サントの小さな呟きは、出港時間が間近に迫った騒がしい市場の中に消えていった。
***
魚料理がところ狭しと並べられている食堂で、ジブはミガル騎士団員たちに囲まれていた。もっぱらの話題は、ジブが入団試験時に投げた槍の話だった。
「崖下から騎士団に向かって投げたんだって?」
「肩も腕も太ぇもんなぁ。アンタ」
関節の太い指がわしわしとジブの腕を掴む。ジブはちぎったパンを落としそうになりながら、ミガル騎士団員に返事をした。
「いえいえ。あのときは無我夢中で」
苦笑い交じりで適当に返しつつ、ジブはパンをスープに浸して口に入れた。ハーブを練り込んだ、少し硬くてすっぱいパンだった。港町という土地柄か、様々な体格と髪色の集まる食堂で皆が競い合うように大声で話している。
ジブがもう一口、パンを頬張ると食堂がにわかに静かになった。ジブが顔を上げると。見慣れた憎たらしい白金の髪が遠くで輝いている。あんなに騒がしかった食堂は、今や、板張りの床を軽やかに歩くエイラスのヒール音しかしていなかった。
「おはようございます。ジブ。何を食べてるんです?」
エイラスが近づくと周囲が一斉に身を寄せ、1人分のスペースが自然と開けた。
「シンプルな魚料理、いいですね。パンは……独特な色味です。おいしいですか?」
「食ってみりゃわかるよ」
ジブはフォークでサラダを山盛りつついて口に入れた。無垢なふりをしたにこやかな表情がジブを苛立たせる。
「それもそうですね」
ジブの嫌みを意に返さず、エイラスはカウンターに向かった。その背中を団員たちがこぞって見送る姿も、また腹立たしかった。
昨晩、ペンダントを失くしたトニーが戻ってきたのは夜中だった。隣の部屋で息を殺しながら待っていたジブは、ため息をつきながらゆっくりと扉が閉まる音を聞いていた。部屋の中をとぼとぼと歩く足音がかわいそうで、駆け付けて彼の顔を見たかったが止めた。
トニーは慰められるのが嫌いだからだ。
ーーエイラスは何をしていた?
昨晩、エイラスはペンダントを失くしたと走り出したトニーに対処したはずだ。俺をトニー以外見ていないと皮肉って返してまで。だが、それはいい。トニーしか見ていないのは事実だったから。しかし、トニーが落ち込んで帰ってきたことは許せなかった。
ジブは少し冷めたスープをかき込んだ。視界に入らなくともエイラスが近づいてくるのは分かっている。彼が歩けばその周囲の視線と音を奪い、ヒールの音が嫌でも響くからだった。
「ここの皆さんはたくさん食べるんですね。こんなに盛られてしまいました」
トレーにはサラダと魚料理が山盛りになっている。皿からはみ出た魚の尾がエイラスと手をつないでいた。
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