ドルススタッドの鐘を鳴らして

ぜじあお

文字の大きさ
45 / 75
4章 港町ミガルへ

不安な気持ちを包むのは

しおりを挟む
 人がごった返した市場で突然立ち止まったトニーは、小さな子を連れた女性にぶつかった。紫色の瞳をした女性は、薄墨色の髪を真っ青な髪留めでまとめている。
「すみません」
 咄嗟に謝罪したトニーに女性が軽く会釈して去っていった。手を引かれた子供は母親に手を引かれながら俯くトニーの顔を見ていたが、すぐにふくふくとした頬を母親に向けて歩き出した。
「トニー、待ってくれよ!」
 器用に人をかき分け、カタファがトニーの隣に並ぶ。
「急に走ったり止まったり危ないぞ」
 なだめる声にも反応せずトニーは俯いただけだ。カタファは改めて声をかけようとするが、小さく震えた拳を見て口を閉じた。
 トニーの様子は明らかにおかしかった。ペンダントを落としたとガヨから聞いていたが、朝、廊下で会った時からトニーはそわそわとして不安げな表情を隠さなかった。心配して手を取ったジブを振り切って、外に走り出てしまったのを追いかけたのはカタファだけだった。
「なあ、どうしてそんなに焦ってるんだ?」
 トニーが顔を上げた。下まつ毛がうっすら濡れている。涙が零れてしまうわけではないが、堰を切れば崩壊してしまいそうな危うさがあり、カタファの息が止まった。
 これほど動揺しているトニーを見たことがない。正直、声をかけるべきかも迷う。
 カタファは乾いた唇を舐め、少しだけ口角を上げた。
「あのさ、ちょっと裏通りに行こうぜ。ここだと人の邪魔になる」
 動かないトニーの手を繋いで、人通りの少ない通りまで連れて行った。彼の手は冷たかったが、カタファを頼るようにしっかりと握っていた。

 少し歩くと、一区画だけ整備された石畳の上に、ぽつんとベンチが置いてあった。汚れも少なかったのでカタファはトニーを座らせる。水でも買おうかと数歩進んだが、繋いだままの手をぎゅっと握られ、足止めを喰らう。
「走って汗かいただろ? 水、買ってくるから」
 握られた手を軽く振るが、トニーは離さない。カタファは俯くトニーに聞かれないように小さく息を吐いて、隣に座った。
「なんだよ。お前、甘えん坊か?」
 軽く冗談めいて言ったが、反応はない。カタファはトニーが話始めるまで見守ることにした。
「……俺もこんな気持ちになるなんて思わなくて」
 やっと、小さい声がカタファの耳に届いた。カタファは少しだけ近寄り、握った手をトニーの膝に置く。
「子供のころ、コーソム修道院で拾ったんだ。あの頃はまだ、英雄に、なりたくて」
 トニーの浅い息とともに言葉が紡がれる。それは短く、弱弱しく聞き取りづらいが、カタファは漏らさないように熱心に耳を傾けた。
「ペンダントは、偶然拾ったんだな?」
 カタファは俯く茶色い髪を見ながら聞いた。トニーは小さく何度も頷いた。
「拾った時、嬉しくて。神の恵みだと思った。神秘の力を持てなくても、治療魔法を使って修道院を支える。みんなの英雄になれたらいいな、なんて思ってた。治せなかった患者や遺族の声を思い出す度、英雄になるには乗り越えないとって」
 何度も深い呼吸が聞こえた。長く吐く息が少しだけ揺れている。

 感情的な波を逃すことに慣れている、とカタファは思った。しゃくりあげないように、声を上げないように。体が震えたり、強張ったりしないように。吐く息にすべての悲しみを乗せているように思えた。

「そのペンダントがお前を支えてくれてたんだな」
 トニーはわずかに肩を落とし、静かに空気を吐き出す。
「そうだな。神秘の力に目覚めてからは、より一層、大切になった……気がするな。自分を英雄に重ねてみたりして、感傷的になったりして」
 トニーの少し声が上ずったが、胸いっぱいに息を吸って、止めた。そしてまた長く息を吐いた。
「でも、失くして良かったのかもしれない。あれには辛いときの思い出も詰まってるから」
 カタファはずっと手を握ったまま、否定も肯定もしなかった。つないだ手がじっとりと汗ばんでも、トニーの深呼吸が聞こえなくなるまでカタファはトニーの隣に座り続けた。

 しばらくすると、トニーが片一方の手で髪をぐしぐしと掻いた。ゆっくりと肩が下りて、つないだ手が離れた。
「つまらない話をした」
 顔を上げたトニーはいつも通りの抑揚のない声、感情の少ない顔つきだった。カタファと少しだけ目を合わせるとベンチから立ち上がり、背伸びをする。カタファも立ち上がり、トニーの隣に立った。
「ペンダントが見つからなかったら、俺が何か贈っていいか」
 カタファの唐突な発言にトニーは彼の顔を見た。トニーを見返すカタファの顔は普段の明るい表情ではなかく、切れ長の目が真剣に訴えかけていた。
 その時、海からの強い風が表通りを抜け、砂埃を巻き上げる。ばしばしと砂が頬を叩き、トニーは思わず目を瞑った。
「なぁんてな! 絶対にペンダントを見つけてやる」
 風が止むと、目の前にいるカタファの顔はいつも通り明るいものになっていた。そのまま表通りに歩いて行ったカタファを追いながら、トニーは顔についた砂を払う。心なしか、頬が熱かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ 平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、 どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。 数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。 きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、 生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。 「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」 それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

処理中です...