ドルススタッドの鐘を鳴らして

ぜじあお

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4章 港町ミガルへ

食卓心理戦

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 多くが食堂から訓練場に向かう中、それに逆行するように歩くグルーザグとエンバーはすれ違う団員たちから何度も挨拶をされた。
 笑顔を見せながら挨拶をする団員に同じく笑顔を返す様子は、首都第三騎士団団長、ルガーとは正反対だ。ルガーの前では皆、顎を引いて背筋を伸ばし、力強く挨拶をする。それに対してルガーは目線もくれずに短く返事をするだけだった。
「おはよう。今日も頑張ろうねぇ」
 グルーザグはまたもや笑顔を振りまく。普段、エンバーが歩けばその巨体から通りすがりの注目を集めるが、団員たちの笑顔は団長であるグルーザグに向けられていた。団員がグルーザグに親しく、そして信頼を置いているのがわかる。
 しかし呼吸や目線の動き、絶えることのない笑みは、彼がただの優しい男ではないことがエンバーには透けて見えていた。

 ミガル公舎の廊下は板張りでぎしぎしと音を立てたり、時には腐りかけなのか柔らかい部分かあったりと古めかしく見えた。絨毯に大きな窓、高い天井のある立派な首都第三の公舎とは全く違う。
 市場にあった商業ギルドの建物は非常に立派だったので、ガヨの言っていた『商人の力が強い』というのがエンバーにも理解できた。
 そう思いながらエンバーが一歩、踏み込んだ時、床が一層大きく音を立てた。前を行くグルーザグが振り返る。
「ごめんねぇ。うるさくて。ここ、古くてボロいでしょ。ミガル騎士団はお金がないんだよねぇ。俺もみんなの為にどうにかしなきゃって思ってはいるんだけどねぇ」
 街が潤ってるからって国からの補助も少なくて、とぼやくグルーザグは、エンバーの足元をちらりと見て、それからまた歩き出した。

 食堂に入ると、赤い髪と白金の髪がエンバーの目に飛び込む。ジブとエイラスだ。
 目が見えるようになると、彼らの容姿が整っているということがまず分かった。彼らはエンバーやルガーに次ぐ高身長で、目鼻立ちも良い。美しさではエイラスが抜きん出ているが、ジブの男らしい顔つきも世間では好まれる部類に入るだろう。
 エンバーは向かい合う彼らを遠巻きに見たが、すぐに敗色カウンターに向かった。
「えーっ、エンバーくん。挨拶いかないの?」
 グルーザグの驚きの声にエンバーは歩みを止めた。
「必要ない」
「挨拶は大事だよぉ。僕も行くから一緒に行こうよぉ」
 グルーザグの年齢に見合わない幼い話し方にぞわりとした。親しみやすさの表現なのだろうが、彼は徹底して腹の底を見せない。その笑顔の壁は団員にも厚く高く建っており、黒い感情はありありと伝わるのに真意がわからず、エンバーは対峙するのを避けていたのに、それを察したのか、むしろグルーザグはエンバーに近づいてきた。
「お前は俺を指揮する立場じゃない。一人で食う」
 エンバーがグルーザグを無視して奥に進もうとした時、食堂にガヨが入ってきた。扉の近くでたむろしていたエンバーとグルーザグと鉢合う。見開かれたガヨの目にはクマが出来ている。
「ガヨくん、おはよう! 今から朝食? あそこに分隊の子がいるよ。皆でごはん食べよう、いいよね?」
「ええ……」
 グルーザグはガヨの背中をばしばしと叩いた後、肩を組んでジブとエイラスの元に向う。去り際、グルーザグは横目でエンバーを見た。じっとりと誘うような目つきに、やはりエンバーは嫌悪感を覚えたが、顔色の悪いガヨが放ってはおけず、結局ついて行くことにした。


**
 苛立っているジブとそれを笑顔でいなすエイラスは見ていて面白かったが、グルーザグは大きく声を出して近づいた。
「二人とも、おはよう! 仲良さそうでいいね!」
 ジブがこちらを振り向く。赤毛の彼は顎を引き、眉を寄せたむすっとした表情だった。グルーザグはエイラスの隣に腰掛けた。
「おはようございます」
 エイラスは微笑んだが、やや陰りが見えた。昨日、自分に詰め寄った時とは様子が違う。グルーザグも笑い返すと、居心地の悪さを感じているのか、視線を背けてスープを飲んだ。
「グルーザグ団長、お食事を取ってきましょうか」
 立ったままのガヨが声をかける。目の下のクマは深いのに、立場が上のグルーザグを立てていることが分かる。
「それよりもガヨくん、目のクマすごいよ。夜ふかしでもしたんじゃないのぉ?」
「失礼しました。夜は寝ましたが、朝方、市場に行っていましたので」
「へえ」
 グルーザグの声が少し低くなった。それに微かに反応を示したのはエイラスとエンバーだった。
 ーーどちらも食えない奴らだ。感情的なタイプのジブと馬鹿正直気味のガヨなら余計な詮索もせずに内情を吐くかも知れない。グルーザグは察しのいい2人を締め出すことにした。
「エイラスくん、エンバーくん。俺たちの分のご飯とってきてくれるかなぁ? いいよねぇ。ガヨくん、彼らにお願いしても?」
「問題ありません」
 ガヨは2人に目配せをした。エイラスもエンバーもそれに大人しく従う。不満げな表情を見せずに席を立つ2人はやはり扱いづらい。

「ガヨくん、どうしたの。4年前は任務一直線でクマなんて作らなかったじゃない」
 向かいに座ったガヨを心配するように覗き込むと、彼は申し訳なさそうに頭を下げた。
「何かあったんじゃないの? おじさんに言ってみなよ」 
 両手を組みんだグルーザグが柔らかく話しかけると、ガヨの背筋が伸び、真っ直ぐにグルーザグを見据えた。
「落とし物を探していました」
「睡眠時間まで削って探すなんて、ガヨくんにとって大切なものなんだねぇ」
 ガヨの視線が落ちる。軽く俯いた額に、整髪剤のついていない髪が流れ、彼の疲労を浮き彫りにした。
 ジブは両肘をついてスプーンでスープをゆっくりと掻きまわしながら、二人の会話を聞いている。
 団員たちのいなくなった食堂では、カウンターからバットを片付ける音が聞こえてきた。
「……いいえ、俺のものではありません」
「ええっ、じゃあ誰の落とし物なのぉ?」
 ガヨの口が薄く開いたが、言葉はまだない。グルーザグは片手を机につき、小指から人差し指の順にリズミカルに叩く。たたたん、たたたん。小さな音が何度も続いた。ジブは、その流れる指から手首、肘、肩、顔へと順に視線を向けた。窓から入る光は逆光で、グルーザグの表情を捉えきることはできなかった。

「うーん、その様子だとここにいる子じゃないよね? カタファくんの?」
「トニーのです」
 ジブが横から口を出した。ガヨは視察早々に落とし物をしたトニーのミスと自らの不摂生に後ろめたさを感じているのか、黙ったままだった。
「トニーくんの? えらい! 一緒に探してあげるなんて、ガヨくんは仲間思いなんだねぇ」
 ガヨは小さな声で礼を返した。単に礼儀として言っただけの心無い声だった。
「ジブくん。君は探してあげないの? 首都から来た君たちのプロフィールを見て知ったんだけど、トニー君とは同じ修道院で育ったんでしょ?」
 グルーザグが顎をしゃくって尋ねると、ジブの上唇がひくりと動いた。笑うように小さく口を開くが、それは笑顔ではない。威嚇の表情だった。
「トニーくんが落とした大切なもの。どんなのか教えてくれるかなぁ?」
 要求の意味を込めて首を傾げると、ジブの薄桃色の瞳がグルーザグをまっすぐ睨みつける。体は前のめりになっていて、きっかけがあればすぐに飛び掛かってきそうな勢いだった。
「銀色のチェーンで、鐘のモチーフのついたペンダント。だそうです。な、ジブ」
 ガヨが机の下でジブの太ももを拳で軽く叩く。ジブは下唇を噛んで上体を戻した。
 急に大人しくなったジブを見て、グルーザグは笑った。ガヨは相変わらず鈍感だ。ジブの殺気には反応したが、会話の真意に気付いていない。皮肉ったグルーザグではなく、ジブを止めたのがその証拠だ。

 グルーザグの座る椅子がわずかに揺れる。古い板張りの食堂の床は、体の大きなエンバーの歩みを椅子に伝えていた。グルーザグは振り返って、背後から近づいてくるエンバーとエイラスを迎えた。
「食事、ありがとうねぇ」
 いいえ、とエイラスは皿を並べながら返した。エンバーは無言のままトレーを置くと、そのままグルーザグの隣に座る。エイラスはジブの向かいに座り直した。
「君たちの分隊長は偉いよぉ。トニーくんのために、朝早く起きてペンダントを探してあげてたんだって」
 誰も言葉を返さない。エンバーの食事の前の祈りがぶつぶつと聞こえるだけだった。
「昨晩のうちに見つかればよかったのにねぇ」
 グルーザグがエイラスを見た。エイラスは、そうですねと澄ました顔で言ったが、指先で唇を小さく撫でており、その指先の震えを見たのはグルーザグだけだった。

 食堂の職員たちもいよいよ片づけを終え、遠くから使用済みの食器はシンクに置くように声をかけた。グルーザグは了解、と大きく手を振って答える。彼らが出ていき、いよいよ食堂にはガヨ達を残すところとなった。
 パン、と乾いた音が食堂に響く。両手を合わせたグルーザグに視線が集まる。魚を口に運ぼうとしたエンバーも一瞬固まったが、視線だけ向けてそのまま食べ進めた。
「昼間、ミガル騎士団で君たちのこともみくちゃにしたからねえ。その時に落としちゃったのかな? もしかして、何かのはずみで、誰かのポケットにでも入ってるんじゃないかなぁ?」
 グルーザグはガヨ、ジブ、エンバーの順に視線を合わせていく。エイラスだけが目を合わせず俯いた。ーー正直、その姿さえ絵になる。憎たらしい美しい顔が歪むことを想像すると、グルーザグは楽しくて仕方なかった。
 
 その時、食堂の扉が勢いよく開いた。扉が壁に当たり、跳ね返るのを筋張った手のひらが押さえつける。
「グルーザグさん! もう修道院との会議の時間ですよ!」
 大声で怒鳴りながらサントが大股で走り寄ってきた。額に汗をにじませ、上がった息も整えずにグルーザグの耳を引っ張る。
「いたたた」
「いたた、じゃねぇですよ! ミガル騎士団が適当だってまたぐちぐち言われるでしょうが!」
 サントの勢いはすごかった。上官であるグルーザグを労りもせず引っ張り上げる様子に、ガヨ達は圧倒されてしまった。
「でもさぁ、ここで出たら食事がもったいないよ。せめて食べてから……」
「こいつらに包ませます! ガヨ、わかってるな?!」
 袖をまくった太い腕がガヨを指差した。サントは勢いそのままにどかどかと音を立てながら出入り口の方へ歩き出す。自身より小柄なサントに引きずられるグルーザグは、痛みに顔を歪ませながら、どこか楽しげだった。

 かちゃん、と食器を置く音がした。ガヨが振り返ると、そこには食後の祈りを捧げるエンバーがいた。皿の上はすっかりきれいになっている。祈りを捧げた後、エンバーは長い髪をかき上げ、黄金の瞳を細めた。
「うまかった。ねちっこい奴がいなければ最高だった」
 エンバーの思いもよらない発言に、ジブがむせた。エイラスも手を口に当てて小さく震えている。
「言うようになったな、エンバー。だがミガルの団員には、そんなこと話すなよ」
 エンバーが入団して数ヶ月。無口ながらも少しずつ彼が自我を持ち始めたことが、分隊の好転につながりそうだとガヨは思った。
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