ドルススタッドの鐘を鳴らして

ぜじあお

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4章 港町ミガルへ

信仰の裏にある欲望

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 司祭に案内された修道院は荘厳だった。
 神話を模して造られたステンドグラス。青い絨毯や垂れ幕。それらにはミガル地方の記章が刺繍されている。腰壁から天井の高い位置まで丁寧に彫られた装飾が続き、拝礼堂の中央には、神秘の女神像が鎮座している。
 白い石を切り出して彫られた女神像は、慈悲深い表情で人々を見下ろしている。目には母なる海を思わせる青い宝石が埋め込まれていた。
「さあ、こちらに」
 女神像を通り過ぎ、礼拝堂の奥へと続く扉を開ける司祭に誘導され、エイラス達は廊下に進んだ。
「それにしても皆さんお揃いでいらっしゃって。光栄なことでございます」
 先を行く司祭が目配せしながら話しかけてきた。もともと司祭が呼んだのはエンバーとトニーだけだ。それが総勢6人で押し掛けたのだ。嫌みの一つも言いたくなるだろうとエイラスは思ったので、エイラスは微笑んだまま彼を宥めることにした。
「ミガル修道院はヒューラでも随一の美しさと聞いておりましたので、皆、興味があったんですよ」
 カタファもそれに続く。
「急に押しかけてすみません。でも、俺みたいな移民からすると、ミガルは憧れの地で。ジブも修道院出身だし、ミガルの名を聞いたことは何度もあるだろ? そうだよな?」
「ああ、コーソムの田舎からしたら、すげぇ綺麗ですよ」
 カタファから急に話を振られたジブだったが、適当に話を合わせた。ジブの図太さにエイラスは感謝した。
 褒められた司祭は気を良くしたのか、笑顔で廊下の奥にある部屋の扉を開けた。

 部屋には中央に2席、椅子が置かれている。それを取り囲むように乱雑に椅子が置かれ、壁沿いには本棚が並ぶ。部屋の奥には祭壇があり、その上には肖像画が置かれている。軽くウェーブのかかった黒髪、浅黒い肌、光る剣を持った男ーー英雄ドルススタッドの肖像画だった。
「さあ、お二人。こちらへ」
 司祭は中央の椅子を指し示しながら、顔の皺をさらに深くしてエンバーとトニーに笑いかける。二人はゆっくりと歩き出して椅子に腰かけた。天井の魔法灯の光が二人に当たる。その背後にある肖像画の照明も相まって、トニーとエンバーの姿が浮き立っていた。
「素晴らしい、素晴らしい。生きているうちに王族や大司教様以外の神秘をお持ちの方とお話できるとは」
 扉を閉めた司祭はガヨとジブを押し退けて、部屋の中心へと歩いて行く。エイラスも扉の前から歩み寄り、彼らを見守った。
 司祭は椅子に座る二人の前に跪く。そして小さく身をかがめ、二人の靴に口づけをした。これは崇拝の意だ。
「神秘の女神に愛されたお二人を歓迎いたします」
 司祭はそのまま床に手と額を擦りつける。
 エンバーは両腕で自身を抱え込むようにしていた。神秘という言葉がエンバーに与える影響を、彼自身が一番よく理解している。おそらくエンバーは今、自らの衝動と戦っている。
 トニーはその宗教的意味合いを理解し足をひっこめた。彼は、立場は元修道士ではあるが、神を信じているわけではない。
 嫌がるトニーの顔を見たジブが視界の端で体が前のめりになったのが見えたので、エイラスは彼の足を踏んだ。ぐ、と小さな声が漏れたが、司祭には聞こえていないようだった。顔を上げた司祭が、今度はエンバーの手のひらに口づけをしようとするのを止めたのはカタファだった。
「司祭様、まずは彼の力を見てやってください。司祭様のお言葉があって初めて、神秘があるとされるのですから」
「いや、はは。そうですな」
 カタファはよろよろと立ち上がる司祭を介助する。司祭のその手は興奮で震えていた。カタファの介助に礼を言った司祭は、力を試すものを持ってくると話し、部屋から出ていく。扉の閉まる音とともに、エイラスは踏んでいたジブの足を開放した。
「いってぇ……」
「こうでもしないと飛び出していたでしょう」
 足先を抱えるようにしてジブはしゃがみこんだ。悶絶する赤い髪を尻目にエイラスは部屋の中央に視線を向ける。

 椅子に座るエンバー、トニーの前にガヨとカタファが立っている。
 エンバーが司祭の消えていった扉の方を見ていることに、ガヨが気付いた。
「司教が気になるか」
エンバーは自身を抑えていた両腕を解いた。しかし、その目は薄く細められており警戒を露わにしている。
「いや、廊下だ。空気の流れが変だ。壁の中に薄く風が流れてる」
 エンバーの探るような声に、トニーが言葉を重ねた。
「隠し扉でもあるんじゃないか」
「そんなもんあるのか?」
 カタファの驚いた声にトニーは冷静に返す。
「戦争の名残だ。攻め入られた時の逃げ場だったり、焚書を逃れるために本や聖遺物を隠したり、異端者を拷問したり。まあ用途はいろいろあったと聞いている」
 トニーの声は、かちゃりと空いた扉の音で遮られた。司祭が戻ってきたのだ。

 現れた司祭の手には、2つの細長いガラス管と女神像があった。大きめな酒瓶程度のその女神像はさまざまな煌めきが内包された深い青色をしている。
「珍しい! それは空の上にしかないと言われた鉱物ではないですか?」
 カタファが司祭の横に付き、小刻みな歩調に合わせて歩く。女神像の素材に触れられたことに司祭は大きな笑みを浮かべた。目じりが溶けたような笑顔だったがその目はぎらついている。
「お分かりになりますか。そうです。おっしゃる通り、空にしかないとされていた鉱石です。それが近年、深海で見つかりましてな。この石は金剛よりも固いとされています。王に献上しても恥のない一品です。」
「ええ、ええ。知っています。こんな貴重なものが、この大きさで。高度な魔法でしか彫刻を施せないとも聞いています。計り知れない価値がある代物です」
 商人の性か、カタファの声も興奮して上ずっている。カタファの解説に気を良くした司祭も、笑みの皺が深くなっていた。司祭の向かう先にいるガヨは、エンバーの側に一歩体を後退させた。エンバーが暴れた際に止めるためだった。

 司祭がエンバーの前に立った。トニーを含めた二人の背筋が伸びていくのがわかる。
「赤髪の。これを持っていたまえ」
 司祭は振り返りもせず、片手でガラス管を差し出した。ジブは、承知いたしましたと色よく返したが、口角が引くついている。司祭の中ではジブは小間使いと同格のようだった。
エイラスは静かにトニーの後方へ移動した。これで座る二人を4人で囲む形になる。何かあっても助力のしやすい距離だ。

「さて」
 司祭は両手で恭しく女神像をエンバーに渡した。数歩下がり、またしても跪いた。膝が床板につく硬い音が響く。そして救いを求める信徒のように両手を前に伸ばし、青い女神像をエンバーの前に突き出した。
「それを破壊してごらんなさい」
 目の前に座っているトニーが動いた。エイラスからは彼の背中しか見えないが、小刻みに肩が震えている。エンバーは片手に女神像を握り、目は司祭を見据えたまま口をつぐんでいる。
「……あの、それって女神像、ですよね。それにその石自体もすごい価値があるんじゃ」
 ジブがおずおずと質問した。その後、生唾を飲む、ごくりとした音がエイラスの耳にも届いた。
「黙れ! 貴様ごときが神秘に口を挟むな!」
 司祭はその老いた体に鞭打つように大声で叫んだ。しかし、すぐさまエンバーに顔を向け、恍惚とした表情を浮かべている。
「神秘は人智を超えた……神をも穿つ力です。力では割れないそれを割れるとしたら、それは神秘と言えましょう。神秘を証明できるのであれば、偶像が壊れたとしても神も本望だとお喜びなされます」
 司祭の発言に、皆の視線が集中する。悪意に満ち満ちているのに、その声は慈愛にあふれており力強い。武力で簡単に制圧できるはずのその老人に、誰も声をかけることができない。
 息を飲む音が小さな部屋に響く。その音の発生源はトニーだった。神を嫌う彼でも、信仰の対象である女神を模した像を割るという行為に、嫌悪感があるようだった。 

 ばきりという鈍い音。それが静寂を破った。それと同時にぼろぼろと足元に小さな石がエイラスの足元に転がってきた。それは深い青色をしている。エイラスは、はっと顔を上げた。
 エンバーの両腕は青く煌めいていた。女神像だったものの残骸はぱらぱらと解け、砂のように彼の腕にまとわりついている。少し遅れて、手のひらから腕に血が流れる。煌めく青い残骸と混ざり合って変色し、人間の血ではないような錯覚にエイラスは襲われる。
「ああっ! ご慈悲を!」
 張り裂けんばかりの大声が聞こえたかと思うと、司祭はジブに持たせたガラス管を奪い取った。そしてエンバーの腕に流れる血にボトルの口を押し当てる。その衝撃でエンバーが握っていた女神像の足が落ち、ひと際、大きな音が鳴った。
 それに反応したのはガヨだった。
「何をするんです!」
 ガヨが柄に手を置きながら司祭に近づく。だが司祭は全く意に介していない。エンバーの腕につく血の跡にぐいぐいガラス管の口を押し当てるだけだ。

 エンバーは動けないでいた。不用意に力を振るえば、老いた司祭の命が危ぶまれるかもしれない。ただ、血を、神秘を盲目的に求められることの言い知れぬ不快感に耐えた。
「貴方様のお体から流れた血には、非常なる価値がございます。信仰や空の石などよりも絶大な、現世至極の価値があるのです!」
「やめてください」
 狂乱の声にトニーの大きな声が重なる。
 普段通りの抑揚のない落ち着いた声だったが、体の側に握られた拳は揺れていた。
「神秘は神が気まぐれに与えた力です。神秘こそ勝ちはあるかも知れません。ですが、神秘持ちの体や体液に何の意味があるのですか。俺たちは同じ人間で……」
 次第にトニーの声が震え始め、言葉に詰まってしまった。小さく開いた口からは荒い息が漏れている。
 司祭は慈愛の表情を浮かべながら、ゆっくりとトニーに近づいた。ボトルを小脇に抱える、強張るトニーの手を片手で取り、しわくちゃの手で優しく甲を撫でる。
「ああ、可哀そうに。震えておられる。お辛いのでしょう?」
 俯いた司祭の顔が次第に上がり、徐々にその顔が光に照らされる。
「貴方様は我々とは違う。神から超大な価値を与えられた存在なのです」
 穏やかに離す司祭の手を払って、トニーが後ずさると、足が椅子に当たり、大きな音を立てて倒れた。
 少し離れたトニーを下から上まで湿った目で見まわしている
「ですからせめて、その恵みを、お体に流れる血や涙、唾液でも構いません。それを下々に分けて頂けませんか。神秘の体液は、持たざる者にも金銭という施しをお与えになるのです」
「うるせぇぞ! クソじじい!」
 ジブの爆発した叫びが部屋の中にビリビリと轟く。そのまま飛ぶように司祭に近づき、その老体の首を掴んで壁に投げつける。
 よろけた司祭の頭を鷲掴みにし、ジブは、再び壁に司祭を叩きつけようとしている。
「ジブ、やめろ!」
 カタファがジブに走り寄り、両手で腕を押さえこんだ。それでも勢いは止まらず、今度はガヨも押さえ込みに入る。
 トニーも少し遅れて動き出し、司祭を床に這いつくばらせてジブとの距離を取った。
「エイラス、紐か大きな布を持ってきてくれ!」
 ガヨは暴れるジブを肩ファと二人がかりで押さえながらエイラスに指示を出す。エイラスはもみ合う彼らを除け、エンバーの横を通り抜けた。

 ーーおかしい。
 エイラスは、はたと動きを止めた。
 普段、暴走しがちなジブを御すのは彼より体の大きなエンバーだった。
 ーー今のエンバーは、静かすぎる。
 エイラスは勢いのまま扉を開けたが、足が竦む。そこに聞こえてきたのは、司祭の叫びだった。
「神秘の……『神秘の力を持て』……!」

 その時、エイラスが扉の前を飛び退いたのは本能だった。
 うごめく闇が近づいて来る。その恐怖の感覚で体が反射的に避けていた。一筋の黄金をまとった黒い影は音もなくエイラスの横を通り抜ける。

 ーーエンバーだ。エンバーが走り出したのだ。
 それを理解したエイラスは足をもつれさせながら追いかけた。廊下の中腹でエンバーは立ち止まったかと思うと、両腕で壁を殴りつけた。揺れるような音を響かせ、壁に穴を開けたエンバーがその中に入っていく。
「エンバー、待ってください!」
 巻きあがった土埃をかき分けながら追いかけると、地下への階段が続いていた。数歩進めば明かりも届かない闇が広がっているが、そこからエンバーの足音がかすかに聞こえてくる。
 確か制服のポケットにライトがあったはず。
 エイラスは焦る手でそれを探し、明かりをつけた。しかし、それは小指ほどしかない小さな光源しか持たない。エイラスは舌打ちをしつつも、そのまま階段を下りて行った。
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