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4章 港町ミガルへ
グルーザグの執妄/カタファの演出/挟まれたジブの寒気
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その後ジブは荷物を片付け、埃の付いた制服を着替えた。トニーの部屋の前を通ったが顔を出すなと言われたので、ジブはしぶしぶ従った。
合流し、前を歩くカタファが団長室に向かう道中でジブに話しかけた。
「ジブ、お前が先に部屋に入れ。んで、ミガル修道院でエンバーが壁を壊したことだけ言え。何か言われても適当に流せ。できるよな?」
語尾は上がっているが、それは質問ではなく念押しだということはジブにもわかっていた。話し合いもなく役割を決めつけられたジブは頭を掻いた。
「じゃあ、カタファは何するんだよ」
「グルーザグの様子次第だけど、なんとかするさ」
カタファは言葉少なく返した。その表情に笑みもない。いつもの軽い調子ではなく、真剣な表情そのもののカタファにジブはこれ以上何も言えなかった。
グルーザグのいる団長室の前に二人が着いた。
カタファは小さく息をつくと、バンダナを結び直す。伝わる緊張にジブが身を強張らせる。
扉の叩かないジブに、カタファが顔を上げた。
「早く行こうぜ」
ほほ笑みながら両手の人差し指で口角を指さす姿は、緊張など笑い飛ばそうぜと言っているようで頼もしい。ジブも小さく息を吐いた後、にっと笑った。
真実に一歩迫るのだ。ここで負けてはいられない。
ジブが扉を叩くと、どうぞと中からグルーザグののんびりした声が聞こえてきた。カタファとジブは、目を合わせてから部屋に入った。
扉を開けた先にいたグルーザグは扉を背にして窓から外を見ていたが、部屋に入った二人を手招きし、応接ソファに座らせる。
「大変だったみたいだねぇ。修道院から連絡があったんだけど、かなり混乱してるみたいでね。現場にいた君たちの話が聞きたいと思ってたんだ」
グルーザグは備え付けの魔冷庫から、半透明の涼し気なゼリーと氷石入りのティーグラスを応接テーブルに出した。
ジブは礼を言ってグラスの水を飲む。一気に7割ほど飲んで喉を潤してから、ジブが話し始める。
「すみません。エンバーが壁を壊しちまいまして。これって騎士団に請求が来ちゃいますかね?」
「多分、首都騎士団に請求がくるんじゃないかなぁ? さすがにミガル騎士団では払わないよぉ?」
グルーザグの明るい声に、ジブは、まいったなぁと返す。
グルーザグは微笑んだまま席を立ち、窓へと向かった。その後姿をジブとカタファが見ている。
「ところでさぁ、あの魔動車、かっこいいよねぇ」
「はい?」
「ほら、そこの」
思わぬ話題を振られたジブは上ずった間抜けな返事を返したが、グルーザグが窓越しに指差すものを見ようと席を立った。ジブとカタファの二人が窓の元へと歩み寄ったが、グルーザグは近づいてきたカタファの肩を組み、少しかがみながら、窓から見える駐車場の魔道車を指さす。
「あの魔道車、サウサ・サーラ家から首都第三騎士団に寄付されたんでしょ? いいなぁ。そっちには神秘持ちが二人もいて、カタファくんみたいなお金持ちもいるなんて。羨ましいよぉ」
ジブからはカタファの顔はほとんど見えない。この質問に、ジブが回答する余地はないので黙って成り行きを見守るしかなかった。
「ええ。この年で恥ずかしいですが、実家を頼って寄付をしてもらいました。海が好きで、どうしても早くミガルに着きたかったんですよ」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ!」
グルーザグは大きく手を広げ、カタファを大げさに抱き寄せた。広げた腕に入り込めず、ジブはいつの間にか部屋の隅に追いやられていた。
「ジブは、海を見るのが初めてでしたから、はしゃいでましたよ。なぁ?」
「そうなんですよ。やっぱり海はいいですよね!」
カタファの問いかけにジブが努めて明るく返すと、グルーザグの笑顔が向けられた。
「ありがとうねぇ。ジブくん。ああ、是非ゼリーを食べて。ミガル特産なんだよぉ。」
続けて、ほら、と応接テーブルを指さす。依然として彼はカタファの肩に腕を置いたままだ。
ジブは、グルーザグが会話の中心から自分を追い出したいのだと悟り、カタファに目配せをする。カタファがにこりと微笑んだのでジブはソファに腰掛けた。
グルーザグの腕の中にいたカタファは、もう、苦しいですよと困った声を出した。
「ごめんねぇ。あれ。カタファくんは裕福な商家出身だし、贈答用のゼリーなんか食べ慣れてるかな?」
グルーザグはカタファの両腕を掴んで、顔を覗き込んだ。彼のにこにことした笑顔が絶えない。
ーー喰えない奴だが本当に神秘持ちを金目的で扱ったり、増産計画に関わったりしたのだろうか? 笑顔のグルーザグを見ていると、ジブには彼が少なくとも悪い人間に思えなかった。
「いいえ。このゼリー大好きなので。いただきます」
カタファの朗らかな声がジブの耳にも届いた。グルーザグが掴んでいた手を離すと、カタファがソファに向かって振り返るが、ジブにはいつもと同じ明るく表情豊かな顔に見える。
カタファはソファに座り、テーブルの上のスイーツディッシュを手に取る。
「おいしい」
カタファがゼリーを食べるのを見てから、ジブも口に運ぶ。清涼感のあるハーブの香りとほのかに広がる柑橘系の匂い。歯応えのある小さな粒を噛むと口の中で弾けて、しゅわしゅわとした食感が広がる。
「うま!」
思わず声を出したジブを、グルーザグとカタファが微笑ましい目線を送った。
「美味しいよねぇ。けどちょっとお高いからさ。俺が自分のためにこれを食べられるようになったのは、20歳過ぎて、騎士団に入団した頃だなぁ。いやぁ、幼い頃はカタファくんみたいなお金持ちの子が羨ましくてたまらなかったよぉ」
グルーザグは大きめのゼリを一口に頬張った。
対してカタファはゼリーをフォークで一口サイズにちぎって食べる。フォークが皿に当たる音がしない。品のある所作で、カタファの隠れた育ちの良さを感じざるを得なかった。
「そんな。お金持ちだなんて、やめてください。俺は移民で成り上がりの商家出身でしたから、伝統ある家柄の子が羨ましかったですよ」
カタファの家は階級は市民とはいえ豪商として名高く、裕福だ。それに対し騎士団には、貴族階級でも家督を継げない次男以降、もしくは貧乏な下級貴族が多い。
ーーだからこそ、やっかみに近い羨望の目が彼に向けられることが多いと、ジブも気付いていた。
ちらりとカタファを見るが、笑って膨らんだ彼の頬はそのままだった。
「グルーザグ団長は、英雄ドルススタッドの末裔だと聞きました。素晴らしいお家柄ですよね」
グルーザグが手に持っていたスイートディッシュを机に置く。かたん、と皿の上のフォークが震えた。
「やだなぁ。栄光の歴史があったのはもう数百年も前のことだよ。ドルススタッド様以降は神秘持ちが生まれなくてねぇ。今や没落した貧乏貴族だよ。名誉だけじゃ、ご飯は食べれられないから」
カタファも皿を机の上に置いた。手を軽く握り、膝の上に乗せる。蚊帳の外に追いやられつつあったジブは水を飲んだ。残り3割と少なかったこともあり、一気にグラスを傾けて飲み干す。
「豪快でいい飲みっぷりだね。親近感湧くなぁ」
それを目ざとく見つけたグルーザグは立ち上がり、保冷棚から水の入ったボトルを取り出す。
「ジブくんは孤児なんだっけ?」
「あ、はい」
ジブはグラスを寄せた。その先で、ボトルが静かに傾く。
「何もないところからお金を稼ぐのって大変だよねぇ。でもその分、色んな経験積めたよね。お金のある人には分からない苦労と貴重な経験って、やっぱりあるよねぇ」
水は粘りを持ったようにゆっくりと流れ、コップのふちぎりぎりまで注がれる。
「……ああ、ごめんねぇ、嫌味っぽかったねぇ?」
かちりと乾いた音を鳴らしながらキャップを閉めたグルーザグは、ゆっくりとカタファを見やった。
「まあ。はは、ちょっとグサッときましたね」
カタファは肩を落とし、小さい声で言う。
「そっかぁ。ごめんねぇ」
グルーザグはソファテーブルの向こうからカタファの髪を撫でようと手を伸ばした。その浅黒い手が灰色の髪に触れる寸前、カタファが口を開いた。
「あの、グルーザグさん。貴方だから言うんですが……修道院は神秘を増産……人為的に神秘を造り出そうとしてると、俺は思ってます」
「ええ?」
驚きの声とともに空に留まったグルーザグの手。それをカタファは勢いよく掴んだ。
その瞬間、グルーザグの笑顔が強張る。だがすぐに柔らかい声でカタファを宥めた。
「カタファくん、何言ってるのぉ? 変なこと言っちゃだめだよぉ」
手を引こうとするグルーザグだったが逆にカタファは握る力を強めて真剣な目で訴えかける。
「司祭はエンバーやトニーの体液を集めようと必死になってました。それにミガル修道院の地下には、拘束具の設置された血みどろの部屋があったんです。神秘持ちを造ろうと人体実験をしていたに違いありません」
カタファは早口で興奮気味に言い、グルーザグの手を握りながら立ち上がった。背の低い応接テーブルの上で、二人の手が硬く結ばれているのをジブは見守るしかない。
「……それは許されないことだねぇ。神秘の力はとても尊くて……貴重なんだから」
グルーザグはその突拍子もない意見を肯定するような口調で、今度は自身を掴むカタファの手を両手でしっかりと包んだ。
グルーザグはじっとカタファの目を見て、彼の次の言葉を待っている。
カタファは目を離すことなく、声を張り上げた。
「金目的、なんでしょうね。神秘持ちの体液はとんでもない金額で闇市場に出回っているそうですから。だから神秘持ちを増やして……でも、あれ? そうしたら神秘の価値は下がってしまいますよね。そうなると本末転倒なような。でも、神秘の増産ができなければ、ほぼ同時期に市民から二人も神秘持ちが現れるなんておかしいし……」
ぶつぶつと考え込んだカタファの手を握り直し、グルーザグは頭を左右に振った。カタファは縋るようにグルーザグを見つめている。
「とにかく、ミガル司祭の解任を国に請求するよ。神秘は女神から与えられた貴重で稀有なものなんだ。だからこそ尊い」
いつものような間延びした話し方ではない、静かな怒りを持ったグルーザグがそこにいた。その怒りは、神秘を冒涜する者に向けられたものなのか、それともーー。
「ところでぇ。トニーくんも、エンバーくんもそうやって造られた神秘の持ち主ってことになるのかなぁ? そうなると純粋な神秘保持者ではないってことになっちゃうのかなぁ?」
真剣な表情が崩れ、にや、とグルーザグの口角が上がる。
「その二人は……おっしゃる通りかもしれません。トニーもエンバーも同じ修道院にいたそうですから。なあ、ジブ?」
振り向いたカタファの顔は真剣そのものだった。ジブは、はい、とそれらしく答えたが、カタファの揺るぎない目を見ると背筋が冷たくなった。
そこにはグルーザグを探ろうという念は一切感じられない。本当にトニーとエンバーが人為的に顕現させられた神秘の持ち主だと疑わず、そして、それを親切心で進言する忠誠心のある良い人間の顔をしているのだ。
「そうかぁ……教えてくれてありがとう。これは国に報告しないといけないねぇ。ごめんだけど、報告書をまとめたいから、ご退室願えるかなぁ?」
「迅速にご対応いただけるということですよね。ありがとうございます」
緩んだ表情を消したグルーザグを見てカタファは手を離し、深々と礼をした。ジブもそれに倣って頭を下げる。ジブが顔を上げると、すっかりいつも通りの笑顔を取り戻したグルーザグと目が合う。
彼はそろえた指先を扉に向けて退室を促す。それを見て二人は団長室から出ていった。
ジブはカタファの後を付いて歩く。カタファの向かった先は駐車場、魔動車の中だった。扉を閉めると、カタファはハンドルにもたれ掛かり大きく息をついた。
「もう、疲れた……」
助手席に座ったジブは、項垂れて流れる灰色の髪を見ていた。
「あの感じだと、サグーザグが悪事に加担してるかわからなくないか?」
ジブの声に、ハンドルにもたれたままのカタファはくるりと顔を向けた。
「サグーザグは金目的で一枚噛んでると思う。でも人体実験とは無関係だ」
「何で分かるんだよ」
「一つはミガル司祭の切り捨ての早さかな。地方騎士団団長には地域の保安義務がある。普通なら公平性を保つために、司祭に事情聴取してからことを判断して解任請求を出すだろ。俺たちの一言だけで決めるのは、口封じもあると思う」
なるほどなとジブは合点がいった。変な言い訳をされる前に司祭だけを悪人に祭り上げるつもりでいると言われれば納得できた。
「それにあいつが目下気にしてるのは金のことだ。終始、金の話しかしなかった。魔動車然り、ゼリー然り、俺の実家然り。グルーザグさんの家柄の話をしても、家名じゃ食ってけないときた」
ジブはグルーザグの発言を思い出していた。確かに、カタファの金銭的な余裕に対する皮肉は強烈だった。金持ちのカタファは苦労をしていないとでもいいたげな発言が目立った。
「あと、手」
「手?」
カタファは右手をひらひらと動かした。武器を持たない魔法職の彼の手はまめもなく、柔らかそうだ。カタファはグルーザグの手のひらを掴んでいたが、それが何を意味するのかとジブは不思議に思った。
「神秘を増産って言った時は何も反応がなかった。でも金目的だって言ったら、ちょっとだけ手に力が入ったんだよ。グルーザグはミガル司祭と結託して、神秘保持者の体液の売買をしてたんじゃないかな」
あの行動にそんな意味があったのかと、ジブは感服した。すべての行動が計算ずくだったのだ。
「あと……グルーザグは『トニーもエンバーも人為的に作られた神秘』だと言い切った。グルーザグは人体実験が行われていること自体を知らなかったんだ。だからトニーを含めた二人を作られた神秘だと思ったんだろう。俺の見立てだと実践の成功体は今のところ、エンバーだけだ。……まあ、全部まだ憶測の範囲内だけど」
一息に言ったカタファは、体を起こしてハンドルを指で叩いた。じっと前を見つめ、何か考え込んでいるようだ。
ジブはその横顔に言い知れぬ恐怖を感じた。その紫色の瞳が何を思っているのかわからず、じっと探ってしまう。視線に気付いたカタファが振り向いた。
「なぁに変な顔してんだよ」
「いや、ちょっと怖くなって。カタファ、人が変わりすぎじゃないか?」
カタファは得意げな顔をしてにやりと笑った。
「金の生まれる場所にトラブルあり。俺が実家でどんな思いして商売手伝ってきたと思ってんだよ」
パン、と強く肩を叩かれた。痛がるジブを横目に、カタファはいつもの明るい表情で言った。
「トニーを連れてきてくれないか? 修道院にガヨを迎えに行こう」
「さっきはトニーに休めっていってなかったか? 寝てたらどうするんだよ」
「悪いけどそのまま運んできてくれ。ここに一人置いていく方が心配だろ? トニーのことはお前が良くわかってるんだから、頼んだぞ」
任せたぞ、という一言を告げ、半ば蹴りだされるように車を追い出されてしまった。カタファの言う事は理にかなっている。それにトニーの事を任せたと言われると悪い気はしなかった。
合流し、前を歩くカタファが団長室に向かう道中でジブに話しかけた。
「ジブ、お前が先に部屋に入れ。んで、ミガル修道院でエンバーが壁を壊したことだけ言え。何か言われても適当に流せ。できるよな?」
語尾は上がっているが、それは質問ではなく念押しだということはジブにもわかっていた。話し合いもなく役割を決めつけられたジブは頭を掻いた。
「じゃあ、カタファは何するんだよ」
「グルーザグの様子次第だけど、なんとかするさ」
カタファは言葉少なく返した。その表情に笑みもない。いつもの軽い調子ではなく、真剣な表情そのもののカタファにジブはこれ以上何も言えなかった。
グルーザグのいる団長室の前に二人が着いた。
カタファは小さく息をつくと、バンダナを結び直す。伝わる緊張にジブが身を強張らせる。
扉の叩かないジブに、カタファが顔を上げた。
「早く行こうぜ」
ほほ笑みながら両手の人差し指で口角を指さす姿は、緊張など笑い飛ばそうぜと言っているようで頼もしい。ジブも小さく息を吐いた後、にっと笑った。
真実に一歩迫るのだ。ここで負けてはいられない。
ジブが扉を叩くと、どうぞと中からグルーザグののんびりした声が聞こえてきた。カタファとジブは、目を合わせてから部屋に入った。
扉を開けた先にいたグルーザグは扉を背にして窓から外を見ていたが、部屋に入った二人を手招きし、応接ソファに座らせる。
「大変だったみたいだねぇ。修道院から連絡があったんだけど、かなり混乱してるみたいでね。現場にいた君たちの話が聞きたいと思ってたんだ」
グルーザグは備え付けの魔冷庫から、半透明の涼し気なゼリーと氷石入りのティーグラスを応接テーブルに出した。
ジブは礼を言ってグラスの水を飲む。一気に7割ほど飲んで喉を潤してから、ジブが話し始める。
「すみません。エンバーが壁を壊しちまいまして。これって騎士団に請求が来ちゃいますかね?」
「多分、首都騎士団に請求がくるんじゃないかなぁ? さすがにミガル騎士団では払わないよぉ?」
グルーザグの明るい声に、ジブは、まいったなぁと返す。
グルーザグは微笑んだまま席を立ち、窓へと向かった。その後姿をジブとカタファが見ている。
「ところでさぁ、あの魔動車、かっこいいよねぇ」
「はい?」
「ほら、そこの」
思わぬ話題を振られたジブは上ずった間抜けな返事を返したが、グルーザグが窓越しに指差すものを見ようと席を立った。ジブとカタファの二人が窓の元へと歩み寄ったが、グルーザグは近づいてきたカタファの肩を組み、少しかがみながら、窓から見える駐車場の魔道車を指さす。
「あの魔道車、サウサ・サーラ家から首都第三騎士団に寄付されたんでしょ? いいなぁ。そっちには神秘持ちが二人もいて、カタファくんみたいなお金持ちもいるなんて。羨ましいよぉ」
ジブからはカタファの顔はほとんど見えない。この質問に、ジブが回答する余地はないので黙って成り行きを見守るしかなかった。
「ええ。この年で恥ずかしいですが、実家を頼って寄付をしてもらいました。海が好きで、どうしても早くミガルに着きたかったんですよ」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ!」
グルーザグは大きく手を広げ、カタファを大げさに抱き寄せた。広げた腕に入り込めず、ジブはいつの間にか部屋の隅に追いやられていた。
「ジブは、海を見るのが初めてでしたから、はしゃいでましたよ。なぁ?」
「そうなんですよ。やっぱり海はいいですよね!」
カタファの問いかけにジブが努めて明るく返すと、グルーザグの笑顔が向けられた。
「ありがとうねぇ。ジブくん。ああ、是非ゼリーを食べて。ミガル特産なんだよぉ。」
続けて、ほら、と応接テーブルを指さす。依然として彼はカタファの肩に腕を置いたままだ。
ジブは、グルーザグが会話の中心から自分を追い出したいのだと悟り、カタファに目配せをする。カタファがにこりと微笑んだのでジブはソファに腰掛けた。
グルーザグの腕の中にいたカタファは、もう、苦しいですよと困った声を出した。
「ごめんねぇ。あれ。カタファくんは裕福な商家出身だし、贈答用のゼリーなんか食べ慣れてるかな?」
グルーザグはカタファの両腕を掴んで、顔を覗き込んだ。彼のにこにことした笑顔が絶えない。
ーー喰えない奴だが本当に神秘持ちを金目的で扱ったり、増産計画に関わったりしたのだろうか? 笑顔のグルーザグを見ていると、ジブには彼が少なくとも悪い人間に思えなかった。
「いいえ。このゼリー大好きなので。いただきます」
カタファの朗らかな声がジブの耳にも届いた。グルーザグが掴んでいた手を離すと、カタファがソファに向かって振り返るが、ジブにはいつもと同じ明るく表情豊かな顔に見える。
カタファはソファに座り、テーブルの上のスイーツディッシュを手に取る。
「おいしい」
カタファがゼリーを食べるのを見てから、ジブも口に運ぶ。清涼感のあるハーブの香りとほのかに広がる柑橘系の匂い。歯応えのある小さな粒を噛むと口の中で弾けて、しゅわしゅわとした食感が広がる。
「うま!」
思わず声を出したジブを、グルーザグとカタファが微笑ましい目線を送った。
「美味しいよねぇ。けどちょっとお高いからさ。俺が自分のためにこれを食べられるようになったのは、20歳過ぎて、騎士団に入団した頃だなぁ。いやぁ、幼い頃はカタファくんみたいなお金持ちの子が羨ましくてたまらなかったよぉ」
グルーザグは大きめのゼリを一口に頬張った。
対してカタファはゼリーをフォークで一口サイズにちぎって食べる。フォークが皿に当たる音がしない。品のある所作で、カタファの隠れた育ちの良さを感じざるを得なかった。
「そんな。お金持ちだなんて、やめてください。俺は移民で成り上がりの商家出身でしたから、伝統ある家柄の子が羨ましかったですよ」
カタファの家は階級は市民とはいえ豪商として名高く、裕福だ。それに対し騎士団には、貴族階級でも家督を継げない次男以降、もしくは貧乏な下級貴族が多い。
ーーだからこそ、やっかみに近い羨望の目が彼に向けられることが多いと、ジブも気付いていた。
ちらりとカタファを見るが、笑って膨らんだ彼の頬はそのままだった。
「グルーザグ団長は、英雄ドルススタッドの末裔だと聞きました。素晴らしいお家柄ですよね」
グルーザグが手に持っていたスイートディッシュを机に置く。かたん、と皿の上のフォークが震えた。
「やだなぁ。栄光の歴史があったのはもう数百年も前のことだよ。ドルススタッド様以降は神秘持ちが生まれなくてねぇ。今や没落した貧乏貴族だよ。名誉だけじゃ、ご飯は食べれられないから」
カタファも皿を机の上に置いた。手を軽く握り、膝の上に乗せる。蚊帳の外に追いやられつつあったジブは水を飲んだ。残り3割と少なかったこともあり、一気にグラスを傾けて飲み干す。
「豪快でいい飲みっぷりだね。親近感湧くなぁ」
それを目ざとく見つけたグルーザグは立ち上がり、保冷棚から水の入ったボトルを取り出す。
「ジブくんは孤児なんだっけ?」
「あ、はい」
ジブはグラスを寄せた。その先で、ボトルが静かに傾く。
「何もないところからお金を稼ぐのって大変だよねぇ。でもその分、色んな経験積めたよね。お金のある人には分からない苦労と貴重な経験って、やっぱりあるよねぇ」
水は粘りを持ったようにゆっくりと流れ、コップのふちぎりぎりまで注がれる。
「……ああ、ごめんねぇ、嫌味っぽかったねぇ?」
かちりと乾いた音を鳴らしながらキャップを閉めたグルーザグは、ゆっくりとカタファを見やった。
「まあ。はは、ちょっとグサッときましたね」
カタファは肩を落とし、小さい声で言う。
「そっかぁ。ごめんねぇ」
グルーザグはソファテーブルの向こうからカタファの髪を撫でようと手を伸ばした。その浅黒い手が灰色の髪に触れる寸前、カタファが口を開いた。
「あの、グルーザグさん。貴方だから言うんですが……修道院は神秘を増産……人為的に神秘を造り出そうとしてると、俺は思ってます」
「ええ?」
驚きの声とともに空に留まったグルーザグの手。それをカタファは勢いよく掴んだ。
その瞬間、グルーザグの笑顔が強張る。だがすぐに柔らかい声でカタファを宥めた。
「カタファくん、何言ってるのぉ? 変なこと言っちゃだめだよぉ」
手を引こうとするグルーザグだったが逆にカタファは握る力を強めて真剣な目で訴えかける。
「司祭はエンバーやトニーの体液を集めようと必死になってました。それにミガル修道院の地下には、拘束具の設置された血みどろの部屋があったんです。神秘持ちを造ろうと人体実験をしていたに違いありません」
カタファは早口で興奮気味に言い、グルーザグの手を握りながら立ち上がった。背の低い応接テーブルの上で、二人の手が硬く結ばれているのをジブは見守るしかない。
「……それは許されないことだねぇ。神秘の力はとても尊くて……貴重なんだから」
グルーザグはその突拍子もない意見を肯定するような口調で、今度は自身を掴むカタファの手を両手でしっかりと包んだ。
グルーザグはじっとカタファの目を見て、彼の次の言葉を待っている。
カタファは目を離すことなく、声を張り上げた。
「金目的、なんでしょうね。神秘持ちの体液はとんでもない金額で闇市場に出回っているそうですから。だから神秘持ちを増やして……でも、あれ? そうしたら神秘の価値は下がってしまいますよね。そうなると本末転倒なような。でも、神秘の増産ができなければ、ほぼ同時期に市民から二人も神秘持ちが現れるなんておかしいし……」
ぶつぶつと考え込んだカタファの手を握り直し、グルーザグは頭を左右に振った。カタファは縋るようにグルーザグを見つめている。
「とにかく、ミガル司祭の解任を国に請求するよ。神秘は女神から与えられた貴重で稀有なものなんだ。だからこそ尊い」
いつものような間延びした話し方ではない、静かな怒りを持ったグルーザグがそこにいた。その怒りは、神秘を冒涜する者に向けられたものなのか、それともーー。
「ところでぇ。トニーくんも、エンバーくんもそうやって造られた神秘の持ち主ってことになるのかなぁ? そうなると純粋な神秘保持者ではないってことになっちゃうのかなぁ?」
真剣な表情が崩れ、にや、とグルーザグの口角が上がる。
「その二人は……おっしゃる通りかもしれません。トニーもエンバーも同じ修道院にいたそうですから。なあ、ジブ?」
振り向いたカタファの顔は真剣そのものだった。ジブは、はい、とそれらしく答えたが、カタファの揺るぎない目を見ると背筋が冷たくなった。
そこにはグルーザグを探ろうという念は一切感じられない。本当にトニーとエンバーが人為的に顕現させられた神秘の持ち主だと疑わず、そして、それを親切心で進言する忠誠心のある良い人間の顔をしているのだ。
「そうかぁ……教えてくれてありがとう。これは国に報告しないといけないねぇ。ごめんだけど、報告書をまとめたいから、ご退室願えるかなぁ?」
「迅速にご対応いただけるということですよね。ありがとうございます」
緩んだ表情を消したグルーザグを見てカタファは手を離し、深々と礼をした。ジブもそれに倣って頭を下げる。ジブが顔を上げると、すっかりいつも通りの笑顔を取り戻したグルーザグと目が合う。
彼はそろえた指先を扉に向けて退室を促す。それを見て二人は団長室から出ていった。
ジブはカタファの後を付いて歩く。カタファの向かった先は駐車場、魔動車の中だった。扉を閉めると、カタファはハンドルにもたれ掛かり大きく息をついた。
「もう、疲れた……」
助手席に座ったジブは、項垂れて流れる灰色の髪を見ていた。
「あの感じだと、サグーザグが悪事に加担してるかわからなくないか?」
ジブの声に、ハンドルにもたれたままのカタファはくるりと顔を向けた。
「サグーザグは金目的で一枚噛んでると思う。でも人体実験とは無関係だ」
「何で分かるんだよ」
「一つはミガル司祭の切り捨ての早さかな。地方騎士団団長には地域の保安義務がある。普通なら公平性を保つために、司祭に事情聴取してからことを判断して解任請求を出すだろ。俺たちの一言だけで決めるのは、口封じもあると思う」
なるほどなとジブは合点がいった。変な言い訳をされる前に司祭だけを悪人に祭り上げるつもりでいると言われれば納得できた。
「それにあいつが目下気にしてるのは金のことだ。終始、金の話しかしなかった。魔動車然り、ゼリー然り、俺の実家然り。グルーザグさんの家柄の話をしても、家名じゃ食ってけないときた」
ジブはグルーザグの発言を思い出していた。確かに、カタファの金銭的な余裕に対する皮肉は強烈だった。金持ちのカタファは苦労をしていないとでもいいたげな発言が目立った。
「あと、手」
「手?」
カタファは右手をひらひらと動かした。武器を持たない魔法職の彼の手はまめもなく、柔らかそうだ。カタファはグルーザグの手のひらを掴んでいたが、それが何を意味するのかとジブは不思議に思った。
「神秘を増産って言った時は何も反応がなかった。でも金目的だって言ったら、ちょっとだけ手に力が入ったんだよ。グルーザグはミガル司祭と結託して、神秘保持者の体液の売買をしてたんじゃないかな」
あの行動にそんな意味があったのかと、ジブは感服した。すべての行動が計算ずくだったのだ。
「あと……グルーザグは『トニーもエンバーも人為的に作られた神秘』だと言い切った。グルーザグは人体実験が行われていること自体を知らなかったんだ。だからトニーを含めた二人を作られた神秘だと思ったんだろう。俺の見立てだと実践の成功体は今のところ、エンバーだけだ。……まあ、全部まだ憶測の範囲内だけど」
一息に言ったカタファは、体を起こしてハンドルを指で叩いた。じっと前を見つめ、何か考え込んでいるようだ。
ジブはその横顔に言い知れぬ恐怖を感じた。その紫色の瞳が何を思っているのかわからず、じっと探ってしまう。視線に気付いたカタファが振り向いた。
「なぁに変な顔してんだよ」
「いや、ちょっと怖くなって。カタファ、人が変わりすぎじゃないか?」
カタファは得意げな顔をしてにやりと笑った。
「金の生まれる場所にトラブルあり。俺が実家でどんな思いして商売手伝ってきたと思ってんだよ」
パン、と強く肩を叩かれた。痛がるジブを横目に、カタファはいつもの明るい表情で言った。
「トニーを連れてきてくれないか? 修道院にガヨを迎えに行こう」
「さっきはトニーに休めっていってなかったか? 寝てたらどうするんだよ」
「悪いけどそのまま運んできてくれ。ここに一人置いていく方が心配だろ? トニーのことはお前が良くわかってるんだから、頼んだぞ」
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とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
スパイシースウィートホーム
石月煤子
BL
【美形パパ×平凡息子=近親メリクリBL】
「誕生日おめでとう、一楓」
十六歳になった高校生息子。どこからどう見ても平凡。これといった特徴ナシ。
「お父さん、もう泣かないで」
弁護士の父親。誰もが認める美形。本性は依存型甘えたわがままっこ属性。
「優しくするから。我侭言わないで、一楓?」
「どっちがワガママなんだよーーーっ、むりむりむりむりっ、さわんなぁっ」
「可愛いなぁ」
「デレるトコじゃなぃぃっっ」
■表紙イラストは[ジュエルセイバーFREE]様のフリーコンテンツを利用しています
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