カムトラック

八壁ゆかり

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Track 09: Cam / Truck

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 俺は自宅に戻って机に向かっていた。ゴミの山からしばらく使ってなかったラップトップを引きずり出し、ネットに接続する。

   > イラッシャイマセー。

   > よう、葬儀屋。

   > おぉーサカキちゃん! 久しぶり(>_<)! 元気?

   > 死にかけだよ。早速頼めるか?

 この葬儀屋=アンダーテイカーというのはネット上に存在する正体不明の何でも屋で、金次第で本物の葬儀(要は殺人だ)以外のことならみんなやってくれる、俺みたいな水商売の人間にとっては心強い存在だ。話を聞くと実際利用してるのは政治家から金持ち女子高生まで多種多様で、依頼内容もサイト潰しからイカサマ県知事選まで様々らしいが、その仕事ぶりといったら神業に近いものがある。
 俺がこいつを使うことはここ一年以上なかった。理由は、まずこいつを利用しないといけないような事件がなかったから。それから、こいつは要はゲームの裏技の様なもんで、裏技なんてしょっちゅう使うもんじゃないからだ。俺はこの事件の途方もなさと北野芳正の権力を考慮して、ついにこの葬儀屋を召還することにした。

   > あくまで極秘の事件なんだがな、

   > 人喰いオオカミのコトなら話は聞いてるぜ。

 俺は愕然と自分の目を疑った。両手の指がキーボードの上で停止する。
 が、すぐに自分が誰と話しているのかを思い出した。

   > 知ってるなら話が早い。とりあえず北野麻子の情報を頼む。

   > はいよー。

 こいつがどんな情報網を持ってるかは知らないが、こいつの正体は裏ネットでは常に話題だ。その昔とある極悪裏サイトがその個人情報に賞金までかけたが、誰も何も掴めなかった上に賞金は本人にかっさらわれた、というのは数多くの伝説の一つだ。夏に政府のメインコンピューターがハッキングされそのトップシークレットが地味で存在意義の欠片もない個人サイトにばらまかれたのも、例の超腹黒議員が大方の予想を裏切り再選できたのも、こいつの仕業だと俺は踏んでいる。

   > 酷い殺され方してるな(;_;~ビクビク 
     まだ女子高生なのに。写真いるか?

   > 持ってるからいい。何かないか? 
     この子の死につながりそうなネタが。

   > んー、五分くれ。

   > 三分でやれ。実は俺も安全じゃない。

   > この回線なら大丈夫だ。CIAでもタップできない(^ー^エヘン

 こういう奴なんだよな。
 俺はスクリーンから目を逸らしてのびをした。昔からパソコンの液晶画面ってのが苦手ですぐ目が痛くなる。煙草を手に取ったら突然電話が鳴った。
『榊さん?』
 女の声に、俺は一瞬考え込んだ。
『私、里井真樹よ』
「ああ、はいはい」
 そういえばあの時連絡先を教えといたんだ。
「どうした? 宏君の事で何かあったのか?」
『北野麻子』
 全くこのお嬢ちゃんは……。
『宏と同一犯でしょ? 詳しく話聞かせて』
「あんたには関係ないだろ。大体この事件はあんたが思ってるほど単純じゃないんだ」
  次の瞬間、玄関のインターホンが鳴った。
「ちょっと待て、今人が……」
 俺は受話器を持ったままドアに走り覗き穴を見た。
 そこに立っていたのは、紛れもなくあの小柄な女。俺は降参せざるを得なかった。
 これだけ散らかってる部屋にレディを通すのは気が重かったが真樹は断固として帰る気配を見せなかったので、俺はとりあえず座れる場所だけ確保して彼女を招き入れた。
 この前と同じジーパンにジャケット姿の真樹は、部屋の惨状を見て今にも掃除を開始しそうな勢いだったが、ひとまずソファに腰を下ろした。
「あんた、盗聴癖とかないか?」
 俺は真顔で質問した。
「きょうびの大学教授って、あなたが思ってる以上に使えるのよ」
 盗聴を否定しないところが恐ろしいね。
「彼女で何人目なの?」
 真樹は言い終えてから俺の出したコーヒーを飲んでその甘さにむせた。
「あんたに教える義務はないよ」
 言い捨てた瞬間、ラップトップから着信を知らせる電子音が聞こえた。アンダーテイカーだ。時間は……三分弱、流石だね。

   > サカキちゃーん。関係あるか知らないけど面白いこと分かったぜ。

   > 何だ?
 
   > この子、北野にヤられちゃってたみたいだ。

 その文の意味を理解するのにしばらくかかったせいで、真樹がいつの間にか後ろから覗き込んでいることに気づかなかった。

   > 八年前に母親が死んでるだろ。家にはお手伝いしか居なくて、
     夜はそいつも帰る。親子水入らずが裏目に出たって感じ。
     中二の時が最初。続いてたかどうかはわかんないけどな。

 それで謎が解けた。北野ぐらいの奴なら娘の死を利用して話題作りにお涙頂戴の芝居くらいしてもおかしくないのに、それをしなかった理由がこれだ。
「ねえ、これ何なの? 北野は自分の娘を……?」
 真樹が両手を口で押さえて呻いたが、俺はひとまずしかとを決め込むことにした。

   > 他に何かあるか?

   > そうだな、この子すごいストレス貯まってたぽいぜ。
     レイプの事もだし、受験とか、クラスの事とか。
     友達も彼氏も彼女も居なかったみたいだ。かわいそう

   > 犯人を知ってるか?

 俺が打った文を見て真樹がぎょっとしたが、俺は半分祈りみたいなもんを込めていた。こんなとんでもない奴ならもしかしたら知ってんじゃないか、と。

   > 知らないよ。悪いね。

   > 被害者は何人知ってる?

   > んーいっぱいいるよね。北野麻子入れて九人かな。

「何ですって?」
 真樹が悲鳴にも近い声をあげた。俺はそれもしかとした。

   > じゃあ残り八人の資料を送れ。

   > はいはい。毎度アリーマタドウゾー。

 アンダーテイカーが送ってきた八人は幸運にもあの十人の中の内だった。
 俺は振り返って青ざめる真樹を見上げた。
「俺の所では十人見つかってる」
 真樹は額に手をやり本棚にもたれた。信じ難いのか、真っ青のまま惚けたような顔をしている。
「今朝新橋で発砲事件があったのは知ってるか? 俺が調査を依頼した情報屋だった。分かったか? この事件はお嬢ちゃんが首突っ込んで解決できるほど愉快痛快なモンじゃないんだ。正直俺なんかも扱うべき事件じゃないと思ってる」
 俺は立ち上がって俯く真樹を見つめた。目線がゆっくりとゴミだらけの床を行ったり来たりしている。それから彼女は何も言わないままふらふらとソファに戻り、甘さを気にせずコーヒーを一気飲みした。
 俺はおかわりを注いでやろうかとテーブルに向かった。
「私達、何も知らなかったのね」
 真樹は独り言のようにぽつりともらした。
「他の人は今も何も知らない。十人も人を殺して食べるような異常者がうろついてるって、みんな知らないのね」
 それは俺が片岡の事務所に入った時から感じてた事だった。皆何も知らない。チンピラが久々に親父狩りなんかやって被害者が重体に陥った二年前の夏、若者の犯罪に国の将来を案ずるマスコミを後目に、俺は小学生ばかり四人レイプして切り落とした指を集めていたエリートサラリーマンをとっ捕まえていた。
「あんた運が悪かったんだよ。知る必要のない事を知って、見る必要のない物を見た。でもまだあんたに選択肢はあるぜ」
 真樹はコーヒーをお代わりする気がないようなので、俺は真樹の向かいに腰を下ろし煙草をくわえた。
「選択肢?」
 真樹が茫洋とした声で問い返した。
「ああ。知らなかったことにすればいい。見なかったことにすればいい。全部忘れてしまえばいい。宏君のことは残念だがどうしようもない。あんたは色々を知ってるし頭もいいが、余計な事に関与することはない。他の奴らと同じように無知になればいいんだ。こんな事件や人食い野郎の事は忘れて、とっとと日常に戻りな」
 煙草に火をつける。白く細い煙が立ち昇る。真樹が正面から俺の目を見据えた。
 短い沈黙の後、俺達はどちらからともなく笑い出した。大笑いじゃなく、苦笑とやけ笑いと脱力が混ざったような感じだった。ずいぶん長い間笑っていた。
 そうやって笑うことくらいしか、今の俺達にはできなかったからだ。


     *


   > イラッシャイマセー。

   > 例の捜査員と話したみたいだね。

   > サカキちゃんのコト? ダチなんだ。情報提供した。

   > 情報って?

   > 北野麻子のことだけだよ。アンタのことは何も言ってない。

   > ならいいけど。

   > なあ、アンタ一体何がしたいんだ?

   > 何がって?

   > 俺はアンタの犯人を守りたいっていう希望の通りに
     今までの事件を隠したりあの情報屋を消しはしたけど、
     本当に庇いたいならサカキちゃんを消せばいい。
     アンタはそれをしない。

   > 難しい質問だね。

   > 最初はアンタが犯人かと思った。他の依頼人でそういう奴居たし。
     でもアンタのしてることはいまいち中途半端だ。
     俺が犯人だったらサカキちゃんも片岡も消すね。

   > 確かにね。僕は彼を守りたいし捕まって欲しくないと思う。
     だけど心の底ではそれを望んでいるのかもしれない。
              サカキって奴は彼を捕まえそうかい?

   > どうだろうね。今のところ捜査はどん詰まりみたいだけど、
     元NY市警エリート刑事の底力は予想できないからね。
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