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第七話 捨てないで
しおりを挟む「え……?今なんて…」
「もう、会わない」
「……なんで」
「ごめん」
心の手が離れてく…。
これという理由も伝えず
縁の温もりが
心から離れてく。
「や、やだ、待って…!」
「病気、治るように祈ってる」
そんな悲しい言葉いらない。
「縁ぃ…っ」
こっちを振り向いて
いつもみたいに笑ってよ
ねえ、縁
もう、前も見えないよ…
【surgicalmask~第七話 捨てないで】
「……!」
ふわふわと漂う意識の中で
私は確かに誰かの声を、聞いた。
はっきりしない感覚
記憶を辿る…君は誰……?
私の…大好きな、人……?
「……にし」
重たいまぶたを
こじ開けると
白い天井
そしてガウンを着込み
マスクと帽子をつけた、
お父さんとお母さんの姿があった。
「き…、づき、結月…っ!」
私の名前を呼んでいたのは
お父さんとお母さんだったんだ…。
酸素マスクが、邪魔だ。
よく、前が見えない。
とりたい、けど
体が上手く動かない。
縁はどこ?
キョロキョロと
眼球だけ動かして
私は必死に縁を探した。
いない。
だんだんとはっきりしてくる記憶。
熱があることを隠した
私は縁に嘘ついて
大切な誕生日に
倒れちゃったんだ…
そう思った途端に涙が溢れ出す。
「きょ、何日……?」
「今日は24日よ」
お母さんがゆっくりと
優しく答えた。
「24……日」
縁の誕生日から
三日も経っている。
「あなた転んで大出血起こしたの」
涙目のお母さんは
私の掌をぎゅうっと握った。
「危なかったんだぞ…」
お父さんは私の頭を撫でる。
「ごめ……なさっ」
酸素マスクのゴムに
染みた涙が密着して
頬がヒリヒリ痛む。
「そんなに泣かないで。大丈夫よ」
「無事でいてくれたんだ、それでいいさ」
涙に滲んだのは両親の笑顔。
その柔らかな表情に
私は心底、安堵した。
「えに、しは…?縁に会いたい…」
言葉にすると想いは
大きな風船みたいに膨らむ。
会って伝えたい言葉があった。
「……謝りたい、お母…さん縁、は」
私は途切れ途切れに言葉を送る。
ぐっと躊躇ったお母さんの様子に
私は不安に満ちた視線をむけた。
「あんな男の事は忘れなさい」
いっときの沈黙の後で
思いもよらない言葉が
お父さんの口から発せられた。
「え……?」
体を揺さぶる程の動悸が駆けた。
「ど…ゆ、こと?」
動悸が駆け巡ると
呼吸まで絶え絶えになっていく。
「お父さん、今そんな話やめて」
お母さんは
私の様子に気がついて
お父さんを咎めた。
「お母…さん、何?…縁は?」
思わず縋りついた私の手を
お母さんは両手で握り返し
「結月、今は何も考えずに休みなさい」
そう、話をすり替えて苦く笑った。
それから間もなく私は
一般病棟に戻った。
戻ってすぐ縁に
一言だけ入れたLINE
「元気なふりしてごめんね」
既読がついただけ。
待てど待てど
返信はなかった。
縁…怒ってるんだ…
そう思ったら
しつこくLINEを送ることが
どうしても、出来なかった。
「縁……」
病室の窓から見える空は
どうしてこんなにも
清々しいのだろう。
縁が病室に顔を出さない今
青空はただ、ただ
虚しいだけ。
溢れるのは涙と
逢いたい…
その気持ちだけだった。
逢いたい、逢いたい
逢いたい、逢いたい
願うように何度も思う。
だけど
「ゆーづきっ♪」
その声は、聴こえない。
一目でいい。
マスクに隠れていてもいい。
縁の顔が見たい。
願えば願うほど
元気がなくなっていく気がした。
「結月、先生がね話があるって」
「え……?」
縁の誕生日から三週間後のある日
主治医の先生から打診された、
今後の治療方針…。
寛解導入療法
体の中の白血病細胞を
極限まで少なくするために
大量の抗がん剤の投与を 行う治療だ。
1度目の寛解時
私はこの治療を受けて
自由になったのだ。
今まで
白血球の数値や免疫力低下で
この治療になかなか
踏み込むことが出来なかった。
やっと全ての条件が揃ったという。
死ぬ程辛かった治療を
思い出すと手が震えた。
死ぬ程苦しかった副作用
思い返しただけで涙が湧く。
でも。
もしも、寛解出来たら
学校に通えるようになる。
そうしたら縁に会えるかな
謝れるかな
また……笑い合えるのかな。
そう思って
私は、もう一度
寛解導入療法を頑張ろうと
強く、決意したのだった。
治療開始の、前日
落ち着かない気持ちを胸に
ベッドに横たわる私。
明日からは無菌室だ。
これまで以上に自由がなくなる…。
そんな事を考えていた時
ごろごろと
スライドドアが開いた。
視線をそちらに向けると
ゆっくりと病室に入ってきたのは
マスクをした縁だった。
逢えた……
逢えた……
「っ…」
伝えたい気持ちがあるのに
言葉にならない。
嬉しくて、私の心臓は跳ねるのに
縁はなんだか浮かない顔だ。
縁は無言のまま
私の側のパイプ椅子に座り
スクールバッグを
ボンッと音を立てて
無造作に床へと放る。
そして、息をつくと
やっと私に声をかけた。
「……元気そうで安心した」
「うん……大丈夫だよ」
「うん」
縁の目は笑わない。
「縁…あの」
「ん…?」
「誕生日の日は、ごめんね」
長い沈黙が私の胸を貫く。
眉を顰めた縁の表情が痛い。
やがて、縁は小さく口を開いた。
「こんな事あると困るんだよ……」
「うん……」
「俺……別れたい」
「え……?今なんて…」
「もう、会わない」
「……なんで」
「ごめん」
心の手が離れてく…。
これという理由も伝えず
縁の温もりが
心から離れてく。
あの嘘は……
そんなにいけないことだった?
縁の誕生日、100%
二人で笑い合いたかっただけ。
好きだから。
大好きだから。
口をついた隠し事……。
「や、やだ、待って…縁、元気なふりしたのはっ」
「病気、治るように祈ってる」
そんな悲しい言葉いらない。
弁解も聞いてはくれない。
どうしよう、どうしよう
縁を、なくしてしまう…
両手がぶるぶると震えた。
「縁ぃ…っ」
こっちを振り向いて
いつもみたいに笑ってよ
縁はあっという間に
再びバッグを担ぐと
足早に病室を去った。
1度も振り返ることなく
1度も私の顔を見ることなく
1度も私とこの手を繋ぐことなく
1度も温もりを分かち合う事なく
1度も……微笑むことも無く
縁が勢いよく閉めた扉が
どん、どん、どんどん
と、余韻を残して
やがて完全に閉じられた。
「捨て…ないで……縁……縁っ」
誰もいない、ひとりぼっちの部屋
独白のように呟く。
もう、前が見えない。
未来も見えない。
明日からの辛いであろう治療に
何の価値もないように思えた…。
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