今を春べと咲くや此の花 ~ 咲耶演武伝 ~

椎名 将也

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第2章 十八歳の軌跡

7.朧月夜

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「うぉおおッ……! この味じゃぁあッ! どれ程待ち焦がれたことかッ! もう一つ持ってくるがよいッ!」
 那須塩原駅の近くにある喫茶店でプリンを注文すると、咲耶はあっという間に完食した。そして、倖せのあまり感涙しながらお替わりを注文した。

『ちょっと、咲耶ッ! 恥ずかしいからやめてよッ!』
 見ている咲希の方が、羞恥で真っ赤に顔を染めた。神々しいほどのオーラを放つ絶世の美女が、プリンをパクつきながら涙を流して感激しているのだ。傍から見たら、異様を通り越してシュールな光景以外の何物でもなかった。

「咲希って……そんなにプリンが好きだったんだ……?」
 引きった笑みを浮かべながら、将成が訊ねてきた。
「世の中にプリンを超える食べ物など何もないわッ! そんなことも知らぬのか、お主は……?」
「お、お主……?」
 咲耶の言葉に茫然として、将成が驚きの眼差しを向けてきた。

『咲耶、プリンを食べ終わったんだから、今すぐ替わってッ!』
 驚愕と憐憫れんびんに満ちた将成の視線に耐えきれず、咲希が思わず叫んだ。だが、咲耶は咲希の言葉を一蹴した。
(何を言っておる? これからお替わりが来るのじゃ! 邪魔するでないッ!)
 プリンを目の前にした女神さくやには何を言っても通じないことを、咲希は改めて実感した。

「久しぶりのプリンは最高じゃなッ! 馳走になったの、将成ッ!」
 三杯のプリンを完食すると、咲耶は至福の表情を浮かべながら満足そうに告げた。
「ああ……、それは構わないけど、さっきから何か様子が変じゃないか? 大丈夫か、咲希……?」
殺生石せっしょうせきの前で突然姿を消し、九尾狐クミホを追い払ったと言って再び現れた時から、咲希の雰囲気が一変していた。今の咲希が咲耶であるとは思いもよらず、将成が心配そうな表情で訊ねてきた。

『どうするのよ、咲耶……? 正体を告げた方がいいんじゃないの? 将成なら、あたしの中に咲耶がいることを知っているし……』
 咲耶の存在を証明するいい機会だと思って、咲希が告げた。
(ふむ……。咲希とこやつはどこまでの関係じゃ……?)
『どこまでって……』
 カアッと顔を赤らめると、咲希が言葉に詰まった。二日連続で激しく愛されて、三回も失神したことなど言えるはずもなかった。

『将成はあたしの大切な恋人よ……。彼もあたしのことを大事に思ってくれているわ』
(大事にのう……。もう抱かれたのか?)
『う、うん……。何回かは……』
 真っ赤に顔を染め上げると、咲希が恥ずかしそうに小声で答えた。だが、実際は何回どころではなかった。数え切れないほど愛され、その度に歓悦の頂点を極めさせられていた。

(それでは、真実を話そうかのう? それだけ愛されておれば、の正体を告げても問題あるまい……)
 咲希の嘘に気づいたのかどうか、咲耶がニヤリと笑みを浮かべながら告げた。
『愛されて……って……』
 耳まで真っ赤に染めながら、咲希が呟いた。昨夜の激しいセックスが脳裏に蘇ってきたのだった。

「どうしたんだ、咲希……? ボーッとして、大丈夫か?」
 将成からすると、突然咲希が黙り込んだように見えたのだ。心配そうな眼差しで、将成が咲耶の顔を見つめてきた。
「心配いらぬ。少し、咲希と話しておっただけじゃ……」
「咲希と……? 何を言って……?」
 咲耶の言葉の意味が分からずに、将成が怪訝な表情を浮かべた。

は咲耶……。木花咲耶このはなさくやじゃ。のことは、咲希から聞いておろう?」
「……ッ! 咲耶って、咲希の守護神だというあの・・咲耶……さま……?」
 驚愕のあまり、黒瞳を大きく見開きながら将成が訊ねた。
あの・・この・・かは知らぬが、咲希の中にいる咲耶じゃ……」
「そ、それじゃあ、咲希はいったいどこに……?」
 目の前にいる咲希が咲耶であるならば、咲希はどこにいるのか将成は不安になった。

「心配いらぬ。咲希は今、の中におる。咲希とは、二人で一つの体を共有しておるのじゃ……」
「そうですか……。では、九尾狐クミホを追い払ったのは……咲耶さま……?」
 咲希がいなくなったわけではないことに安心すると、将成が九尾狐クミホのことを訊ねた。

「そうじゃ……。彼奴あやつは復活したばかりで、ろくに力が使えなかったから楽じゃった。だが、近くに九尾狐クミホを封印できるものがなかったから、追い払ったというよりも見逃してやったと言った方が正しいかも知れぬ」
「見逃した……」
 咲耶の言葉に、将成が驚愕した。三大妖魔と呼ばれ、SA係数五千以上の相手を見逃してやるなど、普通では考えられなかった。咲耶の能力ちからがどれ程のものなのか、将成には想像もつかなかった。

「心配するでない。次にまみえたときには、必ず封印してやろう。それよりも、将成……。お主に確認しておきたいことがある」
「はい。何でしょうか……?」
 咲耶に真剣な眼で見つめられ、将成が緊張しながら答えた。
「お主、本気で咲希を愛しておるのか?」
『ちょっと、咲耶ッ……!』
 いきなりとんでもないことを訊ねた咲耶に、咲希が慌てた。

「もちろんです。俺はこの先も、咲希一人だけを愛していきます!」
 咲耶の問いに間髪を入れずに、将成が答えた。その言葉を聞いて、咲希は嬉しさと恥ずかしさでカアッと顔を赤らめた。
「咲希と付き合ってから、一年半じゃな? もう咲希の処女は奪ったのか?」
『ち、ちょっとッ! 何、聞いてるのよッ!』
「それは……は、はい……」
『将成も、何、正直に答えてるのよッ!』
 恥ずかしそうに顔を赤らめながら告げた将成を見て、咲希は真っ赤に染まった。

「そうか……。咲希の精神や体調は、の力に大きく影響する。大事なこと故、正直に答えよ。週に何度くらい、咲希を愛してやるのじゃ?」
『いやぁあッ! やめてぇッ!』
 恥ずかしさに身悶えながら、咲希が絶叫した。その叫びを無視すると、咲耶が真剣な眼差しで将成に答えを促した。

「し、週に……二、三回ですか……。多いときには、四、五回の時も……」
『将成のバカぁあッ! そんなこと、正直に答えないでッ!』
「四、五回は少し多いのう……。若いからと言って、あまり無理をさせるでないぞ」
「は、はい……。すみません……」
『もう、いやぁあッ……! 咲耶も、もうやめてッ!』
 咲希の言葉にニヤリと笑みを浮かべると、咲耶は最も聞きたいことを訊ねた。

「それで、咲希はちゃんと悦んでおるのか?」
『咲耶のバカぁあッ! この、へっぽこ女神ッ!』
「喜んで……?」
 一瞬、何を問われたのか分からずに、将成はキョトンとした表情で咲耶を見つめた。
「咲希にちゃんと女の悦びを与えてやっているかと訊ねておるのじゃ」
「お、女の……」
 咲耶の質問の意味を知ると、将成が真っ赤に赤面した。

「そ、それは大丈夫かと……」
『もう、いやぁあッ! そんなこと、将成に答えさせないでッ!』
「ほう……。それは毎回か……?」
「たぶん……。昨日も咲希は、何回も……」
「ほう、ほう……」

『咲耶ッ! いい加減にしてッ! これ以上、変なことを聞いたら許さないからねッ! すぐにあたしと替わりなさいッ!』
 あまりの恥ずかしさに、咲希はプツンと切れて咲耶を怒鳴りつけた。
(うぁあッ……! そんな大声で喚くでないッ! 頭が割れそうじゃッ!)
『うるさいッ! これ以上続けたら、二度とあんたと替わらないからねッ! プリンなんて永遠に食べさせないわよッ!』
 咲希の宣言に、咲耶が顔色を変えた。少しやり過ぎたことに気づいたのだ。

(わ、分かった……! 今、替わるから許せッ!)
 そう告げると、咲耶の意識が心の奥底に沈んでいった。それと入れ替わるように、咲希の意識が浮上した。
「昨夜はちょっと激しすぎたみたいで……、五、六回……いや、もっとかな……? 最後には、咲希が失神して……」
 恥ずかしそうに顔を伏せながら小声で告げる将成に、咲希は羞恥と怒りに顔を真っ赤に染めた。

「将成……、何の話をしてるのかな……?」
「え……? 何のって……?」
 驚いて顔を上げると、目の前にいる咲耶の雰囲気が一変していた。耳まで真っ赤に染め上げた咲希が、黒曜石の瞳に凄まじい怒りを込めて将成を睨みつけていた。
「さ、咲希……? え……? 咲耶さまは……?」
「あのバカ女神なら、引きずり下ろしたわッ! それよりも、何をペラペラと恥ずかしいことを話してるのかな?」
 咲希の全身から、紛れもない神気が立ち上っていた。将成はビクンッと体を震わせると、咲希が激怒していることを痛感した。

「そ、それは……咲耶さまが、咲希の精神や体調が力に影響するって……」
「そんなはずないでしょッ! 咲耶に騙されたのよッ! それなのに、男のくせにペラペラと余計なことをッ……! <咲耶刀>でその舌、切り取ってあげましょうかッ!」
 昨日脅された恐怖が、将成の脳裏に蘇った。将成は蒼白な表情で、目の前に座る美少女を見つめた。

「ご、ごめん、咲希……。俺、咲耶さまの言うことを信じて……。だって、女神様が嘘をつくはずないって……」
 しどろもどろになって、額から冷や汗を流しながら将成が言い訳をした。その様子を冷たく見つめていた咲希に、咲耶が話しかけてきた。
『そうじゃろう? 此奴こやつ女神わたしの言葉を信じただけじゃ。許してやるがよい……』
 咲耶の中で、プチンと何かが切れた。そして、決定的な一言を高々と叫んだ。

(咲耶ッ……! あんた、一生プリン禁止ッ! もう、二度と食べさせてやらないからッ!)
『そ、そんなぁ……!』
 葦原中国あしはらのなかつくに随一の美貌を誇る女神さくやが、泣きそうな表情で情けない悲鳴を上げた。


 東京駅に到着したのは、午後六時を回っていた。帰りの新幹線の中で、将成はずっと咲希の機嫌を取り続けた。その甲斐あって、東京駅のホームに降り立った頃には、咲希の機嫌はだいぶ回復していた。

「さっき、色葉さんには電話で報告を入れたから、今日は直帰していいそうよ……」
「そうか……。それなら家まで送るから、途中で夕食を食べていこう」
 将成がにこやかな表情で、咲希に笑いかけながら告げた。だが、咲希は将成の申し出をキッパリと断った。

「今日はこのまま帰るわ。まだ早いから、送ってくれなくても大丈夫よ。将成も疲れたでしょ? 明日、学校で会いましょう……」
「お、おい、咲希……」
「それじゃあ、色々とありがとうね。また、明日……」
 茫然と立ち竦む将成をホームに置き去りにすると、咲希は急ぎ足で改札に向かった。

『冷たいのう……。彼奴あやつ、まだ一緒にいたそうだったではないか? 今夜くらい、泊めてやればよかろうに……』
(うるさいッ! あんたの考えなんて、お見通しなんだからねッ! 将成を泊めたら、一晩中あたしたちのことを覗いているつもりなんでしょッ?)
 咲希が早々に将成と別れた理由がこれだった。いくら守護神とはいえ、将成に愛されている姿を見られることには大きな抵抗があったのだ。

『失礼な奴じゃな……。お前たちが同衾しているところなど、見るつもりなどないぞ。を何だと思っておるのじゃ?』
 不満そうな表情を浮かべながら、咲耶が文句を言った。
(だって、昼間はあんなに根掘り葉掘りと将成に訊ねてたじゃない?)
 咲耶の言葉に、意外そうな顔つきで咲希が訊ねた。

『あれは、単に彼奴あやつ揶揄からかっておっただけじゃ。人の情事を覗く趣味など、は持ち合わせておらぬぞ』
(情事って……)
 生々しい雰囲気を秘めた言葉に、咲希はカアッと顔を赤らめた。
『それに同じ体を共有しておるとは言え、咲希がどんなに愛されてもは何も感じないのじゃ。つまらぬではないか……?』
 ニヤリと笑みを浮かべながら、咲耶が告げた。

(そう言えば、咲耶の旦那さんは……)
 咲耶の夫である瓊瓊杵尊ニニギのみことが、夜叉ヤクシャに殺されたことを咲希は思い出した。将成に自分が愛されることは、咲耶に愛しい夫を思い出させる行為だと気づいたのだ。

『くだらぬことを気にするでない。たち神は、昇天すると肉慾から完全に切り離されるのじゃ。だから、咲希は何の気兼ねもなく、思う存分将成に愛されるがよい……』
(思う存分って……。でも、咲耶は今でも瓊瓊杵尊を愛しているんでしょ?)
 カアッと顔を赤らめながらも、咲希は気になっていることを咲耶に訊ねた。瓊瓊杵尊の仇を討つために、咲耶は三十年も修行して夜叉ヤクシャに戦いを挑んだと聞いた。そして、今もなお夜叉ヤクシャを仇として追い続けているのだ。

『確かに、今も瓊瓊杵ニニギのことは愛しておる。じゃが、奴が殺されてからすでに二千年が経っておるのじゃ。神とは言え、二千年というときは長いものじゃ。今のにとって、瓊瓊杵は大切な想い出の一つじゃよ。もっとも、夜叉ヤクシャに出逢ったら、瓊瓊杵の仇は討たせてもらうがの……』
 悟りを開いたような口調で、咲耶が淡々と告げた。こういう時の咲耶は、さすがに女神そのものだった。

『そう言えば、将成は上手に咲希を愛してくれるようじゃの? 昨夜は五、六回も気持ちよくしてもらって、失神までしたそうではないか?』
(さ、咲耶ッ……!)
 ニヤリと笑みを浮かべながら告げた咲耶の言葉に、咲希はカアッと赤面して思わず叫んだ。
『じゃが、悦ばせてもらってばかりではだめじゃぞ。ちゃんと、将成のことも気持ちよくしてやるのじゃぞ……』

(将成を……気持ちよくって……?)
 耳まで真っ赤に染まりながら、咲希が訊ねた。
『手でしごいてやるとか、口でしてやるとか……色々とあるではないか?』
(く、口でしてって……?)
 知識としてはあるものの、そんな恥ずかしいことを咲希は一度もしたことがなかった。

『今度、ゆっくりとやり方を伝授してやろうぞ。将成の喜ぶ顔が目に浮かぶようじゃ……』
(さ、咲耶ッ……)
 自分が将成のを口に咥えている姿を想像して、咲希は茹で上がったように顔を赤面させて俯いた。
 その様子を見て、咲耶がニヤリと笑みを浮かべながら思った。

(少しは大人になったかと思ったが、まだまだじゃのう……。今度、本当に手ほどきしてやろうかのう……?)
 自分の守護神が性教育を施そうと考えているなど、咲希は想像さえもしていなかった。立川駅に着いて特別快速を下りると、真っ赤に顔を染めながら咲希は足早に改札へと向かっていった。


「電話だったから詳しくは聞けなかったけど、やはり殺生石せっしょうせき九尾狐クミホがいたみたいよ」
「SA係数五千以上の三大妖魔か……。たしか、『火焔の女王』だったか……?」
 色葉の言葉に、大和が眉間に皺を寄せながら訊ねた。

「そう呼ばれているみたいね。その九尾狐を追い払ったって言ってたけど、どうやったのかしら? 神社幻影隊S.A.P.で最強の力を持っているとは言っても、咲希のSA係数は二一五〇のはずだし……」
 まさか、咲希の中にいる守護神さくやが目覚めたなど、色葉は予想さえもできなかった。

「咲希と将成が力を合わせたのかな? それでも、SA係数五千の相手を凌駕するとは思えないが……」
「まあ、明日の午後、報告に来るように言っておいたから、詳しい話はその時に聞けるわ。でも、追い払ったってことは九尾狐の脅威は依然としてそのままだってことね……」
 今回、那須に咲希を派遣した目的は、SA係数五千の妖魔の正体を見極めることだった。その意味では目的は達成したのだが、三大妖魔が実在したというより大きな脅威が残されたのだった。

「結論が出ないことをここで話しても仕方ないさ。咲希たちの報告を聞けば、何か対策が取れるかも知れないしな……。九尾狐を追い払ったってことは、もしかしたら何らかの弱点を掴んだ可能性もある……」
「そうね……。明日になれば、分かることだしね。今はこの時間を楽しみましょう……」
 そう告げると、色葉は大和の膝の上に横座りになって両手を彼の首に廻した。

「せっかくいい部屋が空いてたんだ。楽しまなくちゃ罰が当たるぞ……」
 ニヤリと笑みを浮かべると、大和が色葉の唇を塞いだ。ネットリと舌を絡めると、熱い吐息を漏らしながら色葉が積極的に応えてきた。二人は長い時間をかけて、濃厚な口づけを交わし続けた。

「そう言えば、あのヴィラを予約してやったそうだな?」
 細い唾液の糸を引きながら唇を離すと、大和が興味深そうに訊ねた。その問いに、色葉は官能に蕩けた瞳で大和を見つめながら頷いた。
「ええ……。あの二人にも、あたしたちみたいな時間が必要だと思って……」
 色葉が紹介したヴィラは、大和と初めて愛し合った場所だった。


 今から約三年半前、那須の殺生石せっしょうせき周辺にSA係数二百を超える妖魔U.E.が現れたとの報告が入った。当時の神社幻影隊S.A.P.主任宮司リーダーだった東条英龍ひでたつの命令を受けて、色葉は大和と二人で調査に向かった。
 その頃の色葉は副主任宮司サブリーダーであるとともに、英龍の恋人でもあった。いや、恋人と言えば聞こえがいいが、実質は愛人であった。英龍には妻子がいたからである。

 その事実を知った大和は激怒し、英龍に殴りかかった。全日本学生柔道優勝大会で優勝経験を持つ大和は英龍に全治二週間の怪我を負わせて、神社幻影隊S.A.P.を懲戒免職にされそうになった。
 その処分を必死で覆したのが色葉だった。自分のために怒ってくれた大和が、S.A.P.を首にされることに納得できなかったのだ。大和を懲戒処分にするのならば、自分もS.A.P.を辞めると言って色葉は英龍に辞表を叩きつけた。

 S.A.P.で最高の能力を持つ色葉の辞表を受け取ることなど、誰にもできなかった。英龍は大和の処分を取り消し、色葉の辞職を撤回した。
 だが、そのことは色葉と英龍の関係に大きなヒビを入れることになった。プライドの高い英龍にとって、自分に逆らった色葉の行為は容認できるものではなかったのだ。若い色葉の肉体には未練があったが、英龍は彼女との関係を清算しようと考えた。しかし、周囲に不倫をしていたことを暴露されるリスクは絶対に侵すことはできなかった。

 そこで英龍は、一計を案じた。一途に色葉を崇拝している大和を利用しようと考えたのだった。大和は色葉がスカウトしてきた人材だった。それだけでなく、色葉と大和は非常に馬が合っていた。そこで英龍は色葉に冷たく当たると同時に、職権を利用して二人にチームを組ませた。英龍の目論見通り、色葉は急速に大和に心を開いていった。

 栃木県神社庁からの妖魔U.E.滅殺依頼は、英龍にとってまさしく天啓だった。英龍は、色葉と大和の二人を那須に派遣した。それも保養所として購入を検討しているヴィラの下見を兼ねさせて、一泊二日の出張を命じた。それも急なスケジュールで一棟しかヴィラを予約できないというお膳立てをした上での命令だった。

 戸惑う色葉に対して、大和の表情は喜びに溢れていた。この出張で色葉が大和と関係を持てば、それを別れの口実にするつもりだった。
 英龍の予想通り、無事に妖魔U.E.殲滅を完了した二人の関係は親密さを増していた。英龍は色葉を会議室に呼び出し、事実関係を確認した。すると、色葉はあっさりと大和と関係を持ったことを認めた。

「はい。あたしは大和と寝ました。それが何か問題でしょうか? 大和もあたしも独身ですし、お互いに了承の上で関係を持っただけです。妻子がいることを隠して若い部下と関係を持つよりも、ずっと健全だと思いますが……」
 ブラウンがかった黒色の瞳で真っ直ぐに英龍を見据えながら、色葉が物怖じすることなく言い放った。色葉の不義を責めるために呼び出したはずが、英龍は彼女の正論に何も言えなくなった。

「いや、別に……隠していた訳ではない。訊かれなかっただけだ……」
「そうでしたか。では、あたしがお訊ねしていたら、奥様とお子様がいらっしゃると教えていただけたのですね?」
「もちろんだ……」
 罠に追い込んだつもりのウサギが、突然猟師に向かって襲いかかってきたような錯覚に英龍は陥った。だが、ウサギだと思っていた相手が女豹であることに英龍は気づかなかった。

「では、あたしを抱いた後で結婚をほのめかしたのは何故でしょうか? 奥様と離婚するご予定があったのですか?」
「結婚……? そんなことを言った覚えはない」
 色葉に言質を取られることを恐れて、英龍は即座に否定の言葉を告げた。

「お前と結婚すれば、この体を毎日抱ける。早く一緒に暮らしたいとおっしゃいましたが……。それもあたしの幻聴でしょうか?」
「そ、そんなことを私が言うはずないだろう? 色葉……いや、天城さんの記憶違いだ……」
 額に溢れ出た汗を拭いながら、英龍が早口で告げた。予想もしない色葉の攻勢に、押されっぱなしだった。

「では、この場にあたしを呼ばれた理由は何でしょうか? 大和と関係を持ったかどうかを確認するためですか? S.A.P.の主任宮司リーダーとはいえ、女性の部下を相手に相応しい質問とは思えませんが……。これは十分にセクハラに該当する事案だと考えますがいかがでしょうか?」
「そ、それは……」
 思いもしない劣勢に追い込まれ、英龍は言葉を途切れさせた。

「それともう一つ確認させてください。東条主任とあたしは個人的な付き合いをしていたのでしょうか?」
「そんな付き合いなど、しているはずがないだろう?」
 ここぞとばかりに英龍が語気を強めて告げた。だが、その言葉を聞いて、色葉は内心でほくそ笑んだ。

「そうですか。主任とあたしは、単なる上司と部下の関係でよろしいのですね?」
「もちろんだ……。それ以上でもそれ以下でもない」
 英龍の言葉に、色葉はニッコリと笑みを浮かべた。
「では、妻子のある上司が、単なる部下の女性を何度もホテルに誘うというのは問題ないのですか? その上、その女性に好意を抱いている男性の部下と二人きりで出張させて、一室しか部屋を予約しないというのは何故でしょうか」
「そ、それは……すべて君の妄想……考えすぎだ……」
 しどろもどろになりながら、英龍が小声で告げた。

「妄想ですか? しかし、現実にあたしはここに呼び出されて、その男性と関係を持ったかを訊かれました。これが妄想かどうかは、ここにすべて録音してあります。今からあたしは、この件についてコンプライアンス統括室に相談に行きます」
 そう告げると、ペンシル型のICレコーダーを英龍に見せながら色葉は席を立った。

「ま、待て、色葉ッ……!」
 背後から呼び止める英龍の声に、色葉はニッコリと笑みを浮かべながら振り向いた。
「単なる上司が、何故あたしのファーストネームを呼び捨てにするのでしょうか? それとも、色葉と呼び捨てたことで、先ほどの発言を撤回なさるおつもりですか?」
「そ、それは……」
 言葉に詰まる英龍に、色葉は丁寧に頭を下げながら告げた。

「東条主任、長い間お世話になりました。神社幻影隊S.A.P.を退職されても、どうかお体を大切になさってください……」
 それは紛れもなく英龍の退職辞令に他ならなかった。色葉は頭を上げると、二度と振り向かずに会議室を出て行った。

 数日後、神社幻影隊S.A.P.の掲示板に三枚の辞令が貼り出された。

『【退職発令】 神宮特別対策部 神社幻影隊 主任宮司 東条英龍、四月末日付で自主退職とする』
『【役職発令】 神宮特別対策部 神社幻影隊 副主任宮司 天城色葉、五月一日付で同隊主任宮司を命ずる』
『【役職発令】 神宮特別対策部 神社幻影隊 国城大和、五月一日付で同隊副主任宮司を命ずる』

 ここに、色葉を中心とする神社幻影隊S.A.P.の新体制が確立した。


「咲希と将成君は、数年後のあたしたちよ……。あの東条さんがあたしたちの絆を深めてくれたように、今度はあたしがあの二人の絆を確かなものにしてあげたかったの……」
 白い裸身をベッドに横たえながら、官能に蕩けた瞳で色葉が大和の顔を見つめた。
「あの二人なら大丈夫だ……。きっと、俺たち以上に立派な主任宮司リーダー副主任宮司サブリーダーになれるさ……」
 そう告げると、大和は猛りきったをゆっくりと色葉の中に沈めていった。

「んッ、あぁああッ……! まだ、話が……あッ、だめッ……! あッ、あッ、それッ! あッ、あぁああッ……!」
 大和の動きに合わせて、色葉が堪えきれない嬌声を上げ始めた。白いシーツの上を亜麻色の髪が舞い乱れ、濃厚な女の色香を放っていった。

 朧月おぼろづきが見守る淡い光の中で、二つの影が重なって徐々に激しさを増していった。
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