夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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序章

7 碧眼の王子

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 翌朝、朝の五つ鐘に起きると、アトロポスは身支度を調えて部屋を出た。一階の食堂で朝のお勧めセットを注文し、食事をしながら今日の予定を頭の中で反芻はんすうした。
(まず、古着屋に行ってフード付きのコートを買う。それで顔を隠しながら南外門の様子を見に行こう)

 アルティシアの御首みしるしがどんな状態で晒されているのかを調べる必要があった。アルカディア王やカトリーナ王妃の御首と一緒だとしたら、手の届かない高い場所にあるか、何か箱のようなものに入れられている可能性も否定できなかった。少なくても、庶民が王族の御首に直接手を触れられるような状態で晒されているとは思えなかった。

(警備の人数や装備も確認しないと……。剣だけならいいけど、槍があったら厳しいわね……)
 剣技にはそれなりの自信があるとは言え、複数の槍兵に囲まれたらアルティシアの御首を奪うことは難しかった。剣と槍とではリーチの差で、圧倒的に剣の方が不利なのだ。
 王宮の各騎士団に採用されている槍の柄は、通常の木製の槍と違い、中心に真鍮が入っている。アトロポスの細短剣スモールソードでは、槍の柄を切り落とすことはできなかった。無理に斬り落とそうとすれば、細短剣の方が折れてしまうからだ。

(それに、うまく姫様の御首を奪うことができても、逃走には馬がいるわね……)
 昨夜、アトロポスはアルティシアの御首を埋葬するのに相応しい場所はどこかを考えた。本来であれば、王族はサマルリーナ大神殿の王陵墓地に祀られるのだが、そんなところに埋葬できるはずもなかった。
 そこで、アトロポスはアルティシアが好きだったロケーネの別荘を候補地にした。ロケーネは首都レウルーラから馬で二日ほどの距離にあり、四季の花々が咲き乱れる美しい山村だった。そこまで行くためには、馬の手配が必須だった。

(残金は銀貨八枚と銅貨五枚……。フード付きコートは銀貨三枚もあれば手に入るし、馬を借りるのは銀貨四枚くらいね。旅用の携帯食や水筒も買っておかないと……)
 片道二日の旅とは言え、御首を埋葬してからのことを考えると金貨の数枚は欲しいところだった。だが、御首がいつまで南外門にあるのかも分からないため、ゆっくりと金策をしている時間はアトロポスにはなかった。

(御首を埋葬した後のことは取りあえず保留しよう。まずは準備と下見だわ)
 朝の六つ鐘が鳴ったのをきっかけに、アトロポスは席を立って食堂を出ると、そのまま下級宿『迷子のたまり場』を後にした。


 『迷子のたまり場』から西シドニア通りを東に五タルほど歩いた左手に、古着屋の看板を見つけた。中に入ると、色々な種類の古着が籠の中に山積みに積まれていた。
 レウルキア王国では、庶民の衣服は古着が一般的だった。有力貴族か大商人でもない限り、新品の衣服を買える者は少なかった。新品で購入するのは下着くらいのものだった。

「すみません、フード付きのコートはありますか?」
 店の奥に座っていた店員と思われる老婆に、アトロポスは声を掛けた。ウトウトと居眠りをしていた老婆は、ビクンと体を震わせると慌ててアトロポスの方を振り向いた。

「ああ、ごめんなさいね。暇なもんで寝ちまってたよ。いらっしゃい」
「いえ。起こしてすみません。フード付きのコートは置いていありますか? できれば革製がいいんですが……」
 率直な老婆の言葉に思わず笑みを漏らしながら、アトロポスが訊ねた。

「たしかあったはずだよ。どこだったかな?」
 よっこらしょと声を出しながら、老婆が椅子から立ち上がって店の奥にあった籠を漁り始めた。そして、黒い革製のコートを取り出すと、アトロポスに手渡した。
「これだ。ちょいと年季は入っているが、もの自体は悪くないよ。まだ若いのに可哀想に……。顔を隠したいんだろ? なら、銀貨三枚のところを半額にまけてあげるよ」
 ダリウス将軍に付けられたアトロポスの左頬の刀傷を見ながら、老婆が悲痛な表情を浮かべて言った。

「ありがとうございます。試着してみていいですか?」
 別に傷を隠すつもりではなかったが、顔を隠すという目的は合っていたため、アトロポスは話を合わせてコートを受け取った。
「もちろんさ。元々、冒険者が使っていた物だから、造りはいいはずだ。着てみておくれ」
「そうなんですか? では……」

 手渡された黒いコートに袖を通すと、アトロポスは驚いた。革は丈夫そうな鞣し革であるにも関わらず、驚くほど軽かったのだ。
(これ、普通の動物の皮じゃないわ? もしかしたら、魔獣の皮?)
 一般的に凶悪な魔獣の皮ほど、物理耐性や魔法耐性が高いので薄く鞣して使用することが多い。特に魔法耐性は薄くしてもその効果はほとんど変わらないため、重量を軽くすることができるからだ。

「それを持ってきた来た冒険者は、水龍の皮でできているって言ってたよ。まあ、あたしは水龍の皮なんて見たことないから、眉唾もんだと思ってるがね」
 アトロポスの表情を読み取ったのか、老婆が笑いながら言った。

「水龍ですか? もし本物だったら、凄い掘り出し物ですね」
 四大龍の序列第二位と言われている水龍は、ランクS冒険者パーティが複数で相手取るSS級魔獣だ。その強さは序列第一位の天龍と同格と言われていた。
 序列第二位に列されている理由は、存在自体が半ば伝説と化した天龍よりも個体数が多く、一部のダンジョンで棲息が確認されているためだった。つまり、天龍に比べて水龍の討伐数は多く、その皮や鱗、爪や牙などは超一流の武器や装備に使われているのだ。

(もし本当に水龍の皮からできているとしたら、白金貨数百枚はするわよね。それが銀貨一枚と銅貨五枚で売られているなら、やっぱり偽物かな……?)
「これを売った冒険者の名前って分かりますか?」
「たしか、ウォルフとか言ったかね? 狼みたいな名前だったよ」
「ウォルフですか。ありがとうございます。では、これにします」
 銀貨一枚と銅貨五枚を老婆に手渡すと、アトロポスは微笑みながら礼を言った。

(サイズもぴったりだし、古着とは思えないほど物もいいわ。いつかウォルフという冒険者に会えたら、本物の水龍の皮かどうか聞いてみよう)
 ウォルフというのは男性名だ。男性用のコートを女性が着て、ぴったりのサイズであるはずがないことに、アトロポスは気づかなかった。このコートにはサイズ調整魔法と重量軽減魔法が付与されていたのだ。魔法が付与されている武器や防具は滅多に存在しない。
 つまり、それこそが超一流品である証明であり、このコートが本物の水龍の鞣し革からできている証拠でもあった。


 古着屋を出るとアトロポスはフードを目深に被り、レウルーラ宮殿の南外門へと向かった。朝の六つ鐘が鳴る前だというのに、南外門前の広場にはすでに人だかりができていた。
(やはり予想通り、アルカディア王の御首みしるしはこの南外門に晒されているみたいね)
 人混みをかき分けながら進むと、南外門に向かって左側に百人からなる近衛騎士団中隊が整列をしていた。

(想像以上の警備だわ!)
 中央に床几が置かれ、中隊長らしき四十代の男性騎士が腰を下ろしていた。その前にある巨大な台座には、三つの御首みしるしが並べられていた。真ん中にアルカディア前国王、向かって左手にカトリーナ前王妃、そして、右手にアルティシア前第一王女だった。

(姫様ッ……!)
 眼を閉じたアルティシアの顔は白く化粧が施され、唇には赤い紅が塗られていた。美しく豊かな金髪は風に靡いており、まるで今にも眼を開きそうに感じられた。
 思わず駆け寄りたい衝動を辛うじて抑えると、アトロポスは警備に当たっている近衛騎士団員たちを注意深く観察した。

 床几に座った中隊長の背後には、二十五名からなる小隊が直立不動の姿勢で立っていた。そして、台座の正面と左右にも一小隊ずつ騎士たちが配備されていた。各小隊は剣士十名、槍士十名、弓士五名の構成となっていた。総勢百名の中隊が御首みしるしを警備するという物々しい態勢だった。
 ダリウス将軍本人の姿は見当たらなかったが、さすがに王宮最強と名高い彼が率いる近衛騎士団であった。その警備には一分の隙も見当たらなかった。

(こんなのどうすればいいの……?)
 四、五人であればともかく、いかにアトロポスの剣技が優れていようとも正面にいる二十五名の騎士たちを一瞬で倒すことなど不可能だった。だが、少しでも時間をかければ、左右や後方から七十五名の騎士たちが押し寄せてきて、あっという間に取り囲まれてしまうのは目に見えていた。

(そうだ! 交替は……? 全員が一日中警備しているはずはないわ。小隊ごとに交替するはず……)
 レウルキア王国の騎士団の構成人数は次の通りだ。

 分隊……………五名
 小隊………二十五名
 中隊……………百名
 大隊……………千名
 騎士団………一万名

 今回の警備は一個中隊、つまり四個小隊である。普通に考えれば、四個小隊が一斉に交替するとは考えづらい。一定の時間で小隊ごとの交替があると考えるのが定石だった。
 だが、交替時に襲撃するというのは諸刃の剣でもあった。交替時の混乱を突くことができる反面、一時的に護衛の人数が増えるのだ。たとえば二個小隊が一度に交替する場合には、新しい二個小隊を含めて護衛人数が一時的に五十名増加して百五十名となるからだ。

(夜も同じ人数が護衛しているのかしら? それとも、夜は御首みしるしを王宮の中に運び入れてしまうのかしら?)
 昼間の警備中に御首が奪えないのであれば、警備が手空てすきになる深夜を狙うことをアトロポスは考えた。それには、暗くなってからの警備の状況を確認する必要があった。

(夜の四つ鐘頃には日も暮れて暗くなっているはず……。一度、出直そう)
 そう考えたとき、南外門が開かれ王宮から数名の男たちが姿を現した。その中の一人を見た瞬間、アトロポスの血が沸騰した。
(シルヴァレートッ!)
 王家の血を引く整った容貌と、アルティシアと同じ金髪碧眼の美青年の顔を、アトロポスが見間違うはずなどなかった。

(姫様のお命を助けると公式文書まで書きながら、私を騙してもてあそんだ男……! よくも堂々と姿を現せるわね!)
 アトロポスはコートの下で細短剣スモールソードの柄を握りしめながら、駆け寄ってシルヴァレートを斬り捨てたい衝動を懸命に抑えた。
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