夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第6章 火焔黒剣

6 夜薔薇の恩返し

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 南大門にある馬舎亭までエクリプスを曳いていくと、アトロポスは厩務員きゅうむいんに依頼してシリウスと引き合わせた。久しぶりの再会を喜んで、二頭はいななきながらお互いに鼻を擦りつけ合った。
「シリウス、良かったね、お兄さんと会えて……」
 長いたてがみを撫ぜると、シリウスは嬉しそうに嘶いた。

「エクリプスもこれからはシリウスとずっと一緒だ。よろしく頼むな」
 バッカスもエクリプスの鬣を撫でながら告げた。
(シリウスとエクリプスがずっと一緒ってことは、私とバッカスも……)
 ダリウスの言葉を思い出し、アトロポスは嬉しさと恥ずかしさで思わず顔を赤く染めた。


「そろそろ夜の四つ鐘が鳴る頃だな。さすがに今からザルーエクに向かうと、エクリプスたちの脚でも到着は真夜中だ。今日は『銀の白鳥亭』にもう一泊して、明日の朝からザルーエクに向かおう」
 シリウスとエクリプスを厩務員に預けると、バッカスがアトロポスに告げた。
「そうね。でも、バッカス……」
 アトロポスは言いかけた言葉を途中で止めて、バックスの顔を見つめた。『銀の白鳥亭』での激しすぎる愛の交歓を思い出したのだ。

「何だ?」
 ジッと見つめてくるアトロポスの視線を怪訝に思いながら、バッカスが訊ねた。
「に、二回って、ポーションを使う回数じゃないからね! こ、今夜もあんなことするつもりなら、私は別の部屋に泊まるわよ!」
「あんなことって?」
 ニヤリと笑みを浮かべながら、バッカスが訊ねた。

「そ、それは……ッ! そ、その……」
 バッカスの言葉に、アトロポスは顔を赤く染めながら俯いた。冒険者ギルド最強の女剣士も、経験豊富な大人バッカスの前では一人の少女に過ぎなかった。

「アトロポスが気持ちよくなりすぎて、気絶しちゃうことか?」
「バ、バッカスッ! もう、知らないッ!」
 アトロポスは首筋まで真っ赤に染めると、バッカスから逃げ出すように『銀の白鳥亭』に向かって足早に歩き出した。その後ろ姿を笑いながら見つめると、バッカスもアトロポスの後を追って馬舎亭を後にした。


 『銀の白鳥亭』の一階にある食堂で夕食を食べた後、二人は昨夜と同じ三階の東南角部屋に入った。
「明日の朝の五つ鐘にレウルーラを発てば、シリウスとエクリプスの脚なら昼過ぎにはザルーエクに着けると思う。そうしたら、ギルドでクロトーの姉御に付与をしてもらおう」
 居間の入口に荷物を置くとバッカスは、中央にある優雅な布張りの応接ソファにアトロポスと並んで座りながら告げた。

「そうね……。私の闇龍の外套ナイトドラーク・ケープには、重量軽減と収納増加、そして当初から予定していた治癒と魔力回復の四つね。そして、小物入れには重量軽減と収納増加……。あと二つは必要に応じて付与してもらうから、今回はいいわ。最後にこの<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>には意識伝達ね」
 数えてみると、アトロポスが新調した装備だけでも七つの魔力付与が必要だった。

「俺の方は、このバックパックに重量軽減と収納増加の二つか。俺もあと二つは必要に応じてお願いすることにするよ。そうすると、二人合わせるて九つもの付与になるな。クロトーの姉御、やってくれるかな?」
 やや顔を引き攣らせながら、バッカスが訊ねた。さすがにそれだけの付与となると、時間もかかり、魔力の消費も大きいと思われた。

「クロトー姉さんのことだから、嫌とは言わないと思うけど……。でも、たしかに面倒かもね。そうかと言って、お金を払うって言っても受け取らないだろうし……」
「お土産でも買っていくか?」
 ふと閃いたように、バッカスが告げた。
「お土産ねえ……。クロトー姉さんが喜びそうな物って、想像がつかないわ」
 実年齢が四百歳を超えているクロトーの好みなど、アトロポスには予想も出来なかった。

「たしかに……。魔道杖や装備はすでに超一流品だしな……。そうだ、首飾りネックレスとかどうだ? アトロポスとお揃いの<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>のヤツとか?」
「それ、いいかも! 綺麗な宝石を贈られて嫌がる女性はいないしね! 明日、もう一度『女神の祝福』に行ってみましょう!」
 バッカスの意見に、アトロポスが飛びついた。アトロポスの指輪よりも大きな<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の首飾りネックレスならば、クロトーに贈っても失礼に当たらないと思ったのだ。

「でも、そこまでの首飾りネックレスとなると、結構な値段するよな?」
 アトロポスに<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の指輪を贈ったため、バッカスの所持金はあと白金貨一万三千枚くらいしかなかったのだ。
「心配しないで。今回は私が全額出すわ。予算はそうね……、白金貨二十万枚くらいにしましょうか?」

「に、二十万枚……!?」
 アトロポスが告げた金額に、バッカスが言葉を失った。
「クロトー姉さんにはそれ以上にお世話になっているし、前から恩返しをしたいと思っていたの。ちょうどいい機会だから、最高級の<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>を贈りましょう!」
「二十万枚……」
 強面の顔を引き攣らせながら、バッカスが繰り返し呟いた。

「そうと決まったら、明日は早起きしなくちゃね。私、お風呂に入ってくるわ」
 笑顔で告げたアトロポスの言葉を聞いて、バッカスが正気を取り戻した。
「そう言えば、俺も風呂に入りたかったんだ!」
「そうなの? じゃあ、先に入っていいわよ」
 順番を譲ろうとしたアトロポスの左腕を掴むと、バッカスがニヤリと笑いながら告げた。

「一緒に入ろうぜ、アトロポス」
「な……ッ! い、イヤよ! 先に……んっ……!」
 アトロポスの拒絶の言葉を封じるかのように、バッカスが彼女の唇を塞いだ。そして、抵抗するアトロポスの体を力強く抱き寄せ、濃厚に舌を絡め始めた。

「んっ、んくっ……んぁ……んや……ん、んはぁ……」
 頭の芯がクラクラするほど舌を吸われ、アトロポスの全身から力が抜けていった。
(だめ……こんな口づけされたら……私……)
 ゾクゾクとした快感が背筋を舐め上げると、アトロポスは無意識に自ら舌を絡め始めた。腰骨が蕩けるように熱くなり、足腰に力が入らず膝がガクガクと笑い始めた。アトロポスは両手をバッカスの広い背中に廻すと、彼の厚い胸板に縋り付きながら熱い吐息を漏らした。

「一緒に入るぞ、アトロポス」
 長い口づけを終えて細い唾液の糸を垂らしながら唇を離すと、バッカスが優しい口調で告げた。
「うん……」
 官能の愉悦にトロンと蕩けた黒瞳でバッカスを見つめながら、アトロポスは恥ずかしそうに小さく頷いた。黒曜石のように煌めく瞳は、欲情に濡れて潤んでいた。

 夜のとばりが下りきる頃、広い浴室の中にアトロポスの熱い喘ぎ声が響き渡った。


 いつものように・・・・・・・中級回復ポーションを飲まされて目を覚ますと、アトロポスはサイドテーブルにある空き瓶の数を数えた。今飲んだポーションで三本目だった。
(こんなこと続けられたら、私、本当にバッカスから離れられなくなる……)
 この数日の間で何回くらい官能の頂点を極めさせられたのか、アトロポスは数えられなかった。少しずつ自分の体が淫らに変えられている気がして、アトロポスは空恐ろしさを覚えた。

「おはよう、アトロポス。体は大丈夫か?」
「うん……。ポーションを飲んだから、平気よ……」
「そうか。朝風呂に入って、さっぱりして来いよ。俺は今入ってきたから……」
 優しい口調でアトロポスの黒髪を梳きながら、バッカスが言った。
「うん、そうするわ……。ありがとう」
 アトロポスは笑顔でそう告げると、毛布を体に巻き付けて裸体を隠した。そして、寝台から下り立って浴室へと向かった。

 自分の荷物から新しい下着を取り出して洗面室に入ると、アトロポスは毛布を外して全裸になった。大きな姿見に映った裸身には、いくつもの赤い痣キスマークがつけられていた。愛する男に抱かれた証を見て、アトロポスは幸福感と恥ずかしさに顔を赤らめると、左手の扉を押して浴室へと入っていった。

 浴槽にはすでに新しいお湯が張られていた。バッカスが張ってくれたようだった。アトロポスは手桶でお湯を汲み取ると、掛け湯をしてから浴槽に体を沈めた。温めのお湯が肌を優しく包み込み、アトロポスはホッと息を吐いた。

(もしかしたら、バッカスは不安なのかしら?)
 ふと、アトロポスの脳裏にその考えがよぎった。シルヴァレートと同じように愛していると、アトロポスはバッカスに告げたことがあった。だから、バッカスはあれほど何度も自分を愛して、シルヴァレートの元に戻らないようにしようとしているのかも知れないとアトロポスは思った。

(もし、バッカスに私以外の恋人がいたなら、私はどんな手を使っても彼が離れていかないようにするわ)
 アトロポスがシルヴァレートを愛している気持ちに嘘はなかった。だが、この数日でアトロポスの心は徐々にバッカスへと傾いているのも事実だった。毎日ずっと一緒に行動していて、毎晩愛し合っているのだ。それも無理はない話だった。

(シルヴァのことは今も愛しているし、彼を忘れることなんて出来ない。でも、バッカスを不安にさせ続けることは、絶対にしてはいけない……)
 バッカスの不安を取り除くにはどうすればいいのか、答えは一つしかなかった。アトロポスがシルヴァレートを忘れ、バッカスだけを愛すればいいのだ。

(いつかはそうなるのかも知れないけど、今すぐには無理だわ……)
 シルヴァレートはアトロポスにとっての初恋の男性だった。そして、アルティシアを助けるためとは言え、処女を捧げた男でもあった。それを他に好きな人が出来たからと言って、すぐに忘れることなどアトロポスには不可能だった。

(でも、一つだけ確かなことがあるわ。それをバッカスに伝えよう)
 アトロポスは心の中で決意を固めると、浴槽から立ち上がった。バッカスに愛され続けたためか、この数日でつややかさを増した瑞々しい肢体から、幾筋もの水滴が流れ落ちた。

 浴槽から出ると、アトロポスは頭髪用石鹸を手に取り、丁寧に粟立たせてから長い黒髪を洗い始めた。
(今、私が一番側にいて欲しい男性ひとは、バッカス……あなただけよ)
 この気持ちに嘘偽りはなかった。そのことをバッカスに告げようと、アトロポスは心に決めた。


「こんにちは、先日はお世話になりました」
 『女神の祝福』に入ると、アトロポスとバッカスは入口に立っていた美しいエルフに声を掛けた。一昨日、<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の指輪を買った時に対応してくれた女性店員だった。
「いらっしゃいませ、ローズ様、バッカス様。先日は<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>をお買い上げ頂き、ありがとうございました。本日はどのような物をお探しでしょうか?」
 エルフの店員が二人に丁寧に頭を下げると、美しい美貌に完璧な笑顔を浮かべて訊ねた。

「今日は<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の首飾りネックレスを探しに来ました。最高級の品があれば見せて頂きたいのですが……」
「かしこまりました。先日と同じく三階にございます。こちらへどうぞ……」
 エルフの店員はアトロポスたちを最上客に認定して、丁寧に頭を下げると二人を促して階段を上っていった。

 案内された三階の奥にある一角には、飾り棚の中に多くのブルー・ダイヤモンドのネックレスが展示されていた。大きさや品質の違いによって価格も様々だったが、一番安いものでも白金貨六百八十枚の値札がついていた。
 それらのどれもが美しい輝きを放っていたが、アトロポスの<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の幻想的な輝きとは異なっていた。

「<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の首飾りネックレスはこの中にないみたいですね。どちらに展示されているんですか?」
 アトロポスが怪訝な表情を浮かべながら、エルフの店員に訊ねた。
「先日もお伝えしましたとおり、<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>は非常に稀少で高価な宝石となります。お客様にお買い上げ頂いた指輪もそうですが、特に首飾りネックレスは当店でも一番高価な品となりますので、通常に展示はしておりません。ただいまお出ししますので、少々お待ちください」
 そう告げると、女性店員は飾り棚の裏側にある金庫を開いて、一品の首飾りネックレスを取り出した。

「……!」
「これは……ッ!」
 天鵞絨ビロードの細長い箱に入れられた首飾りネックレスを見た瞬間、アトロポスとバッカスは言葉を失った。透明な蒼青色の光輝に包まれた<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の輝きは、アトロポスの指輪とまったく同じであった。
 だが、指輪と違うことが一つだけあった。

「大っきいッ!」
「直径一セグメッツェ以上あるぞッ!」
 アトロポスの指輪は直径一セグメッツェの三分の一程度だった。この首飾りネックレスの<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>は、その三倍以上もの大きさがあった。
 アトロポスもバッカスも、これほど巨大な<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>など、未だかつて見たこともなかった。

「わたくしはエルフですので、見かけ通りの年齢ではございません。この店に勤めてからもかなりの年月が経っております。しかし、これほど見事な<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>は、他店でも眼にしたことがございません。おそらく、ムズンガルド大陸でも有数の価値がある宝石であると、自信を持ってお勧めいたします」
 エルフの女性店員の言葉に、バッカスが不安げな表情で訊ねた。

「値段は、いくらですか?」
 当然のことだが、その首飾りネックレスには値札がついていなかった。女性店員はやや緊張した表情で、意を決したように告げた。

「白金貨二十八万枚となります」
「に、二十八万……!?」
 大貴族の豪邸が丸ごと買える価格に、バッカスは言葉を失った。だが、その<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の首飾りをひと目見た瞬間からその価値に気づいたアトロポスは、ニッコリと微笑みを浮かべながら告げた。

「では、このギルド証で決済をお願いします」
「ち、ちょっと待て、アトロポスッ! に、二十八万枚だぞッ!」
 平然と告げたアトロポスに、バッカスが慌てて言った。
「女に恥をかかせないでよ、バッカス。あなたが言ったのよ。大切な人への贈り物を値引くなんてみっともないマネは出来ないって……」
「そ、それはそうだが……二十八万って……」
 笑顔で告げたアトロポスの言葉に、バッカスは呆然と呟いた。

「お買い上げありがとうございます。包装はいかがいたしましょうか?」
「出来るだけシンプルにお願いします。その方が、開けた時の驚きが大きいですから」
 悪戯そうな笑みを浮かべながら、アトロポスが告げた。
「かしこまりました。ただいま包装と決済をして参りますので、少々お待ちください」
 そう告げると、エルフの店員はアトロポスが渡したプラチナ製のギルド証を受け取って、<鳳凰蒼輝フェニックス・ブルー>の首飾りネックレスとともに奥の事務室へと入っていった。

「大丈夫なのか、アトロポス? 俺も少し出そうか? と言っても、一万三千枚くらいしかないが……」
 心配そうな表情を浮かべながら、バッカスがアトロポスを見つめた。
「まあ、貯金の七割はなくなるけど、何とかなるわ。それに、この<蒼龍神刀アスール・ドラーク>の材料である蒼炎炭鋼石の代金、白金貨三十万枚はクロトー姉さんが出してくれたのよ。その他にも、姉さんは混沌龍カオス・ドラゴンの報酬や先日の火龍の報酬もすべて譲ってくれたわ。正直なところ、この程度じゃ半分もお返しできてないのよ」

 アトロポスの告げた金額をすべて合わせると、白金貨八十万枚くらいになることにバッカスは気づいた。たしかにアトロポスの言うとおり、白金貨二十八万枚でもその半分に達していなかった。
「相手はムズンガルド大陸最強の魔道士、『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』だからな。それは仕方ないさ。でも、きっとアトロポスの気持ちはクロトーの姉御に通じるはずだ」
 バッカスが強面の顔に獰猛な笑顔を浮かべながら告げた。一見恐ろしげな笑いを見つめると、アトロポスは嬉しそうに頷いた。

「うん、そうね。きっとクロトー姉さんも喜んでくれるわ」
「ああ、間違いない。もしも喜ばなかったら、俺が文句を言ってやる」
 鼻息荒くバッカスが告げた言葉を聞いて、アトロポスは楽しそうに笑った。
「クロトー姉さんに文句? バッカスがそう言っていたって伝えておくわ」
「あ……いや、それは……その……。か、勘弁してくれ……」
 慌てて両手を振り出したバッカスを見て、アトロポスは声を上げて笑った。
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