夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第7章 戦慄の悪夢

2 風魔の谷、再び・・・

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 ザルーエクから『風魔の谷』までは、通常は馬でニザンの距離だった。だが、シリウスとエクリプスは一ザン半もかからずに『風魔の谷』に到着していた。
 バッカスは二人きりになったのをいい機会だと思い、アトロポスに何度も話しかけた。だが、アトロポスは漆黒の覇気を全身に纏わせながら、ギロリとバッカスを睨んで一言も口を聞かなかった。

(やべえな……。ここまで怒ったアトロポスは初めてだぞ。ちくしょう、ゲイリーの奴め……!)
 自分の過去の言動を棚に上げて、バッカスの怒りはゲイリーに向いていた。一方、アトロポスは自分が愛した男の予想もしていなかった過去を聞かされて、激しい嫉妬と怒りに気が狂いそうだった。

(娼館の女を取っ替え引っ替え抱いていただけじゃなく、賭けの対象にまでしていたなんて……! ホントに最低ッ! 信じられないッ!)
 出逢った頃のバッカスはたしかにレウルーラ本部随一の乱暴者だったが、ここまで見下げ果てた奴だったとは思いもしなかった。アトロポスの中では現在のバッカスの評価が高いため、そのギャップに戸惑いを隠せなかったのだ。

(このままじゃ、本当に愛想を尽かされちまう。かと言って、話も聞いてくれないんじゃ……。いったい、どうすりゃいいんだ?)
(いくら過去のことだと言ったって、許せることと許せないことがあるわ! 当分の間、口も聞いてやらないから、一人で反省してなさいッ!)


「嬢ちゃんたちの馬、凄えな。あっという間に見えなくなっちまったぜ」
 半ザン以上遅れて、ゲイリーたちがやっと『風魔の谷』に到着した。それでもかなり飛ばしてきたらしく、彼らの馬はひどい汗をかいていた。馬好きのアトロポスとしては心配だったが、厩務員きゅうむいんがやって来て汗を拭き、水を飲ませている様子を見て任せることにした。

「この『風魔の谷』は、十五階層までの下級ダンジョンだ。五階層までが上層、十階層までが中層、それ以降が下層と呼ばれている。B級魔獣のゴブリン・キングが出るのは中層から下層にかけてだ」
 ゲイリーが『風魔の谷』について、説明を始めた。アトロポスはその様子を見て、意外に感じた。
(一応、リーダーらしい仕事はするんだ……)

「それと、ゴブリンは女好きだ。だから、嬢ちゃんは気をつけろよ」
 ニヤリと嫌らしい笑いを浮かべながら、ゲイリーがアトロポスを見つめた。彼が言わんとしていることを理解して、アトロポスが頷いた。
「知ってます。好んで女性を襲うんですよね。何度も見ましたから……」
 異常発生スタンピードの時の光景が脳裏に甦り、アトロポスは眉をひそめながら告げた。

「ほう。何度もね……。なら、言うことはねえな」
「まあ、襲われたら俺たちが助けてやるよ」
 ブレナンがクチャクチャと噛み煙草ルーズリーフを噛みながら、卑猥さを隠そうともせずに言った。まるで、ゴブリンに便乗して、自分がアトロポスを襲いそうな雰囲気だった。
 アトロポスは嫌悪感を感じて、顔を顰めた。

『心配するな、アトロポス。何があっても、必ず俺がお前を護る!』

 アトロポスが女性としてゴブリンを恐れているのかと勘違いし、バッカスが意識伝達を送ってきた。
(フンッ、格好つけちゃって……)
 だが、アトロポスはバッカスから顔を逸らして、それを無視した。ゲイリーたちは当然のことだが、バッカスも知らなかったのだ。異常発生スタンピードの時に、アトロポスは混沌龍カオス・ドラゴンを倒しただけではなく、この『風魔の谷』にいた全ての魔獣・・・・・を一匹残らず殲滅したことを……。

「入る前に確認させてください。ゲイリーさんは剣士クラスB、ブレナンさんは拳士クラスB、そして、ギースさんが盾士クラスBで間違いなかったですよね?」
「ん? そうだが、それがどうしたんだ?」
 アトロポスの質問の意図が分からずに、ゲイリーが首を傾げながら見つめてきた。
(ここに出るのは、A級魔獣のゴブリン・エンペラーまでだったわよね。何かあっても、バッカスがいれば問題なさそうね)

「いえ、ゴブリンは女を襲うし、私は皆さんほど自分の剣に自信がないので、安全な場所で見ていたいなと思って……。もちろん、報酬はいりませんから、四人で分けてください」
「ああ、報酬がいらねえってんなら、構わねえぞ」
 アトロポスはあえて四人・・と言った。バッカスを頭数に入れたのである。その意味をバッカスだけが理解した。

(俺に任せるってことか? まあ、混沌龍カオス・ドラゴンさえ出なけりゃ、俺でも何とかなるレベルだしな。アトロポスの期待に応えて、点数稼ぎしとくか……)
「おい、ゲイリー! C級魔獣まではお前らに任せるぞ。A級かB級が出たら俺が相手をしてやる。それまではお前らだけで遊んでろ!」
 強面の顔に獰猛な笑みを浮かべながら、バッカスが吠えた。彼はアトロポスの指示を正確に受け取っていた。

「何、寝ぼけてやがるんだ! てめえは剣士クラスBだろう! 格好つけてねえで、俺たちと一緒に働きやがれ!」
 現在のバッカスの実力が、限りなく剣士クラスSに近いAであることを知らないゲイリーたちには、バッカスが単にサボりたがっているとしか聞こえなかった。

 ゲイリーの言葉にバッカスは大きくため息をつき、アトロポスは面白そうに笑みを浮かべていた。


 十二階層までは、C級魔獣であるゴブリン・ロード、レッド・ゴブリン、シャーマン・ゴブリンしか現れなかった。アトロポスたちは、十三階層へ続く坂道を下っていった。
 十三階層の入口で、アトロポスは初めて索敵を使った。すると、脳裏に大小の赤い点が見えた。それらが魔獣の位置と魔力の強さを示しているようだった。
 大きな赤い点は三つあった。そのうちの二つはB級魔獣らしく、ゴブリン・キングかゴブリン・クイーンだと思われた。問題は、最後の赤い点だった。魔力量から見て、S級魔獣であることは間違いなかった。

(おかしいわね? このダンジョンはA級魔獣のゴブリン・エンペラーが最強のはずなのに……?)
 いずれにしても、このまま進むのは危険だった。アトロポスは仕方なく、バッカスに意識伝達をすることにした。

『バッカス、この階層にB級魔獣二体とS級魔獣一体がいるわ』
『S級魔獣? ここはA級魔獣のゴブリン・エンペラーまでしかいないんじゃなかったのか?』
 すぐにバッカスから回答が来た。だが、その分かりきった答えに、アトロポスはムッとした。

『知らないわよ! いるんだから、仕方ないでしょ!』
『悪かったよ、アトロポス。そう怒るなって……。索敵で魔獣の種類まで分かるのか?』
『種類は分からない。でも、混沌龍カオス・ドラゴンよりは遥かに魔力が小さいわ。たぶん、火龍くらいかな?』
 アトロポスの言葉を聞いて、バッカスが驚いた。

『おい……! このメンバーで火龍クラスに遭遇したら、死人が出るぞ!』
『そうしないために、私たちがいるんでしょ! S級は私が受け持つから、バッカスはB級二体をお願いね!』
『いや、逆にしよう。俺がS級をやる! アトロポスはB級二体を頼む!』
『……! 何言ってるのッ! 今のあなたじゃ、S級は無理よ!』
『<火焔黒剣フレイム・エスパーダ>もあるんだ。やってやるさ! その代わり、S級に勝てたら、俺の過去は許してくれ!』
『ちょっと、そう言う問題じゃ……』
 バッカスは一方的に、意識伝達を切った。

「おい、ゲイリー。お前らはここにいろ!」
「何言ってやがる? さてはてめえ、ゴブリン・キングを独り占めする気じゃ……」
 突然のバッカスの言葉に、ゲイリーが反発の声を上げた。だが、次にバッカスが告げたセリフに、ゲイリーたちの動きが止まった。
「この先に、S級魔獣一体とB級魔獣が二体いる。B級はアトロポスが倒す。俺はS級をやってくる。ゴブリン・キングの魔石はお前たちにやるから、心配するな!」

「な……何を……S級って……?」
「お、おい、バッカス! お前、何でそんなことが分かるんだ!?」
 驚愕のあまり言葉を失ったゲイリーたちに、アトロポスがニッコリと笑顔を浮かべて告げた。

「私たちは、ランクSパーティ<闇姫ノクス・コンチュア>です。私は剣士クラスSのローズ……二つ名は、『夜薔薇ナイト・ローズ』です。そして、バッカスも剣士クラスAです。ゲイリーさんたちは心配しないで、ここにいてください」
「ク、クラスSだと……!?」
「お、思い出したッ! 『夜薔薇ナイト・ローズ』って、混沌龍カオス・ドラゴンを一人で討伐した……」
「バッカスが、剣士クラスAだと……?」
 呆然として口々に勝手なことを言い始めたゲイリーたちを無視すると、アトロポスはバッカスに向かって告げた。

「この方向よ! 距離はおよそ七百メッツェ。魔力の大きさは、ほぼ火龍と同じだから、気をつけて! 私もゴブリン・キングたちを倒したら合流するわ!」
「分かった! アトロポスも油断するな!」
 次の瞬間、二人の姿がブレて消えた。二人がいたはずの場所は、地面が大きく抉られていた。
 ゲイリーたちは突然消失したバッカスたちを捜して、周囲をキョロキョロと見回していた。


(<火焔黒剣フレイム・エスパーダ>があるとは言え、今のバッカスにS級魔獣を倒すだけの力はないわ! 少しでも早くゴブリン・キングたちを倒して合流しないと……!)
 アトロポスは一気に天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスに魔力を流し、速度強化と筋力強化を最大の二百五十倍にした。

 一体目はゴブリン・クイーンだった。アトロポスはそのまま速度を緩めずにゴブリン・クイーンの正面に移動すると、<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を上段に構えて一気に振り抜いた。
「ハァアアッ!」
 <蒼龍神刀アスール・ドラーク>の刀身から漆黒の神刃しんじんが飛翔し、全長三メッツェを超えるゴブリン・クイーンの巨体を頭頂から股間まで両断した。断末魔の声どころか、自らの身に起こったことさえ理解できずに、ゴブリン・クイーンは左右に体を割かれながら地響きを立てて地面に倒れ込んだ。

(魔石の回収は後でいいわ! 次は……、こっちね! およそ、八百セグメッツェ!)
 再び、アトロポスの体がブレると、次の瞬間には地面を抉って消失した。八百メッツェの距離を十タルザンもかけずに移動すると、アトロポスはゴブリン・キングの正面に姿を現した。

「ハァアアッ!」
 ゴブリン・キングがアトロポスに気づいた瞬間、上段から振り落とされた<蒼龍神刀アスール・ドラーク>の刀身から、漆黒の神刃が翔破した。
 次の瞬間、ゴブリン・キングの巨体が頭頂から両断され、地響きを立てながら左右に分かれて倒れ込んだ。先ほどのゴブリン・クイーンと同じ運命を辿ったのだ。

『バッカス、大丈夫ッ!?』
 アトロポスは意識伝達をバッカスに送った。だが、バッカスからの応えはなかった。
『バッカス、返事をして! バッカスッ!』
 意識伝達は、使う側の魔力量によって伝わる距離が異なる。アトロポスの魔力量であれば、この十三階層はすべて網羅しているはずだった。それに対して返事がないと言うことは、故意に意識伝達を切っているか、返事が出来ない状態かのどちらかだった。

(バッカス、わざと意識伝達を切っていたら、タダじゃおかないからねッ!)
 湧き上がる不安を押し殺して、アトロポスはS級魔獣の元に向かって走り出した。
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