金碧の女豹~ディアナの憂鬱 【第一部 運命の出逢い】

椎名 将也

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プロローグ

 意識を取り戻すと同時に、ティアはヘテロクロミアの瞳に驚愕を浮かべて愕然とした。
 四肢を寝台の四隅に縄で括りつけられ、身動きひとつ出来ない状態で寝かされていた。視界に白く豊かな双乳が映り、羞恥のあまり首筋まで真っ赤に染まった。

 全裸だった。

 周囲を見渡すと、古びた本棚や執務机が眼に入った。本棚の中には、難しそうな題目が書かれた革表紙の蔵書がびっしりと並べられており、持ち主の知的水準の高さが窺われた。
 寝台横にある小机の上には、意匠を凝らせた燭台があった。その持ち手部分には見たこともない人の顔が彫刻されていた。

 それを人と呼んでいいのか、ティアには分からなかった。
 釣り上がった眼には、瞳がなかった。高い鉤鼻の下にある唇は薄く、酷薄さと残忍さを見る者に与えていた。そして、異彩を放っていたのが眉毛だった。剛毛のような眉毛は額まで跳ね上がり、まるで額の中央から歪曲した二本の角が生えているようにも見えた。両耳はなく、その代わりに顔の横から黒い翼が羽ばたくように広がっていた。
 神話に登場する悪魔のような顔が彫刻されていたのだ。

「気がついたか?」
 足元から男の声が響いた。
 視線を向けると、大きく広げられた足の先に椅子が置かれ、一人の男が腰を下ろしていた。
「あなたは……?」
 男の位置からは、ティアの股間が丸見えのはずだった。羞恥のあまり叫びたいのを堪えて、ティアはヘテロクロミアの瞳で男を睨んだ。

 二十代半ばの男だった。背中までまっすぐに伸ばした漆黒の髪と、強烈な意志を宿す黒瞳が印象的な男だった。細面の顔立ちは美形だが、薄い唇には冷酷な笑みが浮かんでいた。
「まだ固いが、良い躰をしている。処女か?」
 男は椅子から立ち上がると、ティアの問いを無視して歩き出した。そして、ティアの左横で足を止めると、おもむろに右手を伸ばしてティアの左乳房を掴んだ。
「さ、触らないで!」
 羞恥と嫌悪と恐怖が混ざり合った声で、ティアが叫んだ。
 だが、男はその拒絶さえも無視して、柔らかさを楽しむようにティアの左胸を揉み上げた。その動きは、ティアの体に快感を教え込むように、女の躰を熟知したものだった。
「い、いや……。離しなさい!」
 ティアは左胸から広がる感覚に戸惑いながらも、羞恥に染まった顔で男を睨み付けた。
「皇女殿下は、その歳まで男を知らぬと見える。違うか?」
 男の言葉に、ティアは顔を背けた。長い淡紫色の髪が振り乱れ、ティアの左頬にかかった。

 ティアは男が「皇女殿下」と呼びかけたことから、自分の正体が知られていることを悟った。
 ユピテル皇国皇帝アレックス=フォン=イシュタルの第一皇女、ディアナ=フォン=イシュタル。これがティアの正式な名前であった。ティアというのは、親しい者が呼ぶ愛称だった。

 ティアは今日が十七歳の誕生日だった。
 本来であれば、皇族を集めた誕生会に美しいドレスを身につけ、主賓として皆から祝福と羨望を集めるはずであった。そして、その席ではティアの婚約も同時に発表される予定だった。
 皇女としての最も大切な役割は、皇統を絶やさぬために子孫を残すことである。そして、その相手は顔さえも知らない政略で決められた他国の皇族か王族であることがほとんどであった。
 今夜発表される婚約者も、ウストルジア海洋連邦の第二皇子であることしか知らされず、絵姿ひとつ見たこともない相手だった。

 ティアの美貌は、ムズンガルド大陸に鳴り響いていた。
 背中まで伸ばした淡紫色の髪は、高貴な薄紫色の絹のように滑らかな艶に輝き、右瞳は金色、左瞳は碧色のヘテロクロミア(虹彩異色)の瞳は、意志の強さと優しさを映し出していた。
 細く高い鼻梁に続く薄紅色の唇は、整った美貌が感じさせる冷たさを打ち消して可憐さを見る者に印象づけていた。細く長い手足と引き締まった肢体は、この数年で女性らしい曲線を描き、同年代の貴族たちの視線を集めるようになっていた。

 ティアは宮中儀礼や礼儀作法といった淑女としての教育よりも、剣術や馬術を好んだ。自ら近衛騎士団団長のヴォルフ=アナスタシア侯爵の元へ赴き、半ば強引に剣術を師事しており、その腕前は皇女としては異例の剣士クラスBになっていた。
 普段の服装もドレスを嫌い、男装と紛うほど動きやすい衣服を身に纏った。父親である皇帝を始め、周囲の貴族からは「男勝り」だの「じゃじゃ馬」だのと陰口を叩かれたが、ティアは一向に気にしなかった。

 そのティアが、「皇女としての務め」である婚約に反発したのは、当然であり必然であった。
 ティアは今朝、アナスタシア侯爵の長男であり乳兄弟のアルバートと一緒に、暗いうちに城を抜け出して冒険者ギルドを目指した。世間知らずのティアが皇族の身分を捨てて生きていくためには、以前から憧れていた冒険者になること以外に思いつかなかったのだ。

 冒険者ギルドは一日中営業をしている。しかし、真夜中に冒険者登録をするなど、受付嬢の不審を買うだけであることはティアにもよく分かっていた。
 冒険者ギルドが最も忙しい時間帯は、朝の四つ鐘から五つ鐘の間のおよそニザンだった。多くの冒険者たちが、その日に受ける依頼の受注登録をするために混み合うのだ。
 ティアたちはその時間帯を避け、朝の六つ鐘頃に冒険者ギルドを訪れて、冒険者登録を行うつもりだった。それまでの間は、冒険者ギルドのある西クリスタル通りの路地裏に身を潜め、厨房から失敬してきたパンを囓りながら時間を潰した。

「ティア、本気で冒険者になるつもりなのか?」
アルバートが半ば諦めた口調で訊ねてきた。
「もちろん、本気よ。私、まだ結婚なんて考えてもいないし、何よりも色々な国々を廻って色々な経験をしたいの。それには、冒険者が一番だわ」
 ヘテロクロミアの瞳がまっすぐにアルバートの端正な顔を見つめた。

 アルバートはティアと同じ十七歳だ。誕生日は一月ほどアルバートの方が早かったが、アルバートの母であるセシリアはティアの乳母でもあった。そのため、幼い頃から乳兄弟として育ったアルバートは、ティアにとって最も身近な友人であり、理解者であった。
 アルバートの父親はユピテル皇国近衛騎士団の団長ヴォルフ=アナスタシア侯爵であり、ティアの剣術の師でもあった。そして、アルバート自身も剣士クラスBの実力の持ち主であり、ティアと剣技を競い合う良きライバルだった。

「まったく……。昔からお前は変わらないな。一度言い出したら、人が何を言っても聞きやしない」
 アルバートが大きくため息をついた。
「私の性格なんて、あなたが一番よく知っているでしょ。今更何を言ってるの?」
 心を許した微笑を浮かべ、ティアはアルバートの黒瞳を見上げた。
 アルバートの背はティアより拳二つほど高い。おそらく百八十セグメッツェくらいだと思われた。百六十五セグメッツェで成長が止まったティアは、幼い頃には自分の方が高かったのにと悔しい思いを抱いていた。
「まあな。おかげで俺まで冒険者の仲間入りだ。お前といると退屈しなくて嬉しいよ」
「嫌なら、今から帰ってもいいのよ。私、あなたに挨拶に行っただけで、一緒に来て欲しいなんて一言も言ってないわ」
 アルバートから顔を背けて、ティアが言った。それが本心とは違う言葉であることは、自分が一番知っていた。
 ティアが夜中にアルバートの居室を訪れ、城を抜けて冒険者になることを告げると、アルバートは止めもせずに「一緒に行く」と一言だけ告げてついてきてくれたのだ。その言葉は、ティアが今までの人生で最も嬉しい言葉だった。

「ティア、こっちを向け」
 笑いを含んだ声で、アルバートが告げた。
「何よ……」
 照れ隠しに怒ったような声で訊ねながら、ティアはアルバートに振り向いた。
「誕生日、おめでとう」
 そう告げるとアルバートは、顔を隠すために目深にかぶっていたティアのフードを外し、白銀のネックレスを細い首につけてきた。
 ネックレスの先には、瑠璃色に輝く美しい宝石があった。宝石の大きさは一セクメッツェ以上あり、複雑な多面カットが施されていた。月明かりを反射して神秘的な輝きを放つ宝石に、思わずティアは見蕩れた。
「アルバート、これって……」
 ヘテロクロミアの瞳を驚きに大きく見開き、ティアはアルバートの顔を見つめた。
「『蒼穹の乙女』だ。母からもらった」

 『蒼穹の乙女』は、かつてイレナスーン帝国との大戦で大きな功績があったアナスタシア侯爵に、皇帝が下賜したユピテル皇国の宝玉だった。アナスタシア侯爵はそれをアルバートの母であるセシリアに求婚するときに渡したと聞いていた。

「こんな大切な物、もらえないわ……」
「母は『蒼穹の乙女』を俺に渡す時に、こう告げた……」
 ティアの言葉を遮るように、アルバートが言った。
「あなたが最も大切な女性に渡しなさい……と」
 アルバートの黒瞳が、優しい光を浮かべながらティアを見つめた。
「アルバート……」
「ティア、お前を……愛している」
 アルバートの顔が近づき、ティアの唇を塞いだ。力強い両腕がティアの背中に廻され、優しく抱きしめられた。
 驚きに見開いた瞳を閉じると、ティアはアルバートの首におずおずと手を廻した。

 アルバートがティアの唇を割り、ティアの舌を絡め取った。お互いの唾液を塗りつけるかのように、アルバートは震えるティアの舌を舐めながら転がし、ネットリと絡めた。
「ん……ん、んぁ……」
 ティアが熱い吐息を漏らし始めた。背筋をゾクゾクとした感覚が舐め上げ、躰の芯が蕩けるように熱くなってきた。
(こんなの、知らない……頭がボウッとして、力が抜けちゃう……)

 アルバートが唇を離した。お互いの唾液が細い糸となって月の光を反射し、キラリと煌めきを放った。
「はぁ……はぁ……」
 ティアは弛緩した躰をアルバートに預けると、トロンと蕩けたヘテロクロミアの瞳で彼を見上げた。半開きになった唇は、唾液に塗れて濡れていた。
「そんな顔、他の奴には絶対に見せるなよ」
 ティアの左頬を右手で優しく包むと、アルバートは再び唇を塞いだ。
「んぅ……んは……ん、んぁ……」
 真っ赤に染まった目尻から涙が滲み出た。膝がガクガクと震え、総身から力が抜けていった。
(気持ちいい……だめ、立ってられない……)
 ぐったりと躰を預けてきたティアを抱きとめると、アルバートが唇を離した。

「はぁあ……」
 アルバートの胸の中で、ティアが熱く長い吐息を漏らした。
「初めてか、こういうのは……?」
 アルバートの言葉に、ティアが顔を上げた。官能に蕩けきった瞳はボウッと焦点を失い、熱い吐息を漏らしている唇からは涎が糸を垂らしていた。
「知らない……わ」
 アルバートの黒瞳がまっすぐに自分を見つめていることに気づき、ティアは羞恥のあまり顔を真っ赤に染め上げて視線を逸らした。
「どんなに剣が強くなっても、お前は女だ。俺が護ってやる」
 そう告げると、アルバートは腕に力を込めてティアの細い躰を抱きしめた。
「アルバート……好き」
 安心したように躰を預けると、無意識にティアの唇からその言葉が漏れた。

 その時、アルバートの全身がビクンと震撼し、筋肉に緊張が走った。
「アルバート?」
 ティアが驚いて顔を上げると、アルバートが今まで見たこともないほどの厳しい表情を浮かべて叫んだ。
「誰だ!」
 アルバートが左手でティアを押しのけ、背後に庇った。足を半身に開き、右手で剣の柄を握っていつでも抜刀できる体勢になった。

 ティアは路地裏の建物とアルバートの背に挟まれる位置に立たされた。何が起こっているのかも分からず、ヘテロクロミアの瞳が不安に彩られた。
 ティアたちの右手から三名、左手から二名の男が近づいてきた。
 全員が黒い覆面で顔を隠し、右手に抜き身の剣を提げていた。音を立てずに移動する足捌きから、かなり訓練された使い手であることが見て取れた。
「やれ……!」
 右手の中央にいる男が短く告げた。
 その言葉と同時に、左右から二人ずつアルバートを目がけて斬りかかってきた。

「アルバートは右を!」
 そう叫ぶと同時に、ティアは腰の剣を抜刀し、左手前の男が振り下ろしてきた剣を防いだ。
 キンっと言う音と同時に火花が散った。
 次の瞬間、左奥の男の剣が、ティア目がけて振り下ろされた。
 ティアは半身になって剣を避けると、大きく後ろに飛んで距離を取った。だが、手前の男はティアが着地する瞬間を狙ってきた。
 男は左下から右上にかけて逆袈裟に斬り上げた。ティアは間一髪で避けたが、外套を斬り裂かれた。
(できる……!)

 ティアは剣士クラスBだ。S、A、B、C、D、E、Fと七段階あるクラスの中で、上から三番目だった。クラスB以上であれば、ユピテル皇国最強と言われる銀龍騎士団へも入団できる実力を認められていた。
 だが、男たちの剣技や連携は、確実にティアよりも上だった。一瞬の気を抜くことも出来ずに、ティアは必死で男たちの剣を避けた。呼吸さえもままならず、鋭く重い一撃を受け止めるごとに、ティアの体力は著しく削られた。
 ティアは大きく後ろに飛び退いて、男たちから距離を取った。全身から汗を流し、肩を切らせてせわしなく息をした。男たちの連撃を何度も受け止めたため、剣を持つ手が痺れてブルブルと震えた。

(アルバートは……?)
 ティアが二人でも苦戦しているのに、アルバートは三人を相手にしていたはずだった。
 右手に視線を移し、ティアはアルバートの姿を探した。
 その瞬間、凄まじい絶叫が響き渡った。
「ぐわぁあ!」
 アルバートが袈裟懸けに斬られ、断末魔の声を上げながら倒れ込む姿が、ヘテロクロミアの瞳に映った。

「アルバートッ!」
 ティアの意識が完全にアルバートに移った。無意識にアルバートに向かって駆けだした。
 その隙を男たちが見逃すはずがなかった。手前にいた男が剣を峰に返すと、水平に薙いだ。
 剣の峰がティアの脇腹を打った。
「ぐふっ!」
 左脇腹に凄まじい激痛が走り、ティアの視界が暗転した。
(アルバート……)
 愛する者が斬られた光景を瞼の裏に焼き付けながら、ティアは意識を失った。
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