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動き始める歯車に嘘をついた鬼
第三話
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日の光がふんだんに部屋の中に入り込むように設計された事務所の中、窓際にある社長椅子に座り、中川理矢は難しい顔で一枚の書類を睨みつけていた。
「……この二日間、被害なししゃいか」
外の喧騒がわずかに部屋の中に入り込む。その小さな音がかき消してしまいそうなほど弱弱しい声で理矢は目の前の人物に問いかける。掻き消えてしまえばいいと心のどこかで望みながら。そんなどうしようもない抵抗を知りながら青年は笑う。
「はい。警察機関、病院機関、何処を探してもこの二日間被害者らしき者がでた気配はなし。夜の見回りでも被害者の姿は愚か、本人の姿さえ見付けることが出来ませんでした」
理矢の声とは対照的なはきはきとした声が耳に届く。脳にまで届こうとするのをどうにか追い払えないだろうかと考えながら睨みつけた書類を薙ぎ払う。外からやってきた風が書類を飛ばす。何処かへ行ってしまえと理矢が見つめるのにそれはなんなく清水の手に収まった。そもそも狭い事務所の中、どこか遠くへ追い払うことなどできはしなかったのだと細い息を吐き出した理矢は己の愚かな考えをあざ笑う。
どれだけ逃げようとしたところで現実からは逃げ出せはしない。逃げだしてはいけない。
それが自分がしなくてはいけないことであるなら受け入れなくてはいけないのだと、いつものように笑い続ける青年を見て言い聞かせる。
「……そう。おかしいしゃいね」
やっと声が出せた。その事に密かに安堵と を覚えながら理矢は書類に投げ抱えていた視線を清水に向ける。
「ここ最近はひっきりなしに起きてたって言うのにしゃいね」
「被害者も一日に何人もでていましたからね。どうしてでしょうか」
ことりといつもの笑みのまま首をかしげる青年に理矢は腕組みをして考える姿を取る。何処かにいる思考を停止してしまいたいと思う自分を感じながら、抑え込んで何とか考える。
「警戒して?」
ごちゃごちゃに揺れる思考の隙間。何とか出した一つの考え。だがそれが正解ではないことは考えるまでも分かっていた。時間をただ引き延ばしているだけ。そうと分かりながらも清水はそんな意味のない言葉に付き合ってくれる。
「何を?」
逃がしてくれるわけじゃない。言葉にしている間に思考をまとめさせようとしているだけだ。つくづく自分の部下は優秀だと思いながら会話を進める。
「さあ? 私達とか、他の祓い屋機関とか。まあこの辺の町で勝手に妖怪を祓う奴らもいないと思うけど、でも」
「警戒心だけで動きを止めるような奴ですか」
続けようとした言葉はなんなく飲み込まれる。正しい言葉。少しでも寄り道をしようとあがくのを正しい道筋に連れて行こうとする。
「違うしゃいね。そもそももうそんなことができるはずもないしゃい」
「ええ、だからこういう事になっているんですしね」
「そうしゃいよね……。じゃあ、何があったんしゃいかしら」
諦めて軌道修正。泣き出しそうな顔をする理矢を前に清水は変わらず薄く笑ったまま言葉を紡ぐ。その笑顔を前にして理矢は考える。逃げ出したいと思う心を封印して、ぐちゃぐちゃの思考を一つ一つひも解いて答えを探す。
「まさか……」
思いついた答えに顔から血の気が引いていくのが分かった。青年がゆったりと笑った。
「それは、想定しうる限りの最悪の展開ですね」
焦りのない落ち着いた声が告げる。それとは正反対に理矢の心臓はバクバクと脈を打ち、額からは汗が流れ落ちる。息をするのを忘れたかのように理矢の口は開閉を繰り返し、何かを言おうとする。そしてやっと言えた一言に変わらない笑みをはダメ出しをする。
「まだ、早いはずしゃい」
「ええ、予定では」
予定は未定。そんな言葉が頭の中を浮かんだ。時が止まる感覚がした。カチコチカチコチと部屋の中の時計は音を立てるのに理矢の中の時間だけは止まってしまったような。
「……」
苦しい息を吐き出した。この場から逃げたいと死ぬほど思った。それでも理矢は笑顔を見る。
「清水優貴」
「何でしょう」
「この書類の始末、全部任せて良い」
「よいわけないでしょう」
「……じゃあ、期限を送らせるように連絡しといてしゃい。私、今から用事が出来たしゃいよ」
「仕方ありませんね。分かりました」
返事を聞くや否や理矢は部屋の中から飛び出した。見ないふりしてここまで来た。やるべきことは一つだと分かっていながら、それでも気付かないふりをし続けた。もう遅いのは分かっている。だけどやるべきことなすべきことをやる前に理矢はもう一度だけあがいておきたかった。
最後の瞬間どうしてもそう思ってしまった。
2
葉水学園、図書室。そこではいつものように騒がしい声が聞こえていた。その中で一際高い声が響く。
「ねぇ、尾神君。今日の帰り、みんなで寄り道しましょう」
一人離れて静かに本を読んでいた蓮ににこやかな笑みを浮かべて少女、沙魔敷猫は話しかけていた。にこにこと楽しそうに笑いながら輝く目で蓮を見つめる。そんな沙魔敷猫にまるで気づいてないとでも言うように蓮は本に視線を向けたまま顔を上げなかった。もちろん答えることなどしない
だが沙魔敷猫はそんな蓮に不満になることはなく、さらに笑みを強くする。
「返事しないって事は良いって事よね。じゃあ、決定! もう決定! 今からいやって言っても無理だからね。逃げようとしてもみんなで連れて行くから。うん、じゃあ、宜しく」
パンと手が音を立てて叩かれた。逃げていく沙魔敷猫。興味なさそうにしている蓮の代わりに周りがため息を吐いた。
「なんだい、あれは。押しつけ強盗かい」
目頭を押さえ呆れたように首を振ったのは少年、小柴。それに近くにいた少女、常原は肩をすくめて答えた。
「さあ? というか、みんなには誰がはいとるんや」
「僕は言われてないから。セーフだ」
「その考えやと、わしもセーフやな」
「じゃあ、他の子か」
自分たちが安全地帯にいると自分たちだけで確認した二人は彼ら的には生贄ともいえる存在を探すために周りを見回した。そうしてみると先ほどまでワイワイ楽しそうにしていたはずの一年生軍団がなぜか今はどんよりとしているのに気付く。小柴と常原、彼ら二人はにんまりと笑う。自分たちが関係ないことが証明されたのだ。
「下井ちゃん。あの子、いきなりどうしたの」
自分たちさえ安全だと思えば、湧いてくるのは野次馬魂だ。どうしてこんな事になっているのか気になってしょうがない。もうすでに疲れ切った姿をしている一年生の中で比較的ましな少女、真理亜に声をかけるだが求めていた答えは返らなかった。
「さあ? 分かりません。ただ昼休みにやってきてこの事の了承は取っていましたよ。と言うわけで私も行ってきます。不安なので」
首を傾ける彼女もよく分かってないようだった。ただ何かよくないことが起きるかもしれないのはよく分かっている。最後に続けた言葉に先輩二人も強く頷いた。
「そう。くれぐれも気を付けてね。張り切ってる山岡ちゃんとか何やらかすか分からないから」
「はい」
三人は神妙な顔で頷きあった。その横で一年生軍団はどんよりし続け、一人沙魔敷猫だけが楽しそうに鼻歌を歌う。そして、一人我関せず蓮が本を読んでいた。
3
葉水学園高等部北舎四階の一番奥、そこにこの学校の図書室は存在する。 夕暮れ時も少し過ぎどこの部活も終わり、学校から人が消えた時刻。その場所にまだ一人だけ生徒がいた。その彼は図書館のカウンターで暇そうに頬杖をついて時計をちらちらと見ていた。
人のいない学校は普段の騒々しさが嘘のように静かで何処か非日常感すらも漂う。彼の息遣いの一つ一つが響く。そんな世界。そこにカツンカツンという音が響いた。暇そうにしていた彼が扉の方をみる。響いた足音が図書館の前でとまり、扉が開く。
「先輩、久しぶりしゃいよ」
「遅い。遅刻にもほどがあるだろ」
にこやかな笑顔を浮かべて理矢が顔を出す。その瞬間に掛かった声に理矢の数が思わず強張る。
「ごめんなさい。色々やってたらじかんかかったんしゃい」
「まあ、良いけど。君が忙しいのは知ってるしね。で、今日はなんのよう。なんてね。今君が来るような用事は一つしかないのはわかってるよ。彼女の件だろ」
「さすが小柴先輩しゃいね。で、あいつの様子は今どうなんしゃい」
彼は図書室にて活動している図書部の部長、小柴裕太だった。彼は理矢を見ながら深いため息をつく。
「彼女ならもう無理だろ。日に日におかしくなっていく。手遅れになるのも時間の問題でしょ」
温もりの感じない淡々とした冷たい声だった。理矢をみる目も冷たくどうしようもないと訴えてくる。いい加減にしろと言ってくるようだった。
「早く終わらせてやりなよ。僕らはみんな君の決めた道についていくって決めてるんだから。どうなろうと大丈夫だよ」
「わかってるしゃいよ。今日はアイツもう家しゃいかね」
「いや、今日はまだ家じゃないと思うよ。さーちゃんたちと出掛けるって話だよ。今週は他校から交流会で人も来てるからその子と交流を深めるためにね」
「へえーー、そう。ってことはいつものデパートとかかしらね。
ちょっと言ってくるしゃいよ」
「そう行ってらっしゃい」
3
日が暮れ始める夕方。部活も終わり約束など何のその真っ先に帰ろうとした蓮は少女たち、主に沙魔敷猫に捕まり、強制的にデパートへ連れてこられていた。学校周辺で一番でかいデパートは学校帰りの生徒たちの遊び場となっており、ちらほらと彼女らと同じ制服を着た生徒たちも見えた。
「何処行く?」
人のたくさんいるその場所で真っ先に声を上げたのは沙魔敷猫だった。先頭を歩いていた彼女はスカートをたなびかせ振り返り、楽しそうに後ろにいた五人に笑いかける。
「何処でも言い」
対する五人はまたに疲れたという顔をしてそれぞれ深いため息を吐いたり下を見ているだけだった。何とか一人満里奈だけが何処か遠くを見つめながら沙魔敷猫の問いに答えるが、その際小さな声で帰りたいと誰かが呟いたのは聞こえないふりをされた。
「じゃあ、本屋かどっか食べ物屋」
「奢らない」
「チッ。何で真里阿は私が言おうとしたことを先読みするかな」
「分かり易いからだろ」
「たかるのはいつものことやしね」
「だってお金一銭も持ってないもん」
沙魔敷猫の提案にすかさず入る合いの手。なんだかんだ言いながら楽し気に少女たちは話しながら歩いている。そんな四人の少女に囲まれた蓮は逃げるのも面倒でどこに行くのかとも聞かずにただ黙々とついていく。誰の顔も見ることもなく話にも入らない姿は一見すると四人と共に来ているとは思われなさそうだった。そんな感じで歩いて五人が来たのは当たり障りのないフードコートだった。
「んじゃ、私はラーメンでも買ってくるか
「亜梨吹はハンバーガーにしよう」
「ドーナッツ買ってくるから亜梨吹はうちのぶんもよろしく」
「俺はじゃあ、どんぶりで肉一杯乗ってるやつにでもしてみるぜ」
「じゃあ、私は席に座って待ってるね」
入るなりばらばらに行動しだす四人。この隙に帰ってしまおうかと考えた蓮だったが蓮君も席いこうの声に合えなく失敗に終わる。普段来ることのない人混みの多い場所。体力的にはこちらが上でも慣れている分向こうが上だ。逃げたとしても捕まる可能性が多い。そう考えたうえで蓮はおとなしくついていく。空いた席の少ない中ちょうど六人分空いた席を見つけそこに座る。一言も会話などしていないが何故か沙魔敷猫は楽しそうに笑っていた。にこにこと笑った顔と無表情がぶつかり合い数分が過ぎた。もちろん蓮のほうから話しかけたりなどはしない。 あーーと、困ったような声が沙魔敷猫から出た時にはもうすでに五分以上の時間がたってからだった。
「おしゃべりしよ!おしゃべり」
少し慌てながらも言葉を紡ぐがそれに返ってくる言葉はなく。たくさんの人に心配されながらもこの企画を実行した沙魔敷猫は今更ながらに焦っていた。何度か口が言葉を紡ごうと意味のない音を漏らす。必死に考えているのか額からは脂汗
にじり出ていた。そしてあっと彼女は声をあげる。
「蓮君のところの部活ってどんな感じ!」
口から出た苦し紛れの一言は、それでもなかなかいい質問じゃないと彼女に自信をつけさせた。
「……」
がその質問に蓮は答えない。まあ、そうだろうなと他の人たちがいたら思うだろう。もうあきらめて帰ろうぜと他の四人がいたら確実に出だしただろうが、残念ながら今ここにはいなかった。一度では諦めず沙魔敷猫は何度も同じ質問を繰り返す。
「ねえ、答えてよ」
キラキラとしたまなざしで蓮を覗き込んで沙魔敷猫は聞いた。数分近く静かな時間が続く。何も答えない蓮。だがキラキラとした目だけは変わらない。ねぇねぇって何度も蓮に声をかけた。最初は答えなかった蓮ももはや根負けするしかほかない。
「……少ない」
小さな声での答えだった。聞こえなくても別にいい。むしろ聞こえないほうがいいぐらいの声だった。その目論見通り人混みの喧騒のなか消え去ったように思えた声はだがちゃんと届いていた。キラキラとした目がさらに輝いて口を開く。ああやってしまったなと蓮は思った。この手のタイプは一度答えてしまえば後は
「少ない? なにが? もしかして人数が何人?」 調子にのって何度でも問いかけてくる。
「ねえねえねえ!!」
みを乗り出して問いかけてくる沙魔敷猫。蓮は深いため息をつきたくなりながらもなんの反応もしない無言を押し通す。
「ねえなんにんってば。答えてよ!」
きらきらきら。輝き続ける瞳に。顔に浮かび続ける満面の笑顔。よくやるもんだとだんまりを貫き通す蓮は思う。あまりにうるさすぎて答えそうになりながら答えないように気を付ける
「あ、じゃあさ、部長さんとかどんな人??優しい? それに部活ってどんなことしてるの? ねえねえ。そうだ!他にも好きな食べ物とか好きな色とか好きな芸能人とか教えてよ。ねえ、蓮君」
にこにこにこきらきら
ふつうにみれば可愛らしい笑みだろう。だが数分近く声をかけられ続ける蓮にしてみれば悪魔のようなえみだった。絶対に答えようとしない蓮なのに質問は終わりなく続く。誰かこれをどうにかしろとうつむいていた顔をあげ、蓮は半目で固まった。じっと蓮が喋り続ける沙魔敷猫のそのさらに奥を見つめる。一向に止みそうになかった質問の嵐はその視線に気付いて止まる。ん?と首を傾ける彼女に蓮は指で自分が見ている方向を指す。それにつられるように沙魔敷猫もその方向をみる。彼女の顔がぱっと明るくなる。げっと言う声がした。
「みんな!!もう買ってきたの。ならほら早く座りなよ。おしゃべりしよう」
「ちっ。見つかったか」
「さーが蓮に夢中になってる間に逃げる作戦が」
「ちょ、みんなひどいよ! 逃げる必要ないでしょ」
「だってめんどい」
「二人で楽しんでくれ」
五人の少女たちが楽しそうに言い合う。あかんべーと四人側の少女が舌をだす。一人側の少女はぷんすかぷんとほほを膨らませる。賑やかなその雰囲気は長くは続かなかった。ハッと四人の動きが固まったからだ。沙魔敷猫に向いていた四人の視線がその手前にいる蓮に向かう。そこには凍えそうなほど冷たい目をした蓮が四人を見つめていた。逃げたら殺すそんな言葉が聞こえてきそうな目だった。
「みんな友達がいないよね!!たまにぐらい遊んでくれても言いと思うんだよ。とくに真里亜とかはさ部活忙しいっていつも遊んでくれないし!あ、でも亜梨吹とかも最近は遊んでくれないよね!」
四人が固まり黙ったのにも気付かず文句を言いまくる沙魔敷猫。そんな彼女を囲むように四人は静かに席に座り込んだ。決して蓮の目はみなかったし、隣にいく勇気を持つものもいなかった。
「ねえねえ、聞いてるの!」
「聞いてる聞いてる」
「で、なに話してたんや」
「あ、そうそう、蓮君のこと色々聞いてたんだよ」
「へぇ、答えてくれたんだ」
「いや、別に聞いてただけで答えてはないんじゃない」
「さーそういうところあるしな」
「で、蓮君は好きな食べ物なんなの??」
「……」
沈黙が続いた。四人が来てさえも蓮はかわりない態度を続ける。いや、目はだいぶ冷たくなっているけど
「えー、じゃあ嫌いな食べ物は。あ、好きな本とか、普段何してる」
沈黙を破るように続いたのはまたも沙魔敷猫の怒涛の質問だ。四人がそれをどんびいて見つめた。蓮は無言を貫く。
「え、なんやあれ。ばかなん。さーばかなん」
「さーは昔からバカだろ」
「いや、しても酷くなっとるような気がするのは亜梨吹の気のせい」
「気のせい。気のせい。気のせいではないとおもうけど」
「駄目じゃん
小声で四人が続ける。その横ではいまだに怒涛の質問が続いている。
賑やかな時間が過ぎていた。
四人はのんびりとご飯を食べて、一人だけが質問を続け、蓮はそれをうんざりした様子で無言でやり過ごす。しばらく六人が騒いでいると、その内の一人が不意に動きが止まった。
「どうしたの、亜梨吹」
「ぁ……、いや、ちょっともう帰らなくちゃなって」
あわただしく動く少女を周りが見る。
「えーー。もう?」
拗ねた振りをする少女に返ると言った少女は何度か頭を下げる。そして、
「用事あるから。ちょっと帰る」
それだけ言うとパッと席を立って、小走りで帰ってしまった。その後を五人が見ていた。
「変なの」
「まあ、用事があるんだろう」
「……」
一人の少女が僅かに俯いて震えていた。蓮がそれを見た。彼も立ち上がる。
「尾神君?」
「俺も帰る」
「え? もっといようよ」
「……帰る」
短く呟き蓮は歩き出した。その瞳は真っ直ぐ前を向いて。
「悪く思うなよ……」
誰かに呟きながら
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「これでよかったの?」
黒い殺風景な光景の中、一人佇む少女は暗闇の中に呟いた。鈴の音が軽やかに空気を震わせる。
「ああ、これでよかったんじゃよ。ありがとの」
しわがれながらも凛とした不思議な声が答える。だがその場には誰もいないまま。少女はそれが当たり前のように言葉を続ける。
「ううん。礼なんて言われちゃダメなの。だってこれは私のわがままなんだもん。ねえ、これで本当にす……、私の罪を償うことができるの?」
ちりんちりん。空気は揺れる。冷たい雰囲気のその場所にふわりと暖かい風が吹く。されど顔を深く俯かせた少女はそんなことにも気づかない。虚無を抱えた瞳を足元の暗い暗い闇に投げかける。
「大丈夫じゃよ」
誰かの優しげな声がその場に響く。慈愛を多く含んだその声は少女を包み込む。
「何一つ心配することなどない。これですべては変わる。そして、これで少なくともあの子供は救われる。他の子供らもうまくゆけばみんな救われる。もう何一つ気にする必要などないのじゃよ。
じゃから、もう大丈夫」
囁くようなその声。少女は暗い闇からその目を上げる。何処を見つめていいのかも分からぬその目はうつろに宙を見つめ、うんと空気にさえ霞むほどの声が少女の青白い口から出ていく。力なく垂れ下がった手は何かを求めるように開かれたまま。
「ねえ、彼は何なの」
何処とはない場所を見つめ、少女はつぶやく。闇を震わせる鈴の音が一際大きく鳴った。
「約束じゃよ」
しゃがれた声が告げる。まるで内緒の秘め事を告げるかのように潜めた穏やかな口調で。何かがふっふと笑う気配が空気を震わせて、その場の雰囲気を変える。温かな風が空間を支配する。
「約束?」
不思議そうにつぶやく少女に見えない何かは穏やかに笑う。
「そう約束。たとえ忘れられていようと果たされなければならない大切な約束。たとえ忘れていようと果たされる日を待ち続ける何よりも大事な約束。
その約束の相手。
漸く妾らの前に現れたのじゃ。あやつが本当に約束を果たすというのなら、妾らの望みぐらい簡単に叶えてくれる筈じゃ。だからのう、心配しなくて大丈夫じゃよ」
暗闇の中に響く声。その声に導かれるように少女はそっと目を閉じる。
5
デパートの外にでて人気のないところまで来て少女、亜梨吹は壁にもたれ掛かった。
げほげほと激しい咳が亜梨吹からでる。
ずるずると足の力が抜けていくのに合わせ、身体が下がっていく。息が荒い。両腕を胸の前でくろすさせて自分を抱きしめるような格好をする。腕に立てた爪が皮膚をも食い破ろうとしていた。強く噛みしめた唇から血が流れていく。
痛みに耐えるように悶えながら、少女の瞳が普通の茶色から徐々に赤に変わり始めた。
そして、その容姿までもが変形していく。
肩までの短かった髪が徐々に長くなり、茶色が金色に変わる。背が小さくなっていき小学生ぐらいにまでなる。いつの間にか服も制服ではなくなり黒のゴスロリに変わっていた。
悶えながら少女の口元には歪な笑みが広がっていく。後少しで少女の目が完璧なる赤に変わろうかとした時、それは聞こえた。
「へえ、そんな風に変わるもんなんだ」
少女が振り向く。金髪の吸血鬼が。少女の目に映ったのは黒い髪の少年だった。
尾神蓮。彼が吸血鬼を見て笑っている。口の端だけを歪にゆがめ自信ありげに見つめていた。
赤い眼が揺れた。滲むように青い光が現れる。
「お、がみくん……」
蓮が吸血鬼をじっと見た。
「まあ、予想通りというか絶対そうだと思ってたわけだけど、あんただったわけだね。倉田亜梨吹だったけ?」
蓮が言葉にするのに吸血鬼が大きく揺れる。
「なんで……」
「何でて、二度も襲われたんだ。報復ぐらいしてもいいんじゃないの?」
首を傾げる蓮に亜梨吹の背筋が震えた。だがそれと同時に彼女の神経は侵されている。青を赤色がすべて覆い隠し、口元がニヤリと歪む。
酷く冷めた色のない目で蓮がそれを見た。
「た、べたい」
僅かに聞こえた掠れた声に笑う。自分の力に絶対の自信を持った挑発する笑みだ
「食べれるもんならやってみなよ」
その笑みに乗せられたかのように吸血鬼は足を踏み出した。襲い来る吸血鬼。身をかがめてその腹に右の拳を一撃お見舞いする。それだけで吹き飛び、血に伏せる吸血鬼に蓮が笑う。
「無理だと思うけどね」
まじりあう二つの色。赤い眼が青い目に変わろうとする。震える唇で必死に言葉を紡ごうとする。
「け、ん……」
名を紡ごうとしたその口を蓮がふさいだ。さめざめとした目が青の瞳を射抜く。
「逃げれると思うなよ。こっちは二回も襲われて苛ついているんだ。どうして襲ってきたのか教えて貰おうじゃないか。それともう二度と関わらないようにしとかないとね」
口をふさがれた吸血鬼、亜梨吹の怯えた眼が連を見てた。
「何で……」
「何でて、人の平穏を奪っておいて変なこと聞くなよ。俺は平穏に暮らしたいんだ。それを奪うような真似をしたのが悪い」
蓮の言葉に亜梨吹の肩が震えた。怯えるように青い眼は揺れ動きヒューヒューとかすれた吐息が彼女の口から洩れた。
「平穏って」
紡がれる言葉に静かな瞳が僅かに動いた。傾けられる耳。
「亜梨吹だって出来るなら平温に暮らしたかったき。悪かったな。それ、でも仕方ないやん。止めれんものは無理なんや。亜梨吹だって……」
「ストップ」
つむがれていく言葉に短く止めの言葉を言い渡す。その口調も顔も全部が何かを恐れてあせていた。
「変なことは言わないでくれる。あんたのこと何てどうでも良いから。
俺はもう襲わないって約束して貰えたらそれで良いの」
蓮の一方的な言い分を亜梨吹は苦しげに顔を歪めながら聞いていた。その口が自嘲的に歪む。蓮の瞳に映る自分を愚かな物を見る目で見ていた。
「そんなん、できん。そん、な、もうできん」
亜梨吹の声が掠れていく。青い瞳が翳り赤になっていく。やばいと蓮は咄嗟に体を離した。
赤い眼が笑う。
蓮の首を狙い、攻撃をしてくるのに、蓮はよけ、そして後ろがわに回る。腕を捕まえ、うつぶせに地面に押し倒す。背に乗り上げ暴れようとする動きを封じ込んだ。
「一体、何なの、これは」
誰に聞かせるでもなく一人呟く。暴れる亜梨吹の首元に手を押さえるのとは別の手を当てた。とすりと手刀を叩き込む。クラリと吸血鬼の頭が落ちた。
「起きるまで待つべきかな……」
考える蓮の耳に誰かの足音が聞こえた。
振り返る。蓮はその人を驚きの眼差しで見た。その人もまた同じ眼差しで蓮を見ている。
「あんた……」
その人、理矢が蓮のことを指さした。そして、その下にいる亜梨吹を見て顔を青ざめる。瞬時、理矢の中で考えが巡る。そして、次の瞬間には動き出していた。すばやく二人の元にまで来ると蓮の手を掴む。
蓮が驚いて睨むように理矢を見た。
「何」
「こっち来てしゃい」
「はあ? 何で」
「いいしゃいから」
掴まれた手を放すことも蓮には出来た。ただ少し考えて、蓮はその手についていくことに決めた。
5
蓮が連れてこられたのは、あの場所からそう遠くない場所だった。建ち並ぶビルの隙間。少し遠くに目をやれば歩いていく人の姿が町の明かりの中くっきりと浮かんでいる。だがその人々が蓮の姿をみることはない。すぐ近くにあるのに喧騒も光りも二人には届かない。
そんな場所に連れてこられた蓮は理矢をじっと見つめた。走ったせいか荒くなった息を整えているただ三度会っただけの少女。だがこの少女が普通の人でないことを蓮はすでに知っている。この少女ならば自分が今何に巻き込まれようとしているのかその答えを持っていると思った。だからついてきた。
だが聞こうとして、その口は動きを止めた。空気を震わしかけながら、彼は迷ってしまった。聞くか聞かないな。悩んでしまった。
頭の中を様々な言葉が回る。それが答えを導き出す前にさきに理矢が動いた。
「あんた何で彼処にいたんしゃい
「どうでも良いだろ」
肩越しにのぞく理矢の目は何かを探るように蓮をみる。思わずでたのは素っ気ない言葉だ。だがそれに彼女が傷付いた様子はない。まあそういうだろうと予想していたかのように一つ首をたてに降ると、ふわりとスカートをたなびかせた。揺れるセーラー襟に目が釘つけになる。
理矢が着ている制服が今自分が放課後だけ通わされている高校、葉水学園のものだと今更ながらに気付いた。
理矢がにひりと笑う。
「そうしゃいか。まあ、でもそれより取り敢えず私の勘は当たったみたいしゃいね」
理矢が何をいっているのか理解できず蓮は僅かに首を傾げた。そんな蓮をみてさらに笑みを深めながら理矢は告げる。
「言ったしゃいでしょ。なんだかまた会えそうな気がするしゃいよって。
またあえたしゃいね」
理矢を蓮が見た。理矢もまた蓮を見た。
闇をも呑み込もうとする黒と、夕焼けにも朝焼けにも似た赤茶は、異なる色ながら似た何かを持っていた。
理矢が蓮に向けっておどけるように肩をあげて見せる。
「でも、びっくりしたしゃいよ。吸血鬼を探してみれば、その吸血鬼を人が押さえつけてるんしゃいから。怪我はないしゃいか」
「ない」
「そう。ならいいしゃい」
あっさりとした理矢から蓮は視線を一ミリたりとも外さなかった。その様子に今度は理矢が首を傾げる番だ。
「どうしたしゃい」
「何で、俺をあそこから連れ出したの」
「ああ、その事しゃい。だって起きてまた暴れたら大変しゃいからね。捕まえてたし良いかなともおもったんしゃいけど、あんたは一般人じゃいから。一般人を巻き込むのは好きじゃないんしゃいよ」
「逃げ、られたらどうするの。折角気絶させたのに」
「気絶させたんしゃいか? 一体どういう馬鹿力を持ってるんしゃいよ。いいんしゃいよ。一刻も早く終わらせなくちゃいけないことも確かしゃいけど、犯人は一応分かってるしゃいからね」
そう言ってそっぽを向く理矢。なるほどと一つ頷いた。
「あんたはアイツに襲われたんしゃいか」
蓮は問いに言葉をつめる。本当のことを言おうとして、だけど本当のことを言う理由など何処にもない。嘘をつくべきだと、それが何事もなく終わる道だと蓮の冷静な部分が告げた。それは厚く塗りたくって固めた表面上。でもいつの間にかその表面にはひび割れができていて覗いた隙間はどうしようもない何かを見せていた。そのなにかが蓮から冷静な判断を奪う。
「嫌」
たった二文字。だけど音に出してすぐに後悔した。今すぐ自分の首を力の限り締め上げて殺してしまいたいとさえ思った。
「なら、どうしたんしゃい」
聞かれると分かっていた問いを聞かれ、ああと細い息を気持ちだけで吐き出す。純粋に不思議そうな目。まだ逃げ出すことはできる。そう思うのに蓮の口は彼の意思関係なく動く。
「二回、襲われたからその仕返し……」
「襲われたんしゃい。いつ……」
後悔しながら音にした言葉に理矢の瞳が予想以上の驚きを見せた。ぴくりと指の先が動く。確かめるように相手を見据える。
「昨日と一昨日」
「昨日と、一昨日しゃい。なるほど……。だからか」
「なにが」
一人納得した様子の理矢に問いかけた。肩をすくめて彼女は答える。
「今まで結構な被害でてるんしゃいけど、その二日間だけ一切の被害がなかったから不思議に思ってたんしゃいよ。でも、それを聞いて納得したしゃい。今日、倒しているところとあんたが平気そうにしているところからみて、どうせ二回ともやり返したんでしょ
で、正気に戻って人を襲わないですんだってところしゃいね」
「正気」
ある一単語を繰り返す。やはりなと思う。やはりこの少女は知っている。自分が知りたいことを。知りたくないことを。知ってはいけないことを。
「意味は教えないしゃいよ」
聞こうかどうか一瞬の迷いが産まれた隙に先手を打たれていた。口を閉じる蓮に理矢はまた不思議そうな顔をして問いかける。
「で、仕返しって言うのは良いしゃいけど。どうやってアイツがここにいるのを見付けたんしゃいか。偶然?」
首をかしげた姿。それを見ながら蓮の心はその場にはおらず、意識せずにそのまま答えていた。
「嫌」
「じゃあ、どうしたんしゃい」
「あたりを付けてたから」
「あたり?」
「そう……倉田亜梨吹って奴が吸血鬼だと辺りを付けてたから」
蓮の言葉に理矢の目が鋭くなる。睨むわけではないが、それでも鋭い目で蓮を見た。 その目も意識には届かない。
「どうやってその辺りを付けたんしゃい」
「別に普通だよ。名前が同じ事。俺を最初に見た時の反応が初対面にしてはおかしかったこと。その後も俺に対して変に怯えていたからね」
「そう。……あんた何処で亜梨吹とあったんしゃい。接点とかとくにないように思うんだけど」
「部活で押しつけられた交流会の生徒」
「ああ、先輩が言ってたあれしゃいか。あんたのことだったんしゃいか。世の中って狭いものしゃいね……。
それとも運命しゃいかね」
ふっふと理矢が笑う。
何かを見つめるかのように細められた紅茶色。弛く持ち上げられた口角。決して美しいとは言えない少女だけどそんな姿はやけに強く目に焼き付く。
意識がはっとこの場所に戻り、運命という言葉が耳を打つ。
そんなはずはないと蓮は自分の中に言い聞かせた。そんなものもうとっくの昔に捨てたようなものではないかと。
男が何処かで自分を見て笑っている気がした。
「で、仕返しは気が済んだしゃいか」
咄嗟に心はすんだと言おうとした。だけど口は一欠片も動かなかった。ただ黙り込む。溜息の音が聞こえた。それをつきたいのは自分だと言いたいと思った。
「その様子じゃ、すんでなさそうしゃいね。でも、あんまり関わらない方が良いこともあるしゃいよ」
理矢の瞳が蓮を見る。蓮はまた意識を何処かに飛ばす。どうしたらいいのかなど彼自身分からない。どうしたら一番良い道なのか、どれが正解の道なのかはわかっているのに。
「そうだな」
震える声はやっと告げたかった言葉を告げる。でもその言葉を口にしながら蓮は思い出していた。
平穏と口にした彼女は泣いていた……。 赤い瞳が力をなくす度青い瞳は弱々しいながらも輝こうとしていた。全てを乗っ取られまいと必死に足掻いていた。苦痛に悶えながら必死に戦おうとしていた、
胸の奥がギリギリと痛む。
閉ざした大きな扉を何かが無理矢理押し開こうとしていた。理矢が言った言葉が頭の中をまわる。関わらない方が良いこともある、その通りだとも思った。その通りだと思いたい。今すぐにでも見ない振りをしなくてはとも思う。
だが、実際にはもう関わってしまったのだ。
男の姿が浮かんだ。
今度は何を失うことになるのだろう。十中八九もう今の場所には居られなくなる。関わってしまったことによりいまよりもっと酷い結果をもたらすかもしれない。それでももうどうしようもなかった。
だって、もう関わってしまった。
「それでも俺は知りたい。今、何が起きているのか。俺が巻き込まれたことがなんなのか。アイツに倉田亜梨吹に何があるのか。知ってこれからどうしたら良いのかを知りたい。それで終わらせてやりたいんだ」
真っ直ぐに理矢の目を貫いた。色を無くした無表情ではない。その目に強い輝きを乗せて。
圧倒された。息を止め見ていることしかできない。その先で彼は力強く言葉にする。
「だから俺に教えて。あんたが知ってること全てを。あんたはどうせ終わらせることなんてできないんだろう。それなら俺が終わらせてやるから」
すぐには言葉はでなかった。呆然とした目はじっと蓮を見ているのにまるでその瞳には写ってないかのようだった。理矢の頭の中は真っ白に染まり、今何処にいるのかそんなことすらも吹き飛んでただ白紙の頭の中、蓮の言葉だけが回り続ける。
「……教えるわけにはいかないしゃい。危険なことに一般人を巻き込むような真似はできないしゃいから」
ぐるぐると回り続ける頭の中、それでも口に出す建前。そんなものを蹴散らすように輝く目は見てきて。
「それでも俺は知りたい。危険もなにも全部承知してる。それでもただ見てるだけ何て嫌なんだ」
「あんたに何ができるっていうんしゃい」
建前の次に震える唇からでてきたのは醜い声。噛み締めた唇の裏から鉄の味が広がる。歪む視界。だけど蓮の姿だけは真っ直ぐにみえた。
「そんなの分からない。もしかしたらなにもできないのかもしれない。それでもどうにかしてみせる。
何がなんでも終わらせてみせる」
子供のわがままだと思った。何も知らない子供の我が儘。癇癪。大人がどれほど言い聞かせても諦めないで自分の望みが叶うまで泣き続ける。周囲にどれだけ滑稽に思われているかすらも知らない。
遠かった。理矢には蓮の姿が遠くにみえた。遠く遠くありながらはっきりとその姿を写し出す。
その中でも一等その目は強く見えていた。
細いため息が漏れた。どうしようもないほど心はざわついた
「分かったしゃいよ。あんたの目は本物しゃい。だから教えてあげる。と言っても軽くだけしゃいよ。全てを話すことはできないしゃい。私にも守秘義務と言うものがあるしゃいからね。それ以上が知りたければ亜梨吹自身に聞くんしゃいね」
蓮はわずかに口角をあげた。ただそれだけで早く話せと追い立てているのが分かる。瞳に宿った強い輝きは見えなくなったけど、それでもその目もその耳も何一つ聞き漏らすまいと向けられている。
「アイツは、倉田亜梨吹は吸血鬼しゃい。これはあんたももう知ってるしゃいでしょ。でもただの吸血鬼じゃない。飢えに負けた吸血鬼。飢えに意識を奪われ自我を無くしかけている。もうすぐただ人を襲う化け物に成り果てるんしゃい」
「意識を奪われた」
「そう。亜梨吹の意識は飢えという名の化け物に奪われかけている。だから一度夜が来て飢えに意識をの取られるともう誰の制止の声も聞こえないし、自分の思いとは裏腹にたくさんの血を吸い多くの犠牲をだすんしゃい。元に戻すには朝が来るのを待つか、もしくは飢えにもまさる大きな衝撃を与えるか……。あんたは与えれたみたいだけど結構それって大変なんしゃいよ」
「そう」
「そして完全に元に戻す方法があるとしたらそれは一つだけ。飢えをなくすことしゃい」
「元々亜梨吹が飢えているのは血を満足に吸えていないからなんしゃい。この場合の満足には腹が一杯になるまでとかそういう意味ではないんしゃい。元々彼女は少し特別な吸血鬼で、人間一人の血を一度だけで良いから吸うひつようがあったんしゃい。だけど亜梨吹は今までそれをしなかった。だから飢えにまけた。
つまり、その飢えをなくすためには人一人の血を吸わなくちゃいけないんしゃい
だけどこの方法を使うことはできないしゃい」
「すべての血を吸うことはその人の命を奪うことになるから。そんな方法をとらせるわけにはいかなき。何より亜梨吹自身もそんなことできないんしゃい」
見つめてくる瞳から目を反らしても伝わってくる。理矢は唇を噛みしめた。
「そう……。なら、仕方ない。他の方法を探す」
蓮が踵を返すのに理矢が無理よと叫ぼうとした。振り返らずに告げる。
「俺は、諦めるのは嫌いなんだ」
6
暗い部屋の中、男が唇を噛みしめた。普段から明かりのない部屋だが今はカーテンすら閉め切り一切の光がない。いつも付けっ放しにしているパソコンの電気すらも消えていた。そんな部屋で男はうずくまり女性に黒い眼を向ける。赤黒い口の中、喉の奥言葉が詰まったように出てこない。それでも男は言葉を紡ぐ。
いや、吐き出す。
「だから、だから嫌だったんだ」
血を吐いたんじゃないかと思えるような痛ましい声は色の分からない部屋の中、耳痛く届く。ああ、今この部屋は小さな電子音さえも消えた無音の部屋だ。そんな部屋に男の声は斬り付けるように深く重く沈む。
「そう」
だけど女性の声は涼やかだった。くつくつと笑みを浮かべて優しげに瞳を細める。嬉しいと声にならず、目に届かなくとも空気が伝えていた。
より強く男は唇を噛み締める。鉄の匂いが部屋の中をわずかに漂った。ギリリと骨がきしむような音が鳴る。
「まあ、そうよね。こういう結末になってしまうわよね」
歌うように女性が語る。これから先起こることすらも知っているというかのようにその声はのびやかだ。
「……なんで蓮はああなんだろう
激しい怒りさえもこもっていた男の声は諦めのものになっていた。声の中に潜む哀しさやいぶかりだけはそのままに怒りが呆れに変わる。目の前に彼が居れば殺してしまうんではないかと思うほどの恐ろしい眼をしていたのが今ではもうただの迷子の子供の目だった。
「ああ、だからでしょうね。良いじゃない。とても良い子だわ」
男の様子なんて声でしかわからない筈なのに女性はまるですべてを分かっているかのように子供をあやす優しい口調で答えていた。それに男は駄々をこねる。女性はあやしながら自らのエゴを口に乗せる
「……学習しないにも程があるよ。あれは、僕のなのに
「蓮はそう言う子なの。そう言う蓮が私は欲しいの」
「僕は嫌だ」
「あの子はね人が大好きなのよ。人嫌いにみせて、だけどあの子は人が好きなの。だから人が傷つく姿を見たくない。そんな姿を見るぐらいなら自分が傷ついたほうがマシだって本気で思っている。それだからあの子はどんな物を犠牲にしようと最後には人を助けに行くのよ。どれだけ縛ろうが閉じ込めようが心をぶち壊そうがあの子のそんな性分だけは壊せはしない。最終的にあの子は人を助けに行く。
仕方ないの。それがあの子なんだから。蓮が欲しいって言うならそれぐらい我慢しないと。
あなたがどれだけの痛みであの子を縛り付けたところで、あの子は人のもとに走り寄っていてしまうの。
それが私が何よりも必要とするあの子」
そんなあの子を私は手に入れる。女性の声が甘く響いた。
「……この二日間、被害なししゃいか」
外の喧騒がわずかに部屋の中に入り込む。その小さな音がかき消してしまいそうなほど弱弱しい声で理矢は目の前の人物に問いかける。掻き消えてしまえばいいと心のどこかで望みながら。そんなどうしようもない抵抗を知りながら青年は笑う。
「はい。警察機関、病院機関、何処を探してもこの二日間被害者らしき者がでた気配はなし。夜の見回りでも被害者の姿は愚か、本人の姿さえ見付けることが出来ませんでした」
理矢の声とは対照的なはきはきとした声が耳に届く。脳にまで届こうとするのをどうにか追い払えないだろうかと考えながら睨みつけた書類を薙ぎ払う。外からやってきた風が書類を飛ばす。何処かへ行ってしまえと理矢が見つめるのにそれはなんなく清水の手に収まった。そもそも狭い事務所の中、どこか遠くへ追い払うことなどできはしなかったのだと細い息を吐き出した理矢は己の愚かな考えをあざ笑う。
どれだけ逃げようとしたところで現実からは逃げ出せはしない。逃げだしてはいけない。
それが自分がしなくてはいけないことであるなら受け入れなくてはいけないのだと、いつものように笑い続ける青年を見て言い聞かせる。
「……そう。おかしいしゃいね」
やっと声が出せた。その事に密かに安堵と を覚えながら理矢は書類に投げ抱えていた視線を清水に向ける。
「ここ最近はひっきりなしに起きてたって言うのにしゃいね」
「被害者も一日に何人もでていましたからね。どうしてでしょうか」
ことりといつもの笑みのまま首をかしげる青年に理矢は腕組みをして考える姿を取る。何処かにいる思考を停止してしまいたいと思う自分を感じながら、抑え込んで何とか考える。
「警戒して?」
ごちゃごちゃに揺れる思考の隙間。何とか出した一つの考え。だがそれが正解ではないことは考えるまでも分かっていた。時間をただ引き延ばしているだけ。そうと分かりながらも清水はそんな意味のない言葉に付き合ってくれる。
「何を?」
逃がしてくれるわけじゃない。言葉にしている間に思考をまとめさせようとしているだけだ。つくづく自分の部下は優秀だと思いながら会話を進める。
「さあ? 私達とか、他の祓い屋機関とか。まあこの辺の町で勝手に妖怪を祓う奴らもいないと思うけど、でも」
「警戒心だけで動きを止めるような奴ですか」
続けようとした言葉はなんなく飲み込まれる。正しい言葉。少しでも寄り道をしようとあがくのを正しい道筋に連れて行こうとする。
「違うしゃいね。そもそももうそんなことができるはずもないしゃい」
「ええ、だからこういう事になっているんですしね」
「そうしゃいよね……。じゃあ、何があったんしゃいかしら」
諦めて軌道修正。泣き出しそうな顔をする理矢を前に清水は変わらず薄く笑ったまま言葉を紡ぐ。その笑顔を前にして理矢は考える。逃げ出したいと思う心を封印して、ぐちゃぐちゃの思考を一つ一つひも解いて答えを探す。
「まさか……」
思いついた答えに顔から血の気が引いていくのが分かった。青年がゆったりと笑った。
「それは、想定しうる限りの最悪の展開ですね」
焦りのない落ち着いた声が告げる。それとは正反対に理矢の心臓はバクバクと脈を打ち、額からは汗が流れ落ちる。息をするのを忘れたかのように理矢の口は開閉を繰り返し、何かを言おうとする。そしてやっと言えた一言に変わらない笑みをはダメ出しをする。
「まだ、早いはずしゃい」
「ええ、予定では」
予定は未定。そんな言葉が頭の中を浮かんだ。時が止まる感覚がした。カチコチカチコチと部屋の中の時計は音を立てるのに理矢の中の時間だけは止まってしまったような。
「……」
苦しい息を吐き出した。この場から逃げたいと死ぬほど思った。それでも理矢は笑顔を見る。
「清水優貴」
「何でしょう」
「この書類の始末、全部任せて良い」
「よいわけないでしょう」
「……じゃあ、期限を送らせるように連絡しといてしゃい。私、今から用事が出来たしゃいよ」
「仕方ありませんね。分かりました」
返事を聞くや否や理矢は部屋の中から飛び出した。見ないふりしてここまで来た。やるべきことは一つだと分かっていながら、それでも気付かないふりをし続けた。もう遅いのは分かっている。だけどやるべきことなすべきことをやる前に理矢はもう一度だけあがいておきたかった。
最後の瞬間どうしてもそう思ってしまった。
2
葉水学園、図書室。そこではいつものように騒がしい声が聞こえていた。その中で一際高い声が響く。
「ねぇ、尾神君。今日の帰り、みんなで寄り道しましょう」
一人離れて静かに本を読んでいた蓮ににこやかな笑みを浮かべて少女、沙魔敷猫は話しかけていた。にこにこと楽しそうに笑いながら輝く目で蓮を見つめる。そんな沙魔敷猫にまるで気づいてないとでも言うように蓮は本に視線を向けたまま顔を上げなかった。もちろん答えることなどしない
だが沙魔敷猫はそんな蓮に不満になることはなく、さらに笑みを強くする。
「返事しないって事は良いって事よね。じゃあ、決定! もう決定! 今からいやって言っても無理だからね。逃げようとしてもみんなで連れて行くから。うん、じゃあ、宜しく」
パンと手が音を立てて叩かれた。逃げていく沙魔敷猫。興味なさそうにしている蓮の代わりに周りがため息を吐いた。
「なんだい、あれは。押しつけ強盗かい」
目頭を押さえ呆れたように首を振ったのは少年、小柴。それに近くにいた少女、常原は肩をすくめて答えた。
「さあ? というか、みんなには誰がはいとるんや」
「僕は言われてないから。セーフだ」
「その考えやと、わしもセーフやな」
「じゃあ、他の子か」
自分たちが安全地帯にいると自分たちだけで確認した二人は彼ら的には生贄ともいえる存在を探すために周りを見回した。そうしてみると先ほどまでワイワイ楽しそうにしていたはずの一年生軍団がなぜか今はどんよりとしているのに気付く。小柴と常原、彼ら二人はにんまりと笑う。自分たちが関係ないことが証明されたのだ。
「下井ちゃん。あの子、いきなりどうしたの」
自分たちさえ安全だと思えば、湧いてくるのは野次馬魂だ。どうしてこんな事になっているのか気になってしょうがない。もうすでに疲れ切った姿をしている一年生の中で比較的ましな少女、真理亜に声をかけるだが求めていた答えは返らなかった。
「さあ? 分かりません。ただ昼休みにやってきてこの事の了承は取っていましたよ。と言うわけで私も行ってきます。不安なので」
首を傾ける彼女もよく分かってないようだった。ただ何かよくないことが起きるかもしれないのはよく分かっている。最後に続けた言葉に先輩二人も強く頷いた。
「そう。くれぐれも気を付けてね。張り切ってる山岡ちゃんとか何やらかすか分からないから」
「はい」
三人は神妙な顔で頷きあった。その横で一年生軍団はどんよりし続け、一人沙魔敷猫だけが楽しそうに鼻歌を歌う。そして、一人我関せず蓮が本を読んでいた。
3
葉水学園高等部北舎四階の一番奥、そこにこの学校の図書室は存在する。 夕暮れ時も少し過ぎどこの部活も終わり、学校から人が消えた時刻。その場所にまだ一人だけ生徒がいた。その彼は図書館のカウンターで暇そうに頬杖をついて時計をちらちらと見ていた。
人のいない学校は普段の騒々しさが嘘のように静かで何処か非日常感すらも漂う。彼の息遣いの一つ一つが響く。そんな世界。そこにカツンカツンという音が響いた。暇そうにしていた彼が扉の方をみる。響いた足音が図書館の前でとまり、扉が開く。
「先輩、久しぶりしゃいよ」
「遅い。遅刻にもほどがあるだろ」
にこやかな笑顔を浮かべて理矢が顔を出す。その瞬間に掛かった声に理矢の数が思わず強張る。
「ごめんなさい。色々やってたらじかんかかったんしゃい」
「まあ、良いけど。君が忙しいのは知ってるしね。で、今日はなんのよう。なんてね。今君が来るような用事は一つしかないのはわかってるよ。彼女の件だろ」
「さすが小柴先輩しゃいね。で、あいつの様子は今どうなんしゃい」
彼は図書室にて活動している図書部の部長、小柴裕太だった。彼は理矢を見ながら深いため息をつく。
「彼女ならもう無理だろ。日に日におかしくなっていく。手遅れになるのも時間の問題でしょ」
温もりの感じない淡々とした冷たい声だった。理矢をみる目も冷たくどうしようもないと訴えてくる。いい加減にしろと言ってくるようだった。
「早く終わらせてやりなよ。僕らはみんな君の決めた道についていくって決めてるんだから。どうなろうと大丈夫だよ」
「わかってるしゃいよ。今日はアイツもう家しゃいかね」
「いや、今日はまだ家じゃないと思うよ。さーちゃんたちと出掛けるって話だよ。今週は他校から交流会で人も来てるからその子と交流を深めるためにね」
「へえーー、そう。ってことはいつものデパートとかかしらね。
ちょっと言ってくるしゃいよ」
「そう行ってらっしゃい」
3
日が暮れ始める夕方。部活も終わり約束など何のその真っ先に帰ろうとした蓮は少女たち、主に沙魔敷猫に捕まり、強制的にデパートへ連れてこられていた。学校周辺で一番でかいデパートは学校帰りの生徒たちの遊び場となっており、ちらほらと彼女らと同じ制服を着た生徒たちも見えた。
「何処行く?」
人のたくさんいるその場所で真っ先に声を上げたのは沙魔敷猫だった。先頭を歩いていた彼女はスカートをたなびかせ振り返り、楽しそうに後ろにいた五人に笑いかける。
「何処でも言い」
対する五人はまたに疲れたという顔をしてそれぞれ深いため息を吐いたり下を見ているだけだった。何とか一人満里奈だけが何処か遠くを見つめながら沙魔敷猫の問いに答えるが、その際小さな声で帰りたいと誰かが呟いたのは聞こえないふりをされた。
「じゃあ、本屋かどっか食べ物屋」
「奢らない」
「チッ。何で真里阿は私が言おうとしたことを先読みするかな」
「分かり易いからだろ」
「たかるのはいつものことやしね」
「だってお金一銭も持ってないもん」
沙魔敷猫の提案にすかさず入る合いの手。なんだかんだ言いながら楽し気に少女たちは話しながら歩いている。そんな四人の少女に囲まれた蓮は逃げるのも面倒でどこに行くのかとも聞かずにただ黙々とついていく。誰の顔も見ることもなく話にも入らない姿は一見すると四人と共に来ているとは思われなさそうだった。そんな感じで歩いて五人が来たのは当たり障りのないフードコートだった。
「んじゃ、私はラーメンでも買ってくるか
「亜梨吹はハンバーガーにしよう」
「ドーナッツ買ってくるから亜梨吹はうちのぶんもよろしく」
「俺はじゃあ、どんぶりで肉一杯乗ってるやつにでもしてみるぜ」
「じゃあ、私は席に座って待ってるね」
入るなりばらばらに行動しだす四人。この隙に帰ってしまおうかと考えた蓮だったが蓮君も席いこうの声に合えなく失敗に終わる。普段来ることのない人混みの多い場所。体力的にはこちらが上でも慣れている分向こうが上だ。逃げたとしても捕まる可能性が多い。そう考えたうえで蓮はおとなしくついていく。空いた席の少ない中ちょうど六人分空いた席を見つけそこに座る。一言も会話などしていないが何故か沙魔敷猫は楽しそうに笑っていた。にこにこと笑った顔と無表情がぶつかり合い数分が過ぎた。もちろん蓮のほうから話しかけたりなどはしない。 あーーと、困ったような声が沙魔敷猫から出た時にはもうすでに五分以上の時間がたってからだった。
「おしゃべりしよ!おしゃべり」
少し慌てながらも言葉を紡ぐがそれに返ってくる言葉はなく。たくさんの人に心配されながらもこの企画を実行した沙魔敷猫は今更ながらに焦っていた。何度か口が言葉を紡ごうと意味のない音を漏らす。必死に考えているのか額からは脂汗
にじり出ていた。そしてあっと彼女は声をあげる。
「蓮君のところの部活ってどんな感じ!」
口から出た苦し紛れの一言は、それでもなかなかいい質問じゃないと彼女に自信をつけさせた。
「……」
がその質問に蓮は答えない。まあ、そうだろうなと他の人たちがいたら思うだろう。もうあきらめて帰ろうぜと他の四人がいたら確実に出だしただろうが、残念ながら今ここにはいなかった。一度では諦めず沙魔敷猫は何度も同じ質問を繰り返す。
「ねえ、答えてよ」
キラキラとしたまなざしで蓮を覗き込んで沙魔敷猫は聞いた。数分近く静かな時間が続く。何も答えない蓮。だがキラキラとした目だけは変わらない。ねぇねぇって何度も蓮に声をかけた。最初は答えなかった蓮ももはや根負けするしかほかない。
「……少ない」
小さな声での答えだった。聞こえなくても別にいい。むしろ聞こえないほうがいいぐらいの声だった。その目論見通り人混みの喧騒のなか消え去ったように思えた声はだがちゃんと届いていた。キラキラとした目がさらに輝いて口を開く。ああやってしまったなと蓮は思った。この手のタイプは一度答えてしまえば後は
「少ない? なにが? もしかして人数が何人?」 調子にのって何度でも問いかけてくる。
「ねえねえねえ!!」
みを乗り出して問いかけてくる沙魔敷猫。蓮は深いため息をつきたくなりながらもなんの反応もしない無言を押し通す。
「ねえなんにんってば。答えてよ!」
きらきらきら。輝き続ける瞳に。顔に浮かび続ける満面の笑顔。よくやるもんだとだんまりを貫き通す蓮は思う。あまりにうるさすぎて答えそうになりながら答えないように気を付ける
「あ、じゃあさ、部長さんとかどんな人??優しい? それに部活ってどんなことしてるの? ねえねえ。そうだ!他にも好きな食べ物とか好きな色とか好きな芸能人とか教えてよ。ねえ、蓮君」
にこにこにこきらきら
ふつうにみれば可愛らしい笑みだろう。だが数分近く声をかけられ続ける蓮にしてみれば悪魔のようなえみだった。絶対に答えようとしない蓮なのに質問は終わりなく続く。誰かこれをどうにかしろとうつむいていた顔をあげ、蓮は半目で固まった。じっと蓮が喋り続ける沙魔敷猫のそのさらに奥を見つめる。一向に止みそうになかった質問の嵐はその視線に気付いて止まる。ん?と首を傾ける彼女に蓮は指で自分が見ている方向を指す。それにつられるように沙魔敷猫もその方向をみる。彼女の顔がぱっと明るくなる。げっと言う声がした。
「みんな!!もう買ってきたの。ならほら早く座りなよ。おしゃべりしよう」
「ちっ。見つかったか」
「さーが蓮に夢中になってる間に逃げる作戦が」
「ちょ、みんなひどいよ! 逃げる必要ないでしょ」
「だってめんどい」
「二人で楽しんでくれ」
五人の少女たちが楽しそうに言い合う。あかんべーと四人側の少女が舌をだす。一人側の少女はぷんすかぷんとほほを膨らませる。賑やかなその雰囲気は長くは続かなかった。ハッと四人の動きが固まったからだ。沙魔敷猫に向いていた四人の視線がその手前にいる蓮に向かう。そこには凍えそうなほど冷たい目をした蓮が四人を見つめていた。逃げたら殺すそんな言葉が聞こえてきそうな目だった。
「みんな友達がいないよね!!たまにぐらい遊んでくれても言いと思うんだよ。とくに真里亜とかはさ部活忙しいっていつも遊んでくれないし!あ、でも亜梨吹とかも最近は遊んでくれないよね!」
四人が固まり黙ったのにも気付かず文句を言いまくる沙魔敷猫。そんな彼女を囲むように四人は静かに席に座り込んだ。決して蓮の目はみなかったし、隣にいく勇気を持つものもいなかった。
「ねえねえ、聞いてるの!」
「聞いてる聞いてる」
「で、なに話してたんや」
「あ、そうそう、蓮君のこと色々聞いてたんだよ」
「へぇ、答えてくれたんだ」
「いや、別に聞いてただけで答えてはないんじゃない」
「さーそういうところあるしな」
「で、蓮君は好きな食べ物なんなの??」
「……」
沈黙が続いた。四人が来てさえも蓮はかわりない態度を続ける。いや、目はだいぶ冷たくなっているけど
「えー、じゃあ嫌いな食べ物は。あ、好きな本とか、普段何してる」
沈黙を破るように続いたのはまたも沙魔敷猫の怒涛の質問だ。四人がそれをどんびいて見つめた。蓮は無言を貫く。
「え、なんやあれ。ばかなん。さーばかなん」
「さーは昔からバカだろ」
「いや、しても酷くなっとるような気がするのは亜梨吹の気のせい」
「気のせい。気のせい。気のせいではないとおもうけど」
「駄目じゃん
小声で四人が続ける。その横ではいまだに怒涛の質問が続いている。
賑やかな時間が過ぎていた。
四人はのんびりとご飯を食べて、一人だけが質問を続け、蓮はそれをうんざりした様子で無言でやり過ごす。しばらく六人が騒いでいると、その内の一人が不意に動きが止まった。
「どうしたの、亜梨吹」
「ぁ……、いや、ちょっともう帰らなくちゃなって」
あわただしく動く少女を周りが見る。
「えーー。もう?」
拗ねた振りをする少女に返ると言った少女は何度か頭を下げる。そして、
「用事あるから。ちょっと帰る」
それだけ言うとパッと席を立って、小走りで帰ってしまった。その後を五人が見ていた。
「変なの」
「まあ、用事があるんだろう」
「……」
一人の少女が僅かに俯いて震えていた。蓮がそれを見た。彼も立ち上がる。
「尾神君?」
「俺も帰る」
「え? もっといようよ」
「……帰る」
短く呟き蓮は歩き出した。その瞳は真っ直ぐ前を向いて。
「悪く思うなよ……」
誰かに呟きながら
4
「これでよかったの?」
黒い殺風景な光景の中、一人佇む少女は暗闇の中に呟いた。鈴の音が軽やかに空気を震わせる。
「ああ、これでよかったんじゃよ。ありがとの」
しわがれながらも凛とした不思議な声が答える。だがその場には誰もいないまま。少女はそれが当たり前のように言葉を続ける。
「ううん。礼なんて言われちゃダメなの。だってこれは私のわがままなんだもん。ねえ、これで本当にす……、私の罪を償うことができるの?」
ちりんちりん。空気は揺れる。冷たい雰囲気のその場所にふわりと暖かい風が吹く。されど顔を深く俯かせた少女はそんなことにも気づかない。虚無を抱えた瞳を足元の暗い暗い闇に投げかける。
「大丈夫じゃよ」
誰かの優しげな声がその場に響く。慈愛を多く含んだその声は少女を包み込む。
「何一つ心配することなどない。これですべては変わる。そして、これで少なくともあの子供は救われる。他の子供らもうまくゆけばみんな救われる。もう何一つ気にする必要などないのじゃよ。
じゃから、もう大丈夫」
囁くようなその声。少女は暗い闇からその目を上げる。何処を見つめていいのかも分からぬその目はうつろに宙を見つめ、うんと空気にさえ霞むほどの声が少女の青白い口から出ていく。力なく垂れ下がった手は何かを求めるように開かれたまま。
「ねえ、彼は何なの」
何処とはない場所を見つめ、少女はつぶやく。闇を震わせる鈴の音が一際大きく鳴った。
「約束じゃよ」
しゃがれた声が告げる。まるで内緒の秘め事を告げるかのように潜めた穏やかな口調で。何かがふっふと笑う気配が空気を震わせて、その場の雰囲気を変える。温かな風が空間を支配する。
「約束?」
不思議そうにつぶやく少女に見えない何かは穏やかに笑う。
「そう約束。たとえ忘れられていようと果たされなければならない大切な約束。たとえ忘れていようと果たされる日を待ち続ける何よりも大事な約束。
その約束の相手。
漸く妾らの前に現れたのじゃ。あやつが本当に約束を果たすというのなら、妾らの望みぐらい簡単に叶えてくれる筈じゃ。だからのう、心配しなくて大丈夫じゃよ」
暗闇の中に響く声。その声に導かれるように少女はそっと目を閉じる。
5
デパートの外にでて人気のないところまで来て少女、亜梨吹は壁にもたれ掛かった。
げほげほと激しい咳が亜梨吹からでる。
ずるずると足の力が抜けていくのに合わせ、身体が下がっていく。息が荒い。両腕を胸の前でくろすさせて自分を抱きしめるような格好をする。腕に立てた爪が皮膚をも食い破ろうとしていた。強く噛みしめた唇から血が流れていく。
痛みに耐えるように悶えながら、少女の瞳が普通の茶色から徐々に赤に変わり始めた。
そして、その容姿までもが変形していく。
肩までの短かった髪が徐々に長くなり、茶色が金色に変わる。背が小さくなっていき小学生ぐらいにまでなる。いつの間にか服も制服ではなくなり黒のゴスロリに変わっていた。
悶えながら少女の口元には歪な笑みが広がっていく。後少しで少女の目が完璧なる赤に変わろうかとした時、それは聞こえた。
「へえ、そんな風に変わるもんなんだ」
少女が振り向く。金髪の吸血鬼が。少女の目に映ったのは黒い髪の少年だった。
尾神蓮。彼が吸血鬼を見て笑っている。口の端だけを歪にゆがめ自信ありげに見つめていた。
赤い眼が揺れた。滲むように青い光が現れる。
「お、がみくん……」
蓮が吸血鬼をじっと見た。
「まあ、予想通りというか絶対そうだと思ってたわけだけど、あんただったわけだね。倉田亜梨吹だったけ?」
蓮が言葉にするのに吸血鬼が大きく揺れる。
「なんで……」
「何でて、二度も襲われたんだ。報復ぐらいしてもいいんじゃないの?」
首を傾げる蓮に亜梨吹の背筋が震えた。だがそれと同時に彼女の神経は侵されている。青を赤色がすべて覆い隠し、口元がニヤリと歪む。
酷く冷めた色のない目で蓮がそれを見た。
「た、べたい」
僅かに聞こえた掠れた声に笑う。自分の力に絶対の自信を持った挑発する笑みだ
「食べれるもんならやってみなよ」
その笑みに乗せられたかのように吸血鬼は足を踏み出した。襲い来る吸血鬼。身をかがめてその腹に右の拳を一撃お見舞いする。それだけで吹き飛び、血に伏せる吸血鬼に蓮が笑う。
「無理だと思うけどね」
まじりあう二つの色。赤い眼が青い目に変わろうとする。震える唇で必死に言葉を紡ごうとする。
「け、ん……」
名を紡ごうとしたその口を蓮がふさいだ。さめざめとした目が青の瞳を射抜く。
「逃げれると思うなよ。こっちは二回も襲われて苛ついているんだ。どうして襲ってきたのか教えて貰おうじゃないか。それともう二度と関わらないようにしとかないとね」
口をふさがれた吸血鬼、亜梨吹の怯えた眼が連を見てた。
「何で……」
「何でて、人の平穏を奪っておいて変なこと聞くなよ。俺は平穏に暮らしたいんだ。それを奪うような真似をしたのが悪い」
蓮の言葉に亜梨吹の肩が震えた。怯えるように青い眼は揺れ動きヒューヒューとかすれた吐息が彼女の口から洩れた。
「平穏って」
紡がれる言葉に静かな瞳が僅かに動いた。傾けられる耳。
「亜梨吹だって出来るなら平温に暮らしたかったき。悪かったな。それ、でも仕方ないやん。止めれんものは無理なんや。亜梨吹だって……」
「ストップ」
つむがれていく言葉に短く止めの言葉を言い渡す。その口調も顔も全部が何かを恐れてあせていた。
「変なことは言わないでくれる。あんたのこと何てどうでも良いから。
俺はもう襲わないって約束して貰えたらそれで良いの」
蓮の一方的な言い分を亜梨吹は苦しげに顔を歪めながら聞いていた。その口が自嘲的に歪む。蓮の瞳に映る自分を愚かな物を見る目で見ていた。
「そんなん、できん。そん、な、もうできん」
亜梨吹の声が掠れていく。青い瞳が翳り赤になっていく。やばいと蓮は咄嗟に体を離した。
赤い眼が笑う。
蓮の首を狙い、攻撃をしてくるのに、蓮はよけ、そして後ろがわに回る。腕を捕まえ、うつぶせに地面に押し倒す。背に乗り上げ暴れようとする動きを封じ込んだ。
「一体、何なの、これは」
誰に聞かせるでもなく一人呟く。暴れる亜梨吹の首元に手を押さえるのとは別の手を当てた。とすりと手刀を叩き込む。クラリと吸血鬼の頭が落ちた。
「起きるまで待つべきかな……」
考える蓮の耳に誰かの足音が聞こえた。
振り返る。蓮はその人を驚きの眼差しで見た。その人もまた同じ眼差しで蓮を見ている。
「あんた……」
その人、理矢が蓮のことを指さした。そして、その下にいる亜梨吹を見て顔を青ざめる。瞬時、理矢の中で考えが巡る。そして、次の瞬間には動き出していた。すばやく二人の元にまで来ると蓮の手を掴む。
蓮が驚いて睨むように理矢を見た。
「何」
「こっち来てしゃい」
「はあ? 何で」
「いいしゃいから」
掴まれた手を放すことも蓮には出来た。ただ少し考えて、蓮はその手についていくことに決めた。
5
蓮が連れてこられたのは、あの場所からそう遠くない場所だった。建ち並ぶビルの隙間。少し遠くに目をやれば歩いていく人の姿が町の明かりの中くっきりと浮かんでいる。だがその人々が蓮の姿をみることはない。すぐ近くにあるのに喧騒も光りも二人には届かない。
そんな場所に連れてこられた蓮は理矢をじっと見つめた。走ったせいか荒くなった息を整えているただ三度会っただけの少女。だがこの少女が普通の人でないことを蓮はすでに知っている。この少女ならば自分が今何に巻き込まれようとしているのかその答えを持っていると思った。だからついてきた。
だが聞こうとして、その口は動きを止めた。空気を震わしかけながら、彼は迷ってしまった。聞くか聞かないな。悩んでしまった。
頭の中を様々な言葉が回る。それが答えを導き出す前にさきに理矢が動いた。
「あんた何で彼処にいたんしゃい
「どうでも良いだろ」
肩越しにのぞく理矢の目は何かを探るように蓮をみる。思わずでたのは素っ気ない言葉だ。だがそれに彼女が傷付いた様子はない。まあそういうだろうと予想していたかのように一つ首をたてに降ると、ふわりとスカートをたなびかせた。揺れるセーラー襟に目が釘つけになる。
理矢が着ている制服が今自分が放課後だけ通わされている高校、葉水学園のものだと今更ながらに気付いた。
理矢がにひりと笑う。
「そうしゃいか。まあ、でもそれより取り敢えず私の勘は当たったみたいしゃいね」
理矢が何をいっているのか理解できず蓮は僅かに首を傾げた。そんな蓮をみてさらに笑みを深めながら理矢は告げる。
「言ったしゃいでしょ。なんだかまた会えそうな気がするしゃいよって。
またあえたしゃいね」
理矢を蓮が見た。理矢もまた蓮を見た。
闇をも呑み込もうとする黒と、夕焼けにも朝焼けにも似た赤茶は、異なる色ながら似た何かを持っていた。
理矢が蓮に向けっておどけるように肩をあげて見せる。
「でも、びっくりしたしゃいよ。吸血鬼を探してみれば、その吸血鬼を人が押さえつけてるんしゃいから。怪我はないしゃいか」
「ない」
「そう。ならいいしゃい」
あっさりとした理矢から蓮は視線を一ミリたりとも外さなかった。その様子に今度は理矢が首を傾げる番だ。
「どうしたしゃい」
「何で、俺をあそこから連れ出したの」
「ああ、その事しゃい。だって起きてまた暴れたら大変しゃいからね。捕まえてたし良いかなともおもったんしゃいけど、あんたは一般人じゃいから。一般人を巻き込むのは好きじゃないんしゃいよ」
「逃げ、られたらどうするの。折角気絶させたのに」
「気絶させたんしゃいか? 一体どういう馬鹿力を持ってるんしゃいよ。いいんしゃいよ。一刻も早く終わらせなくちゃいけないことも確かしゃいけど、犯人は一応分かってるしゃいからね」
そう言ってそっぽを向く理矢。なるほどと一つ頷いた。
「あんたはアイツに襲われたんしゃいか」
蓮は問いに言葉をつめる。本当のことを言おうとして、だけど本当のことを言う理由など何処にもない。嘘をつくべきだと、それが何事もなく終わる道だと蓮の冷静な部分が告げた。それは厚く塗りたくって固めた表面上。でもいつの間にかその表面にはひび割れができていて覗いた隙間はどうしようもない何かを見せていた。そのなにかが蓮から冷静な判断を奪う。
「嫌」
たった二文字。だけど音に出してすぐに後悔した。今すぐ自分の首を力の限り締め上げて殺してしまいたいとさえ思った。
「なら、どうしたんしゃい」
聞かれると分かっていた問いを聞かれ、ああと細い息を気持ちだけで吐き出す。純粋に不思議そうな目。まだ逃げ出すことはできる。そう思うのに蓮の口は彼の意思関係なく動く。
「二回、襲われたからその仕返し……」
「襲われたんしゃい。いつ……」
後悔しながら音にした言葉に理矢の瞳が予想以上の驚きを見せた。ぴくりと指の先が動く。確かめるように相手を見据える。
「昨日と一昨日」
「昨日と、一昨日しゃい。なるほど……。だからか」
「なにが」
一人納得した様子の理矢に問いかけた。肩をすくめて彼女は答える。
「今まで結構な被害でてるんしゃいけど、その二日間だけ一切の被害がなかったから不思議に思ってたんしゃいよ。でも、それを聞いて納得したしゃい。今日、倒しているところとあんたが平気そうにしているところからみて、どうせ二回ともやり返したんでしょ
で、正気に戻って人を襲わないですんだってところしゃいね」
「正気」
ある一単語を繰り返す。やはりなと思う。やはりこの少女は知っている。自分が知りたいことを。知りたくないことを。知ってはいけないことを。
「意味は教えないしゃいよ」
聞こうかどうか一瞬の迷いが産まれた隙に先手を打たれていた。口を閉じる蓮に理矢はまた不思議そうな顔をして問いかける。
「で、仕返しって言うのは良いしゃいけど。どうやってアイツがここにいるのを見付けたんしゃいか。偶然?」
首をかしげた姿。それを見ながら蓮の心はその場にはおらず、意識せずにそのまま答えていた。
「嫌」
「じゃあ、どうしたんしゃい」
「あたりを付けてたから」
「あたり?」
「そう……倉田亜梨吹って奴が吸血鬼だと辺りを付けてたから」
蓮の言葉に理矢の目が鋭くなる。睨むわけではないが、それでも鋭い目で蓮を見た。 その目も意識には届かない。
「どうやってその辺りを付けたんしゃい」
「別に普通だよ。名前が同じ事。俺を最初に見た時の反応が初対面にしてはおかしかったこと。その後も俺に対して変に怯えていたからね」
「そう。……あんた何処で亜梨吹とあったんしゃい。接点とかとくにないように思うんだけど」
「部活で押しつけられた交流会の生徒」
「ああ、先輩が言ってたあれしゃいか。あんたのことだったんしゃいか。世の中って狭いものしゃいね……。
それとも運命しゃいかね」
ふっふと理矢が笑う。
何かを見つめるかのように細められた紅茶色。弛く持ち上げられた口角。決して美しいとは言えない少女だけどそんな姿はやけに強く目に焼き付く。
意識がはっとこの場所に戻り、運命という言葉が耳を打つ。
そんなはずはないと蓮は自分の中に言い聞かせた。そんなものもうとっくの昔に捨てたようなものではないかと。
男が何処かで自分を見て笑っている気がした。
「で、仕返しは気が済んだしゃいか」
咄嗟に心はすんだと言おうとした。だけど口は一欠片も動かなかった。ただ黙り込む。溜息の音が聞こえた。それをつきたいのは自分だと言いたいと思った。
「その様子じゃ、すんでなさそうしゃいね。でも、あんまり関わらない方が良いこともあるしゃいよ」
理矢の瞳が蓮を見る。蓮はまた意識を何処かに飛ばす。どうしたらいいのかなど彼自身分からない。どうしたら一番良い道なのか、どれが正解の道なのかはわかっているのに。
「そうだな」
震える声はやっと告げたかった言葉を告げる。でもその言葉を口にしながら蓮は思い出していた。
平穏と口にした彼女は泣いていた……。 赤い瞳が力をなくす度青い瞳は弱々しいながらも輝こうとしていた。全てを乗っ取られまいと必死に足掻いていた。苦痛に悶えながら必死に戦おうとしていた、
胸の奥がギリギリと痛む。
閉ざした大きな扉を何かが無理矢理押し開こうとしていた。理矢が言った言葉が頭の中をまわる。関わらない方が良いこともある、その通りだとも思った。その通りだと思いたい。今すぐにでも見ない振りをしなくてはとも思う。
だが、実際にはもう関わってしまったのだ。
男の姿が浮かんだ。
今度は何を失うことになるのだろう。十中八九もう今の場所には居られなくなる。関わってしまったことによりいまよりもっと酷い結果をもたらすかもしれない。それでももうどうしようもなかった。
だって、もう関わってしまった。
「それでも俺は知りたい。今、何が起きているのか。俺が巻き込まれたことがなんなのか。アイツに倉田亜梨吹に何があるのか。知ってこれからどうしたら良いのかを知りたい。それで終わらせてやりたいんだ」
真っ直ぐに理矢の目を貫いた。色を無くした無表情ではない。その目に強い輝きを乗せて。
圧倒された。息を止め見ていることしかできない。その先で彼は力強く言葉にする。
「だから俺に教えて。あんたが知ってること全てを。あんたはどうせ終わらせることなんてできないんだろう。それなら俺が終わらせてやるから」
すぐには言葉はでなかった。呆然とした目はじっと蓮を見ているのにまるでその瞳には写ってないかのようだった。理矢の頭の中は真っ白に染まり、今何処にいるのかそんなことすらも吹き飛んでただ白紙の頭の中、蓮の言葉だけが回り続ける。
「……教えるわけにはいかないしゃい。危険なことに一般人を巻き込むような真似はできないしゃいから」
ぐるぐると回り続ける頭の中、それでも口に出す建前。そんなものを蹴散らすように輝く目は見てきて。
「それでも俺は知りたい。危険もなにも全部承知してる。それでもただ見てるだけ何て嫌なんだ」
「あんたに何ができるっていうんしゃい」
建前の次に震える唇からでてきたのは醜い声。噛み締めた唇の裏から鉄の味が広がる。歪む視界。だけど蓮の姿だけは真っ直ぐにみえた。
「そんなの分からない。もしかしたらなにもできないのかもしれない。それでもどうにかしてみせる。
何がなんでも終わらせてみせる」
子供のわがままだと思った。何も知らない子供の我が儘。癇癪。大人がどれほど言い聞かせても諦めないで自分の望みが叶うまで泣き続ける。周囲にどれだけ滑稽に思われているかすらも知らない。
遠かった。理矢には蓮の姿が遠くにみえた。遠く遠くありながらはっきりとその姿を写し出す。
その中でも一等その目は強く見えていた。
細いため息が漏れた。どうしようもないほど心はざわついた
「分かったしゃいよ。あんたの目は本物しゃい。だから教えてあげる。と言っても軽くだけしゃいよ。全てを話すことはできないしゃい。私にも守秘義務と言うものがあるしゃいからね。それ以上が知りたければ亜梨吹自身に聞くんしゃいね」
蓮はわずかに口角をあげた。ただそれだけで早く話せと追い立てているのが分かる。瞳に宿った強い輝きは見えなくなったけど、それでもその目もその耳も何一つ聞き漏らすまいと向けられている。
「アイツは、倉田亜梨吹は吸血鬼しゃい。これはあんたももう知ってるしゃいでしょ。でもただの吸血鬼じゃない。飢えに負けた吸血鬼。飢えに意識を奪われ自我を無くしかけている。もうすぐただ人を襲う化け物に成り果てるんしゃい」
「意識を奪われた」
「そう。亜梨吹の意識は飢えという名の化け物に奪われかけている。だから一度夜が来て飢えに意識をの取られるともう誰の制止の声も聞こえないし、自分の思いとは裏腹にたくさんの血を吸い多くの犠牲をだすんしゃい。元に戻すには朝が来るのを待つか、もしくは飢えにもまさる大きな衝撃を与えるか……。あんたは与えれたみたいだけど結構それって大変なんしゃいよ」
「そう」
「そして完全に元に戻す方法があるとしたらそれは一つだけ。飢えをなくすことしゃい」
「元々亜梨吹が飢えているのは血を満足に吸えていないからなんしゃい。この場合の満足には腹が一杯になるまでとかそういう意味ではないんしゃい。元々彼女は少し特別な吸血鬼で、人間一人の血を一度だけで良いから吸うひつようがあったんしゃい。だけど亜梨吹は今までそれをしなかった。だから飢えにまけた。
つまり、その飢えをなくすためには人一人の血を吸わなくちゃいけないんしゃい
だけどこの方法を使うことはできないしゃい」
「すべての血を吸うことはその人の命を奪うことになるから。そんな方法をとらせるわけにはいかなき。何より亜梨吹自身もそんなことできないんしゃい」
見つめてくる瞳から目を反らしても伝わってくる。理矢は唇を噛みしめた。
「そう……。なら、仕方ない。他の方法を探す」
蓮が踵を返すのに理矢が無理よと叫ぼうとした。振り返らずに告げる。
「俺は、諦めるのは嫌いなんだ」
6
暗い部屋の中、男が唇を噛みしめた。普段から明かりのない部屋だが今はカーテンすら閉め切り一切の光がない。いつも付けっ放しにしているパソコンの電気すらも消えていた。そんな部屋で男はうずくまり女性に黒い眼を向ける。赤黒い口の中、喉の奥言葉が詰まったように出てこない。それでも男は言葉を紡ぐ。
いや、吐き出す。
「だから、だから嫌だったんだ」
血を吐いたんじゃないかと思えるような痛ましい声は色の分からない部屋の中、耳痛く届く。ああ、今この部屋は小さな電子音さえも消えた無音の部屋だ。そんな部屋に男の声は斬り付けるように深く重く沈む。
「そう」
だけど女性の声は涼やかだった。くつくつと笑みを浮かべて優しげに瞳を細める。嬉しいと声にならず、目に届かなくとも空気が伝えていた。
より強く男は唇を噛み締める。鉄の匂いが部屋の中をわずかに漂った。ギリリと骨がきしむような音が鳴る。
「まあ、そうよね。こういう結末になってしまうわよね」
歌うように女性が語る。これから先起こることすらも知っているというかのようにその声はのびやかだ。
「……なんで蓮はああなんだろう
激しい怒りさえもこもっていた男の声は諦めのものになっていた。声の中に潜む哀しさやいぶかりだけはそのままに怒りが呆れに変わる。目の前に彼が居れば殺してしまうんではないかと思うほどの恐ろしい眼をしていたのが今ではもうただの迷子の子供の目だった。
「ああ、だからでしょうね。良いじゃない。とても良い子だわ」
男の様子なんて声でしかわからない筈なのに女性はまるですべてを分かっているかのように子供をあやす優しい口調で答えていた。それに男は駄々をこねる。女性はあやしながら自らのエゴを口に乗せる
「……学習しないにも程があるよ。あれは、僕のなのに
「蓮はそう言う子なの。そう言う蓮が私は欲しいの」
「僕は嫌だ」
「あの子はね人が大好きなのよ。人嫌いにみせて、だけどあの子は人が好きなの。だから人が傷つく姿を見たくない。そんな姿を見るぐらいなら自分が傷ついたほうがマシだって本気で思っている。それだからあの子はどんな物を犠牲にしようと最後には人を助けに行くのよ。どれだけ縛ろうが閉じ込めようが心をぶち壊そうがあの子のそんな性分だけは壊せはしない。最終的にあの子は人を助けに行く。
仕方ないの。それがあの子なんだから。蓮が欲しいって言うならそれぐらい我慢しないと。
あなたがどれだけの痛みであの子を縛り付けたところで、あの子は人のもとに走り寄っていてしまうの。
それが私が何よりも必要とするあの子」
そんなあの子を私は手に入れる。女性の声が甘く響いた。
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