調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

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2.黄金の夜鳴鶯

誰かとともにいるのならば

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「うん。さっきはアドバイスありがとう」

 ドーラは礼を言うと、いいや、と照れるミール。

「そういえば、もう《ミロン》でなくなってから十年が経つんだね」
 先ほど自分が口にした名前を思い出したドーラは指折りながらそのときを数えた。あぁ、そうだなとミールも感慨深げに遠くを見る。

「三人とも元気かな?」

 彼女はの両親を遠く脳裏に浮かべていた。ミールはあいつらなら大丈夫だろ、とドーラの髪を撫でて笑う。

「兄貴のことにあんだけ文句を言ってあの家から出てきた俺だ。今さらあいつらのためになんて、あいつらも望んじゃいねぇ」
 彼はいまさら気にするこったねぇ、と笑う。その笑みには少しだけ寂しさが浮かんでいたのは気のせいだろうか。

「さ、お客さんだ。作ったもの持って行ってこい」

 作った香水瓶を渡され、背中を押されてたドーラ。うん、行ってくるね。そう言った顔にはドーラにも笑顔が戻っていた。


「お待たせ致しました」

 コレンルファ伯爵夫人を店先に待たせていたドーラは箱に入れた香水瓶を持ってかけよった。
「あら、素敵な瓶ね」

 アンナはまず装飾が施された瓶に目がいったようだ。夜鳴鶯の飾りがついた香水瓶はめったにみられないだろう。

「ええ。先日、ガラス職人の方からサンプルでいただいたものなんです。この香水にはこれがいいと思いまして」

 ドーラの説明になるほどねぇと感心するアンナ。今でこそクララは悪名として『瑠璃色の夜鳴鶯』という名が社交界でささやかれているらしいが、笑い声や喋り声はよく通る声で夜鳴鶯ナイチンゲールという異名は間違ってないだろう。だから、この瓶の飾りは彼女にふさわしいだろうと思ったのだ。

「そうだったの。それに綺麗な色ね、この香水。それに、うん、香りもすっきりとしているわりに優しい甘さがあるわね」
 窓から差し込む光に瓶をかざすアンナはその色合いが気に入ったようで、瓶の蓋を開けて香りを嗅ぐ。

「気に入っていただけてよかったです。最初にくる香りは甘さを捨てて、後からふんわりと漂わせるくらいにしてみたんです」
 ちょっと私だけだとまとまらなくてミールにも手伝ってもらったんです、と肩をすくめながら言うドーラに、あら、うちの娘はそんなに特徴なかったの?とおどけて笑う伯爵夫人。

「でも、昨日の今日で依頼しちゃったから、大丈夫かなと心配してたの」

 確かに普段の製作期間は七日前後を予定してる。だけども、たまたまクララがここにいたから、ドーラもアンナの依頼を引き受けることができたのだ。
「いえ、アンナさんはいつもご利用いただいておりますし、私もクララさんのためになることでしたら、精一杯、お手伝いさせていただきたいので」
 ドーラの答えにあら、そうなの?と微笑むアンナ。

「だったら、一つお願いしたいことがあるんだけど」
 伯爵夫人の顔に戻ったアンナは真剣な瞳でドーラを見つめる。なんでしょうか、と聞くと、明日の裁判に傍聴人として出席してほしいのだと言う。

「ですが、いつもと裁判と同じように公開はされてないんですよね?」

 そのことを指摘すると、ええ、本当わねと苦い顔をするアンナ。
「でも、あの男。今回は公開裁判だという知らせを寄越しやがったのよ」

 どうやらクララの元婚約者であるドミトリーが公開裁判にしたようだった。わかりました、では、見守らせていただきますねと今度はドーラがおどけて言った。


 そのあと、伯爵夫人とクララの今後の施術について話し合い、作製した香水の代金を受け取った。
「じゃあ、また明日よろしくね」
 帰り際にアンナはにこやかに微笑みながら、ドーラに頼んだ。はい、と彼女は大きく頷き、深く頭を下げた。


 アンナたちが帰っていたあと、うかつに引き受けてしまった自分を後悔していたドーラだけども、たまにはミールが見ている世界社交界を見てみたくなってたから、今回の裁判は見てみる価値があるのだと思うことにした。


 裁判の準備のためか、今日は珍しくミールが帰ってくるのが遅く、夕ごはんはアリーナが作ったが、食事内容はミールが作るものと変わらないもので、ドーラの口にはあった。
「こんなものをドーラさんに食べさせたとミールさんに知られたら、怒られますよねぇ」
 アリーナは変なところを気にしているようだったが、フェオドーラは笑って否定した。

「気にしなくて大丈夫です。ミールの料理を食べるようになったのは九年前からだけど、それまではもう大変だったんから」
 彼女は思い出しながら答えると、アリーナは目を見開いた。
「え、なんでですか⁉︎」
 彼女の驚きっぷりにドーラは苦笑いして語りはじめた。

「私の母は北部を本拠地としていた行商人の娘だったんだけど、幼いときからあちこちに連れていかれてたから、料理をすることはなくて。父と結婚して、小さい地主のラススヴェーテ家に入ってから料理の練習をしてたらしいけど、いっこうにうまくならなかったみたいなの。だから、本当は使用人を雇う余裕なんてなかったみたいけど、仕方ないから一人、薄給でもうちで料理を作ってくれる料理人を探しだして、うちに来てもらったの。でも、彼が休みのときは、仕事が忙しい父に作らせるわけにはいかないから、母が作ってたんだけど、もう味が酷くて。私も母の血が濃いのか、ここに来てから何回も作って、練習してみたんだけど、どうも」

 肩をすくめながら言うドーラに今度こそ何も言えなくなったアリーナ。彼女からしてみれば、完璧な姿しか見てこなかったドーラにそんな弱みがあったとは思えなかったのだ。

「嘘、ですよね?」
 いまだに信じられないアリーナは口を押さえながら尋ねるが、ドーラは涼しげに首を横にするだけだった。

「嘘じゃないわ。だから、ミールにいつも作ってもらってるの」

 なんでもないように言うドーラは懐かしそうな眼差しをしていた。そういえば、とアリーナが思い出したように尋ねる。
「ミールさんはドーラさんの幼なじみなんですよね?」
 ええ、そうよ、と笑いながら答えるドーラ。

「彼は母の実家の本家の息子で、小さいときはうちの近くで育ったの。だから、ラススヴェーテ家でもよく遊んだし、ここに来るのも一緒だったの。でも、ミールの兄弟のことや叔母のこともあったからか、互いに兄妹や保護者のような感覚なんだよね」

 ミールとの関係を話していくその顔はすっきりとした表情だった。へぇ、そうなんですねぇ、と羨ましそうな視線で見つめていたアリーナ。
「さあ、おしゃべりはここまでにして、明日は早いのでもう寝ましょう」
 ちょうど食事を終えたドーラは食器を台所へ持っていこうとしたが、私がしますとアリーナは食器を受け取り、いそいそと片付けはじめた。


 自室に戻ったドーラは明日の準備をした。いつもならば、別に私服で店番してても咎められないし、上着として制服の白衣を着る調香師会議も下はなに着てても問題ない。だけども、さすがに裁判という公の場にいつもの服を着ていくわけにはいかない。過去に調香師がらみの事件で裁判に立ちあったこともあり、かなり静粛な雰囲気で行われるので、色とりどりの服はそぐわないのだ。
「うん、これを着ていこう」
 衣装ダンスから取り出したのは前の裁判の時に着ていた紺色のワンピース。あのときから体型は変わってないので、着られるだろう。それと黒のタイツを明日着るように出しておき、朝起きてすぐに着られるよう整えた。
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