調香師・フェオドーラの事件簿 ~香りのパレット~

鶯埜 餡

文字の大きさ
65 / 69
4.魔女の化粧水

利権を刻む

しおりを挟む
 ジーナの“願い事”から四日後。
『ステルラ』の調香師へ依頼がしたいと約束を付けたリベリオは、さっさと契約を済ませるべく契約書を持って店へ意気揚々と乗りこんだ。
 いくら“調香師”という資格が難関であるとはいえ、商売や契約、調香にかかわる法律以外には無知だろう。そんな思いこみをリベリオはしていた。
 が、そこには先客がいて、若き調香師と話がしたいといったのにもかかわらず、その先客――服装からして大公家とつながりのありそうな高位の貴族は去ることをしなかった。

の店の商品に用があるというのは君のことか」
「え、ええ……――そうです。マルレンディ商会の代表を務めておりますリベリオと申します」

 それどころか、その先客は『ステルラ』のオーナーだと言う。まさかと思って調香師を見ると、高位の貴族の後ろにそっとたたずんでいた。
 まさか自分は相手にしてはいけない人を相手にしてしまったのか。
 そんな不安がリベリオにはあったが、後には引けない。それに、もし相手にしてはいけない人だとしても、自分は商人。うまく・・・取りこめばいいじゃないか。

「初めて聞く名前だな。で、なんの商品に興味があるのかね?」

 先客――名前はポローシェ侯爵といったか。
 五十がらみの男は目を細めてリベリオをなめるように見る。
 帝国でもそうだが、貴族の連中は成り上がりの自分を見くびっている。けれど、自分には財力ちからがある。だから、この男だってすぐに落ちるだろう。
 そう心の中で評していたリベリオは気づかなかったが、彼はすぐ表情に出る。ポローシェ侯爵はころころとかわる表情から、彼の思惑をすでに見抜いていた。
 しかし、大公家の懐刀のポローシェ家の家長。
 こちらは一切、表情を表に出さずに、ただ鷹揚に笑っただけだった。

「えっと、あの、ここの化粧水と美容液、カモミール浸出油が評判だと聞いておりまして」
「ほう、そうなのか」
「今、初めて聞きました。うちではオーダーメイドでしか美容液も化粧水も出してないので、あまり気にしたことがありませんでした」

 リベリオは自分が主導権を持てないことが苦手だ。品物をこちらに卸してもらうためには、自分に有利でないと利益につながらない。その主導権を奪い返そうと試みたが、不発だった。ポローシェ侯爵はただ鼻で笑い、調香師も作ったような・・・・・・驚きしかしていない。
 しかし、一度切ってしまった手札をいまさら引っ込めるわけにはいかない。
 リベリオはもうそれをゴリ押してでも、押し通すことしか手段は残されていなかった。

「ええ……っと、この『ステルラ』には多くの貴族が通われているでしょう? その方々に聞いたんです。その、評判を」
「そうなんですか」

 もちろんこれは真っ赤な嘘である。
 リベリオの商会は帝国資本。
 帝国をあまり好かない五大公国の貴族にはあまり評判はよろしくない。しかし、嘘も方便。ある程度、貴族とつながりがあるようなそぶりを見せたが、ポローシェ侯爵が引っかかるわけがなかった。
 それに調香師の態度もそっけない。それはひとえに、彼女の謙虚すぎる・・・・・性格によるものであるが、リベリオにはそこまで読み取れなかった。

「しかし、浸出油だけとはおかしいな」

 それに加え、ポローシェ侯爵はなにやら書類を取りだしながら言うと、リベリオはえぇ?と驚いている。調香師も驚いていないことから、彼の言いたかったことが理解できたのだろう。

「浸出油は転売規制もあるから、それ単独で渡すこともないんだが」
「そうですね。こないだジーナさんにお渡しした浸出油は原液で割ったものですから、もはや浸出液と言えるのかどうか」

 浸出液の転売規制。
 アルコールティンクチャーと同じでハーブから成分を抽出したものであるが、単独で使われることはめったにないうえ、その用途が主にマッサージやアロマクラフトへの利用なので、大半は調香師しか使うことはない。
 しかし、自宅でも簡単にできるもみほぐしや芳香浴には使いやすいので、一般の人が買っても問題はない――のだが、マッサージやアロマクラフトを調香師抜きでしようとしてしまう人も中にはいる。
 そのため、原液を浸出させたオイルで割ったものしか流通させてはいけないのだ。
 ドーラは芳香浴用のオイルとは言ったし、マッサージオイルと同じ成分であるとは言ったものの、一言も浸出油原液だと言ってはいない。

「し、しかし、ここでマッサージの施術に使われたものと同じだと、妻は言ってたが……!!」
「ええ、そうですよ。ジーナさんはアルコールで肌がかぶれるようでしたから、万が一のことを考えて、ハーブからとれる成分を少なくしているんです。ハーブをオイルで浸して、成分を取りだした浸出油が含まれているとは言った記憶がありますが、一言もそのものだとは言っておりませんよ?」
「な、んだと……!」

 すんなりと頷いてくれるはずだった調香師さえも、リベリオに嫣然と微笑む。たとえ本人フェオドーラが意識していなくても、彼にとってはその笑みは恐怖の対象でしかなった。

「だから、もしあれを大量に購入されたいというのならば、お分けできないことはないですけれど、高くつきますよ?」
「そうだな。浸出油インヒューズドオイルは調香師独自の想いこころが詰まったものと言っても過言ではない。とくにこの『ステルラ』は一子相伝の店だ。だから、もし浸出油を安く売るようなことがあれば、彼女の先祖も許さんだろうな」
「……――――!」

 嘘かまことか。
 それをリベリオに推し量る技術はなかったが、これ以上話しても無駄だとばかりの冷たいポローシェ侯爵の言葉に、リベリオは起死回生、逆転の一手をひたすら頭の中で考え続ける。

「それに私も許さない。もっとも彼女たち・・が調香師で、彼らが現場の決定権を握るが、調香にかかわる製作物のすべての処方箋レシピの権利はオーナーである私にある。だから、いくら彼女たちが浸出油の市場での販売を希望したところで、その配合比率などの開示権は私にある。それを間違えないように」

 調香にかかわる法律――『調香典範』以外での丸め込めようとした自分が反対に、『調香典範』を使って丸め込まれた。
 這う這うの体で『ステルラ』から逃げ出したリベリオは一度出直すことにした。



「お手数をおかけいたしました」

 マルレンディ商会の主、リベリオ・マルレンディが店から出て行った後、フェオドーラはわざわざ来てもらっていたポローシェ侯爵に頭を下げた。
 リベリオからドーラに会いたいと手紙が来ていた彼女は、おそらくジーナ関連の話だろうと想像がついた。彼女がジーナつまを追い返したこともおそらく伝わっているはず。だから、リベリオはなにか取引を持ち掛けてくるか、ならず者・・・・を使ってドーラに攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
 そうポローシェ侯爵に相談したところ、公都ここで仕掛けてくるとはいい度胸だなとだけいて、あえて『ステルラ』にいたのだ。

「いや、これぐらいならなんでも構わないさ。言い方は厳しいかもしれないが、おそらく君はあの男に太刀打ちできない。専門家には専門家を。私はそういう問題が起こったときのための要員だと考えてくれれば構わない」

 侯爵のにべもない言葉にドーラは肩をすくめる。
 たしかに同じ爵位を持たない平民という身分とはいえ、お金ならばあちらのほうがある。お金で相手を吊り上げ、なんらかの契約をさせられる危険もある。
 そういった意味ではそれを防げるのは貴族、それもかなり高位の貴族しかいない。

「それはそうと、あれは私が考えた処方箋レシピですよね。きっとこの店のことだって調べれば出てきてしまうでしょうし」
「ふっ……そうだな。だが、お前の叔母のことはこの国、いや、調香についてのモグリでなければ、知っていてもおかしくない。だから、牽制として引き合いに出すのはいいと思った」
「そうでしたか」

 叔母、エリザベータ・フレッキの名は調香師界では有名な存在である。『薔薇の魔術師』、薔薇ローズを中心としながらも、ただ一辺倒なアロマクラフトを作らない女調香師の存在は五大公国の外、エルニーニ帝国まで有名らしい。
 彼女の存在をもし知らないのであれば、調香技術を扱った製品を取り扱う資格はないとポローシェ侯爵は言い切った。

「……だが、まだ安心はできない」
「というと?」
「もう一度か二度、あいつはここに来る。私もずっとここにいるわけにはいかないからそうだな、次はあえて油断を誘おう」

 私が奴ならば、まだ諦めていない。
 そう断言したポローシェ侯爵は作戦をドーラに告げた。

「もし来たら、ミールに私のところへやれ。あいつにはしばらく休暇を出すから用心棒として店においておけ。で、ミールを使いにやった後は、取引の準備があるといって、時間稼ぎを。もちろんくれぐれも書類にサインはしないように」

 出資者パトロンからの提案に不安そうな目で見るドーラ。
 自分は演技者ではないことをわかっているからこそ、自分にそんな大それたことができるのかと不安になる。

「大丈夫だ。帝国資本の商会はあまり五大公国で遊び慣れてない・・・・・・・のだろう。こちらにも後始末の準備をする手順というものがあるだけだ。後始末ができないわけじゃないさ」

 侯爵はドーラの頭をなでながら笑顔で頷く。
 その笑みはいつもの優しい、保護者のような温かみはなく、五大公の一人、エルスオング大公の側近として辛辣な腕を振るう一人の貴族としての冷たい笑みだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

処理中です...