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第一章 出発(たびだち)

1-6  方針(後)

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 タニアが大きくため息をついた。

「しかたがありませんね。それでは、すこしわたしから申しあげましょう。アンリ様が歩かれようとしている道は、考え方によっては、英雄になってしまうよりも、逃げてしまうよりも、はるかにつらい道のりかもしれません」

 そう切り出したタニアが、ぼくの目を正面から見る。ぼくの心の奥底まで見とおすような目だ。たぶん彼女は、ぼくが直視せずに逃げているものを、遠慮なくぼくの目の前にさらすだろう。

「うすうすとはおわかりでしょう。アンリ様は、ご自分のまわりの人や世界が好きだとおっしゃいました。ですが、ご自身の決断によって、アンリ様はこれから、ご自分を取りまく世界と深く関わることはできなくなります」

 そう。そこだ。システムに挑むために、ぼくはこれからできるだけシステムの外に立たなきゃならない。この矛盾に自分の心が耐えられるのかな?




「もうひとつ。アンリ様が歴史をお止めになるには、当然ながら協力者が必要となります。ですが、アンリ様は誰に協力をもとめるおつもりですか?」

「……」

「アンリ様がなさろうとしていることは、結局のところご自分の身を守るという、なんとも現実的かつ個人的な動機にもとづくものです。どのような方が協力してくださるでしょうか?」

 たとえば、父様や母様、兄様や姉様は、わけを話せばある程度協力してくれるだろう。だけど、それはしてはいけない。ぼくに対する愛情、友情、仲間意識、その他もろもろのあたたかい感情で助けてもらっては、絶対にダメなのだ。

 ぼくがやることに個人的な興味で、あるいは打算で乗ってくる相手。ぼくが正当な対価をはらえる相手。対価を遠慮なく受けとる相手。このすべての条件をみたす人にしか、ぼくは協力をもとめてはいけない。ぼくの身勝手につきあってもらう人は、やはり身勝手な動機を持った人でなければならない。



「ちがう角度から、もうひとついやな話をお聞かせします。アンリ様はご友人がおられません」

「それたしかに聞きたくないけど、いまはちがうんじゃないかなっ!? そのとおりなんだけど、それはまわりに同い年くらいの子供がいないからだから! コミュ力ないわけじゃないから!」

 シリアスに考えこんでいたのがだいなしだ。

「いえ、だいじなことです。わたしはかねてから心を痛めておりました」

 そっと目頭を押さえてみせるタニア。なんなんだ、いったい!

「父様は、五歳ぐらいから少しずつ、親しい貴族の家にも連れて行くって言ってたし、学舎にはいれば友だちぐらいすぐできるよ!」

「そうでしょうか?」




 ふと気がつくと、タニアの顔は笑っていない。

「ご友人にはアンリ様がなさろうとしていることへの協力はたのめません。それはおわかりなのでしょう?」

「うん……」

「ご友人との関係が近ければ近いほど、アンリ様の真実を知れば、協力しようとしてくださるでしょう。でも、その申し出は受けてはいけません。それではご友人はもちろん、納得なさらない。なら、アンリ様はどうなさいますか?」

「はじめから、決してぼくの考えていることを、友だちに知られないようにする」

 それしかない。もちろん、それを知ったとたんに離れていく人も多いだろう。天に唾するのと同じような話だしね。そして、それならべつにいいんだ。だけど、離れていかなかったら、最悪だ。

「もちろん、他人との間に、隠しごとのひとつやふたつはあるのが当然です。ですが、その知られてはいけない真実は、アンリ様の存在の中心ちかくに位置するもの。そのような、アンリ様の重要な部分に決して開かないような鍵をかけたまま、親しい友人関係というものは成立するでしょうか? 成立するとして、長続きするでしょうか?」

 そこは考えていなかった。でも、親しければ親しいほど、その鍵のかかったところに近づく機会は多い。ぼくは、そのたびに相手をはねつけなければならない。



「うわべだけの関係であるなら、問題はないでしょう。しかし、アンリ様が目的にむかって進みつづけるなら、一歩踏み込めるご友人を得ることは、大変に難しいかと存じます。うわべだけのつもりがつい、ということになる可能性を考えると、安易に周囲の人との距離を縮めことすら危険かもしれません」

「一生ぼっちでいろ、ということだね」

 ああ、自分で言って悲しくなってくる。

「あくまで、ひとつの考え方でございます。アンリ様は時間を無限に持っているわけではございませんので、まわりの方々をつねに観察し、目的のために動いてもらう人を探さねばなりません。人間に一切近寄らない、というわけにもいかないかと」

「利用できる人間だけを探して、そのほかには見むきもするな、ってことか。うわあ、ぼっちよりひどいや。人間のクズかもしれない」

「クズでございますね」

 ここでタニアはにっこり笑った。

「本気でそのクズになる覚悟がおありなのでしたら、わたしは自分の力のおよぶ範囲でお手伝いをいたしましょう。わたしは、そうすることでマリエール様への恩返しになりますし、英雄が魔族領を徘徊するのを防げるわけですから、ちゃんと見返りもございます」

「ある」

「出発点に戻って、英雄としてあっけなく死ぬ、という選択肢もまだございますよ? 召喚が明日、明後日というわけでもございませんし、たぶん、そうされたほうが気楽な人生を送れるかと存じますが?」

「それはしない。英雄だったのは本来のアンリで、ぼくじゃない。ぼくがこの身体から英雄になれる可能性をうばった以上、ぼくはアンリを英雄としては死なせない」

「けっこうです。取引は成立、ということにいたしましょう」

「ありがとう、タニア。ああ、落ち着いたらおなかがすいたよ」



 ぼくはイスから飛びおりて、食堂に行って料理人からつまめるものをもらおうと歩き出した。だが前に進まない。タニアがぼくの服のエリを後ろからつかんでいた。
 そのまま吊り上げられ、イスの上に落とされる。

「なにするのさ!」

「アンリ様、なにをすべてが終わったようないい顔をなさっておいでですか? 覚悟が確認できただけで、話はなにも進んでおりませんよ?」

「でも、その覚悟が決まって、ぼくの目的のために役に立ってくれる人を、クズと呼ばれてでも探す、っていう結論が出たんだから……これ以上なにを?」

 タニアが深々とため息をついた。

「止まれと言って止まるものではないのが歴史の流れというものでございましょう? アンリ様が力づくで歴史に介入するためにはなにをする必要があって、そのためにどういう人材が必要なのか、わかった上でないと、いくら人を観察しても無意味でございます」

「そ、それは徐々に考えて、とか思っていたんだけど……ダメ?」

「お助けすると申し上げたのを、撤回させていただいても?」

「それは待って、お願いだから! たったひとりの味方じゃない!」

「本当にひとりだけになりそうなので、真剣に再考させていただきたいと思ったのですが……」

 タニアがため息をついた後、ふと姿勢を直す。ぼくも、すこし身構えた。

「アンリ様、状況を見て人材を探すのでは間に合いません。なんのためにわたしが歴史の見方をお教えしてきたのですか? 歴史の流れが止まるにはなにが必要だったか、止まらなかった歴史を見直しながら、全力でお考えください」

 いったい、何人の協力者を探すことになるのだろう? よく、人を口説くには、真心を持ってぶち当たれという。でも、真心が通じる相手ではダメなんだ、この場合。

「それと、ひとつ重要なアドバイスがございます」

「なに?」

「クズの仲間はクズのほうがよい、ということです」



「それ、なんか酷くない? ぼくって、これからクズとしかつきあえないってこと? そりゃ、友だちはあきらめたけたどさ。それだと、心が死んでいきそうだよ!」

「アンリ様は他人の善意をたよることはできません。友情や愛情をたよることもできません。となると、よけいな感情を交えずに、損得勘定だけで動いてくれたほうが好都合でございます。そして、できれば人間として壊れている方がよろしいでしょうね」

「どういうこと?」

「いろいろ思いつきませんか? 魔法を思う存分使うためなら誰が巻きこまれてもかまわない、あるいは、興味が向けば禁忌魔術にも平気で手を出す魔法使い。人が斬れればほかになにもいらないという剣士。効率的に人を殺すことだけを考える薬師。自分の手の上で他人が踊るところを見るのが何よりも好きな政治家。のし上がるためには他人を平気で売り、貞操すら簡単に投げ出す令嬢。他にもいろいろございますね」

「ええと、みごとなくらい人でなしだね、みんな。ほんとなら、だれとも関わり合いたくないんだけど」

「中途半端なクズが、いちばん役に立ちません。自分の心が求めることにはほかのなにを犠牲にしてもかまわない、という突き抜けてしまった相手であれば、はじめに相手の関心を引ければ、最後まで同じ道を行けるでしょう」

 正論なんだけど、どんどん気が重くなっていくのはなぜだろう……。

「クズになるには、それなりの踏ん切りが必要でございます。クズの目線でものを考えられなければ、クズの関心は引けません」

「覚悟しておくよ。クズの心に飲み込まれないように、うまくクズになるようがんばってクズになるよ」

「いま、いいことをいったとかお考えではありませんでしたか?」



「もうひとつきいていいかな? 歴史の流れを止める、っていうことは、先回りをする、ということでもあるよね。先回りに絶対に必要なのは、情報だと思うんだ。だけど、ドルニエ王国のことでもわからないことだらけなのに、もっと広く、大陸中のことを知らなきゃ、先回りなんてできないよね」

「そのために、なにをすべきかを考えるのですよ。そして、それにどういう情報が必要かを考えるのです。そうすれば、だれがその情報に近いか、見えて参ります。そこから、情報をたぐり寄せていくのです。やみくもに集めようとしても無意味です」

「前の世界では、必要な情報のほとんどは公開情報として存在している、っていわれていたよ。基本はここでも同じなんじゃないの?」

「向こうから勝手にやってくる情報は、大半がそれだけでは毒にも薬にもなりません。情報を整理する視点をもって、はじめてそれが示すものが見えてきますし、さらに詳しい情報を集める段取りも見えてきます。なにが必要なのか、自分で理解することが出発点です」

「それもこれからの課題ってことだね」

「あまりのんびりされても困りますが。では、お茶を入れて参りましょう」

 タニアが部屋から静かに出て行った。
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