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第一章 出発(たびだち)

1-5  方針(前)

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「うん、路頭に迷うことにはかわりがないし」

「いえ、ご家族のことだけであれば、さほど心配は必要ないかと。むしろ、とりあえずはあちらでも厚遇してくれるでしょう」

「え、そうなの?」

「英雄候補をおとなしく差し出せば、ですが」

「それ、ダメなんじゃないかな?  ねえ?」

「魔族は、本来彼らの強大な敵である英雄を手中に収めるわけです。大喜びで迎えるでしょう。ただ逃げるよりは、はるかに良策です。ですが、それは英雄が完全な英雄であった場合です」

「参考までにきくけど、できそこないだった場合は?」

「丁重にあつかわなければならない理由があるなら、教えていただければと存じます。魔族にとって害にならない勇者なら、むしろ人間のもとに送り返したほうが、いろいろ都合がいいでしょう」

「やっぱ、そうなるよね」

「だから愚策と申しあげました。でも、考えてみればそれも悪くないかもしれません。マリエール様たちのことはおまかせください。アンリ様の犠牲ですべてが丸くおさまります」

「全然ダメだよ!」

  いまは、ぼくが英雄として死なずにすむ方法を考えているのだから、それは本末顛倒だ。それなら、ふつうにぼくが、英雄としてムダ死にしたほうが、面倒が少なくてよい。



「となると、やっぱりもうひとつの考え方だね」

「うかがっても?」

  タニアはここでは茶化さずに先をうながした。

「英雄の出現には、条件があると思う。魔族の人間の世界への圧力が、一定の水準を超えること」

「魔族をたおして人間の危機を救う、というのが英雄の役目なのですから、それはただ言い方をかえただけではありませんか?」

「続きがあるんだ。結局、本格的な人間と魔族の争いは、両方がひとつにまとまったあとにしか始まらない。大陸からみると、超大国が成立するとだいたい十年ちょっとで魔族が侵攻を始める。このパターンはいつも同じだった」

「それは偶然ではないと言いきれますか?」

「たぶん偶然じゃない。『観察者』は、魔族の存在をシステムだと言っていた。そのときは意味がわからなかったけど、いまは納得できるんだ。あくまで人間の視点だけど、飽和状態になった人間社会を一度もとに戻すために仕込まれた力、といえばいいのかな。たぶん魔族の視点からも同じことが言える。」

「もう少し詳しく話してみてください」

「人間社会には国なんて最初はないよね。小さい勢力がぶつかって、まとまって、国みたいなものができていくんだ。そして国がしのぎをけずりあって、だんだん中規模の国に統合されていく。それが覇権を争って、ひとつにまとまる。ひとつにまとまった国は……」

「戦いを忘れて堕落していく、というわけですね」

「残る戦いは、内側の足の引っ張り合いだけだ。力のあるものは内側しか見なくなる。魔族が攻めこむのにうってつけだよね。戦力の質はさがっているうえに、守らなきゃならない国境線は長くなってる。外に対する緊張感がなくなっているから、機敏な対応ができない」

  タニアはそこではじめて笑みを浮かべた。

「ここまでは及第点といたしましょう。では、その先に進むまえに、わたしから魔族についてすこしお話しすることにいたします」

 そう言ったタニアが、うっすらと光に包まれた。そして、髪の色が黑から紫に変わり、肌はうっすらと緑色を帯びた。だが、大きな変化はそれくらいだ。あとは目がすこし切れ長になっているかもしれない。これが、本来のタニアの姿というわけか。

「魔族といっても、その生態が人間と大きく変わるわけではありません。姿については、人間よりはずいぶん変化に富んでいるかもしれませんが、わたしなどはこんなものです。魔力を使って姿を多少変える術は多くのものが身につけていますが、まったく違う姿になれるほどのものではありません」

 タニアの笑みが深くなった。う、やっぱり迫力がある。

「また、魔族は人間よりもはるかに長命ですが、そのせいで、生殖への関心が人間よりも小さいものがほとんどです。力が存在の価値、という部分の多い魔族は、子孫を残すよりも、自分が強くなる方に関心が向かってしまうのでしょうね。自分の命の限界を感じて生殖に頭が向かうころには、生殖能力が衰えてしまっていることも少なくありません。ですので、人間と戦うときに魔族にとってもっとも大きな問題となるのが、数です」

 そうか、だから英雄との戦いを何度くりかえしても、同じようなタイミングでしか侵攻を開始できないんだ。人間の社会が崩壊から回復して飽和に至る時間と、魔族が数において戦力を回復する時間が、ほとんど同じ。これが「観察者」が「システム」と呼んだ理由か。

「わたしの親などは、比較的生殖意欲が旺盛であった方ですが、それでもわたしは父と母が二百を超えてからの子供ですからね」

「そうか、いまのタニアぐらいの時にはもうタニア……」

「なにか?」

「なんでもありません」

 だめだ。この話題は完全にアウトだ。先をいそごう。



「タニアの説明どおりなら、今はまだ存在しない大国ができあがるまでは魔族の人間世界への侵攻はないと考えていいと思う。魔族は、ひとつの国がゆるく守っている国境は越えられても、いくつかの国がそれぞれに堅く守っている国境は、戦力が足りないから越えられない」

「ちなみに、いまの魔族の状況は、力のある何人かが覇を競っている段階です。人間社会にあてはめてみると、先ほどのアンリ様の説明の中の、中規模の国が覇権を争い始めるのと同じ段階ですね」

「つまりこちらでのちょうどいま、ということだね。ますますもって、よくできたシステムとしか言いようがないな……」

 このシステムがだれの手も借りずにできあがったというのだろうか? あの「観察者」は、自分にはたいしたことはできない、と言った。それは、言葉通りの意味なのだろうか? それとも、やはりこれは彼が作り上げたシステムで、単に、「動き始めたあとはたいしたことはできない」という意味か?

 ともあれ、ここまでの情報をもとに考えれば、このシステムが突然に、しかも自然に動きを変化させるとは思えない。

「次に英雄が召喚されるまで、あと二十年から三十年、っていうところか」

「ええ、アンリ様がホンモノの爺様になるころですね。もう、いっそ、十分に生きたということで英雄になってしまいますか?」

「いやいや、それもアリかなとすこしは思うけどさ、逆にここまで流れが見えちゃうと、意地でも抵抗してやる、という気になるものじゃないかな? それから、三十年たったとしても、まだ爺さんじゃないからね?」

「合計で五十年を超えれば、人間としては爺様の仲間入りは十分になさっていると思いますが、まあ、わからないではございませんね」

「でしょでしょ? だから、やっぱり英雄にはならない。そのために、歴史の流れに介入してやるよ。そして、このシステムを、一時的にでも止めてやる」

「そのせいで、ひょっとしたらあとからとんでもない反動があるかもしれませんよ」

「知ッたことじゃないよ。ぼくは、ぼくのまわりの人たちがつくる、ぼくのまわりに広がる、このほんの狭い世界が大好きなんだ。その中で生きていたい。ぼくは、ぼくのために生きる。自分を犠牲にして人間界のために、なんてことは、余裕のあるどこかの貴族にまかせておけばいいんだ」

「アンリ様自身が貴族であることを忘れておられるようですが、その覚悟がおありならけっこうです」

 あ、そうだった。

「ただ、出来そこないの英雄様には、ひとりで歴史を止めるようなことはすこし荷が勝ちすぎる気がいたしますね。そこはどうするおつもりですか?」

「だから知恵を借りたい、って言ったじゃない」

「ちょっと感心したところだったのですが、だいなしでございます」
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