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第一章 出発(たびだち)

2-5  教官(中)

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「魔力を薄く部屋のまわりに満たしているでありますな。魔力を感じることに慣れていなければ、気づかない程度であります。たぶん、アンリ様が警戒するかどうかを見ようとしているであります」

 事務棟の最上階にあるマッテオの部屋に、屋上から近づいたシルドラが、ぼくの横に移動してきてそう言った。

「先ほどは、アンリ様は魔法の発動のあとに避けたでありますか? それとも、発動前に避けたでありますか?」

「発動してからじゃ、あの距離じゃ避けられないよ。発動前に何かを感じて反射的に避けた……んだと思う。でも、それがなにか?」

「魔力を感じて避けたなら、もういちど魔力を感じるかどうかを試す意味はないであります。なにかほかの策があるはずであります。でも、魔力以外の何かを感じて避けた、というのであれば、こんどは充満させた魔力にどう対処するか、を試そうとしていると考えるのが普通であります。それ以外に仕掛けはないと思うでありますよ」

 うわー、理路整然と説明されちゃった。口調がこれでやられると、とことん負けた気分になっちゃうな。

「警戒しなくても大きな危険はなさそう?」

「感じられる限りでは大きな危険はないと思うであります。ゆえに手の内を少しでもさらすのか、あくまでカードはブタだととしらばっくれるのか、アンリ様次第でありますな。わたしとしては、手の内をさらす意味がわからないでありますが……」

 結論。シルドラはきわめて優れた斥候だ。必要な情報を集め、その情報の意味を考え、判断をする人間が決断を下せる材料として提供してくれる。

「わかった。あえて警戒を解いていってくるよ。演技にだまされてくれるかどうかはわからないけどね」

「今の段階では、だまされなくてもシラを切り続ければそれまででありますよ。追及する材料は、むこうにもないはずであります。もし、力づくでそこに踏み込んでくるのであれば、こちらも踏みこんで消滅させればよいであります」

「やらないよ?」

「やらないでありますか?」

 うーん、ちょっとだけ悲しそうなのが謎だ。でも、今日は生命の危険が生じないかぎりは荒事にはしない。ひたすらしらばっくれながら、マッテオのハラを探れるだけ探って時間を稼ぐ。うん、ぼくはちょっと優秀なだけのただの八歳児。ぼくはちょっと優秀なだけのただの八歳児。ぼくは……。

 やっていて、悲しくなってきた。自分で自分に「優秀」とか、イタすぎる。

「じゃあ、いってくるね」

「それじゃ、わたしはマッテオなにがしの身許を洗ってくるであります。夜にはだいたいのことが報告できると思うでありますよ」

「おねがい。あと、そういう言い方をするなら、シリルなにがしだから」

「了解であります!」

 敬礼とともに、シルドラは姿を消した。うん、どこまでが壊れてて、どこまでが優秀なのか、そのあたりの見きわめが重要だな、あの人については。
 さて、行こうか。



「すみません。アンリ・ド・リヴィエールです」

「入りたまえ」

 ドアを開けて、マッテオの部屋に入る。部屋のかなり手前から、たしかにうっすらと流された魔力を感じた。その魔力の中心にマッテオが薄く笑って立っている。

「父からの言付けとはなんでしょうか?」

「ああ、すまないね。それはきみにここに来てもらうためのいいわけで、言付けがほんとうにあるわけではないんだ。ウソをついてしまったことは申し訳ない」

 やっぱりな。

「はぁ……なぜぼくを?」

「きみはなぜ、自分の能力を隠しているんだい? ぼくはきみが適性試験を受けるところを、すこし離れたところから見ていたんだ。なにせ、兄弟がいずれも優秀なド・リヴィエール伯爵家の五人目だ。結構注目されていたんだよ、きみは」

「そうなんですか!? 知りませんでした」

 知らないわけがない。カトリーヌ姉様とフェリペ兄様の弟、というだけで注目される要素は満載だ。くわえて、イネスやジョルジュ兄様だって、いまの騎士課程、総合課程の注目株なんだからね。ふつう気づくし、もしぼくが気づかなくてもタニアが気づく。その場合は、大失敗と認定されてきついペナルティが待っていたはずだけど。

「まあ、そこはそういうことにしておこう。身体能力測定では、きみは明らかに力を抑えていた。ほかが七歳の子供だからね。みんな自分の限界以上の力を振り絞ろうとする。その中で、狙った結果を出すことだけを考えて動きを抑えているものがいれば、どうしても周囲から浮いてしまうのだよ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいです。がんばった甲斐があります!」

「それに気づいてから、きみの知力測定の結果を調べてみた」

 全然まともに取り合ってないな。それにしても、そこまでやってたのかよ。粘着質だな。これだけで、この人とは関わり合いになりたくない、という気がする。

「百問のうち五問、まったく同じ発想で正解を回避して誤答になっているものがあった。それを正解していれば、それだけで総合順位は五位まで上がる。身体能力測定の成績を、あと一割ずつ伸ばしたとすれば、リシャール・モンゴメリに大差をつけて首位で適性試験を通過する」

「それは、惜しかったということですね。もう少しがんばれば良かったのかぁ」

 その「間違え方」はうかつだったかもしれない。タニアに知られたらとんでもないことになるだろう。

「その可能性がゼロではないから、朝、試させてもらったんだよ。その結果は予想どおりだ。きみが十七番目の成績に甘んじる理由はなんだい?」

「朝、ですか? 何かありましたでしょうか?」

「ぼくがきみの名前を呼んだとき、すぐに立たなかったのはなぜだい?」

「えっと、恥ずかしいんですけど……軽いぎっくり腰で……、いきなり立ちあがるとちょっと……」

「フフフ……、ハハハハハッ……」

 おおっと、最初抑えてそれから高笑い。どちらかというと悪役的テンプレだ。しかし笑うなんて失礼な。ここに来る間に考えた、完璧ないいわけだぞ。

「ああ、失礼。おもしろいね、きみは。八歳ぐらいの子供なら、ここまでたたみかければ、もしウソをついていなくても、多少はしどろもどろになるはずなんだが、きみの受け答えはずっと変わらない。どういう教育を受けてくれば、そんなマネができるようになるんだい? 八年くらいで身につくものなのかい? すくなくとも、きみの姉さんや兄さんにはできないよね」

「ぼく、そんなにおかしいですか? あまり言われたことはないんですが」

「ああ、おかしいよ。でも、そこがいい。おもしろいね。話してみて、さらに興味がわいたよ。ここで、こんなおもしろい経験ができるとは思わなかった」

 うわー、ありがたくねぇ。そんな興味いらないから!

「ええと、こ、光栄です?」

「もういいよ、戻りたまえ。今日のところは、そうだな、勝敗なしということにしておくよ」

「それでは、失礼します!」

 ぼくはそれ以上不必要なことをいわずに、一礼してマッテオの部屋を出た。扉を閉めるその瞬間まで、マッテオの視線はぼくに注がれていた。



 事務棟を出たぼくは、まっすぐ食堂に向かった。まもなく午後のカリキュラムが始まる。それと同時に食堂も閉まるので、急がねばならない。

 スープとパンをもらって席に着き、ササッと平らげた。今日の午後は剣術実習だが、自由選択だ。騎士課程をめざすヤツは当然選択するし、総合課程狙いのヤツも、一年の間くらいはいちおう選択しておくようだ。選択しないのは、ぼくと、いまから魔法課程に狙いを絞っている数人だけだ。今日は、そうだな、図書館でちょっとひとりになることにする。



 適当な席を見つけてすわり、ぼんやりと先ほどのやりとりを思い返す。

 ボロを出す出さないでいえば、最初から出ていたボロをつかまれたまま睨みあって終わった、という感じだろう。マッテオのぼくに対する疑惑は、カケラも解消していないし、その一方でぼくも彼に新しい情報はいっさい与えていない……はずだ。トボけきれれば勝ち、という意味では勝ったが、彼の考えをより確固たるものにした、という意味では負けだ。

 なにより、いまの段階ではマッテオの狙いがわからない。疑惑を持ったとして、それをなぜ誰にも言わずにすませ、ぼくだけにぶつけてきたのか。仮にぼくがすべてを認めたとして、それが彼にどういうメリットをもたらしたのか。うさんくさいことこの上ない。あれだけもっているカードをさらしながら、自分の魔法の能力についてはいっさい触れなかったところも不気味だ。

「あいつ、ホントにただの教師なのか?」

「教師であることは間違いないでありますよ」

 危うく、声を出しそうになり、右手の人差し指を思い切り噛んでなんとかこらえた。いてえ……。

「シ、シルドラさんシルドラさん。ここ、図書館なんですから、思わず声を出しちゃうようなあらわれ方はやめてくれませんか?」

「それは失礼したであります。しかし、アンリ様もノスフィリアリ様の教え子なのでありますから、ちょっとやそっとのことで驚いていてはいけないでありますよ」

 たしかに、タニアが何かに動じたところは、あの三歳の時の事故以外はみたことがない。でも、それはある意味年の功でもあるとも思うんだ。これを言ってタニアに伝わったりすると大変なことになるから、言わないけどさ

「り、了解だよ。で、ずいぶん早いけど、なにかわかった?」

「結論から言えば、なにもわからなかったであります」

「ダメじゃないですかぁ!」

 ぼくは思いっきり声を抑えながらも、そう突っこまないわけにはいかなかった。
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