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第一章 出発(たびだち)

4-14 父と娘

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 リュミエラは足早に廊下を歩いていく。ぼくらは、そのあとをただついていった。そしてひとつの扉の前で立ち止まった。取っ手に手をかけ、ゆっくりと手前に開いていく。

「誰だ、こんな遅くにいきなり?」

リュミエラは何も言わずに部屋に入っていく。おくれてぼくらも踏みこむと、リュミエラは正面の机のむこうで目を見開いている男と向きあっていた。あれがアンドレッティ公爵エンリケということか。堂々たる体格をしている。さすが武の名門の当主だ。ただ、顔は多少品格に欠けるな。

「リ、リュミエラ! おまえ、どうして?!」

「こんばんは、アンドレッティ公爵。早速ですが、死んでいただきます」

 ス、ストレートだな、リュミエラさん。完璧な一礼をしてにっこり笑い、短剣を引き抜いて全身に身体強化の魔法をかけ、一歩踏み出した。というか、彼女の武器は短剣だったのか。ぼくが使っているヤツとほとんど長さは同じだが、彼女は双剣だ。

 そもそも、こういうところで相手の弁解を聞いて、その間に時間を稼がれて『ははは、かかったな』 というのはよくある話だ。問答無用で殺るのは正解だと思う。アンドレッティ公爵は剣の腕は一流だから、余裕を与えてはマズい。

「ま、まて。話を聞け」

「聞く必要をまったく感じませんので」

 リュミエラは一気に距離を詰めて右の剣を斜め上に斬り上げた。公爵がバランスを崩す。左の剣を突き出す。公爵は後ろによろけた。公爵の剣は……ある。斜め後ろ、三メートルほどか。まだ微笑みを浮かべている彼女は気づいているだろうか。

「リュミエラ、おまえ、親にむかって剣を抜くとは何ごとだ!」

 公爵は剣にチラと目をやりながら叫ぶ。リュミエラはさらに一歩距離を詰める。

「だれの親のおつもりですか? わたくしには親などおりません」

 次の瞬間、公爵は剣にむかって飛……ぼうとしたが、その足下にリュミエラが魔力を撃ちこむ。タニアがジルの額に撃ちこんだヤツだ。さほど威力は強くなかったが、跳躍寸前だった公爵は完全にバランスを崩す。彼女は一気に距離を詰めて公爵の太ももに斬りつけた。脚を傷つけられた公爵はその場に倒れこむ。

「ぐあああっ!」

 叫びを上げる公爵のもう一方の脚にも斬りつけたあと、リュミエラはその横を通って剣に近づき、それを手にとってぼくらのほうに投げた。うんうん、いい判断だね。こういうものを残しておくと、「ははは、油断したな、バカめ」という話になりがちだ。

「リュミエラ、卑怯だぞ! 戦うなら正々堂々と戦わんか!」

 脚を削ったリュミエラは公爵のその言葉になんの反応も見せなかった。ゆっくりと侯爵に近づき、利き手とおぼしき右の二の腕を斬る。容赦ない。容赦はないが……。

 公爵は残った左手を使って後ずさる。

「落とし穴の仕掛けはもう少し向こうですよ、公爵。いろいろ卑怯で姑息な手を用意していらっしゃいますね」

 依然として微笑みを消さないリュミエラが言って、左の二の腕にも斬りつける。公爵はもう身動きが取れず、その場にうずくまった。なんか、凄みが出てきたな……。

「待て、なんでわたしがこんな目にあわないとならんのだ?! 理由を言え!」

 うわー、この期に及んで言うことがそれですか? 報われないね。

「わたくしもひと月ほど前、そう思いました。たぶんお母様も。それに、わたしは公爵に納得して死んでいただきたいとは、これっぽっちも思っておりませんので、あしからず」

 リュミエラも大きくため息をついてそう言った。そして、アルマジロのように丸まって急所を隠そうとしていた公爵が往生際悪く這い出そうとした瞬間、大きくさらされた頸動脈を切り払った。血しぶきを浴びながら、彼女は身動きもしない。



 地球時間で十分ほどが過ぎたころ、リュミエラがこちらに振り向いた。あいかわらず微笑みを浮かべているが、返り血で迫力が凄いことになっている。これで斬りつけられても、逆にご褒美と思う人はけっこういるんじゃないかな。

「いかがでしたか、アンリ様」

 もとより、文句などつけるつもりもない。

「すごかったよぉ。ぼくにはマネのできないくらいの容赦のなさだったね」

「そうですか!」

 なぜかリュミエラが嬉しそうにした。はて、彼女が喜ぶようなことを言ったか?

「でも、やっぱりリュミエラは優しいね。ひと言を言う時間を与えてたでしょ?」

 とたんにリュミエラはションボリとする。アタリだったみたいだ。

「やはりわかってしまいましたか……。わたくしはどうでも良かったのです。ひと言でも母に対する言葉を口にしてくれれば、と思っていたのですが……妻と実の娘が盗賊に襲撃されるのを黙って見逃す人間に、期待するほうが愚かでしたね。申し訳ありませんでした。これで最後にいたします」

「好きなようにやればいいんだよ。約束したとおり、ぼくはなにも言わない」

「はい」

「そろそろ引き上げるでありますよ。ジェンティーレ伯爵は領地にいるでありますから、すぐに情報は伝わらないと思うでありますが、この手の話は思う以上に足が速いであります。それから、この剣とかめぼしいものを持っていくでありますよ。無理があるかもしれないでありますが、盗賊に見せられれば御の字であります」

 シルドラがぼくらに撤収を急がせた。

「リュミエラ、この部屋になにか、持っていくと役に立つようなものはある? 領地関係の資料などはここにあると思いますが、転売できるようなものではありませんし、持っていっても無意味でしょう。そうだ……ちょっと待ってください」

 リュミエラは書斎でアンドレッティ公爵が使っていた机の引き出しを次々と開けていき、最後にカギのかかっている引き出しに行き当たった。

「シルドラさん、このカギを開けることはできますか?」

「お安い御用であります」

 一瞬でカギは開いた。リュミエラがそこから取り出したのは、そこそこ分厚い紙の束(たば)だった。

「それは?」

「父の集めていた情報ですね。たぶん、王族や主だった貴族の醜聞がほとんどです」

 うわお。ひょっとしてロベールのもあったりするかな?

「管理するものがいなくなって拡散してしまうのも気の毒ですし、そのうちなにかの役に立つかもしれません。持って参りましょう」



 しかし、タニアの仕込みはほんとうに恐ろしい。本格的に鍛えてこなかった貴族のお嬢さまをモノにするならこれ、という形でリュミエラを仕上げた。まだ、ぼくの運命はタニアの手のひらの上にあるのかもしれないな。
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