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第一章 出発(たびだち)

4-15 応報(前) 

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 次の日、案の定リュミエラは夕方まで寝ていたようだ。夜になってシルドラといっしょに学舎に現れた彼女は、申し訳なさそうに頭をさげた。

「面目ないです。自分で思っている以上に消耗していたようです」

「無理ないでありますよ。このあいだのアンリ様など、終わった瞬間にぶっ倒れて数時間目が覚めなかったであります。それに比べれば立派なものであります」

「言っておくけど、あれは傷が深すぎたからだからね! ショックで気を失ったとかじゃないから!」

「まあまあ、婦女子の前でいいカッコしたいのはわかるでありますが、ムリしないほうがいいであります」

「完全に否定はしないけど、その『婦女子』にシルドラ入ってないから!」

「あの……よろしいでしょうか?」

 リュミエラがぼくとシルドラの間にはいった。最初のころよりも割りこむタイミングが良くなっている気がするな。

「あ、ごめん。今晩の方針を決めなきゃね。その前に腹ごしらえをしておこうよ」

「待っていたでありますよ。腹が減っては暗殺はできん、であります」

「んじゃ馭者さん、うまい店につけてよ」

「だから辻馬車あつかいは止めてくださいであります……」



「大叔父とヘラには容赦をするつもりはかけらもありませんが、大叔母はいろんな意味で自分のない人ですから、今回のことを知っていたかどうかも疑わしいと思います。かりに知っていたとしても、生きてもらうことが、だれかに頼らなければ生きていけないあの人への最大の復讐になるかと」

 食事を済ませて学舎外の茂みに戻ると、リュミエラが自分の考えを話した。

「公爵第二夫人母娘、前伯爵夫妻に真相を知らせるかどうか、という問題があるけど、それは考えたかな?」

「考えたのですが……ミリア様たち、お祖父様たちにほんとうのことを知らせたとして、それは自己満足にすぎないかもしれないという気がしています」

「侯爵や伯爵を手にかけたことの言い訳、ということだね?」

「それに、ミリア様たちは公爵が死んだことで苦しまれると思います。その上に苦しみを積み上げるのは忍びないと感じます」

 まあ、それはそうだろうな。なんだかんだいっても夫婦であり親子だ。公爵が死んだことで二人には今後苦労が待っているだろう。

「お祖父様たちにしても、いまさら『真相はこうだった』と知ったところでなにも取り戻せないでしょう。わたくしはただのリュミエラであり、リュミエラ・アンドレッティという娘は盗賊に襲われて死にました。それを唯一の真実としてしまうのがよいと思います。伯爵家の家督の問題についても、貴族の社会では珍しいことではありませんし、今のわたくしがそれを蒸し返そうとは思いません。ですから、料理人はどうでもいいです」

「そこには自分がしたことを知られたくない、という気持ちはあるの?」

「望みを果たしてそれで終わり、というのなら、わたくしは自分のなすことにいくらでも責めを負いましょう。でも、わたくしにはその後やるべきことがあります。リュミエラ・アンドレッティが生きているという事実は、その障害にしかなりません」

 たぶん、そこが一番重要なところだろう。アンドレッティ家のリュミエラは、もはや存在してはいけないんだ。真相を知らせることは、その生存も明かすことになる。ぼくらにとってとる必要のないリスクだ。

「了解。じゃあ行こうか、シルドラ」

「ヘイどちらまで、であります」

 シルドラ、馭者モードが板についてしまってるぞ。



 転移した先は、ジェンティーレ伯爵の屋敷の玄関先ホールだ。灯りも落ち、人の気配は感じられない。

「それではまいります」

 リュミエラは階段を上がると、迷わず廊下奥の部屋をめざした。部屋の前に立ち止まると、ドアを一気に引きあける。昨夜は少し感じた気負いが今日はまったく感じられない。ステージが上がったということだな。

「リ、リュミエラ! おまえ、なんで生きてッ……!?」

 部屋の中央の寝台の上に太った裸の中年男がいた。この時点で昨日のアンドレッティ公爵よりもはるかに難度の低い相手であることは明らかだ。だが、イレギュラーがあった。伯爵は女と乳繰り合っていた。

 ぼくはとっさに開いたままのドアを閉めた。女が助けを呼ぶのを警戒したのだが、そのときにはすでにリュミエラは寝台に飛び乗り、まさに大声を上げようとしていた女ののどを短剣で斬り払っていた。倒れる女が残す血しぶきにかまわず、彼女はそのまま伯爵に刃を突きつける。

「待て、話を……ギャアッ!」  

心臓をひと突きされ、蛙がつぶれたような声を上げて伯爵は目をむいたまま絶命した。テンプレを許さないリュミエラ姉さん、ステキです。なぜこういうとき、相手が話を聞くと思えるのかが謎だね。

「汚らわしいモノを見せられてしまいました。それではヘラの部屋にまいりましょう」



 どうやら乙女としての心も忘れ去ってはいなかったようだ。短剣をひと振りして血を払うと、伯爵とその愛人の死体には目もくれず、リュミエラは部屋の扉を開けて廊下に出る。あわてて後を追うと、すでに反対側の奥に向けて廊下をスタスタと歩いている。心なしか、先ほどよりも気が高ぶっているようにみえる。

 廊下の反対側の突き当たりの少し手前でリュミエラは立ち止まった。伯爵の部屋には立ち止まりもせずにはいっていったが、こんどは一呼吸置いている。いや、一呼吸おいているというか、呼吸を整えているな。なんとなく、心を決めかねているようにも見える。

 いったいどうしたんだろう? やっぱり同じ年頃の娘を殺すのにためらいが出てきたのだろうか? だとしたら、この先に不安を残す。素人の女子供だから手を出すのをためらう、というのは、まっとうな人間の心を持った人間のやることだ。

 意を決したようにリュミエラが顔を上げ、取っ手に手をかけた。そして扉が開かれ、ぼくらは部屋に踏みこむ。すでに寝着に着替えてくつろいでいた娘が立ち上がり、こちらを見て息をのんだ。


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