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第二章 陽だまり
5-5 マイヤ再び
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「は、初めてじゃねえの、リシャールが勝てなかったのって……?」
マルコが沈黙を破り、素っ頓狂な声を上げた。それで凍りついた場が一気にゆるんだ。
「指先ひとつ動かせませんでした。自分の剣は女の子の遊びなんですね……」
飛び入りゲストのベアトリーチェがまだ呆けている様子でつぶやく。ほかを見るとルカは静かに手を叩いてくれている。フェリペ兄様とイネスは少し難しい顔をしている。まあ、そうだろうな。
「負けだよ、ぼくの。あのままアンリの腹に剣が入っても斬れない。手に力が入ってなかったもの。三回剣がぶつかって、ぼくの手はだめになっちゃった」
「引き分けだよ。それが判定じゃん。たぶん、リシャールの剣のほうが速かったし。それに、今日のぼくの剣は、今日リシャールとやるためだけの剣だよ。リシャールはもっと強くなるから、次はもう通じないし」
「そうなのかな……」
「そうなんだって。それより、終わってほっとしたらお腹すいたよ。どこかでおやつでも食べない?」
「それでしたら、わたしとマイヤさんがお菓子を持ってきましたので、食堂でいただきませんか?」
おお、女の子の飛び入りゲストの恩恵だね。
「さすがベアトリーチェさん! 行こうぜ!」
「アンリ」
みんなが移動しはじめたが、フェリペ兄様がぼくを呼び止める。立ち止まって振り向くと、兄様はあいかわらず難しい顔をしている。
「あの剣はだれに学んだ? 父様が教えた剣じゃないはずだ」
まあ、兄様ならそう聞くよね。師匠は同じなんだから。父様の剣はリシャールと同じ騎士の剣。相手を屈服させる剣だ。フェリペ兄様の剣も、当然同じ。
「リシャールとやるために研究したんだ。今のぼくが使える父様の剣では、リシャールには勝てないからね」
「父様の剣を捨てたわけではないんだな?」
「捨てようとして捨てられるものじゃないよ、兄様。根っこに入っているものだもん」
「そうか、ならいい。それに、そういう発想がおまえの強さなんだろうしな」
フェリペ兄様はなんとか納得してくれた。舌先三寸だけど、まったくウソでもないから許してほしい。
「それじゃ行くけど、兄様たちもどう?」
「今日は遠慮しておくよ。たまには週末、ぼくらといっしょに屋敷に顔を出せよ」
フェリペ兄様とイネスは騎士課程校舎の方に歩きだしたが、途中でイネスが駆け戻ってきて有無を言わせずぼくの両の耳をつかんだ。こいつは頭に血が上っているとすぐこれをやるんだ。
「あんた、兄様はごまかせても、わたしはごまかせないわよ。最後、わざと振りかぶって時間をかけたでしょ?」
げ、やっぱりわかってたか。兄様は勝ちを放棄するなど発想の外だから意外と気づかないかも、と思ったが、勝負カンに優れるイネスはやっぱりごまかせなった。
イネスは耳をつかんだまま、ぼくの頭を振りまわす。やめろ~。
「こんど勝ちを捨てるような真似をするのを見たら、承知しないからね」
そう言い捨てて、兄様の後を追っていった。うん、だいじょうぶ。もうやらないから。
食堂に行くと、五人はテーブルを囲んでお茶とお菓子を楽しんでいた。
「遅かったな。始めちゃってるぞ」
お菓子をほおばったまま、マルコが言う。顔がゆるんでいるし、どうやらおいしいらしい。たしかにお菓子の甘い香りとお茶の香りが混じり合って、食欲を誘う。
空いている席に座ってクッキーのようなお菓子をつまむ。ほどほどの甘さとバニラのような香りが絶妙だ。やはり侯爵家令嬢が持参する菓子は違う。
「これほんとにおいしいね。すっごく高かったりするの?」
「気に入ってもらえてうれしいです。わたしとマイヤさんで作りました。男同士の真剣勝負に強引にお邪魔したおわびです」
「……わたしは下ごしらえのお手伝いをしただけです」
これが手作りとな? ベアトリーチェさん、人間力、貴族力だけでなくて、女子力まで高かったのか。どんだけパーフェクト?
……あれ、考えてみれば貴族はそんなことしないんじゃないか、ふつう? たしか手作りのものの意味合いって、前の世界とは違って低いよな、貴族の世界では? むしろ風変わりなお嬢さまなのかな?
「ぼく、まだうまくつかめない……」
リシャールが両掌を見ながらしょげかえった声で言う。ルカがひとつ手にとってリシャールに食べさせる。おいおい、特定属性の方々を喜ばせる真似をするんじゃない。
(☆。☆)
……マイヤの目が光った気がしたけど、気のせいだよな?
「アンリ、決着はつけさせてくれるんだろうな?」
「かんべんしてよ、今日で手の内見せちゃったんだから。あれだけ意表を突かなきゃいい勝負できないってことだから、リシャールのほうが強いのはまちがいないよ」
「でもさ……」
「兄様たちにまたリシャールとやってくれるよう頼んでやるからさ」
「うー、わかった。いちおう納得しとく」
ダダっ子じゃないんだからさ、頼むよ。
お菓子の売れ行きは好調であっという間になくなり、そこでお茶の会もお開きになった。男子女子、それぞれに寮に引き上げる。ちなみに、今日の勝負はこの六人の間だけにとどめる、ということを必死でお願いし、みなも約束してくれた。ひと安心だ。
「おみごとでした」
去り際にマイヤがぼくにそっとささやいた。
リシャールといい勝負をしたことに対して、と考えられないこともないけど、やっぱりうまく引き分けに終わらせたことに対して、だよな。マイヤだし。
まあ、ぼくにそれを言う、ということはいまのところ敵意はないからだし、ベアトリーチェと敵対するつもりなんかないから、深くは気にしないでおこう。深くは、ね。
マルコが沈黙を破り、素っ頓狂な声を上げた。それで凍りついた場が一気にゆるんだ。
「指先ひとつ動かせませんでした。自分の剣は女の子の遊びなんですね……」
飛び入りゲストのベアトリーチェがまだ呆けている様子でつぶやく。ほかを見るとルカは静かに手を叩いてくれている。フェリペ兄様とイネスは少し難しい顔をしている。まあ、そうだろうな。
「負けだよ、ぼくの。あのままアンリの腹に剣が入っても斬れない。手に力が入ってなかったもの。三回剣がぶつかって、ぼくの手はだめになっちゃった」
「引き分けだよ。それが判定じゃん。たぶん、リシャールの剣のほうが速かったし。それに、今日のぼくの剣は、今日リシャールとやるためだけの剣だよ。リシャールはもっと強くなるから、次はもう通じないし」
「そうなのかな……」
「そうなんだって。それより、終わってほっとしたらお腹すいたよ。どこかでおやつでも食べない?」
「それでしたら、わたしとマイヤさんがお菓子を持ってきましたので、食堂でいただきませんか?」
おお、女の子の飛び入りゲストの恩恵だね。
「さすがベアトリーチェさん! 行こうぜ!」
「アンリ」
みんなが移動しはじめたが、フェリペ兄様がぼくを呼び止める。立ち止まって振り向くと、兄様はあいかわらず難しい顔をしている。
「あの剣はだれに学んだ? 父様が教えた剣じゃないはずだ」
まあ、兄様ならそう聞くよね。師匠は同じなんだから。父様の剣はリシャールと同じ騎士の剣。相手を屈服させる剣だ。フェリペ兄様の剣も、当然同じ。
「リシャールとやるために研究したんだ。今のぼくが使える父様の剣では、リシャールには勝てないからね」
「父様の剣を捨てたわけではないんだな?」
「捨てようとして捨てられるものじゃないよ、兄様。根っこに入っているものだもん」
「そうか、ならいい。それに、そういう発想がおまえの強さなんだろうしな」
フェリペ兄様はなんとか納得してくれた。舌先三寸だけど、まったくウソでもないから許してほしい。
「それじゃ行くけど、兄様たちもどう?」
「今日は遠慮しておくよ。たまには週末、ぼくらといっしょに屋敷に顔を出せよ」
フェリペ兄様とイネスは騎士課程校舎の方に歩きだしたが、途中でイネスが駆け戻ってきて有無を言わせずぼくの両の耳をつかんだ。こいつは頭に血が上っているとすぐこれをやるんだ。
「あんた、兄様はごまかせても、わたしはごまかせないわよ。最後、わざと振りかぶって時間をかけたでしょ?」
げ、やっぱりわかってたか。兄様は勝ちを放棄するなど発想の外だから意外と気づかないかも、と思ったが、勝負カンに優れるイネスはやっぱりごまかせなった。
イネスは耳をつかんだまま、ぼくの頭を振りまわす。やめろ~。
「こんど勝ちを捨てるような真似をするのを見たら、承知しないからね」
そう言い捨てて、兄様の後を追っていった。うん、だいじょうぶ。もうやらないから。
食堂に行くと、五人はテーブルを囲んでお茶とお菓子を楽しんでいた。
「遅かったな。始めちゃってるぞ」
お菓子をほおばったまま、マルコが言う。顔がゆるんでいるし、どうやらおいしいらしい。たしかにお菓子の甘い香りとお茶の香りが混じり合って、食欲を誘う。
空いている席に座ってクッキーのようなお菓子をつまむ。ほどほどの甘さとバニラのような香りが絶妙だ。やはり侯爵家令嬢が持参する菓子は違う。
「これほんとにおいしいね。すっごく高かったりするの?」
「気に入ってもらえてうれしいです。わたしとマイヤさんで作りました。男同士の真剣勝負に強引にお邪魔したおわびです」
「……わたしは下ごしらえのお手伝いをしただけです」
これが手作りとな? ベアトリーチェさん、人間力、貴族力だけでなくて、女子力まで高かったのか。どんだけパーフェクト?
……あれ、考えてみれば貴族はそんなことしないんじゃないか、ふつう? たしか手作りのものの意味合いって、前の世界とは違って低いよな、貴族の世界では? むしろ風変わりなお嬢さまなのかな?
「ぼく、まだうまくつかめない……」
リシャールが両掌を見ながらしょげかえった声で言う。ルカがひとつ手にとってリシャールに食べさせる。おいおい、特定属性の方々を喜ばせる真似をするんじゃない。
(☆。☆)
……マイヤの目が光った気がしたけど、気のせいだよな?
「アンリ、決着はつけさせてくれるんだろうな?」
「かんべんしてよ、今日で手の内見せちゃったんだから。あれだけ意表を突かなきゃいい勝負できないってことだから、リシャールのほうが強いのはまちがいないよ」
「でもさ……」
「兄様たちにまたリシャールとやってくれるよう頼んでやるからさ」
「うー、わかった。いちおう納得しとく」
ダダっ子じゃないんだからさ、頼むよ。
お菓子の売れ行きは好調であっという間になくなり、そこでお茶の会もお開きになった。男子女子、それぞれに寮に引き上げる。ちなみに、今日の勝負はこの六人の間だけにとどめる、ということを必死でお願いし、みなも約束してくれた。ひと安心だ。
「おみごとでした」
去り際にマイヤがぼくにそっとささやいた。
リシャールといい勝負をしたことに対して、と考えられないこともないけど、やっぱりうまく引き分けに終わらせたことに対して、だよな。マイヤだし。
まあ、ぼくにそれを言う、ということはいまのところ敵意はないからだし、ベアトリーチェと敵対するつもりなんかないから、深くは気にしないでおこう。深くは、ね。
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