上 下
66 / 118
第二章 陽だまり

Interlude 3  ローリエ・シャバネル(後)

しおりを挟む
「それって、現場で裏切る、っていうことですか?」

「現場では連携を乱すような動きをするだけでありますよ。裏切るのは撤収後であります。現場ではあくまでローリエさんに暴れてほしいであります。アンリさんより強いと聞いたでありますよ。それなら問題になるようなヤツはいないであります」

「わたしが背中を守りますので、思う存分どうぞ。ただ、人を斬るのは初めてですよね? だいじょうぶですか?」

 そこは、ひと晩考えた。いまも、大丈夫と言い切る自信はない。だけど、それが出来れば、自分の中でなにかが変わる気がする。ぼくのことを心配して、望まないままに二人目の奥さんをもらうことを決めた父上に、なにかを返せるようになる気がする。

「経験はないから、大丈夫だというのは無責任ですよね。でも、出来ると思いますし、やります」

「言葉はふつうでいいですよ。昨日のアンリさんみたいに」

「そう言われても、ちょっとすぐには……あの、アンリってなにものなんですか? ぼくより年下なのに、ぼくよりずいぶんいろんな世界を知っているみたいで」

 リエラさんは少し曖昧な笑みを浮かべた。

「それは、アンリさんが話してくれるのを待ちましょう? わたしたちが勝手に話すわけにはいきませんから」

 そうか……。たぶん、いまきいても話してはくれない、ってことなんだろうな。二年間、いろんなことを学んで成長できたら、ドルニエに派遣で行ったとき、きけるかな?

「決行は明日の朝になっているであります。リエラは今日中に先行してほしいであります。冒険者を最低ひとり生け捕りにしてくれれば、残りの処理はわたしがやるでありますよ」

 処理……ね。やっぱりちょっと怖いかな。



 その日の昼にシュルツクを出発して、遠征の一行の目的地の少し手前で天幕を張って野営した。リエラさんといろいろな話をしたが、ますますリエラさんがわからなくなる。まるで貴族のお嬢さまのような話題の豊富さと話術の巧みさだ。純粋に女の子として憧れてしまう。それでいて、ときおり冷徹な空気を漂わせる。

「リエラさんのことも、教えてもらえないのかな?」

「それもまた、機会があれば、ですね」

 やっぱりね。これから二年、がんばって大人になろう。



 翌朝、天幕をたたんで待ち構えていると、遠くから砂煙が見えてきた。

「馬車は一台のようですね。かわいそうですが、馬をつぶしましょう」

 そう言って弓を構えたリエラさんが何ごとかつぶやき、身体が魔力に包まれる。身体強化の魔法だろうか。馬車までの距離が半分くらいになったところで、引き絞った弓から矢が放たれる。ありえない速度、角度で飛び出した矢は、吸いこまれるように車を引いて走る馬に命中した。一頭が倒れ、もう一頭が驚いて立ち上がる。続いて放たれた矢がその馬にも命中し、横倒しに倒れた。それを追いかけるようにゆっくりと車が横倒しになった。アメリさんは大丈夫なんだろうか?

 車の中から十人が這い出してきて、少しのあいだあたりを見回していたが、ぼくらを見つけるとこちらに向かって駆けだした。

「もう少し減らしますね。動くのはそれからで。ムリに殺そうとせず、動きを止めることを心がけてください」

「わかったよ」

 さらに三人が倒れた。残りは……七人だ。アメリさんは最後尾にいる。途中でなぜか二人ほどが転倒した。アメリさんに助け起こされてふたたび走り出すが、ずいぶんと遅れてしまっている。



 ぼくは、右端の相手に向かって駆け出した。走り方を見てあまり強くないことを確信したのと、端の相手を狙えば、反対側に弓が撃てるかもしれないと思ったからだ。その通り、ぼくがめざす相手と対峙する前に、ひとりが矢を受けて倒れる。

「ガキがぁ! よくも……」

 相手が剣を振りかぶってぼくをたたき切ろうとする。だがスキだらけだ。ぼくは姿勢を低くしつつ速度を落とさずに接近し、身長の差を利用して相手の太ももを切りつけ、すぐに距離をとる。相手は崩れ落ち、太ももを押さえてうめき声を上げる。リエラさんはと見ると、弓を捨てて短剣を両手に持ち、あっさりと喉を掻き切ってひとりをしとめていた。

 倒れた相手にかまわず、近くにいたもうひとりに向き合う。勢いでこちらを吹き飛ばそうとするように剣を振りまわしてくる。ひと振りを足を止めてかわし、がら空きの腹を切り払う。膝をついてうずくまる相手をどうしようか一瞬迷ったが、すべてを振り払うつもりで、首筋に剣を突き立てた。噴き出す血がぼくにもかかる。……これでもう、後戻りは出来ないな。

「話が違うであります! わたしは逃げるでありますよ!」

 声を上げたアメリさんが方向を変えて走り出すと、遅れていた二人がそれに続いた。途中で矢を受けた三人を助けおこし、バラバラに逃げ去っていった。二人はそのまま走って行ったが、アメリさんはひとりをかついだまま、馬車に戻っていく。

 ここに残ったのはふたつの死体と、太ももを切られてうめき続けているケガ人。ぼくが最初に対峙した男だ。少し離れたところにもうひとり、リエラさんの矢で倒れた男がいるが、生きているか死んでいるかはわからない

「十分です。この男はわたしが確保しておきますから、遠征の一行にこれを知らせて責任者を引っ張ってきてください。わたしは顔を見られるわけにはいかないので姿を消していると思いますが、逃げた仲間を追っていったとでも」

 リエラさんが微笑みながら言った。顔を見られるわけにいかない、というのが気になるが、そんな場合ではない。

「了解!」



 ぼくは駆けに駆けた。これ以上息が続かない、と思いかけたとき、遠征の一行の野営が見えてきた。気力を奮い起こしてもう少し走ると、小さな子供がこちらを見て立っている。アンリだ。あ、こっちに向かって走り出した。少し笑いかけてくれているような気がした。

(よくやった、と言ってくれるかな)

 足を動かしながらも薄れていく意識の中で、そんなことを考えていた。
しおりを挟む

処理中です...