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第三章 雄飛

7-17 ローラ(後)

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 結局、バルデの商隊にはビットーリオとヨーゼフが護衛として同行することになった。そして、商隊のゲストとしてエマニュエルも行く。それで護衛の報酬は三人分払ってくれるらしい。おいしい話だ。

「アッピアから商品の打診が以前からあったらしいよ。ただ、条件に合う商品がないのでそのままになっていたんだって」

 翌日の夜、エマニュエルがバルデとの話を報告してきた。

「条件に合う商品って?」

「自白剤っていえばいいのかな。尋問なんかに使いたいらしい。もちろん、投与すれば自白、なんて魔法
みたいな薬はないけど、集中力をそいで尋問への抵抗力を落とすことはできる。ちなみに、洗脳にも使えるよ。それを話したらグイグイ乗ってきた」

 裏だ。裏すぎる。

「それはそうと、ヨーゼフさんの代役に雇ったローラさんもあそこに住むの? そろそろ狭くない? ヨーゼフさんやローザさんも、そろそろなんとかしてあげた方がいいよ?」

 エマニュエルだけは、これまでローリエと特段の接点がなかったんだよね。彼女にもふつうに接している。一番自然に「ローラ」と呼んでいるのは彼だ。

「物件をあれこれ選んでるときりがなくてさ。あそこを決めるのも、けっこう手間かかったんだ。それに子供だとなかなか相手にしてくれなくて」

「寝る場所と食事は大事だよ。それで不満の七、八割は消えて飛ぶからね。隣にわりと大きい家が空き家になってるじゃない。実験室をもらっていいなら、ぼくが買っちゃってもいいよ? さっきの薬を権利ごとバルデさんに売ったら、たぶんおつりが来る」

 そうか、アゴ・アシ・マクラは大事だというしな。

「えらく太っ腹だね。ありがたいけど、いいのかい?」

「この歳になると金への執着なんてないからね。ぼくを退屈させないようにしてくれればいいさ。あと、二年後からきみが住む家も買っておいた方がいいよ」

「いまの拠点に移ろうと思ってたんだけど?」

「きみが影の存在になろうとするなら、生活の本拠は分けたほうがいいよ。伯爵家の屋敷のほうがまだましだね。えたいの知れない集団と一緒に生活しているってことになると、だれかの記憶に残る。アッピアから戻ったら見つくろっておくよ」

 タニアに説教されているみたいだ。ぐうの音も出ない。これは年の功といって片づけちゃいけないな。勉強させてもらおう。

 エマニュエルは三日後の出発までにバルデをとおして隣の家を買ってしまった。読みのとおり、かなりおつりが来たらしい。そのおつりもぼくに預け、自分の使う部屋を決めた上で「あとは勝手にやって」と言い残して旅立っていった。商家の出ということもあるのだろうが、とにかく動きが速い。どこか様式美にこだわってしまう貴族とは少し違う。実によい人材を手に入れたね。

 ちなみにその効果もてきめんだった。ローザにその家に住むようにすすめると、泣いて喜んでいた。「どこまでもついて行きます」だそうだ。



 バルデの一行がアッピアに向かった六の日、入れ替わるようにフェリペ兄様とアウグスト殿下がカルターナに戻ってきた。カトリーヌ姉様はもう少し領地にとどまるらしい。そして、ロベールやシャルロット様とともに、こんどはウォルシュ侯爵の領地の屋敷に向かうそうだ。跡取りの顔見せって、ホントに大変だね。

「アウグスト様、以前引き合わせてもらったローリエさんは、いまどうしてます?」

「ん? 懐かしい名前だね。彼も非常に残念なことになってしまったね」

「え? なにか彼にあったんですか?」

「うむ、なにせ騎士養成学校の歴史でも指折りの天才児といわれた男のことだからね、ぼくの耳にも聞こえてきたよ。彼は学校始まってはじめて二度の飛び級をしてね、一昨年に卒業、その後近衛騎士団に任官されたんだ」

 やっぱり凄えな。というか、あのあともどんどん凄くなっていったんだな。なのにそれを感じさせない、いまの残念さはなんだ?7

「だが、任官一年ほどで健康を損ねてね。惜しまれたが近衛騎士団を辞して家督を返上し、いまはシャバネル伯爵家ゆかりの場所で療養生活を送っているときくよ」

「え? 家督を返上って、シャバネル伯爵家にほかに男子は……」

「よく知っているね。シャバネル伯爵は三年ほど前に側室をとられたが、その側室が男児を産んだのだよ。だからいまはその二歳になる男児が伯爵家を継ぐことになっている。ローリエくんは華のある騎士だったから、ほんとうに残念だよ」

 ぼくはなんとなく理解した。すべてはローリエの筋書きどおりなのだろう。

 シャバネル伯爵はローリエにずっと申し訳ないと感じていた。だから、彼が自分の都合でローリエを廃して、長男を跡継ぎに据えたはずはない。ローリエは、不自然に見えない形で弟に家督を譲れるように立ち回ったんだ。途中で道を外れて不審に思われないよう、できるだけ早く騎士になり、そして「病気になって」騎士をやめて家督を返上する。周囲は惜しむだろうが、同時にやむを得ないと思うだろう。

 そしてローリエは女の子に戻り、小さいころからの夢のとおり、旅に出たんだ。

「そうだったんですか……。早く体調がもとに戻るといいですね」

「完全な回復は望めないときくが、あれだけの逸材だ。活躍する場はいくらでもあるだろうね」

 なんとなく、ローリエがローリエのままで嬉しかった。ローラとしての彼女はかなり残念だが、それでも彼女のやってきたことは凄い。素直にそう思う。

「それはそうと、イネス姉様のほうはいかがでしたか?」

「お、おう……、あまり進展があったとは言えんのだ。条件は出してくれたが、とても実現不可能な条件でね」

「というと?」

「一度でも彼女と剣の勝負で引き分けられれば、真剣に考えてくれるそうだ」

 あれ、勝てば、じゃないのか? 意外とイネスもその気なのかもしれないな。ともあれ、いい情報をくれたアウグスト様に少しお礼をしなければ。

「アウグスト様、どうするおつもりですか?」

「妙案はない。フェリペくんに鍛錬につきあってもらうことにはなっているが、彼も忙しいしな」

「ぼくがつきあいますよ。兄様にきいてもらえばわかると思いますが、引き分けるための剣ならば、たぶんぼくの方が上です」

「なに、ほんとうか? 助かるよ、アンリくん。是非お願いする!」

 アウグスト様は深々と頭を下げた。皇族なのにためらわずに頭を下げられるこの人、ぼくは嫌いじゃない。二人でイネスをあっと言わせましょう。
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