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第三章 雄飛

7-21 微震(後)

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 翌日の午後、図書館で時間をつぶしていると、午後の授業を終えたベアトリーチェが入ってくるのが見えた。今日は特に用はないので声はかけるつもりはないが、パッと見でも元気になっているのがわかる。今日は薄化粧もしていないようだし、動きにもハリが増している。

 こうやって元気なところを見ていると、ホントにきれいな子だと思う。いかにも性格がキツそうな顔立ちなのにソフトな物腰と気配り、というギャップは、男なら萌える。彼女に特段の感情を抱いていないぼくですら、首筋がチリチリしてくる感じだ。

「ベアトリーチェ様を汚らしい妄想に使わないでください」

「うわっ!」

 あぶなく大声を上げるところだった。ふりむくとマイヤが立っていた。恐ろしい。またまた気配をまったく感じなかった。

「い、いつからいたの?」

「わたくしはベアトリーチェ様と一緒に図書館に参りましたが?」

 まったく気づかなかったぞ? どんだけ異能者なんだよ! ナチュラルチートを使いつぶしているだけのぼくよりも、よっぽど転生者っぽいんじゃないか、この子?

「妄想なんかしてないよ! ひとぎきの悪いこと言わないでくれる?」

「そうですか? わたしはまた、アンリさんが脳内でベアトリーチェ様を汚い欲望のはけ口にされているのかと」

「してない! それで、今日はなにか用? ぼくはそろそろ用事があって出かけるけど」

 なんとなく早めに距離をとったほうがよさそうな気がした。

「おや、それはそれは。わたくしも所用がございますので、ご一緒しましょう」

 自爆した。しかし、ぼくはこれからローリエと合流しなくちゃいけない。ついてこられると少し困るが、この子は妙にカンが鋭いから、強く断ると逆に怪しまれかねない。携帯があるわけじゃないから、急なスケジュールの変更はむずかしい。どうしたもんかな。



マイヤの用事は買い物だというので、商業区まで一緒に行った。そこからうちの屋敷に向かうことにして、うまいことマイヤと別れた。バレないかどうか心配で、首筋がチリチリしたが、どうやらうまくいったようだ。

 あらためて商業区に戻ってローリエと合流した。

「遅いじゃないかっ」

「わるいわるい。ちょっと回り道しなきゃならなくてさ」

「そちらのかたは、どなたですか?」

「「うわあっ!」」

 そこにはマイヤが立っていた。ストーカーか? おまえはストーカーなのか?


「あ、あのね、この人はぼくの知りあいの冒険者で、ローラさん」

 やむを得ず無難な形でローリエをマイヤに紹介したが、マイヤの様子がおかしい。ポカンとした顔でローリエをじっと見つめている。

「よ、よろしく。あの、名前を教えてくれるかな? アンリさんが紹介してくれたけど、ぼくはローラ。Cランクの冒険者なんだ」

 マイヤはなおもじっとローリエを見ている。だがぼくは気づいた。マイヤのその目の光が、徐々にまずい感じの粘りけを帯びてきていることを。まさかこいつ……。

「よ、よろしくお願いします! わたしはマイヤ・ジレスと申します! あの、是非一度じっくりお話をさせていただきたく! できれば絵のモデルになど!」

 マイヤはローリエの手を握りしめてすがりつくようにしてまくし立てた。

「アンリ!! なんなのさ、この子っ!?」

「すまん。ぼくもよくわからないが、たぶんそうなったら止まらない子だ。あきらめてくれ」

「やだよっ! なんとかしてよ!」

「ローラ様! ジレス家の屋敷はここからすぐでございます! 是非このままおお越しください!」

「アンリ!」

 やむなく、ぼくはうしろから首トンでマイヤを気絶させた。そして、すぐだといっていたジレス家の屋敷をなんとか探し当て、守衛にマイヤを預けて急いでその場を離れた。



「こ、怖かったよ。なんなの、あの子?」

「頭のどこかが壊れている子であることは間違いないけど、あれでも学舎の友達なんだ。あまり実害はないと思うから、気にしないようにしなよ。ほら、お茶が来たよ」

 実害はありそうな気もするが、こうでもいわないと落ち着かないだろうからな。

「わ、わかった。いただくね」

 ごまかしたとも言えるかもしれないが、なんとか落ちついてくれた。



「ねえローリエ、どうしてきみは、自分がローラだ、ということにこだわるの?」

 二人きりになる機会は、ありそうでない。ぼくは思いきってきいてみた。ローリエはお茶を一口のみ、カップを置いた。

「だってきみ、三年前にローリエにさよならしたじゃん。別の誰かにならなきゃ、きみの前に出られないよ。女にもどったから、ちょうどよかったし」

リュミエラの想像したとおりか。

「それに、こだわってるってわけじゃないんだ。ぼくの名前はローラじゃなきゃいけないんだ。シャバネル伯爵の子供に、男の子はひとり、いま二歳のレオナルドしかいない。ぼくがそう決めたんだよ」

「わかる気はするけど、一応聞かせてくれる?」

「今さらだけど、ぼくは男として育てられた女の子なんだ。きみが知ってたとは思わなかったけどね」

「リュミエラが気づいていたんだ。そのときはビックリしたよ」

 ローリエが意外と残念な子だったおかげで、今回そこがうやむやになったのは良かったのか悪かったのか。

「父上はレオナルドが生まれたとき、シャバネル家の長男はあくまでぼくだと言った。ぼくが望むかぎり家督はぼくに譲る、とね。ただ、ぼくが家督にしばられる必要はないと、好きなように生きてかまわないとも言ってくれたんだ」

 シャバネル伯爵は想像どおり誠実な人なんだな。男の子が生まれてほんとうにうれしかったろうに、それでもローリエのことを一番に思いやったのか。

「その瞬間にぼくがやることは決まったよ。父上には、レオナルドを跡取りとして育ててほしいと言った。そして、長男と次男の家督争いなんて話にならないよう、急いで騎士になって、そして病気になったことにして辞めた」

 やっぱりそうか。いくらそれがローリエの意思でも、男児が生まれてすぐ跡取りが移れば、人はあれこれ言うだろう。それはシャバネルの家名を傷つける。

 うつむいて話していたローリエは顔を上げた。口元には笑みが浮かんでいる。

「でも楽しかったよ。女の子に戻って、子供のころからの夢のとおりにいろんなところを旅することができると思ったら、全然苦じゃなかった。学校にいるあいだに冒険者のランクも上げたし、飛び級のための勉強をしたり、ほんとうに忙しかったけどね」

「おつかれさま。ほんとうに頑張ったんだね」

 うん、やっぱりこの子はすごいや。

「だから、男の子のローリエはもういないんだ。ぼくは女の子でローラ。ただフラフラ生きている冒険者さ」

「了解。これからよろしくね、ローラ」

 ぼくが手を差し出すと、ローラはうれしそうに握ってきた。その手は、三年前より華奢であたたかく感じた。
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