異世界ダイエット

Shiori

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第百十三話

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 「アンリ様とイネス様のご両親は、ご健在でいらっしゃるのですか?」
「ああ。主都の郊外で農業をやってるよ」
この世界では、魔力がある女性と結婚した場合、本当に慈しみ合って愛し合っていればまず離婚はしない、というようなことをリゼットが言っていたのを、江里香は思い出す。男がゲスい奴で、女性の魔力を利用して狡い生き方をしようとするような場合は離婚もありうるらしいけれど、イネスとアンリの母親は、魔力が無い女性で、夫婦仲は良好であるらしい。
「姉貴の魔力量がめまぐるしく変化するのが理解も管理もできなくて、早くにモニーク様に預けざるを得なかったことが、最大の問題だったみたいだ。オレが言うのもなんだが、姉貴はあの美貌だろう? ちっさい頃からむちゃくちゃ可愛かったらしいから、手元で育てられないことに父親がすごい落ち込んでたらしいよ。妹が生まれてから溺愛しまくっててさ・・・」
うわ~、ダメダメ、その話題無しにしてっ! と奈々実は自分のことを棚に上げて心の中で叫ぶ。アンリは天然なのだろうか。娘を溺愛する父親の話、なんて、江里香の前では絶対ダメなのに。
「あんまり妹ばっかり可愛がるから、オレ、家出して姉貴に会いに行ったりしてたくらいだよ」
「うわ~、シスコンだあ!」
短くして少年にしか見えない頭で、江里香が叫ぶ。大丈夫そうだ、と、奈々実はホッと胸を撫で下ろした。
 「江里香ちゃん、スマホ、持って行くんでしょ? メールちょうだいね?」
画像を添付するように、奈々実が魔力を圧縮して添付してメールを送ると、江里香のスマホに充電ができる。うまく圧縮できれば時間もかからなくて、江里香が使い過ぎなければ、何日かに一回、奈々実が魔力を添付したメールを送信すれば、江里香はスマホで写真を撮って奈々実に送ってきたりできるのだ。会話アプリのように短文を何度もやりとりするのではなく、手紙の文通のように長い文章にしてやりとりの回数を減らすことだけ心がければ、異世界なのにスマホが使えるのだ。ネットはできないけれど、『通信』ができるだけでも、それはすごいことだと思う。
「旅の途中の風景を写メするよ。中央高山帯って、ヒマラヤみたいなのかな?」
登るのではなくて迂回するわけだけれど、それでも江里香みたいな吹けば飛ぶような華奢な身体で旅なんかできるのだろうかと、奈々実は気を揉んでいる。
 アルヴィーンまでは、馬や駱駝などを使える場所は使い、人の脚で歩かなければならないところは歩いたとして、最短でも三カ月はかかるとされている。それはあくまでアルヴィーンの国境まで、という意味で、国境から帝都まではまた相当な距離がある。アルヴィーンは広い国土の防衛のために、外国人に対して不思議な通行証を発行する。人によって、また時期によって、国境から帝都までの移動時間が変わってしまうのだ。そして通行証を持っていない外国人は、絶対になにをどうやっても、帝都に入ることはできない。国境と言ったってすべての国境線上に完璧な柵や壁があるわけでも線が引いてあるわけでもないから、隣国からアルヴィーンに入るだけなら入れるかもしれないが、通行証を持っていない外国人は帝都に辿り着くことすらできないのだという。アルヴィーン国内は道路が整備されているから馬車などを使うことができるらしいけれど、国境から帝都まで三日だった旅行者もいれば半年だった旅行者もいて、国境から帝都までの地理が外国人には絶対にわからないようになっているという。セヴランは留学の時、国境検問所から帝都まで、往路は二か月だったのに復路は二週間だったそうだ。どうやってそれを可能にしているのかは、外国人にはわからない。恐るべき防衛システムである。国境検問所はベルチノアやシエストレム、ダクシニアなど、アルヴィーンに未開の地の小国家とされている国々がすべからく通らなければならない検問所で、検問所から南北にそれぞれ十ヴィアートくらいは、きちんと検問所を通過しなければ国境を越えることはできないようになっている。
 中央高山帯の北側の渺茫たる荒野では道路が整備されているはずもなく、点在する水源に小さな集落があるので、案内を頼んで集落から集落へ確実に連れて行ってもらわなければ、荒野をさ迷って死ぬだけだ、と聞いて、奈々実は『北さ聞略』よりも『西遊記』のほうに近いのだろうかと思った。中央高山帯の北側を経由する場合、雪が降る前にそこを通過しなければならない。南側を通るルートも無くはないが、高山帯の山麓からグリニーダスの湿地帯の間には、樹海と呼ばれる密林地帯がある。南方からの熱風が高山帯にぶつかって大量の雨になって降り注ぎ、豊かでありながら壮絶に危険な秘境になっているのだ。そこには、死に至る猛毒の牙を持つ蛇や触っただけで肌が爛れてしまう鮮やかな色の蛙、刺されたら高熱に苦しむことになる毒虫などがうようよしている。対岸が見えないほど幅の広い大河には、馬をも喰らう獰猛な怪物が泳いでいるという。雲を読み違えればサイクロンに遭遇する。高温多湿で食物が日持ちしないし、熱帯性の未知の病原体も恐ろしい。グリニーダスの民に伝わる伝承として、魔物に内蔵を差し出せば通らせてもらえるとか、処女を生け贄に捧げれば通らせてもらえる、なんていうのがあるらしい。
「せめてもう少し、体力をつけておけばよかったわねえ」
クロエは自分が奈々実のダイエットに重点を置きすぎていたことを悔いている。江里香にももっと筋トレをさせればよかったと、今更言っても詮無いことを言って、江里香を呆れさせている。
「大丈夫ですよ、クロエさん。わたし、もといた世界でスイミング・スクールに通っていたんです。意外と体力ありますよ」
小さな少年が『ぼく、強いんだよ!』と言っているような感じで、全然説得力が無い。三人の息子の母親であり、軍の新兵教育のエキスパートでもあるクロエは、男の子というのがいかに腕白でヤンチャであるか、知り尽くしている。こんな睫毛の長い、華奢でおとなしそうな美少年なんて、少年兵の中にいたことは無い。
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