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テクニカル戦争

60 グリーンメーラー

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 その日の手口が公表されると、市場は驚きに包まれた。
 売買比率で殆どがヨーナスB商会の買いであったからである。
 そして、マルガレータ・ローエンシュタイン銀行の株主名簿にブリュンヒルデ一門とシェーレンベルク公爵の名前が載ったのである。
 その比率、実に34%。
 それを知ったゲオルグは大いに焦った。
 ヨーナス・M・七世に相談をする。

「まずいな、奴らが全て結託すると株主総会の特別決議を単独で否決する権限を行使されるな。万が一50%まで買い進められると会社を乗っ取られる。どうにかならんか?」

 ヨーナスは考える。
 普段なら50%の買い占めは不可能であるが、今回はゲオルグの持ち株を市場に売りに出してしまっている。
 だからこそマクシミリアンが34%もの株を集めることが出来たのだ。
 既に発行済株式総数の1/3を抑えられており、新株発行による持ち株比率の低下は、特別決議の拒否権行使で使えない。
 時間をかけてしまえば、マルガレータ一門からマクシミリアンに株を売る奴が出てしまうかもしれない。
 そうなれば半数を抑えられてしまう。

「市場外取引で株を買い取るしか無いかと」

 ヨーナスは弱々しく答えた。
 ゲオルグの表情がいっそう険しくなる。
 何を言われるかと思うとこの場を逃げ出したい気持ちだった。
 大引けを迎えているので、早く帰ってほしいというのが本音である。

「どれくらいで買えると思うか?」

 ゲオルグはヨーナスに訊ねた。

「終値の50%増しなら間違いないですが、相場は20%くらいでしょうか。今回相手の狙いがわかりませんが過去には倍以上の価格で引き取らされた例もあります」

 いわゆるグリーンメーラーというやつである。
 グリーンメーラーとは、保有した株式の影響力をもとに、その発行会社や関係者に対して高値での引取りを要求する者をいう。ドル紙幣の色である緑と、脅迫状を意味するブラックメールを合わせた造語である。
 勿論フィエルテ王国はドルのない世界なのでグリーンメーラーという言葉は無い。

 仕手筋の売り抜けで安心確実なのは、企業に持ち株を買い取ってもらうことだ。
 市場内で売却するのに比べて値崩れの心配がない。
 日本や世界を見ても企業に買い取りを迫った仕手筋はかなりいる。
 誰もが自分はグリーンメーラーではないと言うが、実態はグリーンメーラーであり、投資家も提灯をつけたりする。

 ゲオルグからしてみれば、今回のマクシミリアンの行為は正しくそれである。
 まだ具体的な要求などはないが、強引に株を買い集めているのは十分に脅威であり、まともな投資行為ではない。
 なので、早めにマクシミリアンを株主名簿から消しておきたかった。

 そしてゲオルグは決断を下す。

「直接交渉するしかないか」

 市場外取引とはいえ、仲買人の仲介が必要になるのでヨーナスを連れてマクシミリアンの屋敷へと向かった。

 一方、マクシミリアンはその時既に屋敷に戻っていた。
 そして、ブリュンヒルデとジークフリーデに取引結果を報告している。
 マクシーネの格好に着替えさせられているのは、ブリュンヒルデの趣味だ。

「そんなわけで、僕達で34%の株式を握ったので色々と引っ掻き回す事が出来るようになりました」

 それを聞いたブリュンヒルデは愉快そうに笑う。

「ここで終わりではないのでしょうね」

「勿論です。まだ資金には余裕があるので、売りが出れば買いますし、マルガレータ一門に揺さぶりをかけて保有している銀行株を吐き出させる事も考えております」

「それは楽しみね。銀行をおさえれば小麦の買い占めも出来ないでしょうしね」

 ブリュンヒルデがギュッとマクシミリアンを抱きしめる。
 マクシミリアンは顔をブリュンヒルデの胸に埋める格好になった。
 それを快く思わないのが、

「ブリュンヒルデ様、要らぬ誤解を招くような行為はお控えくださいませ」

 と注意をしたエマだった。
 年齢は33歳で赤毛をシニヨンにしている。
 役職的にはハウスキーパーとメイド長の間くらい。
 それなりの権限を持ちつつも、メイドの仕事もしている。
 それもこれも、マクシミリアンの家計が苦しいからである。

「あら、誰が誤解するというのかしら。この場には四人しかいないわよ。それともフラウ、貴女が嫉妬しているのかしら?かわいい、かわいい若様を取られちゃったものね」

 ブリュンヒルデが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
 エマが奥歯を強く噛み締めたことにマクシミリアンは気付いた。
 女同士の視線がぶつかり合って火花が散ったように感じる。
 尚、普通のメイドであれば公爵夫人にこんな視線を送れば処分や処罰も致し方ないが、エマはハウスキーパーであるので格としては女主人の代行であり、辺境伯家の女主人ともなれば公爵夫人へのこのような振る舞いも簡単には処罰出来ない。

 その様子を傍で見ていたジークフリーデがマクシミリアンに

「婚約者がモテると嫉妬しちゃうわね」

 とバジリスクのような視線を送りながら言うので、マクシミリアンは石のように固まってしまった。

 そこに来客があったことを伝えに使用人がやってきた。

「ゲオルグ・フォン・M・ローエンシュタイン伯爵がおみえです」

 それを聞いたマクシミリアンは少しだけ眉を動かした。
 ブリュンヒルデもエマをからかっていた顔に真剣さが戻る。

「何の用か?」

 と訊くが、使用人も相手が用件を言わなかったと答えた。

「マクシミリアン、間違いなく銀行株の話だと思うが」

 ジークフリーデが心配そうにマクシミリアンを見た。

「はい。僕もそう思います。揺さぶりをかける前に相手に乗り込まれてしまいましたね。まあ、追い返すわけにもいきませんから、どんな話をするのか聞いてみましょう。ここにお通しして」

「はい」

 使用人は返事をすると部屋を出ていった。
 そして、しばらくするとゲオルグとヨーナス・M・七世を連れてきた。

「はじめまして、伯爵」

「お初にお目にかかります、辺境伯殿。しかし、本当に大父様そっくりですな」

 ゲオルグは肖像画の中から飛び出してきたマクシミリアンに驚いた。
 敵対していることを忘れ、一瞬ではあるが見惚れてしまった。
 ローエンシュタイン家の者にとって大父マクシミリアンは崇拝の対象であり、ゲオルグも例外ではない。
 が、直ぐに本来の目的に戻る。

「単刀直入に言うが、そちらの所有しているマルガレータ・ローエンシュタイン銀行の株を買い取りたい。本来は協定違反だが、今はそれについて文句を言うつもりはない」

 そう言ってマクシミリアンに迫った。
 迫り方に妙に色気があり、マクシミリアン本人は気づかなかったが、ブリュンヒルデ、ジークフリーデ、エマの三人はモヤッとした感情が生まれた。

「買取額にもよりますよ。僕のおさえた量で売り方を高値で踏ませることもできるのですから」

 現物が34%もおさえられたので、売り方は現物の調達が難しくなった。
 そうなると高額な逆日歩が発生する。
 日本でも過去には何度か仕手戦の結果、高額な逆日歩が発生した事があった。
 今ではザラ場の取引で発行済株式総数の10%以上の空売りが溜まると貸借取引の申込停止措置、所謂売り禁となる。
 それでも浮動株が少ないと逆日歩は高額となるのだが、フィエルテ王国にはそんな厳しいルールはない。
 そして、マクシミリアンとゲオルグで株の争奪戦になろうというので、お互いに保有する株を貸し出すような事はなく、売り方は逆日歩を払いながらポジションを持つか、高値で株を買い戻すかを選択することになる。
 勿論、マクシミリアンはまだまだ買い集める資金力があるので、少なくとも今の倍の株価にはなるだろう。

 という理由をつけて、マクシミリアンはゲオルグがどの程度の金額を提示してくるのか値踏みしていた。
 あまりにも少ない金額であれば、提案を拒否して買い増しをするつもりであった。
 が、ゲオルグの提案はマクシミリアンの満足するものであった。

「倍の3,000マルクでと言いたいのだが、切の良いところで全てを2兆マルクで買い取るつもりだ。勿論市場外取引だ」

「承知しました。うちのヨーナスに指示をしておきますが、そちらはいつ現金を用意できますか?」

「明日にでも可能だが」

 そこにブリュンヒルデが割って入る。

「私が証人になりましょう」

「それはありがたい。公爵夫人が証人になってくれるとあれば私も安心できます」

「ではマクシーネ、明日市場外取引で良いわね」

「はい」

 マクシーネという名前にゲオルグの眉がピクリと動いた。
 マクシミリアン以外の全員がそれに気づいたが、あえて何も言わなかった。

「それで、今後は我々の企業に手を出さないでもらいたいのだが」

 ゲオルグはそう言ったが、マクシミリアンは首を縦に振らない。

「上場している会社をルールに従って買うのに何ら後ろめたいことはありません。せめて、買収防衛策を立てるべきでしょう。それがいやなら上場しないことです。大父様のお言葉にもそうありますからね」

 大父を持ち出されてはゲオルグも反論できない。
 結局マクシミリアンから買い取ったものを自分で保有して、市場はおろか親戚にも子供にも渡さないようにすることを決めた。
 日本などでも相続の時に問題になるが、それを見越して資産運用会社の保有にしてしまうこともある。
 そうなれば法人は死なないので、保有の変更はなくなるのだ。
 資産運用会社の株式で揉めることはあるけど。

 交渉が終わるとゲオルグは直ぐに帰った。
 帰りの馬車の中でゲオルグはつい自分の欲望を口にしてしまう。

「手元に欲しいな」

 それを聞いたヨーナスはその意味を理解出来ずに訊ねた。

「何をでございますか?」

「ブリュンヒルデ家の当主だよ。あれは大父様の生まれ変わりといっても不思議ではない。秘伝の書と一緒に手元においておきたいものだな」

 それを聞いたヨーナスは男色かと思ったが、ゲオルグの気持ちはそうでは無かった。
 いうなれば美術品の蒐集に近い。
 大父マクシミリアンの肖像画や日記を保有するような感覚なのだ。

 こうして、マクシミリアンの知らないところで争奪戦に、ゲオルグとエマが加わった。
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