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テクニカル戦争

65 宣戦布告

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 マクシミリアンの売りは担がれていた。

「ヨーナス、両建て」

「はい」

 ヨーナスに両建ての指示を出して、ひとまず損失が拡大するのを防ぐ。
 両建てとは売りと買いの両方の建玉を持つことである。
 これのメリットは、両建てすると証拠金が復活する事である。
 売りと買いの建玉の差額分の利益または損失で固定して、戻ってきた証拠金で新たな玉を建てることも出来るし、価格の上下に合わせてどちらかのポジションを外して利益を増やしたり、損失を減らしたりする事ができる。
 なお、株式では両建てした場合には両方の玉に対して証拠金が必要になるからあまり意味がない。
 先物ならではのやり方だ。

 マクシミリアンはここで両建てして損失を固定する。
 後は勢いよく上がっていくのを見ているだけだ。
 高値を更新した直後に両建てしているので、損失自体は大きくない。
 そして、他の相場師が両建てに気付くのは引け後である。
 今はゲオルグとその提灯が売り方のマクシミリアンを踏ませようと、無理矢理高値を買っている状況であるが、それは全く無意味な行為であった。

 この日は結局大きな陽線で取引が終了した。
 陽線とは終値が寄り付きよりも高い状態で引けたことをいう。
 逆に終値が寄り付きよりも低ければ陰線という。
 大きな陽線ということは、寄り付き後も買い注文が殺到し、引けまでそれが継続したということで、今後も値上がりが期待できるローソク足である。

 引け後、ゲオルグはヨーナスB商会の売り玉がなくなったのを確認した。

「踏みましたね」

 と、ヨーナス・M・七世が嬉しそうに言うと、ゲオルグは渋い顔をした。

「簡単に引き下がったな。もう少し抵抗すると思ったが」

「まだ冷静だということですかね」

 結局、マクシミリアンの売りが無くなったので、ゲオルグは上値を追うのを止めた。
 実際には両建てにしたから見えなくなったのだが、外から見ていると踏んだように思えたのだ。
 この時、ゲオルグもヨーナスも両建てがあることを忘れて、踏んだと思いこんでしまったのだ。

 翌日以降も提灯筋による買いが集まったが、本尊が買わないので値上り幅は小さくなった。
 その翌日はザラ場で高値を更新したが上髭の陰線で取引を終えている。
 ゲオルグはヨーナスM商会でその値動きを見ていた。

「ヘッドアンドショルダーを形成しそうだな」

 と自嘲気味に笑う。
 マクシミリアンの作った左肩は40,000マルクスタートの44,400マルクで一旦の天井。
 今回は42,300から47,800マルクへと上昇した。

「売りますか?」

「それも面白いな。マクシミリアンが建てたところよりも低くなれば、やつも地団駄を踏んで悔しがることだろう」

「では明日から売りを入れましょうか」

 ヨーナスの提案をゲオルグは手で制した。

「いや、利益を最大化するにはこの価格がよい」

 元々安い価格で買いを建てているので、今の価格であるほうが差益が大きい。
 下がらなければそのほうが良いのだ。


 一方、同日夜マクシミリアンは屋敷の書斎にいた。
 大父マクシミリアンの記した秘伝の書を読みなおしているのである。
 過去の相場での売り崩しのタイミングや、提灯筋の考え方などを再度確認するためだ。
 ジークフリーデやエマは今夜はマクシミリアンと別の部屋にいる。
 明日大きな勝負をするマクシミリアンの体に、今夜は負担をかけないようにと気遣ったのだ。
 それと、マクシミリアンがいつにない雰囲気で、夜の誘いを出来なかったというのもあった。

 そのマクシミリアンは何度も大父の残したチャートの形を頭に叩き込む。

「こんなもんでいいか。明日はヨーナスとクリストフと一緒に金融商品取引所で目立つようにトレードしてやる。この馬鹿げた小麦相場に終止符をうたないと」

 そう決心して、とうに日が変わって静かになった屋敷の廊下を、足音を立てないように気をつけながら歩き、自分の寝室へと戻った。
 興奮していて中々寝付けなかったので、先程まで見ていたチャートの形をもう一度頭の中で反芻する。
 そして、いつの間にか眠りの国から迎えがやってきた。

「マクシミリアン様、朝でございます」

 エマがマクシミリアンを起こす。
 マクシミリアンはベッドの上で上体を起こすと、まだ眠い目を手で擦った。

「朝ごはんはいらない。濃いお茶を」

「かしこまりました』

 エマは一礼すると部屋を出ていった。

『大きな相場の時には満腹を避けるべし。出来れば空腹のほうが良い。』

 と大父の教えにあった。
 眠気は大敵であり、それを避けるためにも空腹のほうが良いということだ。

 マクシミリアンはエマの用意したお茶を飲むと、ヨーナスB商会へと向かった。
 ヨーナスB商会ではクリストフも待っていた。
 三人は合流すると金融商品取引所へと向かう。
 取引前ではあるが、小麦相場の高等に仲買人たちも殺気立っていた。
 そこにマクシミリアンが現れるとどよめきが起こる。

「僕、注目されてる?」

 とヨーナスに訊ねた。

「はい。マクシミリアン様が売りを担がれて踏まされたと噂になっておりますからね。またここで売りを入れるのではないかという興味があるのでしょう」

 ヨーナスがニコニコとした笑顔で答える。

「ふうん。それじゃあ精々期待に答えるとしますかね」

 そういったときに、取引開始を告げるオープニングベルが鳴らされた。
 カンカンカンカンという音が取引所に鳴り響く。
 小麦価格は上昇する勢いはなく、かと言って売られる様子もなかった。
 前日の四本値を少しだけ上回る価格での取引となっている。
 前日高値は46,100マルクだ。
 そして現在値は47,900マルク。

 マクシミリアンは大きく息をはく。
 そして、ヨーナスに

「両建ての買いを外して」

 と注文をした。

「承知しました」

 ヨーナスはすぐに売り注文を出す。
 が、枚数は多くないので他の投資家の買い注文によって46,700マルクで全数約定した。
 マクシミリアンはその様子を満足そうに見ていた。

 約定を確認すると次に売り増しの注文を細かく出していく。
 しかし、提灯がつくことはなかった。
 ゲオルグに踏まされたと思っていた投資家が殆どで、それが両建てだったと知っても、結局は売りで負けたのだという認識であった。
 なので、むしろマクシミリアンの売り注文に買い向かってくる。

 小麦の先物は1トン単位で取引され、現在の証拠金は1000万マルク。
 マクシミリアンは売り注文をどんどん出していき、遂には10万トン分まで約定した。
 何故これが価格を崩さずに出来たかといえば、相場の参加者全員が小麦の現物が無いのを知っていたからだ。
 現渡しが出来なければ高値で買い戻すしかない。
 今買えばマクシミリアンに高値で買い戻しをさせられると思ったのだ。
 売り方はマクシミリアン一人に対して、買い方はその他全員という構図である。

 先物の注文が終わると、マクシミリアンは大きな声で、金融商品取引所にいる全ての人物に聞こえるように宣言する。

「この異常な小麦の高値を今日で終わらせる!フィエルテの民を苦しめた小麦の高騰を正せと神の啓示があった。ヨーナス、現物を売りに出せ!!」

 その命令にヨーナスは笑顔で返事をする。

「承知いたしました。小麦の現物2.5万トンを売りに出します」

 それを聞いた投資家たちは驚いた。
 国内にはそんな小麦は無いはずだからだ。
 現物は全てゲオルグたちマルガレータ一門によって買い占められている。
 なので先物ならいざ知らず、現物の売りなど出せるはずがないのだ。

 種明かしをすれば、この現物はクリストフが買い集めたものである。
 マクシミリアンはまずはクリストフが大博打で仕入れた小麦をこの高値で売ったのだ。
 実に仕入れ価格の11.5倍。
 運賃をマクシミリアンに支払っても大儲けであった。

 現物の引き渡しまでは三日間の猶予があるため、誰もが半信半疑であった。
 目の前にあるわけではないからだ。
 それでもマクシミリアンに提灯が付き、その日の先物価格は41,000マルクで取引を終えた。
 相場の下げを告げる抱き線の出現である。
 また、出来高は20万トン分の大商いであった。
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