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第332話 温泉をつくろう

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「まったく、あなた達と一緒にいたら話で油臭くなりそうね」

 グレイスが鼻をつまみながらワインを飲む。
 それだと芳醇な香を楽しめないぞ。

「折角の異世界なんだから、温泉の一つでも掘り当ててみなさいよ」

「ここにきてやっと温泉か」

「遅いよな」

 俺とオッティは顔を見合わせて頷いた。
 温泉回って普通は3話目から6話目くらいだよね。
 遅いよ。

「まあ、温泉と一口に言っても色々あるからな。硫黄泉、アルカリ泉、それに水蒸気やガスだって条件を満たせば温泉だからな」

 俺はグレイスの方に向き直ってそう言った。

「温かいお湯が沸きだせばそれが温泉じゃないの?」

「いや、温泉は温泉法という法律で決められた定義を満足しないといけないんだ。温度は関係あるが例外もある」

 温泉の定義は

 地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス。
 温度は摂氏25度以上(摂氏25度未満のものは、冷泉または鉱泉と呼ぶ事がある)。
 19種類の物質のうち、いずれか一つが規定値以上であること。

 となっている。
 異世界にその法律が適用されるかは知らないがな。

「でも、火山が近くにあって温かいお湯が出れば、含有物だってきっとあるわよね」

「そうだな。だが、温かいお湯が出たとしても、それが火山に起因しているかどうかは別問題だ。火山性の温泉と、非火山性の温泉の二種類があるんだ」

 非火山性の温泉は地下深くほど温度が高くなる地温勾配に従って高温となったいわゆる深層熱水と、熱源不明の温泉と、モール泉という古代に堆積した植物が亜炭に変化する際の熱によって温泉になったものがる。

「それはどの種類でも問題ないわ。温泉に入りたいのよ」

 酔ったせいか、目が座ったグレイスがちょっと怖い。
 そんなに温泉が好きだったのか。

「丁度いい。シームレスパイプの製造プラントを作ろうと思っていたところだ」

 オッティは誰もいない壁の方を向いてそう言った。
 かなり酔いが回っているな。
 危険だ。

「温泉にもシームレスパイプが必要なのか?油田じゃないんだぞ」

 俺は酔っ払いに言っても無駄だとは思いつつも、一応自分の意見を述べた。
 シームレスパイプとは溶接していないパイプであり、厳しい環境の油田掘削に使用される。
 油田は腐食性のガスを含んでいたり、寒冷地に位置していることがある。
 また、浅いところは掘りつくしてしまった。
 だから耐食性や低温脆性、耐久性の問題をクリアするには、ステンレスのシームレスパイプが必要なのだ。
 この技術が発達したおかげで、深いところなどの今まで掘削出来なかったところで油田開発が出来るようになったので、原油の枯渇までの時間が伸びた。
 どの世代でも小学校の時に「あと30年で石油が枯渇します」って習ったのはそういうことだ。
 永遠の30年。
 おっと、話を戻すか。
 温泉を掘削するのに、そこまでの高品質なシームレスパイプは必要ないと思っている。
 温泉が出なければ、かなり地下深くまで掘削することになるかもしれないが、その前には湧きだすと思っている。
 なんなら場所を変えればいいわけだしな。

 余談ではあるが、パイプと似た物にチューブがある。
 日本語ではどちらも鋼管だがな。
 JFEスチール様のホームページを見ると、明確な区別は無いと書いてある。
 流体が通るのがパイプで、熱交換はチューブと呼ぶことが多いみたいだが。
 この辺は各社の図面を見ても、パイプと表記したりチューブと表記したりまちまちである。
 こういうのも、規格として定義したほうがいいんじゃないでしょうかね?
 その他にも定義がよくわからないものってあるな。
 ブラケットとステー、スペーサーとボスとカラー、フランジとコネクタ、グロメットとブッシュ等。
 設計者は意図があって命名しているんだと思うけど、違いがいまいちわからん。
 品管もOK品と良品と合格品、NG品と不良品と不合格品と不具合品って使い分けてないよね。
 業界で統一して欲しい。
 対策書や規格書作る時に面倒なんですよね。

「そこは最高品質を求めないと。俺は異世界の住友金属工業になる」

 住友金属工業といえば、シームレスパイプの大手であり、その技術は世界最高水準だ。
 合併して名前は消滅し、今は日本製鉄なんだけどまあいいか。
 そういう意味では名前は空いているから、名乗っても怒られないですよね?
 脱線ついでに、21世紀の最高値で株を掴んだのはいい思い出です。
 当時の新日鉄と合併して新日鉄住金になってしまったので、もう自分以上の高値で掴む人がいなくなったかと思うと清々しいですね。

 オッティが壁にキスし始めたので今日はお開きとなった。
 そして数週間後――

「よく来てくれたな」

 俺はグレイス領で温泉が出来たというので、オッティに招待されてきた。
 そのオッティが出迎えてくれたのである。
 簡易的な風呂が出来上がっており、源泉かけ流しのお湯があふれているのが見える。

 温泉は自然に湧き出しているのが見つからない場合は、地面を掘削して見つけるのだ。
 やり方は井戸掘りと同じだな。
 ケーシングパイプを埋め込みながら、その中を掘削していく。
 温泉に当たったら、今度は吸い上げ用のパイプを入れて温泉を吸い上げる。
 やり方がまったくファンタジーじゃないが。

「グレイスは?」

 ここにグレイスがいなかったので、オッティに訊いてみた。

「ああ、女湯の方に入っている。女湯っていっても領主しか入れないんで、性別は関係ないがな」

 どうやら自分用に浴槽を作ったようだ。
 外から見えないように囲いで覆ってある。
 高校生だったらなんとかして覗こうとしているだろうが、コンプライアンス教育を受けた俺はそんなことはしない。
 決してオーリスが怖いわけではない。
 常識ある大人としてのふるまいだ。

「しかし、よく温泉を掘り当てたな」

 俺はオッティと並んで歩き、前を見ながら隣のオッティに話しかけた。

「掘り当ててない、作ったんだ」

「???」

 オッティは温泉を作ったという。
 作れるものなのか?

「地面を掘ったら水が出た。冷たい地下水だな。どうもこの辺は地下水が豊富らしく、井戸を作るのには最適だ。そして、深く掘っても温泉には当たらなかった。だから、地下水を温めて入浴剤を混ぜて温泉をつくったんだ」

 あー、こちら葛飾区なんたらかんたらで見たな。
 最後はインスタント味噌汁を入れてばれちゃう奴だ。
 若しくはホワイトボーン温泉事件。

「いきなり偽装から始めるのはどうかと思うぞ」

「ここには温泉法なんてものは無い。それに入浴剤は成分が温泉そのものだからな。体にもいいぞ。天然温泉なんて一言も言ってないしな」

 何の悪気もなさそうなオッティ。
 こうしてグレイスは天然温泉だと思っている、オッティが作った人工温泉が完成した。
 なお、オッティの入浴剤もネットスーパー的なあれだとか。

 お風呂の歴史がまた一ページ――
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