【完結】兄弟愛ー吉良上野介の孫二人ー異聞ー

月歌(ツキウタ)

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本編

第十三話 上杉の若君

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◆◆◆◆◆


屋敷を出ると、家紋を染め抜いた幕が張られた駕籠が静かに待っていた。

黙って駕籠に乗り込むと、担がれた身体がふわりと浮く。次の瞬間、足音とともに揺れが伝わってきた。

町のざわめきが徐々に近づいてくる。

駕籠はやがて、江戸の町中へと入っていった。

両脇には町屋が並び、軒先では店の者が朝の支度をしている。米問屋、薬種屋、呉服屋、どの前にも人の姿があった。子どもが駆け回り、商人が声を張り上げ、女たちの笑い声が交じる。

(……これが、江戸)

駕籠越しの気配は、すべてが熱を持っていた。
米沢で育った吉憲には、この絶え間ない騒がしさがまだ馴染まない。空気の密度が違うようにさえ感じた。

(失敗は許されない)

そう己に言い聞かせると、背中には冷たい汗がにじんでいた。
呼吸を整えようと目を閉じた瞬間――ふと、背に視線のような気配を感じた。

誰かが、じっとこちらを見ている。そんな錯覚。

(……まさか)

そっと簾の端を持ち上げると、朝の光に照らされた往来が見えた。

駕籠が通るたびに道が割れ、町人たちが道端に寄って頭を下げていた。中には好奇心を隠さず、籠をじっと見つめる者もいた。

「上杉の若君じゃと……」
「これから御目見得だそうだぞ」
「十三にして、もう大役か……」

そんな声が、かすかに耳に届いた。

その一言一言が、鋭く肩にのしかかってくる。

(俺が十三でこれだけの重荷を感じているのなら……)

(義周は、どれほど心細かったか)

義周よしちか

六つの歳で米沢を離れ、吉良家の養子として江戸に下った弟。
この町のどこかに、あいつがいる――そう思うと、胸が強く締めつけられた。

誰に頼ることもできず、幼い体でこの街に馴染もうとしていた弟。

当時の義周にとって、町のざわめきも、空の白さも、どれほど心細く映っただろう。

(あいつも、こうして駕籠に揺られながら、江戸の空を見上げたのだろうか)

吉憲はそっと懐に手を差し入れた。

指先が触れたのは、母の手で縫われた守り袋。紺地に白椿の刺繍。
それは、兄弟それぞれに与えられたものだった。

ほのかに残る香の香りが、記憶の奥をくすぐった。

この小さな布の中に、母の想いと、離れて暮らす弟への祈りが込められている。

(この守り袋だけが、母と義周と、俺を繋いでいる)

唇がわずかに動き、弟の名がこぼれそうになる。
けれどその音は、声にはならなかった。ただ静かに、胸の奥に沈んでいった。

また、背に視線を感じる。

今度は、簾を上げることはせず、守り袋に添えた指を静かに握りしめた。

(……気のせい、ではないかもしれない)

風が一すじ、駕籠の隙間をすり抜ける。

吉憲は目を閉じる。

弟の気配を感じ取りながら――駕籠は江戸城へと向かっていった。


◆◆◆◆◆
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