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本編
第二十一話 切腹
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◆◆◆◆◆
座敷に、父の低く張り詰めた声が落ちた。
「……浅野内匠頭が、義央殿に斬りかかった。しかも、将軍御前の松の廊下でだ」
吉憲は、言葉の意味をすぐには受け止められなかった。
空気が、ぴたりと凍りついたようだった。
「それは……本当なのですか」
かすれた声で問い返すと、父は無言で頷いた。
ここは、上杉家の江戸屋敷。
父・綱憲は、幕府に近い譜代大名の立場として、年の半ばを江戸で過ごしている。
吉憲もまた、将来を見据えて政の手ほどきを受けており、日々学びに励んでいた。
その朝、登城から戻った父の面持ちは、どこか沈んでいた。 けれど、何があったのかを問う隙もないまま、日が暮れた。
そして今――
告げられたのは、「松の廊下」「浅野内匠頭」、そして「義央」という名。
吉憲は、背筋をじわりと冷たいものが這うのを感じていた。
「即日切腹。赤穂は御家断絶」
脇に控えていた家臣の一人が、低くそう告げた。 その声音には、隠しようのない衝撃と困惑が滲んでいる。
「義央様の傷は、浅かったと……」
別の家臣が続けたが、それすら確信のない口調だった。
「しかし、世間の目は、それで済むまい」
その声に応えるように、座敷の空気がわずかにざわめいた。
吉憲は、父の横顔をそっとうかがった。 綱憲は、膝に置いた扇を閉じたまま動かさず、静かに視線を落としている。
その顔からは、何の感情も読み取れなかった。
「……なぜ、祖父上は斬られたのですか」
思わず口をついて出た問いに、綱憲の眉がかすかに動いた。
「詳しいことは、まだ分からぬ。だが……式の折節、相手の面目を潰すようなことがあったのかもしれぬ」
淡々とした言葉。 だが、その後に続いた沈黙は、痛いほど重かった。
やがて、父はぽつりと呟くように言った。
「礼式とは、相手を辱めるためにあるものではない」
その声には、自らに言い聞かせるような響きがあった。
誰を責めているのか。 誰を庇っているのか。
吉憲には分からなかった。
ただ――
胸の奥に、棘のような鈍い痛みが残った。
(義周……)
祖父の屋敷に暮らす弟の顔が浮かんだ。 今日という日を、義周はどんな思いで迎えているのだろう。
義央の名すら口に出すことが憚られる空気の中で、 吉憲は、着物の襟元に忍ばせた守り袋を、そっと握りしめた。
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座敷に、父の低く張り詰めた声が落ちた。
「……浅野内匠頭が、義央殿に斬りかかった。しかも、将軍御前の松の廊下でだ」
吉憲は、言葉の意味をすぐには受け止められなかった。
空気が、ぴたりと凍りついたようだった。
「それは……本当なのですか」
かすれた声で問い返すと、父は無言で頷いた。
ここは、上杉家の江戸屋敷。
父・綱憲は、幕府に近い譜代大名の立場として、年の半ばを江戸で過ごしている。
吉憲もまた、将来を見据えて政の手ほどきを受けており、日々学びに励んでいた。
その朝、登城から戻った父の面持ちは、どこか沈んでいた。 けれど、何があったのかを問う隙もないまま、日が暮れた。
そして今――
告げられたのは、「松の廊下」「浅野内匠頭」、そして「義央」という名。
吉憲は、背筋をじわりと冷たいものが這うのを感じていた。
「即日切腹。赤穂は御家断絶」
脇に控えていた家臣の一人が、低くそう告げた。 その声音には、隠しようのない衝撃と困惑が滲んでいる。
「義央様の傷は、浅かったと……」
別の家臣が続けたが、それすら確信のない口調だった。
「しかし、世間の目は、それで済むまい」
その声に応えるように、座敷の空気がわずかにざわめいた。
吉憲は、父の横顔をそっとうかがった。 綱憲は、膝に置いた扇を閉じたまま動かさず、静かに視線を落としている。
その顔からは、何の感情も読み取れなかった。
「……なぜ、祖父上は斬られたのですか」
思わず口をついて出た問いに、綱憲の眉がかすかに動いた。
「詳しいことは、まだ分からぬ。だが……式の折節、相手の面目を潰すようなことがあったのかもしれぬ」
淡々とした言葉。 だが、その後に続いた沈黙は、痛いほど重かった。
やがて、父はぽつりと呟くように言った。
「礼式とは、相手を辱めるためにあるものではない」
その声には、自らに言い聞かせるような響きがあった。
誰を責めているのか。 誰を庇っているのか。
吉憲には分からなかった。
ただ――
胸の奥に、棘のような鈍い痛みが残った。
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祖父の屋敷に暮らす弟の顔が浮かんだ。 今日という日を、義周はどんな思いで迎えているのだろう。
義央の名すら口に出すことが憚られる空気の中で、 吉憲は、着物の襟元に忍ばせた守り袋を、そっと握りしめた。
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