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本編
第六十七話 情で繋がる兄弟
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◆◆◆◆◆
義周の案内で吉良家の庭を巡る吉憲は、夏の風に吹かれながら、目を細めた。
青々と茂った庭が、目の前に広がっている。義周が飛び石を渡り、吉憲もその後をゆく。
「……ずいぶんと、緑が濃くなったな」
「はい。今年は梅雨明けが早かったので、陽の光をよく浴びています」
義周が立ち止まり、一本の木を見上げた。
「この椿、米沢城の庭にあったものと、同じ品種なんです。白椿。冬になると、雪の中でも凛として咲く」
「……ああ。懐かしいな」
吉憲も隣に立ち、枝葉を見上げた。今は青葉のみだが、あの白い花の記憶が鮮やかに蘇る。
「冬の朝、まだ雪の残る庭を二人で歩いたな。お前が転んで、袴を真っ白にして泣いて……」
「兄上が笑うからですよ……。でも、あのときの椿は綺麗でした」
義周が微笑んだ。
吉憲もまた、静かに笑みを返す。
だがその直後、義周はふっと表情を引き締めた。
「……実は、少し前のことですが、駕籠で出かけた折、見知らぬ者に襲われました」
「……何?」
吉憲が目を細めると、義周は静かに首を振る。
「大事には至りませんでした。私の近習が庇ってくれて……怪我を負いましたが、命には別状ありません」
風が木の葉を揺らす音が、二人の間を通り過ぎていく。
「そのとき、怖いと心底思いました。……吉良家を継ぐということが、こんなにも重く、恐ろしいものなのかと」
言葉を切って、義周は白椿の木を見上げた。
「その晩、お菊が椿の枝を活けてくれました。つぼみでしたが、翌日に咲いて――」
そのときの情景を思い浮かべたのか、義周の口調は少し和らぐ。
「白い花が、何も言わずにそこに咲いていて……。それを見て、ふと思ったんです」
「白椿のように生きよう、と。まっすぐに、静かに、でも、誇りを失わずに――」
そう言って、義周はまた微笑んだ。
だがそれは先ほどまでの幼さを含んだ笑みとは違う、どこか大人びた表情だった。
「義周……」
吉憲は思わず名を呼んだが、言葉が続かなかった。
(――お菊が、密偵かもしれぬ)
その一言が、喉元まで来ているのに、どうしても口にできない。
清らかに生きようとしている弟の、その心を、疑念で穢したくはなかった。
義周の眼差しを曇らせたくなかった。
(……清らかであってほしいと願うこと自体が、傲慢なのかもしれない)
心の奥で、吉憲は苦く思った。
真実を伏せているのは、弟のためではなく、自分のためなのではないか――と。
風が白椿の葉を揺らし、その影が地面にゆれていた。
話題をそらすように、吉憲はぽつりと呟く。
「お前が誰かを想っても、おかしくはない。……もう、お互いに妻を持ってもおかしくない年になった。子供の季節は、終わったのかもしれないな」
「まだお菊のことを言っているのですか? 兄上、少しおかしいですよ。私に想い人はいません。それどころか……兄上に親しい近習がついて、複雑な気分なんですから」
「え? 桐原に……?」
「おかしいですか?……まあ、自分でも変だとは思っています。私にも近しい者はいますよ。たとえば、新八郎とか。駕籠が襲われた時に、庇ってくれたのも新八郎ですし」
義周は、あくまで淡々と口にしたが、その声音の奥には微かな誇りと、そしてどこか拗ねたような響きが混じっていた。
「新八郎? ああ、米沢からついてきたお前の近習だな」
吉憲は頷きながら、ふっと笑みを浮かべる。
「身を挺してお前を守るとは、なかなかの忠義者だ。――なのに、俺と桐原の関係を羨ましがるとは、少しばかり筋が通らんな。……可笑しな奴だな」
その言葉に、義周はむっと頬をふくらませかけたが、すぐに視線を逸らしてごまかした。
「それは、そうですが……」
義周は一呼吸置いてから、静かに言葉を継いだ。
「近習とは“義”でつながり、兄弟は“情”でつながっています。兄上と私の絆は、特別なのです。でも、兄上と桐原殿は"情"で繋がっているように思えてしまって……嫉妬ですね」
義周はそう伝えると、懐から守り袋を取り出した。
吉憲もまた、揃いの布のお守りを取り出す。
二人はそれを見つめ合い、小さく笑った。
「互いに家を背負っても、"情"の繋がりは切れませんよ……兄上」
「ああ、そうだな」
庭の奥で、白椿の葉が、静かに風に揺れていた。
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義周の案内で吉良家の庭を巡る吉憲は、夏の風に吹かれながら、目を細めた。
青々と茂った庭が、目の前に広がっている。義周が飛び石を渡り、吉憲もその後をゆく。
「……ずいぶんと、緑が濃くなったな」
「はい。今年は梅雨明けが早かったので、陽の光をよく浴びています」
義周が立ち止まり、一本の木を見上げた。
「この椿、米沢城の庭にあったものと、同じ品種なんです。白椿。冬になると、雪の中でも凛として咲く」
「……ああ。懐かしいな」
吉憲も隣に立ち、枝葉を見上げた。今は青葉のみだが、あの白い花の記憶が鮮やかに蘇る。
「冬の朝、まだ雪の残る庭を二人で歩いたな。お前が転んで、袴を真っ白にして泣いて……」
「兄上が笑うからですよ……。でも、あのときの椿は綺麗でした」
義周が微笑んだ。
吉憲もまた、静かに笑みを返す。
だがその直後、義周はふっと表情を引き締めた。
「……実は、少し前のことですが、駕籠で出かけた折、見知らぬ者に襲われました」
「……何?」
吉憲が目を細めると、義周は静かに首を振る。
「大事には至りませんでした。私の近習が庇ってくれて……怪我を負いましたが、命には別状ありません」
風が木の葉を揺らす音が、二人の間を通り過ぎていく。
「そのとき、怖いと心底思いました。……吉良家を継ぐということが、こんなにも重く、恐ろしいものなのかと」
言葉を切って、義周は白椿の木を見上げた。
「その晩、お菊が椿の枝を活けてくれました。つぼみでしたが、翌日に咲いて――」
そのときの情景を思い浮かべたのか、義周の口調は少し和らぐ。
「白い花が、何も言わずにそこに咲いていて……。それを見て、ふと思ったんです」
「白椿のように生きよう、と。まっすぐに、静かに、でも、誇りを失わずに――」
そう言って、義周はまた微笑んだ。
だがそれは先ほどまでの幼さを含んだ笑みとは違う、どこか大人びた表情だった。
「義周……」
吉憲は思わず名を呼んだが、言葉が続かなかった。
(――お菊が、密偵かもしれぬ)
その一言が、喉元まで来ているのに、どうしても口にできない。
清らかに生きようとしている弟の、その心を、疑念で穢したくはなかった。
義周の眼差しを曇らせたくなかった。
(……清らかであってほしいと願うこと自体が、傲慢なのかもしれない)
心の奥で、吉憲は苦く思った。
真実を伏せているのは、弟のためではなく、自分のためなのではないか――と。
風が白椿の葉を揺らし、その影が地面にゆれていた。
話題をそらすように、吉憲はぽつりと呟く。
「お前が誰かを想っても、おかしくはない。……もう、お互いに妻を持ってもおかしくない年になった。子供の季節は、終わったのかもしれないな」
「まだお菊のことを言っているのですか? 兄上、少しおかしいですよ。私に想い人はいません。それどころか……兄上に親しい近習がついて、複雑な気分なんですから」
「え? 桐原に……?」
「おかしいですか?……まあ、自分でも変だとは思っています。私にも近しい者はいますよ。たとえば、新八郎とか。駕籠が襲われた時に、庇ってくれたのも新八郎ですし」
義周は、あくまで淡々と口にしたが、その声音の奥には微かな誇りと、そしてどこか拗ねたような響きが混じっていた。
「新八郎? ああ、米沢からついてきたお前の近習だな」
吉憲は頷きながら、ふっと笑みを浮かべる。
「身を挺してお前を守るとは、なかなかの忠義者だ。――なのに、俺と桐原の関係を羨ましがるとは、少しばかり筋が通らんな。……可笑しな奴だな」
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「近習とは“義”でつながり、兄弟は“情”でつながっています。兄上と私の絆は、特別なのです。でも、兄上と桐原殿は"情"で繋がっているように思えてしまって……嫉妬ですね」
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「互いに家を背負っても、"情"の繋がりは切れませんよ……兄上」
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