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第4話 いや! やめて!
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三十分ほどして奏雅はようやくトイレから脱出した。最初は扉を内側から壊そうと蹴りや体当たりを繰り返したが、扉は案外頑丈で壊れそうもなかった。トイレ内になんとかできそうな道具も見当たらなかった。窓からの脱出も考えたが、さすがに四階の高さの窓からは無理に思えた。結局、たまたま通りかかった教師が、トイレの扉の細工と中からの物音に異変を察知し、扉を開けたのだった。
「サンキュ! 助かったぜ!」
そう言って奏雅はすぐさま飛び出し、そして走り出した。
「おい! これはどういう……」
うしろでその教師が叫んでいたが、奏雅にはそれに答えている暇はなかった。
奏雅は夕姫を探し校舎中を走り回った。
(……どこだ!? どこにいる……?)
途中で昇降口に寄り、下駄箱の中に夕姫の上履きがあるのを確認してからは、校舎の外を探し回った。
しかし、夕姫はどこにもいなかった。
(…………くそっ……、なにやってるんだ、俺は……。)
(アイツらが行きそうなところ……!)
(……!)
そのとき奏雅の脳裏に、あの川原での夕姫の姿が浮かんだ。あの、川の中から鞄を持ち上げる、夕姫の姿が。
(あそこだ!)
奏雅は走った。
* * *
奏雅があの川原に着いたころには、もうだいぶ西日がきつくなっていた。奏雅は目を細めながら夕姫の姿を探した。そして、あのときとちょうど同じところで、夕姫を見つけた。
川原沿いには、木でできたベンチがいくつか置かれていた。そのひとつに、夕姫は座っていた。連中の姿はなかった。夕姫は川のほうに向いて座っていたので、その斜めうしろにいた奏雅からは顔は見えなかった。しかも、奏雅のいるほうからは夕姫のいる方向はちょうど逆光であったので、夕姫の表情はまるでわからなかったが、ただじっと前を見据えて座っているように見えた。
奏雅がベンチに近づいた気配を感じたのか、夕姫が振り返った。
奏雅は思わず息をのんだ。
夕姫の眼は、見たこともないほど冷たかった。奏雅はこれまで多くの喧嘩を経験して、たくさんの不良を見てきたが、こんなに冷たい眼をした人間はいなかった。それなのに、普通の高校生が、女の子が、こんな冷たい眼ができるものなのか、と思った。この前この川原で見た夕姫のあの無表情とは全然違っていた。恐怖、挫折、絶望……。そんな感情が内包されたような、冷たく、深い闇の中にいるような表情だった。
奏雅はその表情に一瞬目を奪われてしまったが、すぐにもうひとつのことに気がついた。夕姫の口元、右の頬と唇のあいだぐらいが、青黒いアザになって腫れていた。
奏雅は、無意識にそのアザに触れようと手を伸ばした。
* * *
夕姫はベンチに座って、じっと考えていた。
(なぜ私が、こんなことをされないといけないんだろう。私が、アイツらの気に障ることをしたから? ……ううん、もしそうじゃなくても、アイツらは面白半分で同じことをするだろう。面白がって……。なんの理由もなく……。……私が生きているのにも、理由なんてないんだろうか。……いても、いなくても、同じだ。私にこんなことをしない人間なんて、どこにもいない……。あの人も……、きっとそう。きっと、いつか、私を……。だったら、そうなる前に……。)
そのとき、うしろで砂利を踏む音が聞こえた。夕姫はゆっくりと振り返った。奏雅だった。奏雅は一瞬困惑したような顔をして立ち止まったが、すぐに夕姫に近づいてきた。
夕姫には、奏雅の表情の意味がわからなかった。なぜここに、奏雅がいるのかもわからなかった。奏雅が夕姫に手を伸ばした。その瞬間、ヤツらの薄気味悪い笑顔と笑い声が頭に浮かんだ。突然、奏雅がおぞましいもののように思えた。
「……いや! やめて!」
夕姫は無意識に叫んでいた。奏雅は手を止めた。少しのあいだ、時が止まったようだった。
(…………!)
すぐに我に返った夕姫は、自分の叫んだ台詞の意味を考えようとした。しかし、考える前に夕姫の眼に飛び込んできたのは、まっすぐこちらを見ながら悲しそうな顔をしている奏雅の姿だった。
(あ、…………)
夕姫はどうしていいかわからなかった。状況に、思考がまったく追いついていなかった。ただ、今日の出来事と、頬の痛みと、奏雅の表情が、頭の中で入り乱れていた。
瞬間、夕姫は立ち上がり、鞄を抱えて走り出した。その場所にはいられなかった。うしろを振り返ることもなく、全力で走った。
奏雅は、逃げるように去った夕姫を追いかけることもできず、ただ立ちつくしていた。
(つづく)
「サンキュ! 助かったぜ!」
そう言って奏雅はすぐさま飛び出し、そして走り出した。
「おい! これはどういう……」
うしろでその教師が叫んでいたが、奏雅にはそれに答えている暇はなかった。
奏雅は夕姫を探し校舎中を走り回った。
(……どこだ!? どこにいる……?)
途中で昇降口に寄り、下駄箱の中に夕姫の上履きがあるのを確認してからは、校舎の外を探し回った。
しかし、夕姫はどこにもいなかった。
(…………くそっ……、なにやってるんだ、俺は……。)
(アイツらが行きそうなところ……!)
(……!)
そのとき奏雅の脳裏に、あの川原での夕姫の姿が浮かんだ。あの、川の中から鞄を持ち上げる、夕姫の姿が。
(あそこだ!)
奏雅は走った。
* * *
奏雅があの川原に着いたころには、もうだいぶ西日がきつくなっていた。奏雅は目を細めながら夕姫の姿を探した。そして、あのときとちょうど同じところで、夕姫を見つけた。
川原沿いには、木でできたベンチがいくつか置かれていた。そのひとつに、夕姫は座っていた。連中の姿はなかった。夕姫は川のほうに向いて座っていたので、その斜めうしろにいた奏雅からは顔は見えなかった。しかも、奏雅のいるほうからは夕姫のいる方向はちょうど逆光であったので、夕姫の表情はまるでわからなかったが、ただじっと前を見据えて座っているように見えた。
奏雅がベンチに近づいた気配を感じたのか、夕姫が振り返った。
奏雅は思わず息をのんだ。
夕姫の眼は、見たこともないほど冷たかった。奏雅はこれまで多くの喧嘩を経験して、たくさんの不良を見てきたが、こんなに冷たい眼をした人間はいなかった。それなのに、普通の高校生が、女の子が、こんな冷たい眼ができるものなのか、と思った。この前この川原で見た夕姫のあの無表情とは全然違っていた。恐怖、挫折、絶望……。そんな感情が内包されたような、冷たく、深い闇の中にいるような表情だった。
奏雅はその表情に一瞬目を奪われてしまったが、すぐにもうひとつのことに気がついた。夕姫の口元、右の頬と唇のあいだぐらいが、青黒いアザになって腫れていた。
奏雅は、無意識にそのアザに触れようと手を伸ばした。
* * *
夕姫はベンチに座って、じっと考えていた。
(なぜ私が、こんなことをされないといけないんだろう。私が、アイツらの気に障ることをしたから? ……ううん、もしそうじゃなくても、アイツらは面白半分で同じことをするだろう。面白がって……。なんの理由もなく……。……私が生きているのにも、理由なんてないんだろうか。……いても、いなくても、同じだ。私にこんなことをしない人間なんて、どこにもいない……。あの人も……、きっとそう。きっと、いつか、私を……。だったら、そうなる前に……。)
そのとき、うしろで砂利を踏む音が聞こえた。夕姫はゆっくりと振り返った。奏雅だった。奏雅は一瞬困惑したような顔をして立ち止まったが、すぐに夕姫に近づいてきた。
夕姫には、奏雅の表情の意味がわからなかった。なぜここに、奏雅がいるのかもわからなかった。奏雅が夕姫に手を伸ばした。その瞬間、ヤツらの薄気味悪い笑顔と笑い声が頭に浮かんだ。突然、奏雅がおぞましいもののように思えた。
「……いや! やめて!」
夕姫は無意識に叫んでいた。奏雅は手を止めた。少しのあいだ、時が止まったようだった。
(…………!)
すぐに我に返った夕姫は、自分の叫んだ台詞の意味を考えようとした。しかし、考える前に夕姫の眼に飛び込んできたのは、まっすぐこちらを見ながら悲しそうな顔をしている奏雅の姿だった。
(あ、…………)
夕姫はどうしていいかわからなかった。状況に、思考がまったく追いついていなかった。ただ、今日の出来事と、頬の痛みと、奏雅の表情が、頭の中で入り乱れていた。
瞬間、夕姫は立ち上がり、鞄を抱えて走り出した。その場所にはいられなかった。うしろを振り返ることもなく、全力で走った。
奏雅は、逃げるように去った夕姫を追いかけることもできず、ただ立ちつくしていた。
(つづく)
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