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side安曇:前篇

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「俺を飼ってくれませんか?」

一瞬何を言われているか分からなくて、キョトンと目の前の青年を見つめた。

「………は? 買う……?」

人身売買は違法だよ?
首を傾げてもの問うように眺めると、彼はニコニコ全開の笑顔で俺の手を掬うように持ち上げて握り締めてきた。

「はい。貴方のペットになりたくて!」

「あ、俺んち賃貸、ペット不可物件。じゃ」

時間は深夜となっていて終電を逃した俺は何事もなかったように歩き出した。

酔っ払いかなぁ? 見た目、素面っぽいけど、顔に出ない人って居るもんな。

さて、タクシーでも拾うかな。
でもなぁ、ここら辺ってあんまりタクシー流してないんだよなー。出向先からそのまま直帰するつもりだったんだけどな。
今日は帰宅を諦めて、ネカフェ行くか? っつか、どこあんだよ、ネカフェ。

この思考の間に、俺はさっきの変な青年の存在をすっかり忘れてしまって、スマホで検索を始めてしまっていた。俺って、こういうとこあるんだよね。興味引かれないものに対して、意識が全く向かねーの。
ちょっと前に同僚から「そーいうとこ猫っぽいよな」って指摘されちゃって、地味に気にしてる。
実は俺は猫派だ。あのツンな所も、自分の都合の良い時にだけ甘えて来んのも、気付けばそっと側にくっついてリラックスしているのも、もう何もかもが可愛い。
そう、めちゃくちゃ可愛いんだよ、猫は!

だがしかし!
可愛いと思えるのは、ヤツらが動物だからであって、あんなタイプの人間が居たらちょっと嫌だ。少なくとも、俺は仲良くなれない。人間に限って言えば全力で人当たりが良いワンコ属性に限る。

スイスイとスマホの画面を操作しながら、「ネカフェねぇな。もうビジホ行くか」と考えてた時。
そっと大きな手が、スマホを持つ俺の手に触れてきた。

「ここら辺、泊まれる場所ないですよ。駅3つか4つ先まで行かないと」

「え、マジ?」

突然の助言に思わず顔を上げると、ニコニコ笑顔全開の彼と目が合った。反応してもらえて嬉しいと、全身で訴えているように見える。何なら、その形の良い尻に全開で振られている尻尾の幻が見えそうだ。
つか、君、まだそこに居たんだね?

「そんな安曇さんにご提案なんですが………」

「は?何で名前、」

「俺、朝まで潰せる場所提供できるんですよね。来ません?俺んトコ」

俺の手を握る青年の手に力が籠もる。俺は「やれやれ」とため息をついて、彼を見上げた。

「まぁ何だ。こんな時間に帰る手段なくした俺が言うのもナンだが。何で付いてくと思ったんだ、お前。チビ時代によ~く言い聞かされただろ?『知らないヤツに付いて行くな』ってさ」

そう、怪しいヤツに付いて行くなんで、自殺行為だろ?ましてや、コイツ何故か俺の名字知ってるし。
怪しい以外の何もんでもねぇ。

ソロリと腕を引っこ抜こうとすると、彼は態と力を入れてキツく握り込むみ、そのままグイッと引き寄せてきた。

「ヤだな、安曇さん、俺の事知ってる筈ですよ」

にこにこ笑ってるけど、目付きがガチだ。うん、ヤバイ、ヤバイ。

「は?知らねーわ。誰だよ、お前」

「ふふ……、この少し先のビルの一階で猫カフェしてるって言ったら思い出します?」

ふ、と真顔になって、目の前の青年を見上げる。
『猫カフェ』?それって、この出向期間の俺の心の癒しの場『猫カフェ 陽だまり』の事、か?

「思い出しました?俺、そこの店長してる蘇芳って言います。ほら安曇さん、メンバーカード作ってくれたでしょ?だから名前も知ってるんですよ。ほら怪しくない、怪しくない。どうです?来ませんか?」

「あー…………。あ?」

じっと青年を見つめる。え、居たか?こんな長身のスタッフ?

「俺、背ぇデカすぎて、よくキャットタワーぶつかるし、飛び交う猫にぶつかるしで、奥のキッチン担当をしてるんですよね」

「あ~、ね」

納得。確かになチラッと見えるキッチンスペースに、デカい男が居たような……。が、しかし。

「まぁ、君が誰かは分かったけど、一介の客に過ぎない俺がその誘いを受ける理由ないんだけど?」

「え、でも安曇さん困ってるみたいだったし。それに、俺にも下心があるんです!!」

いや、それ堂々と言うことじゃねーよな?だから、同じ言葉を2回繰り返すヤツは怪しいって言われんだよ。

「や、下心あるお誘いはちょっと……」

が、俺もちゃんとした大人だ。ちょっと理由がアレでも、薄~い顔見知りに、夜を凌げる場を提供してくれようとした好意に感謝をしつつ、やんわりと断る。

「あ、いや!そうじゃ……っ!いや、そうだけど、ちが……っ!」

ハッとなった青年は、アワアワと慌て始めた。

「いや、安曇さん素敵だから、勿論……いや、だから……。猫!そう、猫が……っ!!」

「や、落ち着いて?」

「あ、はいっ!えと。ウチのの一匹がちょっと調子良くなくて。俺、今日は店舗に泊まり込みなんです。でも、やっぱ眠くなっちゃうし、誰か話し相手になってくれないかな~って思ってたんで」

ちょっと待て!
今、俺の中において、すっげぇ重要な情報があったぞっ!!

ヤツの手を振り払い胸倉を掴むと、今度は俺がヤツを引き寄せた。

「誰だ!?」

「わぁ………。安曇さんのご尊顔がアップで……なんて素敵な………ゴホン。え?何ですか?」

「何ですか?じゃねーわっ!誰の調子がわりぃんだよ!?」

「え?えっと、紬さま、です……」

俺の剣幕に押されたのか、ちょっと引き気味になる青年。いや、蘇芳って名乗ってたな。

「よし、蘇芳。行くぞ」

「はいっ、喜んでっ!!って、え?あの、安曇さん?」

条件反射的に良い返事をした蘇芳。うん、お前、良い居酒屋スタッフにもなれそうだな。ちょっと古いけど。

「紬さまの調子がわりぃのに、こんな所で時間潰すヤツがいるかよ。淋しがってるかも知れねーだろっ!さっさと来い!」

吐き捨てる様に言うと、俺は蘇芳の胸倉を掴んだまま足早に歩き始めていた。その様は、まるでリードを着けて散歩をしている飼い主とワンコみたいで……。
蘇芳のヤツが顔を赤らめて、熱っぽく俺を見てるなんて事に気付きもしなかった。

だから、興味がなければスッパリ忘れてしまう俺の記憶力よ。何故、コイツの初っ端のセリフ『俺を飼ってくれませんか?』を忘れる事ができたんだ……。
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