"喫茶むじな"は相談所

後藤権左ェ門

文字の大きさ
上 下
2 / 2

2.初めてのお客さん

しおりを挟む
「い、いらっしゃいましぇ!」

 噛んだ! 恥ずかしい!
 じゃなくて、どうするの私!
 まずは席に案内しないと……
 あれ? ドアの開く音が聞こえたはずなのに誰もいない。

 ひょい

 急にカウンター席にタヌキが現れる。

「……タヌキ!?」

「タヌキじゃないです。アライグマです」

 そ、そうだよね。タヌキがこんなところにいるはずないものね。
 ……いや、アライグマもいないよ!!

 というか、今しゃべった!?
 最近のアライグマはしゃべるの?
 もしかしてキグルミ……?
 いや、人が入れるような大きさじゃないよね。

「ミルクをお願いします」

 ミルク頼む人いたよ。
 人じゃないけど……
 でも助かった。ミルクなら私でも大丈夫だ。

 かちゃっ
 とく、とく、とく

 整然と並んだコップの中から1つを取り、冷蔵庫から取り出した牛乳を注いでいく。

「どうぞ」

 アライグマの前にそっとミルクを置く。

「いただきます」

 こく、こく、こく

 アライグマは両手を器用に使い、コップを持って飲んでいる。
 果物も両手を器用に使って洗ったりしてるもんね。
 結構癒やされるかも。

「それで相談があるのですが……」

「そ、相談……ですか……?」

「はい。こちらの喫茶店ではなんでも相談に乗っていただけると聞きまして」

 私は聞いてないよ!?
 店主の女性が戻ってくるまで待ってもらった方がいいよね……?

「あ、あの……」

「実は」

 話し始めちゃったよ!?
 もう話を遮る勇気はない。
 ここまで来てしまったら、真剣に悩みを聞こう。

「好きな相手がいるのですが、妻には『私がいるでしょ!』って怒られてしまって。どうしたらいいと思いますか?」

 ……?
 えっと、驚きすぎて言葉が出てこない。
 奥さんがいるのに他に好きな人ができてしまったということだろうか……?
 奥さんに"浮気したい"って言ったら、そりゃ怒られるでしょ。

「あ、あの……浮気はどうなのかなぁ? と思うのですが……」

 きょとん

 アライグマは不思議そうに目をまんまるにしている。

「浮気じゃないです。本気で2匹とも愛してます」

 え……?
 それって浮気より悪い状況なんじゃ……?
 いや、両方本気ならアリなのか……?

「それはちょっとまずいんじゃないですかねぇ……?」

「うーん、周りはみんな何匹もパートナーにしてるので問題ないと思います」

 あー、アライグマって一夫多妻制なのか。
 それなら法律(?)的には問題なさそう。

 ……だけど、それでもやっぱり……

「それでもやっぱり奥さんとちゃんと話し合った方がいいと思います。お互いに気持ちを確認しあって、スッキリとした状態で新しい奥さんを迎えた方が幸せになれると思うんです」

「そうですね。そうしてみようと思います」

 カランカラン

 アライグマが帰ろうとすると入り口のドアが開く。

「あら、アライグマさんもうお帰り?」

「はい。悩みを聞いてもらえて、なんだか少し気持ちが軽くなりました」

「それはよかった。またいらして下さいね」

 カランカラン

 アライグマがこちらに一度頭を下げてから、店を出ていく。

「店番ありがとう。あなたアライグマさんのお悩みを解決したみたいね」

「いえ、そんなこと……ただ自分の考えを押し付けてしまっただけなんじゃないのかなって……」

「ふふっ。それでも真剣に考えて答えてくれた言葉は心に響くものよ」

 そう……なのだろうか。
 胸が熱くなる。
 私の言葉なんかより、この人の言葉の方がよっぽどまっすぐ私の心に入ってくる。

 私もこんな人になりたい。
 初めてそう思えたかもしれない。 

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね。私はこの喫茶店の店主の"あいり"よ」

「渡貫小雪(わたぬきこゆき)です」

「小雪ちゃんね。今日は本当に助かったわ。もしよかったら、またここの手伝いに来ない?」

 ……本当はやってみたい。
 この人のそばでもっと色々なことを知りたい。

 ……でも、やっぱりその勇気はない。
 そう簡単にこの性格は変わらない。

「あ、あの……やっぱり私には……」

「"私には出来ない"? 本当にそう? 私にはすごくやりたそうに見えるけど。ふふっ、私はあなたの本当の気持ちが聞きたいわ。後の心配事は一旦どこかに放り投げて、今の気持ちを聞かせてちょうだい」

 目頭が熱くなり、涙が滲んでくる。
 どうしてそこまで私にまっすぐ向き合ってくれるのだろう。
 子供の頃からうじうじしてるとか根が暗いとか言われて、まともに相手してくれる人なんてほとんどいなかった。

 明るくて社交的な子の周りにはいつもたくさんの人がいて、私はそれを遠くから羨むだけ。
 その子はいつも褒められて、私はいつも叱られる。
 "どうしてできないの?" "自分から積極的に" "もっと明るく"
 どうしてって言われてもわからない。出来ないものは出来ないのだ。
 考えただけで涙が出てくる。

 そんな私に、この人は真正面から言葉をかけてくれる。
 私の本当の気持ちを考えてくれる。

 ……やってみたい。この人と一緒に働いてみたい。

「……わ、私は、今までずっとなんで出来ないんだって言われて、自分でもなんで出来ないんだろうって思って、臆病になって何をするのも怖くて。でも本当は飼育委員もやりたかったし、美味しいラーメンも食べたいし、かわいい洋服も着たい。私は……」

 そう、私だってずっと変わりたかった。

「……私は、あいりさん、あなたと一緒にここで働いてみたいです!」

 言った。言ってしまった。
 あいりさんはどう思っただろう。
 何言ってるんだって思われてないだろうか。
 怖い……
 あいりさんの顔を見られない……

 私は足元を見つめる。
 溜まった涙がこぼれ落ちる。

「小雪ちゃん」

 あいりさんの優しい声に、私はうつむいていた顔をそっと上げる。

 優しい眼差しをふわりと細めたあいりさんと目が合う。

「本当の気持ちを教えてくれてありがとう。今まで苦労してきたのね。でもね、他人を変えるのは難しいけど、自分を変えるのは今この瞬間からできるのよ? 現に今あなたは少し変われたじゃない」

 他人を変えるのは難しい?
 いとも簡単に他人のこと変えちゃったくせに、どの口が言ってるのよ。
 私が自分で変わったんじゃない、あいりさんあなたに変えられたの。

 あいりさんと一緒なら変わっていけそう、そう感じた21歳の春。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...