10年前のあなたへ

桜井 明日香

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第5話・シュトーレン

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「千家さん、よかったですね。今日はこれから、お友達が来てくれますよ。しかも、クリスマスパーティですよ。楽しみですね」

 恭子さんが「Merry Christmas」の文字を切り抜いた飾りを、春彦の眠るベッドサイドにマスキングテープで貼ってくれた。一方私は、雑貨屋で買ってきた小さなクリスマスツリーをベッドにセットしたオーバーテーブルに置く。オーナメントは、下手くそながらフェルトで作ってきた。
 春彦に挿管された管からは、規則正しい動作音が響いている。モニターの数値も正常だ。
 クリスマスパーティをこの病室で開くことを決めてから、久しぶりに充実した日々を送っていた私の気分が、春彦にも伝わっているのかもしれない。春彦はここ数日間、いつになく安定したバイタルを保っていた。
 私は春彦に話しかける。

「春彦くん。男前だよ」

 今日は朝から大忙しだった。仕事は休みだが、朝から病院に来て春彦の身だしなみを整えた。髪を洗ってひげをそり、手足の爪を切った。人工呼吸器がなければいいのにと思いつつ、ベッドのリクライニングを少し上げた。
 腕時計で時刻を確認する。美緒と良雄との約束まであと5分。

「そろそろだね。あたし行くわ」
「恭子さん。何から何まで、本当にありがとうございました」

 恭子さんにはクリスマスパーティを開くにあたり、本当にお世話になった。担当医には親族以外の見舞い客を2人も迎え入れることに難色を示されたし、緩和ケア科でも何でもない病棟でパーティを開くことそのものにも眉をひそめられた。
 私の、いや美緒や良雄の希望を取り入れた小さな訴えに賛同してくれて、担当医になかば脅迫するような形で迫り、実現させてくれたのが恭子さんだった。結果、午後の時間帯に1時間だけだという制限つきではあったが、こうしてパーティを開くことがかなった。
 だが、当の恭子さんはひらひらと掌を振る。

「いいの。もうそんなことはいいから、今日は思いっきり楽しんで」
「はい、ありがとうございます。私、廊下で2人を待ってます」

 廊下で2人を待っていようと、恭子さんと一緒に病室を出る。恭子さんの姿が消えて数分経つと、美緒と良雄の姿が見えた。美緒はふわふわとしたコート姿、良雄はこの寒い盛りなのに上着を手に持っている。
 私の姿を認めて、良雄が大股で近づいてきた。

「真弓ちゃん。美緒から聞いたよ。大変だったね」

 美緒も小走りで駆け寄ってくる。

「こら、良雄。声が大きい。ここ病院だよ」
「すまん」

 良雄の声の大きさは高校時代から変わっていない。現在は建設会社で営業をしているが、その人当たりのよさで実績もよいと推測される。

「今日は土曜日だし、診察とかもないから、割と大丈夫。それより、良雄くんのその声で春彦を起こしてやってよ」
「それなら、良雄の腕の見せどころじゃん」
「そ、そうか?」

 そんな会話をしながら病室に入る。人工呼吸器につながれて眠る春彦を見て、さすがに2人とも一瞬言葉を失ったようだが、さっそく良雄が春彦に語りかけた。

「おーい春彦、起きろ。いつまでも寝坊してんじゃないぞ。真弓ちゃん……困ってるじゃ……ないか」

 良雄の語尾がとぎれとぎれになり、思わずもらい泣きしそうになる。
 そんな空気を盛り上げるように、美緒が持っていた紙袋からケーキの箱を取り出した。

「ケーキ買ってきたから食べようよ。春彦くんの分もあるんだよ」

 美緒が紙袋からさらに取り出した紙皿の上に、ケーキをのせていく。

「え、嬉しい。ってか、春彦にもありがとう」
「春彦くんには特別だよ」

 私に向かって完璧なウィンクをしてから、美緒が説明してくれた。春彦に用意してくれたのはシュトーレンで、クリスマスまでに一切れずつ楽しむことを想定した、日持ちのするパン菓子だ。

「一切れずつ真弓が食べていって全部食べ終えた時、春彦くんの目が覚める。なんてロマンティックじゃん」
「ありがとう、美緒。それ、いいかも」
「本当にそうなったら、すごいじゃんね私」
「あはは、確かに。ってか、買ってきてくれたの美味しそう。食べようよ」

 ここで私たちが美味しそうにケーキを食べたら、その匂いや雰囲気につられて春彦の意識も回復するのではないか。ついつい、そんな期待までしてしまう。

「じゃあ俺は、この雪だるま型の……」

 良雄が、雪だるまの形に生クリームでコーティングされたケーキを指さした。ちょこんとのっている砂糖菓子の帽子がかわいらしい。

「ちょっと良雄。何であんたが一番先に選んでんのよ。ここは真弓でしょうが」
「すまん」
「いいの、いいの。私はこれが好きだから」

 チョコレートが好きな私は、ブッシュ・ド・ノエルをかたどったロールケーキに惹かれた。チョコレートベースの生地とクリームがとても美味しそうだ。

「あー、そういえば真弓、チョコが好きだったね。仕方ない、雪だるまは良雄に譲ってあげよう。体型も似てるし」
「俺、そんなに太ってるかな……」

 良雄が腹をさする。そんな良雄を見て、私たちはまた笑う。
 さて、美緒のケーキは、緑色のクリームをモンブランのように絞ってクリスマスツリーを表現したものだ。そう言えば、美緒は抹茶味のスイーツが好きだった。美緒は案外、私たちにぴったりなケーキを選んでくれたのかもしれない。思ったことをずばずばと言ってのける美緒だが、春彦へのシュトーレンといい、細やかな気遣いのできる優しい友達だ。

「良雄くんは、その食べっぷりが昔から何か笑えるんだよね。春彦がうらやむくらい、美味しそうに食べてあげて!」
「おぅ、任せろ真弓ちゃん」

 さっそく、良雄が雪だるまに大胆にフォークを入れてがっついた。それが合図となり、私も美緒もケーキを食べる。

「美味しい……。そして、楽しい……」

 春彦が寝たきりになった夏から、1人で楽しむことはご法度だと思い込んでいた。だが、今、私はとても楽しい。

「私たちさ、またお見舞いに来るから」
「そうだよ、真弓ちゃん。俺たちがついてるから」
「ありがと……」

 私も春彦も、本当に友達に恵まれたと思う。
 幸せを感じたから笑いたいのに、涙があふれる。ふと視線を向けた春彦は、少しだけ頬がゆるんでいるように見えた。私は春彦に笑いかけようとして、結局涙に負ける。
 それは、この状況下における最初で最後の嬉し涙だった。
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