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陥落するまでの話
11.逃亡
しおりを挟む団員寮の荷物を整理しておけば発つ予定が早まったとしてもすぐに対応できるし、何より退路を塞いでしまいたかった。だからさっさと辺境領へ持参するものをまとめようと思っていた。
踵がカツカツ立てる音はどこか重い。
魔獣討伐の傷は軋む程度になりはしたものの、まだ痛みが残っている。騎士団の事務所から通路を一歩一歩進むたび、ツキツキ感じる鈍い感覚。これは本当に傷の痛みなのか。
(ここへ来た日に戻ったと思えば……なかったことになる)
忘れるんじゃない。何もなかった、会わなかった。そうすれば、俺の中から消えるのだ。すべて──
ひとつひとつの記憶を封印するように、声も仕草も、穏やかに笑う顔も。思い出しては塗りつぶしていく。そうやってレオンという存在から離れようとした。
「アルフォンス?」
それが──
どうしてこうなった?
あの低音に名前を呼ばれ、もちろん誰が呼び止めたのかわかっていて声の主を確かめた。振り返ってみれば、やはり思い浮かべた人の顔があって。
と同時に、いつも輝いていた碧眼とは違い、見たことのないドロドロした瞳の色と目が合った。俺が何かを言うより先に、それこそレオンの名前を口にしようとしたとき、全身を奇妙な痺れが襲った。
何をされたのかわからないまま体が崩れ落ち、けれど地に膝を着く直前で受け止められた。意識はそこで暗転し、その後……気が付いたらここにいたのだ。
知らない部屋の寝台の上。
俺を見下ろしているのは、レオンだ。あのドロドロした瞳のままで。
「何でっ」
声は出せる。笑えるくらい弱々しいが話すことはできた。
ただ体を自由に動かすことができなかった。レオンの手によって、頭上で両腕を戒められている。脇や腹を晒す無防備な体勢は心許なく、不安が増していく。いや、まさか。傷つけられることはないと信じたいが、それでも、何故こんなことに……疑問ばかりが浮かんだ。
「おかえり。大変だったね、アルが大怪我を負ったと聞いて心配していたよ。本当はすぐに駆けつけたかったんだけど、そうもいかなくて。こういうとき面倒だよね、統括団長なんていう役目があると」
辞めたら好きなようにできるかな──有り得ないことを言いながら寝台に腰を掛けているレオンは押さえつけていないほうの手で、俺の左頬をそろっと撫でた。まるでここにいることを確かめているようにも思える。が、指の動きはそれだけではない。
頬から顎先まで辿り、首筋をつつーっと爪でなぞられる。尖った爪の動きにぞわっと肌が粟立った。
「帰ってきたら話そうと思っていたのに、まさか辺境領へ逃げようとするなんて……自由にさせすぎたかな?」
「……っ!」
その言葉にハッとする。何故レオンが知っているのか。つい先ほど、俺の意思が変わっていないことを伝えたばかりだというのに。フェリクス団長から誰にも話はいっていないはずだ。
しかも単なる団員の身でしかない。俺がいなくなったところで影響もなく、何ら問題はないはずだ。ここを発った後、姿が見当たらないことで退団の話は上がるかもしれないが、それくらいの存在だと思っていた。
辺境伯領へ着いたら王立騎士団の魔法騎士としてではなく、一人の騎士としてやっていくつもりだった。
それが逃げることに当てはまるのかわからないが、距離を取るための行動であることに変わりない。
「レオン……俺は、ただ」
「ただ、旅に出る──なんてこともないでしょ? 戻るつもりがないんだから。こういうことはね、割と勘がいいんだ。まさかと思って驚いたよ」
口調は変わらず落ち着いたままで、驚いたと言いながらそんな様子はまったく感じられない。むしろ落ち着きすぎるほどに声音は冷静だ。
首筋を辿った指は上衣の一番上にあるボタンをプチッと外し。その下も、次も……外気に晒された肌が震えたのは、寒さのせいじゃない。そんな俺の様子を見ていたレオンの口角は僅かに上がっていた。
上衣の前を左右に割り開かれ、脇にそっと触れられる。ビクッと大きく反応したことに碧眼は細められ、仄暗いものを孕んだ。
「まだ痣が残っているけれど、無事でよかった。大切にしてくれないと……君のものであり俺のものでもあるんだから」
ね、って言いながら脇腹をことさら執拗にいじりまわす。一本だけだった指が二本、三本に増え、ぐりぐりと何かを塗り込むかのように何度も円を描いた。
これまでのレオンとは違う様子に、俺は本能的に拒んだ。もちろんこんなことは今までない。無意識に魔力が高まっていた。けれど、俺より遥かに強いレオンが俺の動きを見逃すわけもなく、瞬時にして重ねるような冷気で押さえられてしまった。
「覚えてもらおうかな。しっかり、身体で」
低い声音に含まれた劣情。明らかに灯された瞳の欲。
ああ、喰われる──
まるごと飲み込まれる感覚がした。それなのに、俺は目を見開きながら、恐怖の中でもどこか喜んでいる感情を自覚していた。
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