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本編
5.なんで発情期?
そんなこんなで月日は流れ、どうやら俺の発情期がきてしまったらしい。風邪すらひかない健康体であるため、周期が乱れることはなく、おおむね三ヶ月おきにやってくる。
アルファとオメガはフェロモンを抑える抑制剤の服用が義務となっている。世間を混乱させないためであり、バース性特有の事情ゆえ、自身の身を守るためだ。
服用すればオメガはアルファのフェロモンに反応しなくなり、アルファはオメガの誘う匂いに引きづられなくなる。ただ、オメガの発情期はいつも以上にフェロモンが強くなるため、たとえ抑制剤を服用していても一部のアルファには影響を与えることがある。それはアルファの中ですら優位であるとか、オメガとの相性がよい場合だ。
ところが俺は自分が発情期に入りかけているというのに、この日はまったく気付いていなかった。発情期の症状である倦怠感や熱っぽさが皆無だったせいもある。無症状なのだから気付くことはできないだろう。
しかも夕方から体が重くなることがほとんどだ。意識していなくとも体は正直なようで、自分のテリトリーであるマンションへ帰ったタイミングにずしりと症状が表れる。屋外で具合が悪くなり、困ったことはなかった。
一ノ瀬はそんな俺の変化をいち早く感じ取ったらしい。オメガである当の本人が自覚していないのに。ほんの僅か、微量でよくわかったものだ。
もしかすると、ずっと一ノ瀬の近くにいたことが体調に影響したのかもしれない。アルファのそばにいれば、どうしたって互いを誘い合う。
だとしても、俺からしてみれば会社で発情期が始まったことなどないのに、おかしなことを言い出したとしか思えなかった。
「おまえ⋯⋯さっさと帰れ」
「は? 何、いきなり」
すれ違いざま、一ノ瀬にクイッと腕を引かれた。耳元へ顔を寄せたかと思うと、周りには聞こえない音量で耳打ちされる。
「いいから」
「いや、急ぎの仕事あるし。そんなの無理だが」
何がなんだかわからないことを突然言われ、従うわけがない。俺は一ノ瀬を訝しんで見上げた。
「チッ⋯⋯しょうがねぇ」
「なに、ぇ、ちょっ、ちょっとまっ」
すると、苛立たしげに舌打ちし、従おうとしない俺を腕の中へ抱き込んだ。抵抗しようにも力の差は歴然だ。抗えるはずもない。
胸元に俺の顔を押し付けると、一ノ瀬は自分のフェロモンを発した。これだけの近距離で強制的に嗅がされては、抑制剤の効果を帳消しにしてしまう。
(う、っわ⋯⋯)
オメガにフェロモンを充てるなんて正気か!? 冗談で済む話じゃない。いくらなんでもやりすぎだ。
鼻腔をとおり、胸いっぱいに一ノ瀬の匂いが入り込む。こんなことをされたらたまったもんじゃない。潜んでいたオメガの本能がくすぐられた。
ぶわっと一気に熱が上がる。
体の中を巡る血が沸いて、胎の奥がズグリと震えた。
──このアルファをそそのかせと
「わかったか? 大人しくしていろ」
「ひ、ひどっ」
「仕方がないだろ。おまえが言うこと聞かないんだから」
言うことも何も、俺は帰れとしか言われていない。無理なものは無理だからそう答えただけなのに、説明もなくいきなりこれって酷くないか?
ぐったりと力の抜けた俺は、一ノ瀬へ体を預けることになった。はたからは、急に具合が悪くなったように見えるだろう。不調とはだいぶ症状が違うけれど、自力で立っていられない状態だった。
「笹野を送りますので」
そこから一ノ瀬の行動は早かった。
自分の業務の指示を出し、俺が数日休んでも差し支えないように各所へ申し送りを伝えた。急なことだというのに、なぜか上司たちは理解を示している。なんだよ、この歓迎ムード。『フォロー入りますからぁ』じゃないよ。
たしかにうちの会社はバース性を理由に不利益を被るようなことはないが、それにしたって甘くないか?
これじゃまるでオメガの特別休暇みたいじゃないか。発情期にアルファも休暇取得ができるというアレだ。周りの温い視線がどうもおかしい。
「いくぞ」
「っ⋯⋯んっ、」
ふにゃふにゃする俺を抱きかかえ、一ノ瀬は手配していたタクシーへ乗り込んだ。どうすることもできず、ただ一ノ瀬のシャツにしがみつくしかない俺。不甲斐ない。
「くふっ⋯⋯」
いつもならこんなことしないが、ぐりぐりと額を擦りつけた。
一ノ瀬はそんな俺のことをきゅっと自分へ近づかせ、『かわいいな、おまえ』なんて言う。否定もバカなこと言うな、くらいの言葉も返せず、もう何も抵抗することができなかった。
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