天念少女~スタート~

イヲイ

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狼学園

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~狼学園~

 時は六月中旬だった。
 午前の眩しい日差しと、午後の照りつける光を遮る黒い雲のかたまりが、じめじめした暑さを残して雨へと変わっていくような梅雨時、昼御飯を食べ追えた少女はあるものを読んでいた。

 《――とある私立の、全寮制学校。狼学園というのが正式名称のそこは、問題児から優等生まで様々なレベルの高校生を受け付けている、少し変わった高校だ。
 そしてなにより変わっていると評される事情として、全ての学生は卒業時最高の高校生活を送れたと狼学園を絶賛すると言われている。
 その異常な評価と、それに対して学校内の教育体制は一切隠されていることから、怪しむ者は少なくはない。がしかしそれでも、例え狼学園の存在するかもわからない闇を暴こうとする者も、どんな者も最後は学生生活を満喫する。
 私はそれが、気持ちが悪くてしかたがない。だから私は、今年から狼学園へと足を踏み入れるのだ。》

 「っだってさ。すごいよね、これ日付がええと、二十一年前の四月のだ。」
 狼学園の校舎の四階、その奥の奥の、校門辺りに並ぶ桜の木の花弁の一枚も入り込まない…どことなく寂れた教室の自席で、『星村 正珠』は汚れたノートの文字を追い終える。
 次の数ページは破りとられ、残りは白紙だ。
 正珠はいつものト音記号型の髪止めを左手でいじりながら、前の席の少年に話しかける。
 それに反応して、ずっと後ろを振り返っていた美少女のような少年、『漆原 総』は相槌を打ってから、今日正珠が見つけた薩摩芋色の背表紙のノートについて問う。
 「というか、日記…だよなそれ。そんなものどこで持ってきたんだ?」
「図書室!」
 即答で元気に答える正珠に総は驚き、目を見開く。総は、プライバシーの塊であろう誰かの日記が赤の他人に見られる状況に晒されていることにも驚きを隠せないでいるのだ。
 しかしなんとか無理に納得しようと考えると、総は理由を考えてみる。
 「図書室に日記があったのか…いやまあでも、小説にだって日記形式のはあるって聞いたことがあるような…ないような。ともかくノート型の小説なのかもな、それも。」
「いや残念だけどそれはないっぽいよ。だって日記はここで終わってるし、文字もすごい汚い手書きだ。文字のハネの全てがクルンってなってて、癖も強いし…ノート表紙の文字もほとんど掠れて読めないけど…左端のとこに名前が書いてあった形跡がある。凄い昔のだから…今まで見つかっていなかったのを踏まえると、誰かが図書室に隠したんだろうね、きっと。」
 ノートを始めに戻して、表紙裏を見る。そこには丁度L判の写真がぴったりあうように四枚のマスキングテープが張ってある。しかし肝心の写真サイズの何かは千切り取られたように存在していない。しかしそのテープの後が示すのは、写真を張るほどには誰かに愛用されてきたノートだということだ。
 総は首をかしげる。
 「隠した?何のために?」
「さあねぇ~…ああ、でも」
 そこで正珠はよほどのことがない限り見せやしない笑みを…つまりはニヤリと笑い、それから視線をノートから真っ直ぐ総の赤い瞳へと向けた。

 「少なくともノートのとこ、狼クラスになってるからね。きっと解決口が見つかるよ。
 大丈夫、せーじゅ達は、協力しあえば絶対に、『助けられる』から。」
 教室には四月から変わらず二十九人分の机と椅子が並べられている。
 しかし昼休みも終わって、五時間目の授業が既に十分ほど進んでいる今日、その教室にはただの二人しかいない。
 正珠はもう一度不適に笑うと、心の中で言い聞かせる。大丈夫だと。
 ――消えた皆は絶対に見つかる。
 そう心の中で唱え続けた。



 それは……………………遡ること数日前。
 六月は祝日もなく、学生にとって、特に大きなイベントもない。それ故に毎年この時期には野外学習が行われるのだが、しかし『事件』はその次の日に起きた。
 バスに乗って寮に帰ってきた後、次の日の食堂には、普段は朝ご飯時に賑わう声もなく、クラスメイトがほとんどいない状態だった。
 疑問に思いつつも残った八人は道路を越えた先の学校へ向かうが、やはり教室にもクラスメイトの姿は見えなかった。
 その後、正珠達は担任に相談したが、しかしその相談は笑い飛ばされ、『欠席扱い』となってしまったのだ。
 それどころか、翌日にはいなくなったクラスメイトは元からいないような扱いを受けていることを正珠達は目の当たりにした。
 そして異常を感じた残りのメンバーは、この事件と関連しそうなもの全てを調べることに決めたのであった。



 「正ちゃん、持ってきたよ!」
「結構時間かかっちゃったな、お待たせ、ただいま!」
 ガラリと教室の前のドアが開けられ、そこから二人の生徒が現れる。
 「空!」「トール!」
 正珠と総は同時に席を立つと、二人の方へ真っ直ぐに駆けつけた。
 桃色の髪をサイドテールに束ねた碧眼の『軒下 空』と学級委員のどこかふわふわとした雰囲気が漂う『川先 透』は教卓に手に持つノートを各々一冊づつ置く。それぞれ、鮮やかな桃色と緑の色の表紙カラーで、達筆な文字で空と透と名前が書かれてある。
 「これがネットとかで調べた二十一年前の事故をまとめたノート。それから、空さんの方のノートは…」
「この学校の大体二十年間分の噂をまとめたよ。」
 正珠がペラリとめくると、大学ノートにはびっしりと文字が書き込まれている。それだけで、数日間の努力が伺えた。正珠が顔を上げると、目の前の空はわかりやすく隈が出来ていた。もっとも、それは正珠自身にも言えたことなのだが。
 総はノートをパラパラとめくりながら目を見開いていた。
 「おお!すごいな!さっすがトールだぜ!それに空も!」
 俺なら絶対一時間で飽きるのに、とあり得そうなことを総は吐露しつつ、難しい感じが多くてしっかり読めなかったノートを透に返した。
 「うん、ありがとう。それでね、調べたのを簡単にまとめると、やっぱり『二十一年前の事故』と今回の失踪、タイミングがほぼぴったりで、他にも類似点がいくつかあったよ。やっぱり二十一年前の事故となにかしら通ずるものはありそうだ。」
 そういうと透は黒板に白のチョークで達筆な文字を書いていく。カッカッと、授業中を思い起こす音だけが暫く響いた。
 「皆が集まったら、整理しよう。昨日は皆集まれなかったもんね。」
 チョークを片手に極めて冷静に、落ち着いた声で透は語る。澄んだ瞳のその奥には、教室の後ろの扉が映っていた。人影が写ったのだ。
 僅かに扉が動き、それから大きく閉ざされていたものが開かれて、一人の少女が帰ってくる。
 「ただ、いま」
 空とは逆に水色の髪に桃色の瞳を持つ無表情の少女、『江崎 光』だ。言葉を変なところで頻繁に途切れさせる癖がある、同じクラスメイトの一人である。
 「誠とアリスと、悠太、今日は、集まれない…って。寮で、まだ、調べてる。」
「そうか…なら、先に俺達で整理しとくか。ありがとな、光」
「ん」
 優しく微笑む総に端的に返事すると、光は教卓の正珠と空の隣の隙間に入り込む。
 それを見届けた透は、先程書いた文字の羅列、『二十一年前の事故』について指を指した。
 「じゃあ、簡単に説明するね。二十一年前は丁度俺達と同じように特別クラス…狼クラスが高校二年生の時なんだ。で、この前言った山と同じ場所で…しかも同じ六月の野外学習の帰りのバスで教師一名を含む五人以外の生徒および運転手とバスガイドさん…計二十七人が、バスの横転事故で亡くなってる。けれどこれはニュースでは取り上げられてないね。理由の一つとしては、森奥での事故らしいから目撃者もいないし、そのせいで事故が起きた正確な日付はどうやら曖昧みたいだ。発見されたのが遅れたみたいで、生き残った人も記憶が曖昧らしくてね…事故の事を不完全ながらも知っているのは狼学園の一部生徒と生還者、警察と病院と…それくらいかな。」
 それはニュースにもなっておらず、大昔の事件だというのに見事に調べ上げられていた無いようだった。
 それ故に疑問が生まれた正珠が教卓の隅で手を上げる。
 「質問良いかな?」
「いいよ」
「それはつまり真相が事実上隠されてるってことだよね?でもいくら他クラスとはいえ、何人も死ねば気付く人はいるんじゃないかな?」
 当然ともいえるその質問には、正珠の隣の隣で透を見ていた空が答える。
 「それがね、噂では急に霊が出るとかそういった類いの怪談が増えたけど、ずっと変わらず学校の評価は最高だし、そもそも死んだ人がいたっていうことはあくまで噂の、話のネタの域を出てないみたい。そのクラスは極端に他のクラスと関わりが少なくて、不遇な扱いだったりしたらしいけど…要は気が付いた人はほんの一握りを除いて、誰も知らないってことだね。」
「ほんの一握り?」
 続いて、総のまるで女性のように高い声が疑問を唱える。
 「そう。たった一人だけ事件の事を吹聴していた人がいたみたいなんだけど、その人ももう亡くなっていて詳しくは不明。透君もわかってないんだよね、そこは」
「うん…ごめん、パソコンとかで調べてたんだけどまだ少しかかりそうかな…」
「いや、すごいよ。二日間でずっと隠された事実を暴いちゃうだなんて、いっぱい前進だね!ありがとう!」
 申し訳なさそうにする二人を正珠は励まし、光も総も無言で幾度か頷く。

 そう、今回の失踪事件を前に、八人はより効率的にクラスメイトを見つけるために役割分担をしていた。
 空は二十一年前から学校に出回る噂を調べ、透はそれによって存在するかもしれないということがわかった二十一年前の事故を明らかにし、正珠と総は失踪を欠席としか扱わない学校全体を、光達後の四人は失踪当初皆がいただろうそれぞれの部屋を…と、こんな風に各自直近の二日を使って調べ上げているのだ。
 誉められた透は少し照れながら、尚も謙遜する。
 「いやいや、そもそも総が空さんの知ってた噂話を怪しんでくれたから調べられたんだよ。」
「そ、そうか…?」
 赤色の瞳を持つ少年は照れ笑う。古くからの知り合いでもあり親友でもある透に誉められて、純粋に嬉しかったからだ。
 総があまりにも素直に喜ぶので、正珠は思わず携帯でその笑顔を写真におさめてから、息を吸う。
 「じゃあ次はせーじゅ達が追う失踪事件と、二十一年前の事故について気になるところとかをまとめよう。」
 せーじゅがまとめると言った後、脳内で透の話と照らし合わせて処理をする。
 「えーとね、まず第一に、二十一年前の事故が存在しているのなら、同じ時期に沢山の人がいなくなったってことになるよね。日付は不明で人数は合わないけど…でもそれはどちらも狼クラスが被害を被ってる。それに…二十一年前の生徒数が今とまったく同じなのも気になるよね。」
「…まるで、二十一、年前の、複製。」
「複製…確かに、まったく同じ狼クラスでの事件だものね。」
 思わず空は光の言葉を繰り返し、呟く。それはほとんど独り言だったのだが、耳の良い総はそこでひとつ疑問が沸いた。
 ――狼クラスって、なんで特別なんだ?
 赤く跳ねた髪を掻き乱しながら改めて狼クラスについて考える。
 「なあ正。そもそもなんで狼クラスは『他の学年にない』んだ?特別クラスってのは知ってっけどよ、俺の学力はこの学校でも下の方だぞ、それに比べて正とかトールはトップレベルだろ?クラス、分かれるはずだろ?なんでこのクラスだけ学力にばらつきがあるんだ?」
「ええ!?今まで知らなかったの?それとも忘れたの!?」
「うっ…どっちだろ…」
 総は思わず視線を下げる。正珠は呆れ気味に総に教えてやった。

 「狼クラスは推薦受けた生徒が多かった場合に出来るんだよ。推薦枠は基本的にはあって一人二人だけど…せーじゅ達の年はひとつのクラスが出来るくらいの人数だからね、狼クラスが出来たんだ。まあ、イレギュラーって感じかな。」
「イレギュラー、か。…なるほど、ありがとうな。」
 どういたしまして~と軽く答えると、そこで正珠は不思議に思う。
 「あれ。推薦って基本、何かの能力に特化してる人が受けるものだよね?妥当なのはクラブとか…」
「あ…そうだね。あれ?」
 空もまた、相槌のあとに正珠と同じ疑問に気が付く。それから少しだけ遅れて、透も二人が悩む理由を知った。何故ならこのクラスは、ほとんどクラブに所属している人がいないからだ。
 正珠はなんで今まで誰も気がつかなかったんだろう、と疑問符が浮かぶ。しかしすぐに気がついた。気がついていても重要視していなかったのかも知れない。皆この狼学園にはいれるなら、どうだってよかったのかもしれない、と。
 「そういえばこのクラスでクラブに入っているの、ほぼいないよね…?俺だって推薦受けるようなことしてないし…」
「それって。」
「え、どういうことだ…?」
 推薦を受けた理由を改めて考えると、『ない』ことに、彼らは一年以上経った今、初めて気がついた。
 五人の間に沈黙が流れる。
 やがて、正珠が徐に口を開いた。

 「それってさ。せーじゅ達は故意に学力能力関係なく集められたってことだ。それってもしかして二十一年前の事故と今の現状が似てるんじゃなくて、そうなるように仕組まれてた…?」

 途端、全員の背筋が凍った。
 なわけないよね、と笑い飛ばせるような状況でないことも、正珠は悟った。
 冷たい何かが体を刺すような痛みを、その場の全員が感じる。



 ――こうして、彼女達の全ての物語は幕を開けた。
 ――物語の始まりは、最悪のか達で迎えられた。雨は、ただずっと降り続けていた。
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