天念少女~スタート~

イヲイ

文字の大きさ
上 下
13 / 47
前章

活動源

しおりを挟む
~活動源~

 《悠太は、アリスがいたからこそ、自身を奮い立たせていた。
 アリスは『良く言えば』悠太のお陰で、そして正珠達のお陰で自分を保った。
 誠は光がいるから、光は気にかけるべき存在がいたから発狂せずにすんだ。
 透は守らなければならないという思いから、総は仲間がいる安心感から、自分なりの『最善』を選択してここまでたどり着いた。
 それら全て、活動源になりえた。
 そして、空は。
 …だったから、常に慌てることもなかった。


 「アリス!」
 正珠の、アリスを呼ぶ声は小さく脳を響かせる。
 
 あの時、空はぼんやりと光景を眺めていた。そこにいるようでいない不思議な感覚を味わいつつ、アリスはもう駄目だ、残念だったなぁと漠然と考えていた。
 空はアリスが壊れることに『諦めていた』。
 正珠の必死の言葉さえ、雑音のように背景化されて意味がないもののように感じていた。
 それでも何故か言葉は投げ掛けられていない空の脳にも響いて、それがおかしくて空は理由を考えていたのだ。しかし結局、意味がないというのは信じて疑いやしなかったのだ。

 それなのに。

 アリスの瞳は光を宿した。
 それが不思議でしかたがなかった。パッパと、光の速さのように諦めていたものが、叶っていた。 意味がわからなかった。
 瞬間、アリスを残念だと思っていた心は疑問に変わり、超常な事実を初めて見た空は、気がついた。
 何故、そもそも自分は諦めていたのだろうか、と。
 今までもそうして諦めたことが沢山あったのに、あれほど簡単に法則は破られるのか、と。
 そもそも法則は、誰が作ったのか、と。

 法則は、守らなくて良かったのか、と。


 そんな空は上辺では、最後まで落ち着いていたかもしれない。しかしそれでも、光はあの時、確かに遠くにいるような、そして遠くに行きそうな気がしてならなかった。》



 「なーなー、俺らここに来てから何日よ?」
「時計がないからなんとも…でも総は二回寝たね。総は健康的な性格で体内時計も狂ってないだろうから、今はここに来てから二日以上は経ってる。気絶した時間がどれだけかはわからないから、なんとも言えないけどね。」
「それで、牢の鍵は?」
「取れてないね…」
 狭い牢の中、狂わないのは側に透がいてくれたからだ、と総は確信している。しかし二日以上も経つとなると、いよいよ悠太達の安否が不安すぎて気分が悪くなってくるだろうな、と総は確信していた。というか、今まで冷静なのは奇跡だとも総は知っている。
 総はあぐらをかいていた足を立ち上げると、困った顔のトールを見下ろす。
 「いやさあ、俺もう無理だわ。トールだってそうだろ?こんな狭い場所で、皆の安否を知らないままで…個室のトイレ?ギリ生きてける空間?一日二食提供される食事?ここにいれば、俺達はなんとか生きてけそうだ。…でも俺は、そんな空間にいるより多少の痛みを伴っても正や悠太達の安否を確認したい。わかるよな、トール!」
「うん…勿論さ。」
「しかーし、俺達は鍵が届かないし、こっから出る術はない!ご飯を運んでくる、おそらくここに閉じ込めた人の一味はご飯だけ持ってきてなにも言わずに去る!そんな怪しい場所で、俺はどうすれば良い?…まあ怪しいからご飯、食べる気なかったけど…食べちゃったけど…」
 一瞬気まずそうに言ってから、すぐに総はトールをまっすぐ見る。
 「とにかく!だ、そんなわけで俺は元気があり余ってる!トール、トールならなにか良い方法、思い付かないか!?俺は万策尽きた!俺を使って良いから、何かあったらばしばし言ってくれ!」
 透は感じた。総は強がっている、と。
 声は異常に大きいが、それが透を励ましている事を、透は知っていた。
 ここ数日、ずっと脱出の計画を練っても答えは出ず、総は物理的に牢を壊そうと何度も殴りかかったというのに、ボロそうな鉄格子はびくともしない。
 怪しい人間から配給されるご飯を食べる以外にすることもない、何故捕まったかすら教えられていない。それでも総は諦めず、元気に振る舞うことで透を励ましているのだ。そして同時に、元気なアピールをしてなんでも出きることを明言し、無茶でも良い案が出るような状況を作ろうとしている。
 ならば、答えないわけには行かない…といいたいところだが、透も出ないものは出ない。
 それでも透は答えないわけにはいかなかった。
 焦った末に、透は部屋を見渡し、鏡を見つける。鏡越しに総と目が合うと、総は無邪気に笑った。
 鏡に近づくと、鏡の角に黒いゴムが掛けられていることに気がつく。
 ――あ。
 そこに浮かんだのは、一か八かの方法だ。しかしそれでも、透は総の期待からそのいつもは躊躇う提案を口にした。
 髪ゴムを手に取り、総に近づく。
 「……じゃあ、こんなのは、どう?」
 耳を近づけ、こっそりと耳打ちする。
 「…………!そ、それは…いや、俺だってなんだってするからな!」
「一か八かだけど、良い?」
 総はその言葉に笑う。

 「良いさ。俺、わりかし運は強いからな!」


 ギギギギ、と扉が開く音がする。いつも通り、誰かが食事を運んでくる音だろう。
 総と透は扉が開かれかけた瞬間に目配せし、寸劇を始めた。
 監視カメラもなにもない場所だからこそ可能なこれは、恥じらいも捨てて必死に演じなければならない。けれども彼らの必死さは決して劣るものではない。

 「…すぅっ…………キャァーー!!!!変態!スケベ!アンポンタン!」
「…………」
「な、なんか喋りなさいよ!!」
「…………」
 総は壁を思いきり殴ると、壁からクズがボロボロとこぼれる。しかし透はそれに動じず、ただぼんやりと総を見据える。
 外から見れば良くわからない状況に、初めてこの牢屋にやって来た男は驚きを隠せないのは当然だ。強いて言うなら、何らかの喧嘩のようだと思うだろう。
 「おい、どうした!?」
 そう慌てて姿を表したのは、見知らぬ男だった。いつもの男が持っていたトレーの代わりに、クリップで大量に止められた白い紙類を片手に立っている。赤いTーシャツは昨日までの男と変わらず、相変わらず着用しているが、違うところといえば、この男はジャラジャラとアクセサリーを身に付けている。
 総と透はその人物に驚きを隠せなかったが、しかしそれでも劇は続く。むしろ好都合だと脳内で総はガッツポーズをした。これは参加型の劇は男を巻き込んでこそ、成立する。
 というわけで、総は首が取れるくらい思いきり鉄格子の方を向き、鉄格子をもぎ取る勢いで掴む。
 「ちょっと、あんた、助けてよ!」
「はっ、はあ!?なんだよいきなり!?」
「何でかわかんない!?」
「わかるか!」
 食い気味で訪ねられ、慌ててわからないとは言ったものの、男は左手の書類に目を通し始める。
 「それは?」
「お前ら狼クラスの名簿以外に何があるんだよ?」
「じゃあ調べてみて、お…私はそ……『空』!女性でしょ!?何でこの男とおんなじ部屋にいれてくれてんのよ!?」
 総は透を指差すが、透は誰とも目を合わせようとしない。恐怖も不安も、何も感じない…そう徹底している透に男は不愉快になったところで、資料を読む手を止めた。
 「その感じ悪い男は川先透か。なるほど、つまりは空はあいつと同じ牢屋が嫌で、それで喧嘩してたと?」
「そーよ!しかも、それだけじゃないのよ!」
 と、そこで総は言い淀む。強く握った鉄格子の握力を弱めた。雑に結んだ右側の髪がゆらりと揺れるのは、心ばかりの女装の為である。
 総はスルスルと掌をゆっくり下げると、鉄格子はざらざらした感触と共に音を小さく…小声のように立てる。両手が黒く汚れた総は、男を上目使いで見つめる。
 「実は…………あのね…………き、昨日、夜に目、覚めた時、お…私、ずっと見られてて…お…私、怖くて…朝、それ聞いたら、『見ていて…へへ、楽しいから…ふふふ』って…」
「…!」
 男は咄嗟に透を睨んだ。しかし、透は否定するでもなく笑い、男を気味悪く感じさせる。
 と、男はそこで勘づく。実はさっきからずっと、総の声が震えていたのに、男は気がついていた。それは総が劇に緊張していたからであったのだが、そんなことは男にはわからない。
 元から同情心も多少は兼ね備えていた男には、その時、あるアイディアが浮かぶ。
 「……なあ空?だっけか。俺だって透からお前を遠ざけてやりたいが、俺はここの下っぱでな。そんなのは許されない。わかるな?」
「そんな…」
 俯く総に、男はこれ見よがしと右手を総の小さな肩に置いた。ギリギリ届いた。
 「だが俺も人間だ。ここはひとつ、取引しないか?」
「取引?」
 男はそこでただでさえ離れている透に離れろとジェスチャーを向けた。透としては、総の身を案じる故動けなかったが、こっそりおくられた目配せに従うように、渋々透は何歩か下がった。
 「お前、なかなか可愛いし、代償を払ってくれるならってことだ。どうだ?」
「…!良いんですか!?」
「ああ。ここには監視カメラもないし、ほら、後ろの牢屋に移すくらいばれない。勿論、食事係はあの人が全てだから、そんなこと気にしてない。」
 男は心底、『空』が安請け合いをする愚かな人間で良かったと勝ち誇る。そして脳内で、取引しない方が良かったと思わせるような行為を取ると、思わずにやけが止まらない。
 「ありがとうございます!」
 総は満面の笑みで笑うと、ますます男は調子に乗って、総達が取ろうとしていた鍵を手に取ると、透を威嚇するように睨んでから鍵穴に鍵を差し込む。総は二歩ほど下がって、そのゆっくりした手付きをうずうずしながら待っていた。

 鍵が開いた。
 「さっさと出れば良い、そ…」
 瞬間、総は大股で一歩左足で飛ぶように前へと踏み込むと、同じ時に半身になって右手を振り上げてそのまま脚力と反動で力を溜め込み、最後に思いきり、男の頬を殴り付けた。
 「グハァッ!!」
 右手の痛みはなかったが、男の痛みは尋常じゃなかった。鍵は吹っ飛び、書類は後方二メートルまで飛び、ポケットの青ペンは音を立てて転がり、最後に男は泡を吹いて後ろから倒れかけた。脳に過度な衝撃が走って死なないように総は乱暴に体を受け止めてやると地面に寝かせる。同時に、右側で結んだ髪は弾けた。いつもの寝癖が剛毛過ぎて、手櫛で髪といて雑に結んだ…所謂焼付刃だったゴムが切れ、同時に左右ともに髪形もいつもの少し変な跳ね方に戻ったのだ。総は心のなかでありがとうと呟いた。
 「悪いな、だがしかしまあ、よく脱出できたな…」
「総、大丈夫?右手は!?」
 透は慌てて駆け寄ると、そこで平然と立つ総にホッと一息をつく。
 「ごめんね、総にこんな役、やらせちゃって…」
「謝んなって!トールの喧嘩策のお陰で俺、無傷で脱出できたんだからな!女顔で生まれて、これまでありがたいと思ったことは初めてだ!それに名前を借りた空にも感謝しないとな!」
 ニカッと笑った総に透は苦笑すると、男をゆっくりとベッドに寝かせてやる。それから自分は外へ出て鍵を閉めると、ちょうど資料を拾う総が見える。
 「見ろよトール!ほら、俺らの詳しい情報があるぞ!しかも写真付きじゃんか!危なかったな、あの男がトールの資料よりも先に俺か空の資料を見つけてたら、今回の策は失敗してたぞ…」
「そうだね…それにこれだけ資料があるならさ、皆が失踪した事件を仕組んだ人がいて、その人達が俺達を拐ったって言う線が強くなったよね。」
「そうだな!」
 男は透の資料を探していたが、名前を偽っていたことを見つけられていたら、それこそどうなっていたかはわからない。今回、男が変わったことと、資料のランダムな順番のお陰で無事に脱出できたとなると、やはり総は自信は運が良いと確信できた。
 パラパラめくる資料の写真は、今年の五月の体育祭の時に撮った写真のようだ…そんなことを考えながら、やがて総がめくろうとした一枚の資料に、緑色の影が写る。

 ――俺の資料だ。
 「みっ、見ても良い?」
 資料をそれとなしにパラパラとめくっている総の手から、透は慌てて奪うように資料を手に取る。
 一瞬拍子抜けした総だったが、特に理由も聞かずに慌てた透を受け入れる。
 「…あっ、ごめ、その、あ…ほら、総見て。俺ちょっと気になったことがあってさ。」
 透は慌てて自分の資料を隠しつつ、何枚か前の卯月と文月の資料を取り出した。
 「見て、他の写真は盗撮だけど、これだけしっかり取られてる。」
「…じゃあやっぱり、卯月達は俺達をわざとこんな目に遭わせたってことになるかもしれないのか…」
「…待って、これ見て。」
 透は嘆く総の方へ、卯月の半生を書き写した部分を見せた。人の履歴を読むのは気が引けたが、今はそれよりも優先すべき事がアから、二人は躊躇うこと無く読んだ。
 「『中学の時、母親が事故で植物人間状態、数ヶ月間の『自由を縛られた』後、狼学園校長に引き取られる。』」
「『既にこちら側の人間である二人は、教師とは違う生徒達を見張ることや人質としても、何をするにも非常に役に立つ。』」
 二人は暫く声を出せなかった。

 「はは…」
 総は小さく声をあげる。総へと視線を移した透は、そこで目を見開いた。
 総の口角はわずかに上がり、目を真ん丸にして頬に一滴、雫が垂れた。
 「そ、そう?」
 しかし総は反応のひとつもせず、ふるふると体を震わせた。緊張とは違う震えだった。

 「…………よかった…!」
「総?」
「卯月も、文月も、理由があった…!俺達を進んで失踪させたわけじゃない!」
「え?」
「だってそうだろ!?俺達と卯月達が一緒に過ごした時間は、もしかすると偽りなんかじゃなかったのかもしれないんだぞ!?」
「……!!そっか!」
 そこでやっと透も意味が伝わり、目を輝かせる。
 もしも卯月達と決別することとなっていれば、それは総と透にとって大変辛い選択だ。しかし諦めかけていた新たな選択が顔を出したのだ。
 ――悲しくなるようなこれを見て、こうもポジティブに考えられるのは、総の自信と信頼する心のなせる技だろう。
 透が歓喜と同時に総に改めて感心を向けていることは露知らず、総はここがどこかということすら忘れたようなハイテンションで話を続けた。
 「卯月達がどういう思いで行動してるのかはわからない。けど、話す価値は十分ある!トール!さっさとここを出て探しにいこうぜ!」
「ちょっとストップ!もう少しだけまって、この資料をあの男の人が持ってきた理由が知りたい」
「良いけど、わかるのか?」
「頑張るよ」
 透は卯月達以外の資料をパラパラとめくり、そこで即時にある法則を見つける。
 「あの人は俺達を確認しに来てたんだ」
「確認?」
 鉄格子の粉がついてしまった卯月の資料を総から受け取った透は、左角のチェック欄を指差す。
 「俺と総は赤いチェック、空さんと正さんと光さんとアリスさんのは空欄、卯月と文月さんは黒のバツと青い丸が、誠と悠太は赤いチェックと青い丸、その他は赤いチェックの印刷上から青い丸があるね。」
 総はそこでパチンと手を鳴らした。心地よい音は響いて溶ける。
 「そうか!赤いのは捕まったかどうかってことか!俺達は後からだから、印刷じゃないんだな!」
「多分だけど、そうだと思うよ!」
「で、青い丸は…」
「パッと思い付いたのは、この場にいるかどうかだと思う。そう、それこそ例えば…この建物にいる人の数、だとか。実際、男の人がここに来たのは青いペンで俺達のところに丸を入れるためだったんじゃないのかな?ペン、落としてたと思うから…」
「!なるほど!」
 確かに、男は青いペンを落としていた。
 「じゃあ悠太達がいるかもしれないってことか!!な、早く行こうぜ!探しに行こう!」
 その頃には総はもうテンションが上がり、二日ぶりの運動でもあるために余分に体を動かし、空を切っていく。
 「うん、行こう、総!」
 透もその元気に触発され、既に奥の扉まで行く総を追いかけた。
 そして、重い扉がゆっくりと開け放たれたのであった。
しおりを挟む

処理中です...