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第三十三話 遥かなる地
「……カルヴァに戻らないと」
ルーカスがつぶやくと、ケイは頓狂な声をあげた。
「はあ!? いま着いたところだぞ!?」
「だ、だって……」
ルーカスはぎゅっと拳を握った。
――知りたい。父のこと、バートンのこと、そして、自分のこと。
マトックスにお見合いを勧められて以来、ルーカスの世界は灰色に沈黙していた。それがいま、光を伴って蘇った。
ルーカスはファン・リーに会いたい、会わなければならないと思った。
「だめだだめだ。行くとしても、しばらく冷静になってからだ。君はようやく総司令官と離れられたんだから、頭を冷やす時間が必要だ。人間、抱えすぎるといい判断ができないものだ」
いまにも走りだしそうなルーカスの肩に両手を置いて、ケイは言った。彼は真摯な目をしている。
ルーカスは「でも」と反駁した。
「しばらくって、その間に裁判が終わっちゃう……」
「そりゃあ……」
新聞には「結審」の文字が踊る。ファン・リーの裁判は議論を終え、判決を言い渡すときが近づいているのだ。
そして、敗戦国の将校の裁判の結果というのはいつの時代でも決まっている。
ルーカスはそれを知っている。当然、ケイも知っている。カントット国海軍将校ファン・リーは命でもって戦争を償うだろう。会うなら、急がなければならない。
しかし、ルーカスは首を振った。
「けど、見ただろう? 鉄道は大混雑だぞ。少なくとも、もう俺はあと半年くらいは乗りたくないね」
そう言って、ケイはソファに座った。彼は大袈裟に腹を抑えて見せる。
「ほら、飯にしよう。腹減ってると人間はろくでもないことを考えるからな」
「……でも」
ルーカスは新聞を握りしめた。彼は迷う。
ケイはいつも正しい知識を持っている。そしていつもルーカスを助けてくれた。彼の言葉にしたがうのが正解なのかもしれない。しかし、それでいいのかと自分の心が叫ぶ。
「……うん、ご飯食べようか……」
ルーカスは心の中の嵐を見ないふりした。
答えがでなかった。そもそも、カルヴァに行って、どうすれば拘置所にいる将校に会えるのかもわからなかった。
脳内に、ふと教授の顔が浮かんだ。ルーカスが教授にはじめて会ったとき、ルーカスはファン・リーに会えるかと尋ねた。彼はこう答えた。
――難しい。
ルーカスは首を振った。
難しい。
その言葉が胸の奥に突き刺さる。
ちらと頭の隅で、バートンさんに頼めば会わせてくれるかもしれない、とつぶやく卑怯な自分もいた。
それにもルーカスは首を振る。
彼の庇護から逃げ出してきたのは自分の意思だ。自分は自分の意思で彼が与えた特権を放棄したのだ。いまさら、それを求めるのは間違っている。
そして思考はまたふりだしに戻る。
――どうすれば、会える?
ルーカスの頭にはそればかりがぐるぐる回った。
その夜、二人はそれぞれの部屋を決めて眠った。ルーカスは自分の部屋で、ケイはノウが生きていた頃にルーカスが使っていた子供部屋である。
長旅で、ケイはひどく疲れていた。家はいたるところから埃とかびのにおいがしたが、そんなものを気にする余裕などなかった。久々に家の中で眠れるのだ。かび臭いベッドに横になった瞬間、ケイは失神するように眠りについた。
しかし、ルーカスは眠れなかった。
彼はファン・リーの短剣を取り出してその艶やかな鞘の表面を撫でたり、ノウの手帳を取り出して意味もなくページをめくったりした。
頭ではずっと、カルヴァまでの道を考えていた。
カルヴァまで、鉄道を使ったとして、その運賃はいまのルーカスには支払えない。ここに来るまでもケイに借りたくらいだ。もう少しの金さえ残っていない。
なら、歩くか? いや、そんなのは無理だ。道がわからないし、なにより戦争が終わってから街を外れると浮浪者たちに追いはぎされる事件が増えている。それに、ファン・リーの結審に間に合わない。
――遠い。
カルヴァが、遠い。
ルーカスは唇をぎゅっと噛み締めた。
もし、とルーカスは考える。
もしルーカスがファン・リーの息子で、バートンとは何の関係もないのだとしたら、と考える。
バートンはルーカスを愛してくれるだろうか。
それとも、敵国の将の息子として冷遇するだろうか。
それとも、まだ息子だというのだろうか。
答えは出ない。
「息子」という言葉が脳裏に浮かんだとき、ルーカスははっとした。
父ノウとバートンが恋人であったのに、生まれた息子がファン・リーの息子だったら、それは父ノウのバートンに対する裏切りではないだろうか。
しかも、この手帳を見る限り、ノウはルーカスの親がファン・リーであることを知っていたはずだ。そして、ファン・リーも短剣をルーカスに遺すくらいなのだから、彼もルーカスを息子だと思っている可能性が高い。
では、と考える。
バートンはノウとファン・リーにだまされていたのだろうか。
だとしたら……。
ルーカスはシーツを握った。嫌な汗が噴き出した。
ルーカスは目をつむった。
もうそれ以上考えたくなかった。
ルーカスがつぶやくと、ケイは頓狂な声をあげた。
「はあ!? いま着いたところだぞ!?」
「だ、だって……」
ルーカスはぎゅっと拳を握った。
――知りたい。父のこと、バートンのこと、そして、自分のこと。
マトックスにお見合いを勧められて以来、ルーカスの世界は灰色に沈黙していた。それがいま、光を伴って蘇った。
ルーカスはファン・リーに会いたい、会わなければならないと思った。
「だめだだめだ。行くとしても、しばらく冷静になってからだ。君はようやく総司令官と離れられたんだから、頭を冷やす時間が必要だ。人間、抱えすぎるといい判断ができないものだ」
いまにも走りだしそうなルーカスの肩に両手を置いて、ケイは言った。彼は真摯な目をしている。
ルーカスは「でも」と反駁した。
「しばらくって、その間に裁判が終わっちゃう……」
「そりゃあ……」
新聞には「結審」の文字が踊る。ファン・リーの裁判は議論を終え、判決を言い渡すときが近づいているのだ。
そして、敗戦国の将校の裁判の結果というのはいつの時代でも決まっている。
ルーカスはそれを知っている。当然、ケイも知っている。カントット国海軍将校ファン・リーは命でもって戦争を償うだろう。会うなら、急がなければならない。
しかし、ルーカスは首を振った。
「けど、見ただろう? 鉄道は大混雑だぞ。少なくとも、もう俺はあと半年くらいは乗りたくないね」
そう言って、ケイはソファに座った。彼は大袈裟に腹を抑えて見せる。
「ほら、飯にしよう。腹減ってると人間はろくでもないことを考えるからな」
「……でも」
ルーカスは新聞を握りしめた。彼は迷う。
ケイはいつも正しい知識を持っている。そしていつもルーカスを助けてくれた。彼の言葉にしたがうのが正解なのかもしれない。しかし、それでいいのかと自分の心が叫ぶ。
「……うん、ご飯食べようか……」
ルーカスは心の中の嵐を見ないふりした。
答えがでなかった。そもそも、カルヴァに行って、どうすれば拘置所にいる将校に会えるのかもわからなかった。
脳内に、ふと教授の顔が浮かんだ。ルーカスが教授にはじめて会ったとき、ルーカスはファン・リーに会えるかと尋ねた。彼はこう答えた。
――難しい。
ルーカスは首を振った。
難しい。
その言葉が胸の奥に突き刺さる。
ちらと頭の隅で、バートンさんに頼めば会わせてくれるかもしれない、とつぶやく卑怯な自分もいた。
それにもルーカスは首を振る。
彼の庇護から逃げ出してきたのは自分の意思だ。自分は自分の意思で彼が与えた特権を放棄したのだ。いまさら、それを求めるのは間違っている。
そして思考はまたふりだしに戻る。
――どうすれば、会える?
ルーカスの頭にはそればかりがぐるぐる回った。
その夜、二人はそれぞれの部屋を決めて眠った。ルーカスは自分の部屋で、ケイはノウが生きていた頃にルーカスが使っていた子供部屋である。
長旅で、ケイはひどく疲れていた。家はいたるところから埃とかびのにおいがしたが、そんなものを気にする余裕などなかった。久々に家の中で眠れるのだ。かび臭いベッドに横になった瞬間、ケイは失神するように眠りについた。
しかし、ルーカスは眠れなかった。
彼はファン・リーの短剣を取り出してその艶やかな鞘の表面を撫でたり、ノウの手帳を取り出して意味もなくページをめくったりした。
頭ではずっと、カルヴァまでの道を考えていた。
カルヴァまで、鉄道を使ったとして、その運賃はいまのルーカスには支払えない。ここに来るまでもケイに借りたくらいだ。もう少しの金さえ残っていない。
なら、歩くか? いや、そんなのは無理だ。道がわからないし、なにより戦争が終わってから街を外れると浮浪者たちに追いはぎされる事件が増えている。それに、ファン・リーの結審に間に合わない。
――遠い。
カルヴァが、遠い。
ルーカスは唇をぎゅっと噛み締めた。
もし、とルーカスは考える。
もしルーカスがファン・リーの息子で、バートンとは何の関係もないのだとしたら、と考える。
バートンはルーカスを愛してくれるだろうか。
それとも、敵国の将の息子として冷遇するだろうか。
それとも、まだ息子だというのだろうか。
答えは出ない。
「息子」という言葉が脳裏に浮かんだとき、ルーカスははっとした。
父ノウとバートンが恋人であったのに、生まれた息子がファン・リーの息子だったら、それは父ノウのバートンに対する裏切りではないだろうか。
しかも、この手帳を見る限り、ノウはルーカスの親がファン・リーであることを知っていたはずだ。そして、ファン・リーも短剣をルーカスに遺すくらいなのだから、彼もルーカスを息子だと思っている可能性が高い。
では、と考える。
バートンはノウとファン・リーにだまされていたのだろうか。
だとしたら……。
ルーカスはシーツを握った。嫌な汗が噴き出した。
ルーカスは目をつむった。
もうそれ以上考えたくなかった。
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