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第三十四話 キルスの駐屯兵
それから数日が経った。家を掃除したり、庭の畑の手入れをしたり、することは山ほどあった。
ケイはたびたびキルスへ出かけて事業を行う場所を吟味していた。彼は精力的に動き続けていた。
反対に、ルーカスは外に出る気がおきず、最初の2日は1日家の手入れをしていた。といっても、腹はすくし、金を稼がなくてはいけない。ルーカスは靴磨きを再開することにした。
そして、いよいよキルス驛に行こう、と思った日の朝、訪問者を告げる鈴が鳴った。
ルーカスは玄関に向かう。ケイは朝が弱いらしく、いつも起きてくるのがルーカスより遅い。彼はまだ朝ご飯を食べている途中だった。
玄関のカギを開けた瞬間、ドアが強引に大きく開かれた。
「わ!?」
来訪者は、驚くルーカスの胸ぐらをつかむ。
「このクソガキ」
「やめろ、グレン」
2人の男。片方は真直ぐに伸びた黒髪、もう片方はくるくると渦巻いた黒髪。カントット人の外見で、ダン帝国軍の漆黒の制服。かつてルーカスをキルスの街まで迎えに来たグレンヴィル・グレンとトニー・スチュアートである。
ルーカスは目を見開く。
「……えっと……なんで、ここ……」
グレンヴィルはルーカスを睨みつけ、語気を強くして言う。
「逃げだしただぁ? 嘗めてんのかクソガキ。おかげで仕事が増えたじゃねぇか!」
「グレン!」
「うぐっ……」
騒ぎを聞きつけて、寝ぼけた顔のケイが顔を出す。
「なにやってんの? 誰、このおっさんたち」
「ああ? そっちこそ誰だてめぇ」
「グレン。命令書を読んでいないのか。ご友人だろう。大学の」
「ああ。――Ωか」
途端に、ケイの顔色が変わる。彼はふらりと顔をひっこめると、次に現れたときには拳銃を構えていた。
「ルーカスから手を放せ」
「……物騒なもんを持ってるな」
トニーが言う。
「銃を下げてください、ご友人。我々は、敵ではありません。お迎えに来ただけです」
「ルーカスから手を放せ」
もう一度言われて、グレンヴィルはようやくルーカスの胸ぐらから手を離した。ルーカスはその場に尻もちをつく。
「こっち来い、ルーカス」
ばたばたと音をたて、よつんばいでケイの足元に逃げ込む。
それを見送ってから、トニーが言う。
「我々はダン帝国軍第7師団所属のグレンヴィル・グレン中尉とトニー・スチュアート少尉です。坊ちゃんはもう我々をご存じのはずです」
ケイはちらとルーカスを見る。
「そうなのか」
「う、うん……」
ケイの張りつめた空気が少しだけ緩む。
グレンヴィルが言う。
「おい、てめぇが留守の間、家が守られてたのは誰のおかげだぁ? ああ?」
トニーが言う。
「私だ。私が気を利かせて部下に見回りを命じていた」
「うるせぇ。連帯的に俺だよ」
それを聞いて、ルーカスは頭をさげた。
「……あ、ありがとうございます」
「礼を言ってんじゃねぇよ」
拳銃がふさわしい空気ではなくなったことを察して、ケイは拳銃を下した。
軍服の二人も、息を吐く。
トニーは玄関に入ると、中からドアを閉めて、尻もちをついているルーカスに目線を合わせてその場にしゃがんだ。
「それで? カルヴァで何があったんですか」
「え?」
「逃げ出して来たのでしょう?」
ルーカスはトニーを見上げた。彼はいけないことをした子どもを叱るような目をしている。出会ってからずっと、彼はルーカスに対して粗野な態度をとったことがない。
ルーカスは小さく尋ねた。
「……なんで、そんなことを聞くんですか」
トニーは首を傾げた。
「……同胞を気に掛けるのが、そんなに妙でしょうか」
同胞。その言葉はルーカスの耳にいやに残った。
「……同胞」
目の前の2人がダン帝国とカントット国の混血であることを思い出す。ルーカスが、仮にバートンが親であったなら、同胞なのだ。
しかし――。
ルーカスは次の言葉がでなかった。
黙り込んだルーカスを見て、トニーは言った。
「私はこの地域に駐屯している分隊の指揮をまかされています。なぜか、グレンも」
「けっ。俺はうまいことやれる奴だからな」
彼らの口ぶりには敵意はない。
「……グレンはあなたを送り届けたあとすぐにカルヴァに栄転したのですが……見事に戻ってきました。ひと月で……」
ルーカスは反応に困った。それで「あ……はあ」と微妙な返事をする。
するとグレンヴィルは大きなため息をついた。
「なにを他人事みてぇな反応してんだ。俺はお前の護衛官にされかけたんだぞ。それでこっちに戻してくれって掛け合ったんだ。ガキのお守りなんざ、まっぴらごめんだ」
トニーが言い添える。
「……彼はこの地域にカントット人の祖母が住んでいるんですよ」
「……ああ」
「けっ」
グレンヴィルはトニーの言葉を否定しなかった。ルーカスはグレンヴィルを見上げる。彼は相変わらず神経質そうな顔つきで、髪を油できっちりと固めている。
グレンヴィルは言う。
「俺の事情なんざどうでもいいんだよ。……てめぇが村に戻ってきたらとっ捕まえろと、総司令官から命令が来てる。余計な仕事を増やしやがって。何ちんたら家でのんびり暮らしてるんだよ。逃げるならもっと遠くへ行けよ、馬鹿」
「……それは……」
「それに、てめぇが混血として総司令官のもとに行ってくれたら、軍隊内での俺たちの立場もよくなるかと期待したのによぁ、なんだその体たらくは。役に立たねぇな」
トニーが言った。
「うまいことやるべきでしたね。我々は、不安定な立場だ」
――不安定。
その言葉に反駁したのはケイだ。
「どこが? 栄光あるダン帝国軍の分隊長が不安定なら、この世に安定した立場なんてないね」
「我々は混血だ。少しでも間違えば、足元をすくいにくる連中はいくらでもいるさ」
「……混血」
ケイは軍人2人を見比べた。
そして、ルーカスの隣に腰を下ろした。
「はー……。はみだしものの集まりだな。俺も入れてよ」
「てめぇは中尉の恋人だってな。てめぇこそうまいことやれよ。一番簡単だろ」
「なにこいつ」
「け、ケイ……」
睨み合うグレンヴィルをケイを無視して、トニーは言う。
「とにかく、一度我々といっしょに来ていただきますよ」
「どこに?」
「ひとまず、我々の基地にご招待します」
ケイはたびたびキルスへ出かけて事業を行う場所を吟味していた。彼は精力的に動き続けていた。
反対に、ルーカスは外に出る気がおきず、最初の2日は1日家の手入れをしていた。といっても、腹はすくし、金を稼がなくてはいけない。ルーカスは靴磨きを再開することにした。
そして、いよいよキルス驛に行こう、と思った日の朝、訪問者を告げる鈴が鳴った。
ルーカスは玄関に向かう。ケイは朝が弱いらしく、いつも起きてくるのがルーカスより遅い。彼はまだ朝ご飯を食べている途中だった。
玄関のカギを開けた瞬間、ドアが強引に大きく開かれた。
「わ!?」
来訪者は、驚くルーカスの胸ぐらをつかむ。
「このクソガキ」
「やめろ、グレン」
2人の男。片方は真直ぐに伸びた黒髪、もう片方はくるくると渦巻いた黒髪。カントット人の外見で、ダン帝国軍の漆黒の制服。かつてルーカスをキルスの街まで迎えに来たグレンヴィル・グレンとトニー・スチュアートである。
ルーカスは目を見開く。
「……えっと……なんで、ここ……」
グレンヴィルはルーカスを睨みつけ、語気を強くして言う。
「逃げだしただぁ? 嘗めてんのかクソガキ。おかげで仕事が増えたじゃねぇか!」
「グレン!」
「うぐっ……」
騒ぎを聞きつけて、寝ぼけた顔のケイが顔を出す。
「なにやってんの? 誰、このおっさんたち」
「ああ? そっちこそ誰だてめぇ」
「グレン。命令書を読んでいないのか。ご友人だろう。大学の」
「ああ。――Ωか」
途端に、ケイの顔色が変わる。彼はふらりと顔をひっこめると、次に現れたときには拳銃を構えていた。
「ルーカスから手を放せ」
「……物騒なもんを持ってるな」
トニーが言う。
「銃を下げてください、ご友人。我々は、敵ではありません。お迎えに来ただけです」
「ルーカスから手を放せ」
もう一度言われて、グレンヴィルはようやくルーカスの胸ぐらから手を離した。ルーカスはその場に尻もちをつく。
「こっち来い、ルーカス」
ばたばたと音をたて、よつんばいでケイの足元に逃げ込む。
それを見送ってから、トニーが言う。
「我々はダン帝国軍第7師団所属のグレンヴィル・グレン中尉とトニー・スチュアート少尉です。坊ちゃんはもう我々をご存じのはずです」
ケイはちらとルーカスを見る。
「そうなのか」
「う、うん……」
ケイの張りつめた空気が少しだけ緩む。
グレンヴィルが言う。
「おい、てめぇが留守の間、家が守られてたのは誰のおかげだぁ? ああ?」
トニーが言う。
「私だ。私が気を利かせて部下に見回りを命じていた」
「うるせぇ。連帯的に俺だよ」
それを聞いて、ルーカスは頭をさげた。
「……あ、ありがとうございます」
「礼を言ってんじゃねぇよ」
拳銃がふさわしい空気ではなくなったことを察して、ケイは拳銃を下した。
軍服の二人も、息を吐く。
トニーは玄関に入ると、中からドアを閉めて、尻もちをついているルーカスに目線を合わせてその場にしゃがんだ。
「それで? カルヴァで何があったんですか」
「え?」
「逃げ出して来たのでしょう?」
ルーカスはトニーを見上げた。彼はいけないことをした子どもを叱るような目をしている。出会ってからずっと、彼はルーカスに対して粗野な態度をとったことがない。
ルーカスは小さく尋ねた。
「……なんで、そんなことを聞くんですか」
トニーは首を傾げた。
「……同胞を気に掛けるのが、そんなに妙でしょうか」
同胞。その言葉はルーカスの耳にいやに残った。
「……同胞」
目の前の2人がダン帝国とカントット国の混血であることを思い出す。ルーカスが、仮にバートンが親であったなら、同胞なのだ。
しかし――。
ルーカスは次の言葉がでなかった。
黙り込んだルーカスを見て、トニーは言った。
「私はこの地域に駐屯している分隊の指揮をまかされています。なぜか、グレンも」
「けっ。俺はうまいことやれる奴だからな」
彼らの口ぶりには敵意はない。
「……グレンはあなたを送り届けたあとすぐにカルヴァに栄転したのですが……見事に戻ってきました。ひと月で……」
ルーカスは反応に困った。それで「あ……はあ」と微妙な返事をする。
するとグレンヴィルは大きなため息をついた。
「なにを他人事みてぇな反応してんだ。俺はお前の護衛官にされかけたんだぞ。それでこっちに戻してくれって掛け合ったんだ。ガキのお守りなんざ、まっぴらごめんだ」
トニーが言い添える。
「……彼はこの地域にカントット人の祖母が住んでいるんですよ」
「……ああ」
「けっ」
グレンヴィルはトニーの言葉を否定しなかった。ルーカスはグレンヴィルを見上げる。彼は相変わらず神経質そうな顔つきで、髪を油できっちりと固めている。
グレンヴィルは言う。
「俺の事情なんざどうでもいいんだよ。……てめぇが村に戻ってきたらとっ捕まえろと、総司令官から命令が来てる。余計な仕事を増やしやがって。何ちんたら家でのんびり暮らしてるんだよ。逃げるならもっと遠くへ行けよ、馬鹿」
「……それは……」
「それに、てめぇが混血として総司令官のもとに行ってくれたら、軍隊内での俺たちの立場もよくなるかと期待したのによぁ、なんだその体たらくは。役に立たねぇな」
トニーが言った。
「うまいことやるべきでしたね。我々は、不安定な立場だ」
――不安定。
その言葉に反駁したのはケイだ。
「どこが? 栄光あるダン帝国軍の分隊長が不安定なら、この世に安定した立場なんてないね」
「我々は混血だ。少しでも間違えば、足元をすくいにくる連中はいくらでもいるさ」
「……混血」
ケイは軍人2人を見比べた。
そして、ルーカスの隣に腰を下ろした。
「はー……。はみだしものの集まりだな。俺も入れてよ」
「てめぇは中尉の恋人だってな。てめぇこそうまいことやれよ。一番簡単だろ」
「なにこいつ」
「け、ケイ……」
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