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第4章
第33話
日向が案内したのはこじんまりとしたカフェだった。
土曜日だというのに客は俺たちだけだ。
しかし、厨房からはいい匂いが漂ってきていた。
俺は日向のおすすめだというオムライスを注文した。
それはすぐに運ばれてきた。
こだわりの卵の黄色に、自家製ケチャップの赤が映える。
俺はスプーンを手にして、一口食べようとして――手を止めた。
「藤堂さん? どうかしました?」
「いや、ちょっと」
水を飲む。
昨日の夜からまともに食べていない。
腹は減っている。
しかし、スプーンを口に運ぶ気にはならなかった。
空腹感と食欲は別のものなのだということを、人生ではじめて知った。
そんな俺の様子を見て、日向もゆっくりとスプーンを置いた。
かちゃん、という食器がぶつかる音がいやに響く。
カフェには新しい客が来たらしい。
店員の「いらっしゃいませー」という元気な声が聞こえた。
日向が尋ねる。
「あの、聞きにくいんですけど……榎原さんとなにかあったんですか」
「……まぁ、な」
俺はまた水を飲む。
喉がひどく乾いていた。
舌がうまくまわらない。
「番ごっこを解消しようと思って……」
そこまで言って、俺は首を振った。
「いや、やっぱ今のナシ」
日向は目を丸くする。
「え、なんでですか。私が気になって寝られなくなってもいいんですか」
「よく考えたら、もう嘘をつく必要がなかった」
「ええ? 嘘?」
「雅に白状してきたんだった。……本当の話を聞いてくれるか? たぶん、もうひとりでは抱えられない」
俺はため息をついた。
気分は牧師に罪を告白する子羊だ。
もう30歳になるというのに、情けない。
でも、誰かに聞いてほしかった。
雅を、番という呪いで縛ってしまった、俺の罪の話。
「実は……」
俺は口を開いた。
俺が話すことを、日向は真剣に聞いていた。
カフェには陽気なクリスマスソングが流れている。
店員は退屈そうにあくびをしている。
俺にとって重大な事件が起きているというのに、世界は今日も平和に回っている。
それが信じられない。
「ということで、俺は家出していまここにいるってわけだ」
話が終わったとき、日向は目を瞬かせた。
「……つまり、藤堂さんは、榎原さんの、正式な番……?」
「そういうこと」
「でも、榎原さんはそれを知らない?」
「そう」
「じゃあ、番ごっこって……」
「そんなもん、俺の嘘。自由がほしかったし、それに、雅も大変そうだったからさ……雅の父さんとの関係改善と、オメガ恐怖症を治してやろうと思ったんだよ」
日向は息を吐く。
「はぁ~……」
呆れか、緊張が解けたのか。どちらともとれた。
俺はうなじの歯型をなぞる。
噛まれたとき、俺は被害者だったかもしれない。
でも今は違う。
何も知らない雅に、善意からとはいえ、嘘をついたのは俺だ。
俺はため息をついた。
「結果、雅をオメガの匂いで狂わせて……。少なくとも、ここまでこじらせたのは、俺の余計なおせっかいだ。……雅に、悪いことをした」
「あの、もしかして、病院にいるのって……?」
「番解消のための注射も注文してきたところ。雅のためにもそれが一番いいだろ」
「……そっかぁ~……。それで、雅さんはなんて言ってたんですか? 藤堂さんが悪いって責めたんですか?」
「雅なぁ……」
俺は目を閉じる。
置き手紙を読んだとき、彼はどんな反応をしただろうか。
「……たぶん、今頃後悔してるんと思う」
「後悔ですか?」
「そう。あいつって生真面目だからさ。俺の匂いに誘惑されて手を出したわけだろ。正気に戻って、めちゃくちゃ後悔してそう。責任とるとか言い出しそうだよな。そうなったら敵わないぞ」
「はぁ? ほんとうにそうですかね?」
なにやら日向は納得いかないといった顔だ。
「そうに決まってる。最近やたらとやさしくなって、妙だと思ってたんだよ」
「待ってくださいよ、藤堂さん。あなた、もしかして雅さんとなにも話さないままここにいるんですか? もう少し雅さんの気持ちを……あれ?」
ふと、彼は目を瞬かせた。
「なんだよ?」
「そのホテルに行ったのって、いつの話なんですか?」
「昨日」
俺は答える。
恥も外聞もあったものではないが、日向との関係の薄さが俺の口を軽くさせた。
日向は首を傾げる。
「昨日? 昨日藤堂さん発情期だったんですか」
「いや」
「ええ? じゃあ、なんで榎原さんは匂いがわかったんでしょうね」
「……そういう体質なんじゃないか」
「うーん……?」
「ほんとうに、雅が言ってたんだぞ、いい匂いだって」
「私もアルファにそんなに詳しいわけではないですけど……」
日向は首をひねってひねって、諦めた。
彼はぱんと手を叩いて話題を変える。
「じゃあ、藤堂さんはこれから注射打っちゃうんですね」
「その予定」
「じゃあ、ふつうのオメガになるってことですね」
「そうだな」
「つらくないですか?」
「……そのために雅を利用するのはよくないだろ」
「そうでしょうか? 番ごっこって、そんなに悪いことですか?」
「それは……」
俺が答えるより前に、別のところから答えがあがった。
「――悪いことだと思いますよ」
突然第三者の声が聞こえて、俺も日向も仰天した。
声は俺の席の衝立の向こうから聞こえた。
立ち上がって確認すると、そこには見覚えのある男性が足を組んで座っていた。
俺は目を丸くした。
「……細川さん」
呆然と彼の名を呼ぶ。
一昨日の木曜日に会ったばかりのその人は、ゆっくりと立ち上がった。
長身の彼を見上げて、俺は尋ねる。
「いつからそこに」
彼はしれっと言う。
「本当の話を聞いてくれるか? というあたりからです」
俺は唾を飲み込んだ。
土曜日だというのに客は俺たちだけだ。
しかし、厨房からはいい匂いが漂ってきていた。
俺は日向のおすすめだというオムライスを注文した。
それはすぐに運ばれてきた。
こだわりの卵の黄色に、自家製ケチャップの赤が映える。
俺はスプーンを手にして、一口食べようとして――手を止めた。
「藤堂さん? どうかしました?」
「いや、ちょっと」
水を飲む。
昨日の夜からまともに食べていない。
腹は減っている。
しかし、スプーンを口に運ぶ気にはならなかった。
空腹感と食欲は別のものなのだということを、人生ではじめて知った。
そんな俺の様子を見て、日向もゆっくりとスプーンを置いた。
かちゃん、という食器がぶつかる音がいやに響く。
カフェには新しい客が来たらしい。
店員の「いらっしゃいませー」という元気な声が聞こえた。
日向が尋ねる。
「あの、聞きにくいんですけど……榎原さんとなにかあったんですか」
「……まぁ、な」
俺はまた水を飲む。
喉がひどく乾いていた。
舌がうまくまわらない。
「番ごっこを解消しようと思って……」
そこまで言って、俺は首を振った。
「いや、やっぱ今のナシ」
日向は目を丸くする。
「え、なんでですか。私が気になって寝られなくなってもいいんですか」
「よく考えたら、もう嘘をつく必要がなかった」
「ええ? 嘘?」
「雅に白状してきたんだった。……本当の話を聞いてくれるか? たぶん、もうひとりでは抱えられない」
俺はため息をついた。
気分は牧師に罪を告白する子羊だ。
もう30歳になるというのに、情けない。
でも、誰かに聞いてほしかった。
雅を、番という呪いで縛ってしまった、俺の罪の話。
「実は……」
俺は口を開いた。
俺が話すことを、日向は真剣に聞いていた。
カフェには陽気なクリスマスソングが流れている。
店員は退屈そうにあくびをしている。
俺にとって重大な事件が起きているというのに、世界は今日も平和に回っている。
それが信じられない。
「ということで、俺は家出していまここにいるってわけだ」
話が終わったとき、日向は目を瞬かせた。
「……つまり、藤堂さんは、榎原さんの、正式な番……?」
「そういうこと」
「でも、榎原さんはそれを知らない?」
「そう」
「じゃあ、番ごっこって……」
「そんなもん、俺の嘘。自由がほしかったし、それに、雅も大変そうだったからさ……雅の父さんとの関係改善と、オメガ恐怖症を治してやろうと思ったんだよ」
日向は息を吐く。
「はぁ~……」
呆れか、緊張が解けたのか。どちらともとれた。
俺はうなじの歯型をなぞる。
噛まれたとき、俺は被害者だったかもしれない。
でも今は違う。
何も知らない雅に、善意からとはいえ、嘘をついたのは俺だ。
俺はため息をついた。
「結果、雅をオメガの匂いで狂わせて……。少なくとも、ここまでこじらせたのは、俺の余計なおせっかいだ。……雅に、悪いことをした」
「あの、もしかして、病院にいるのって……?」
「番解消のための注射も注文してきたところ。雅のためにもそれが一番いいだろ」
「……そっかぁ~……。それで、雅さんはなんて言ってたんですか? 藤堂さんが悪いって責めたんですか?」
「雅なぁ……」
俺は目を閉じる。
置き手紙を読んだとき、彼はどんな反応をしただろうか。
「……たぶん、今頃後悔してるんと思う」
「後悔ですか?」
「そう。あいつって生真面目だからさ。俺の匂いに誘惑されて手を出したわけだろ。正気に戻って、めちゃくちゃ後悔してそう。責任とるとか言い出しそうだよな。そうなったら敵わないぞ」
「はぁ? ほんとうにそうですかね?」
なにやら日向は納得いかないといった顔だ。
「そうに決まってる。最近やたらとやさしくなって、妙だと思ってたんだよ」
「待ってくださいよ、藤堂さん。あなた、もしかして雅さんとなにも話さないままここにいるんですか? もう少し雅さんの気持ちを……あれ?」
ふと、彼は目を瞬かせた。
「なんだよ?」
「そのホテルに行ったのって、いつの話なんですか?」
「昨日」
俺は答える。
恥も外聞もあったものではないが、日向との関係の薄さが俺の口を軽くさせた。
日向は首を傾げる。
「昨日? 昨日藤堂さん発情期だったんですか」
「いや」
「ええ? じゃあ、なんで榎原さんは匂いがわかったんでしょうね」
「……そういう体質なんじゃないか」
「うーん……?」
「ほんとうに、雅が言ってたんだぞ、いい匂いだって」
「私もアルファにそんなに詳しいわけではないですけど……」
日向は首をひねってひねって、諦めた。
彼はぱんと手を叩いて話題を変える。
「じゃあ、藤堂さんはこれから注射打っちゃうんですね」
「その予定」
「じゃあ、ふつうのオメガになるってことですね」
「そうだな」
「つらくないですか?」
「……そのために雅を利用するのはよくないだろ」
「そうでしょうか? 番ごっこって、そんなに悪いことですか?」
「それは……」
俺が答えるより前に、別のところから答えがあがった。
「――悪いことだと思いますよ」
突然第三者の声が聞こえて、俺も日向も仰天した。
声は俺の席の衝立の向こうから聞こえた。
立ち上がって確認すると、そこには見覚えのある男性が足を組んで座っていた。
俺は目を丸くした。
「……細川さん」
呆然と彼の名を呼ぶ。
一昨日の木曜日に会ったばかりのその人は、ゆっくりと立ち上がった。
長身の彼を見上げて、俺は尋ねる。
「いつからそこに」
彼はしれっと言う。
「本当の話を聞いてくれるか? というあたりからです」
俺は唾を飲み込んだ。
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