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第7話
しおりを挟む 翌朝、祈りもむなしく、キルクトーヤはまた悪夢で目を覚ました。
膝を抱えて仕事が始まる時間になるのを待つ。もうずっと繰り返している、孤独な時間だ。
キルクトーヤはこの時間が嫌いだった。
しかし、しばらくすると朝がやってくる。救いの朝だ。忙しくしていれば、頭の中は空にしていられる。
キルクトーヤは疲れがとれない体に鞭を打ってベッドを降りた。
朝からいくつもの仕事をこなし、昼食を済ませると、午後からは図書室で本整理の仕事をすることになっている。見習いたちが返却した本をもとの場所に戻す仕事である。この仕事は簡単なように思えて、その実、何十冊もの本を何回も運ぶのでなかなか重労働であった。しかしもう三年目になると慣れたものである。キルクトーヤは黙々と働いていた。
キルクトーヤは「よいしょ!」という掛け声とともに、重ねた二十冊ほどの本を持ち上げた。
その時、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、フードを目深く被った人物が立っていた。その肩に、目に眩しい黄金の髪の三つ編みが一房落ちている。黄金の髪の人物といえば、キルクトーヤはひとりしか知らない。
「ジーク……様……?」
キルクトーヤは息を飲む。眼の前の人物はフードを少しだけずらした。
「様はよしてくれ、キルクトーヤ」
翡翠の目が現れ、穏やかに笑った。
「な、なんでここに⁉」
思わず大きい声を出してしまって、キルクトーヤは慌てて口を閉じた。図書室は授業の課題をこなそうとする魔術師見習いたちでいっぱいだ。彼らはちらとこちらを伺ったあと、またそれぞれの課題に視線を戻した。
キルクトーヤは声をひそめて言い直した。
「どうして、ここに?」
ジークは手紙を取り出した。それは昨夜鳩の足に結んだ手紙である。彼は言った。
「手紙の礼を言おうと思って」
「……それだけのために……?」
凱旋したばかりの騎士は忙しいのが常である。しかし、ジークはそのようなことはおくびにも出さず「手紙をもらえたことが嬉しくて、王城を飛び出してきたんだ」と付け加えた。
それを聞いて、思わず持っていた本を落としてしまう。信じられなかった。
「あ……えと」
言葉が続かない。反対に、ジークは「落としたよ?」と平然と本を拾い始めてしまった。
慌ててキルクトーヤも散らばった本を拾う。床の上に拾った本を積み上げていく。一冊の本の上で、二人の手がぶつかる。キルクトーヤはぱっと手を引っ込めた。ジークは、ゆっくりと本を拾って一番上に重ねると、それから彼の手元にあった別の一冊をさらに重ねて軽々と持ち上げた。
彼は言う。
「どこに運べば良い?」
「う、あ……じゃあ、そこの机に……」
キルクトーヤはちらとジークの腕を見た。
――筋肉あるんだな。やっぱり、騎士なのか……。
キルクトーヤがもごもごとしていると、机の上に本の山を置いたジークが尋ねた。
「本、好きかい?」
「う……え、あ……まあ、はい」
「そう? ならよかった」
そう言って、ジークは本の山の一番上に重ねた本を手に取った。それには細いリボンが結ばれている。
ジークは首を傾け、片目をつむって言った。
「手紙の礼に」
差し出されたそれを咄嗟に受け取り、それから表紙の文字を読む。
「星座図鑑……」
目の前の男は笑う。
「綺麗な表紙だと思って買ったんだ。君も気に入ってくれるとうれしいんだけど」
キルクトーヤは表紙を撫でた。なめらかな質感だった。上質な紙。その上で星々が輝いている。その星をひとつひとつ指でなぞって繋げる。冬の星座が描かれているようだった。
星読みは魔術師見習いの必修科目のひとつである。王城には星読みを専門とする星読みの魔術師もいる。彼らは暦をつくり、天気の予想をする。
キルクトーヤは星読みが特別得意でも苦手でもなかった。しかし、ひとめ見ただけでその図鑑がかなり正確に星座を描いていることがわかった。これほど精緻な図鑑はきっと高価であるはずだ。キルクトーヤはその図鑑を受け取っていいものかどうか悩んだ。
「でも、僕、その……手紙に書いたとおり……人違いだと思うんです……」
そう言って、図鑑をジークに押し戻す。
ジークは図鑑を受け取らず「君は」と話し出す。
「私の命の恩人だよ。間違いない。――どうして君が覚えていないのか、それは私にもわからないのだけれども」
彼はまっすぐにキルクトーヤを見た。その目があまりにも真実を語っているように澄んでいるので、キルクトーヤはばつが悪くなった。
ジークは言った。
「まっすぐで、勇敢で、やさしい君で、間違いないんだ」
ジークは臆面もなくそんなことまで言う。
キルクトーヤは自分の頬が赤く染まっていくのを感じた。
キルクトーヤが返事に困っていると、「じゃあ。実は抜けてきて、戻らないといけないんだ」と言い残し、ジークは去っていった。
キルクトーヤは図鑑を持ち帰るほかになかった。
膝を抱えて仕事が始まる時間になるのを待つ。もうずっと繰り返している、孤独な時間だ。
キルクトーヤはこの時間が嫌いだった。
しかし、しばらくすると朝がやってくる。救いの朝だ。忙しくしていれば、頭の中は空にしていられる。
キルクトーヤは疲れがとれない体に鞭を打ってベッドを降りた。
朝からいくつもの仕事をこなし、昼食を済ませると、午後からは図書室で本整理の仕事をすることになっている。見習いたちが返却した本をもとの場所に戻す仕事である。この仕事は簡単なように思えて、その実、何十冊もの本を何回も運ぶのでなかなか重労働であった。しかしもう三年目になると慣れたものである。キルクトーヤは黙々と働いていた。
キルクトーヤは「よいしょ!」という掛け声とともに、重ねた二十冊ほどの本を持ち上げた。
その時、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、フードを目深く被った人物が立っていた。その肩に、目に眩しい黄金の髪の三つ編みが一房落ちている。黄金の髪の人物といえば、キルクトーヤはひとりしか知らない。
「ジーク……様……?」
キルクトーヤは息を飲む。眼の前の人物はフードを少しだけずらした。
「様はよしてくれ、キルクトーヤ」
翡翠の目が現れ、穏やかに笑った。
「な、なんでここに⁉」
思わず大きい声を出してしまって、キルクトーヤは慌てて口を閉じた。図書室は授業の課題をこなそうとする魔術師見習いたちでいっぱいだ。彼らはちらとこちらを伺ったあと、またそれぞれの課題に視線を戻した。
キルクトーヤは声をひそめて言い直した。
「どうして、ここに?」
ジークは手紙を取り出した。それは昨夜鳩の足に結んだ手紙である。彼は言った。
「手紙の礼を言おうと思って」
「……それだけのために……?」
凱旋したばかりの騎士は忙しいのが常である。しかし、ジークはそのようなことはおくびにも出さず「手紙をもらえたことが嬉しくて、王城を飛び出してきたんだ」と付け加えた。
それを聞いて、思わず持っていた本を落としてしまう。信じられなかった。
「あ……えと」
言葉が続かない。反対に、ジークは「落としたよ?」と平然と本を拾い始めてしまった。
慌ててキルクトーヤも散らばった本を拾う。床の上に拾った本を積み上げていく。一冊の本の上で、二人の手がぶつかる。キルクトーヤはぱっと手を引っ込めた。ジークは、ゆっくりと本を拾って一番上に重ねると、それから彼の手元にあった別の一冊をさらに重ねて軽々と持ち上げた。
彼は言う。
「どこに運べば良い?」
「う、あ……じゃあ、そこの机に……」
キルクトーヤはちらとジークの腕を見た。
――筋肉あるんだな。やっぱり、騎士なのか……。
キルクトーヤがもごもごとしていると、机の上に本の山を置いたジークが尋ねた。
「本、好きかい?」
「う……え、あ……まあ、はい」
「そう? ならよかった」
そう言って、ジークは本の山の一番上に重ねた本を手に取った。それには細いリボンが結ばれている。
ジークは首を傾け、片目をつむって言った。
「手紙の礼に」
差し出されたそれを咄嗟に受け取り、それから表紙の文字を読む。
「星座図鑑……」
目の前の男は笑う。
「綺麗な表紙だと思って買ったんだ。君も気に入ってくれるとうれしいんだけど」
キルクトーヤは表紙を撫でた。なめらかな質感だった。上質な紙。その上で星々が輝いている。その星をひとつひとつ指でなぞって繋げる。冬の星座が描かれているようだった。
星読みは魔術師見習いの必修科目のひとつである。王城には星読みを専門とする星読みの魔術師もいる。彼らは暦をつくり、天気の予想をする。
キルクトーヤは星読みが特別得意でも苦手でもなかった。しかし、ひとめ見ただけでその図鑑がかなり正確に星座を描いていることがわかった。これほど精緻な図鑑はきっと高価であるはずだ。キルクトーヤはその図鑑を受け取っていいものかどうか悩んだ。
「でも、僕、その……手紙に書いたとおり……人違いだと思うんです……」
そう言って、図鑑をジークに押し戻す。
ジークは図鑑を受け取らず「君は」と話し出す。
「私の命の恩人だよ。間違いない。――どうして君が覚えていないのか、それは私にもわからないのだけれども」
彼はまっすぐにキルクトーヤを見た。その目があまりにも真実を語っているように澄んでいるので、キルクトーヤはばつが悪くなった。
ジークは言った。
「まっすぐで、勇敢で、やさしい君で、間違いないんだ」
ジークは臆面もなくそんなことまで言う。
キルクトーヤは自分の頬が赤く染まっていくのを感じた。
キルクトーヤが返事に困っていると、「じゃあ。実は抜けてきて、戻らないといけないんだ」と言い残し、ジークは去っていった。
キルクトーヤは図鑑を持ち帰るほかになかった。
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