150 / 185
前章「反魂香」
【魂魄・肆】『鬼神啼く声儺にて聞く』0話「鬼神」
しおりを挟む
その女は深い穴の奥底へと向かっていた。
一歩、また一歩と目標に近付くごとに鼓動が高鳴る。「あのお方」に再び会えると心に思い浮かべると、狂おしい恋慕に駆られるのだ。
しかし、自分自身も数多の異形の者と呼ばれる妖怪たちを支配する身。配下の者共にこの動揺を悟られる訳には行かない。この場所に一人で来たのは正解だった。
――魔界
それはかつて、あのお方を封じた憎き仙人によって作られた異空間。元いた世界から強制的に剥離され、彼女たち異形の者が閉じ込められた魂の牢獄。
多くの妖や物怪がそこで生まれ死んでいく。故郷の空気を再び吸うこともなく淀んだ大気に苦しみながら。
「俊宗め……我らを懊悩の獄に陥れただけでなく、あのお方まで封じるとは」
ギリリと歯ぎしりするが、復讐の念に駆られた彼女は瞬時に口角を上げて不敵に微笑む。
そう……自然に微笑みが漏れてくる。
なぜなら永年求めていたもの――反魂香が手に入ったのだ。これさえあれば「あのお方」の魂を冥府から呼び寄せることができる。
「クククッ……積年の恨み晴らしてくれん。人間どもを屠り食らい尽くしてやる」
女は魔界と呼ばれる暗黒の地中奥深くにある祠に到達する。その祠は何百年もの間に、封印された者の魔力によって禍々しく造形され、多くの妖怪を従える女でさえも身震いするほどの邪気を放っている。
――恨み
――怒り
――悲しみ
あらゆる負の感情を纏いながら、ただ自分を封じ、妖怪たちを魔界に隔離した俊宗に復讐を願い続ける……妖かしの王、
百鬼夜行を付き従え、膨大な魔力で人間たちを震えあがらせた鬼神が、この祠に封印されている。女は瞳に涙を溜めて鬼神を呼び寄せるための呪文を唱えた。
「……よって、我ここに汝の封印を解く。鬼神大獄丸の魂よ、再びその姿を現したまえッ」
――グォォォォォォンンッッ
祠の奥から響き渡る重低音。その振動は洞窟を揺らし魔界全土に響き渡る。
間違いないと女は確信する。反魂香は本物であった。そして、この懐かしい悠然とした咆哮は紛れもなく鬼神のものだ。
数百年ぶりに聞く、主のたくましい声に、目頭だけでなく下腹部までも熱くなる。
「……予は戻ったのか」
「……ッ」
尋ねる声は女の背後から聞こえてきた。彼女は頭をうな垂れて暫く返答することができない。歓喜のあまり体が震え、声を容易に放つことができないのだ。
「再び問おう。予は戻ったのか」
「……はい。約八百年、お眠りになっておいででした」
「そうか」
女は必死に声をふり絞ると、涙を拭いながらふり返る。するとそこには彼女の数倍はあろうか、巨大な肉体を持った大男が立っていた。
「久しいな……」
「はい……」
お咎めを受けてもいい。理性を欲望が上回った途端、彼女の身体は自然に吸い寄せられるように、鬼神の体に抱き付いていた。心が「愛おしい」と叫び続ける。しかし……
――スゥ
彼女の両手は鬼神のたくましい体に触れることなく、空を掴んだ。「あっ……」と呟いて踏みとどまる。脱力感に襲われながらも、彼女は気丈にふるまった。
「八百年の時が、余の躰を消滅させた。新しき器を探すのだ」
「しかし……大嶽丸さまの巨大な魂をおさめきれる魄がある者など……ッ」
――いる訳がない
思わず出かかる言葉を飲み込む。
言葉はまるで投げた刃物のようだ。一度放たれれば傷つけても後戻りはできない。彼女も、そして大嶽丸も。
「俊宗だ。予を封じた仙人だけが、余の魂を受け入れる器を持つ」
「……ッしかし、あの者はもうとうに死んでおります」
「ヒトの命は短い。だから奴らはある行為で己を未来に残す」
「も、もしや……隔世転生?」
「そうだ。仙人の子孫を探すのだ……頼んだぞ……珠梓」
そう言って大嶽丸の魂は虚空へと消えた。彼を慕う女を残して――。
一歩、また一歩と目標に近付くごとに鼓動が高鳴る。「あのお方」に再び会えると心に思い浮かべると、狂おしい恋慕に駆られるのだ。
しかし、自分自身も数多の異形の者と呼ばれる妖怪たちを支配する身。配下の者共にこの動揺を悟られる訳には行かない。この場所に一人で来たのは正解だった。
――魔界
それはかつて、あのお方を封じた憎き仙人によって作られた異空間。元いた世界から強制的に剥離され、彼女たち異形の者が閉じ込められた魂の牢獄。
多くの妖や物怪がそこで生まれ死んでいく。故郷の空気を再び吸うこともなく淀んだ大気に苦しみながら。
「俊宗め……我らを懊悩の獄に陥れただけでなく、あのお方まで封じるとは」
ギリリと歯ぎしりするが、復讐の念に駆られた彼女は瞬時に口角を上げて不敵に微笑む。
そう……自然に微笑みが漏れてくる。
なぜなら永年求めていたもの――反魂香が手に入ったのだ。これさえあれば「あのお方」の魂を冥府から呼び寄せることができる。
「クククッ……積年の恨み晴らしてくれん。人間どもを屠り食らい尽くしてやる」
女は魔界と呼ばれる暗黒の地中奥深くにある祠に到達する。その祠は何百年もの間に、封印された者の魔力によって禍々しく造形され、多くの妖怪を従える女でさえも身震いするほどの邪気を放っている。
――恨み
――怒り
――悲しみ
あらゆる負の感情を纏いながら、ただ自分を封じ、妖怪たちを魔界に隔離した俊宗に復讐を願い続ける……妖かしの王、
百鬼夜行を付き従え、膨大な魔力で人間たちを震えあがらせた鬼神が、この祠に封印されている。女は瞳に涙を溜めて鬼神を呼び寄せるための呪文を唱えた。
「……よって、我ここに汝の封印を解く。鬼神大獄丸の魂よ、再びその姿を現したまえッ」
――グォォォォォォンンッッ
祠の奥から響き渡る重低音。その振動は洞窟を揺らし魔界全土に響き渡る。
間違いないと女は確信する。反魂香は本物であった。そして、この懐かしい悠然とした咆哮は紛れもなく鬼神のものだ。
数百年ぶりに聞く、主のたくましい声に、目頭だけでなく下腹部までも熱くなる。
「……予は戻ったのか」
「……ッ」
尋ねる声は女の背後から聞こえてきた。彼女は頭をうな垂れて暫く返答することができない。歓喜のあまり体が震え、声を容易に放つことができないのだ。
「再び問おう。予は戻ったのか」
「……はい。約八百年、お眠りになっておいででした」
「そうか」
女は必死に声をふり絞ると、涙を拭いながらふり返る。するとそこには彼女の数倍はあろうか、巨大な肉体を持った大男が立っていた。
「久しいな……」
「はい……」
お咎めを受けてもいい。理性を欲望が上回った途端、彼女の身体は自然に吸い寄せられるように、鬼神の体に抱き付いていた。心が「愛おしい」と叫び続ける。しかし……
――スゥ
彼女の両手は鬼神のたくましい体に触れることなく、空を掴んだ。「あっ……」と呟いて踏みとどまる。脱力感に襲われながらも、彼女は気丈にふるまった。
「八百年の時が、余の躰を消滅させた。新しき器を探すのだ」
「しかし……大嶽丸さまの巨大な魂をおさめきれる魄がある者など……ッ」
――いる訳がない
思わず出かかる言葉を飲み込む。
言葉はまるで投げた刃物のようだ。一度放たれれば傷つけても後戻りはできない。彼女も、そして大嶽丸も。
「俊宗だ。予を封じた仙人だけが、余の魂を受け入れる器を持つ」
「……ッしかし、あの者はもうとうに死んでおります」
「ヒトの命は短い。だから奴らはある行為で己を未来に残す」
「も、もしや……隔世転生?」
「そうだ。仙人の子孫を探すのだ……頼んだぞ……珠梓」
そう言って大嶽丸の魂は虚空へと消えた。彼を慕う女を残して――。
0
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる