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一章
飛行機
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「とりあえずビールで」
ダミアンはシートベルト着用マークが消えた瞬間、CAを呼びつけた。悪びれる様子もない。到底、エコノミークラスの客とは思えない態度だった。
「年齢確認をさせていただいても?」
「若作りしてるんだ」
寒さのためか、黒いパーカーの袖を伸ばしている。ダミアンは気だるげにため息をついたが、そうしたいのはCAのほうに違いなかった。整った顔面を引き攣らせている。
「ねぇ、お兄さん。ビール頼んでよ」
ダミアンは退屈そうに目を細め、隣の席に視線を移した。先ほどサイフを奪い返してやった、細身のスーツの男に馴れ馴れしく声をかける。
「あぁ、はい。すみませんビールひとつ」
男は気分が悪そうだった。酔い止め薬の残骸がが膝の上で光っている。CAはにこやかに『かしこまりました』とだけ返事をして去っていった。面倒事には関わりたくない、という空気がひしひしと伝わってくる。
「まさか席も隣なんて。運命かも、って思わない?」
積極的に身を乗り出し、腕を絡める。同時に慌てて乗り込んだのだから席が近いのは当然のことだ。身体を密着させれば多少の誤魔化しが効くことも、計算ずくだった。
「そうですね。俺、こういう者です」
男は気分が悪そうなまま、胸ポケットから名刺を取り出した。ダミアンはそれを受け取り、素早く視線を走らせる。
「カウンセラー? ふーん」
面白みのない肩書きだった。オースティン・スレイターと無機質に印字されていた。距離を置いてまじまじと顔を見上げる。二十代半ばだろうか。疲れきった顔つきのせいで、おそらく実際より老けて見える。
「あなたは?」
オースティンはちらりと横目でダミアンを盗み見た。緊張を孕んだ息遣い。いや、ただ単に気分が悪いだけなのかもしれない。ダミアンは首を傾げて目をぱちくりさせた。たしかに、年齢相応の無邪気さがそこにはあった。
「俺は……無職?」
「職業ではなく、名前を聞いてるんです」
オースティンの言葉に、ダミアンはすぐにいつもの作り笑いを浮かべた。修羅場を幾度もくぐり抜けてきた若者の顔をしていた。
「ダミアン・ダグラス。じゅうきゅーさいです♡」
指でハートマークを作ってみせる。歳上に好かれる媚び方を熟知していた。飛行機のゴゥゴゥという音も、気圧の変化も、ダミアンの前ではなんの意味も持たなかった。
オースティンはダミアンの名前を聞いた瞬間、ハッと小さく息を飲んだ。明らかに動揺している。前方の液晶画面を見つめていた視線が横に向く。目が合って、ダミアンは嬉しそうにニコニコ微笑んだ。
「じゃあ、あなたが……あの。たしかに似てる」
「似てるって?」
「チェスター・クラウンに、です」
その名前を聞いて、ダミアンの表情が曇った。金持ちにろくな人間がいないことは周知の事実だった。揃いも揃って薬物中毒者で、権力を手放そうとしない。
特に、チェスターは女の趣味が悪いとダミアンは常々思っていた。似てるだなんてとんでもない。しかし、チェスターの若い頃の写真をGoogleで検索すると、それなりに女性に人気そうな外見がヒットすることは知っていた。賢くて、経営者には必要不可欠な冷徹さを持っている脳みそ。忌々しい遺伝子だ。ポケットからモンローに貰ったニューヨーク行きの航空チケットを取り出して指で弾く。
「オースティンさん、は? モンローさんの友達?」
強引に手の平を重ねてぎゅっと握る。見せかけの嫉妬やブラフはダミアンの得意分野だった。おどおどして、神経質そうで、それでいてサイフを盗られても気がつかないオースティンなんて簡単だった。
「クラウン家の人はみんな頭がおかしいから。俺みたいなカウンセラーを雇ってるんです。今は、休暇の帰りで……」
「それでチケットを手配してもらった」とボソボソ呟いた。ダミアンは不思議そうに息を吐いた。カウンセリングに通っている知り合いは何人かいたが、専属のカウンセラーを雇っているなんて話は初めて聞いた。
「お金持ちって変なところに課金するね。モルヒネとか、マジックマッシュルームとか。カウンセラー、は初めて聞いたけど」
ぼそぼそ呟いて手を離す。シートに体重を預けて、浮いた足をぶらぶらさせる。小柄で、率直に言えばゲイにウケるような外見ではない。
「あの家に住むなら、あなたのことも診てあげますよ」
「え~、それはアリかも」
あの家――クラウン家がどんな場所か、好奇心をそそられる。きっと広くて、プールとかもついてるんだろう。オースティンは緊張感の欠片もないダミアンを苦々しく見つめていた。
「本当に、気をつけてくださいね」
「なにが?」
「オリヴィアの交通事故」
「ハリウッド女優の? ニュースで見たけど」
それとなんの関係がある。ダミアンは機内食として配られたナッツに手を伸ばした。本当はビールが届いてから口にしたかったのだが仕方ない。おもむろに、オースティンが顔を近づけてきた。ひそひそ、耳打ちをする。
「公表してないけど、彼女はチェスター氏の一人娘なんです」
「あ?」
ナッツが奥歯に挟まった。ダミアンの賢そうなグレーの瞳が鋭く光る。そりゃ、ハリウッドで大活躍中の女優ともあれば、悪名高きチェスター・クラウンの娘だなんて公表しないだろう。
オリヴィアは金髪碧眼の、正統派美人女優として映画やテレビ番組で頻繁に目にする機会があった。
ダミアンは眉をひそめた。画面の向こうで眺める分には構わないが、現実では基本的に女性とは関わり合いになりたくなかった。ハリウッドで生活しているのなら、杞憂に終わるだろうが。
「チェスターの二人目の妻――オリヴィアの母親はパパラッチに追われて亡くなった。あの交通事故と状況が似てる」
オースティンは細かく瞬きをしながら呟いた。腕を組み、飛行機の現在地を示す地図を睨んでいる。ニュースでは派手な事故だったと報じられていたが、命に別状はないと言っていた。それ以降の言及はない。
「それって――」
「お待たせしました、ビールです」
CAが不自然な笑顔を貼り付けてビールを持ってきた。わざわざ手を伸ばしてオースティンの前に置く。オースティンは口をつぐみ、会釈すらしなかった。CAが一礼して踵を返し、姿が見えなくなった頃、やっとダミアンはビールに手を伸ばした。
「ぷは、やっぱ飛行機ではビール飲まないと始まらないよな!」
「話聞いてました?」
オースティンはイライラと答えた。ダミアンは首を傾げ、賭場でみせる余裕の笑みを復活させている。肩に手を置き、耳に酒臭い息を吹きかけた。
「俺に話聞いて欲しいの? カウンセラーなら、俺の話を聞いてくれるべきなんじゃない?」
おちょくるセリフばかりを吐くダミアンにオースティンが屈することはなかった。サイフを盗られた、可哀想な神経質な男の目はもうしていない。挑発するようにニヤッと口角を上げる。
「俺はモンローさんと違うから。嫌いじゃないです。そういうの」
飛行機が揺れたが、機内の誰も気に留めることはなかった。ピコン、とシートベルト装着のマークが光る。スーツ姿のビジネスマンも、外国人旅行客も、CAも、誰も彼らを気にしない。公共の場でイチャついてさえいなければ、ゲイなんて今どき、珍しくもなんともないのだから。
ダミアンはシートベルト着用マークが消えた瞬間、CAを呼びつけた。悪びれる様子もない。到底、エコノミークラスの客とは思えない態度だった。
「年齢確認をさせていただいても?」
「若作りしてるんだ」
寒さのためか、黒いパーカーの袖を伸ばしている。ダミアンは気だるげにため息をついたが、そうしたいのはCAのほうに違いなかった。整った顔面を引き攣らせている。
「ねぇ、お兄さん。ビール頼んでよ」
ダミアンは退屈そうに目を細め、隣の席に視線を移した。先ほどサイフを奪い返してやった、細身のスーツの男に馴れ馴れしく声をかける。
「あぁ、はい。すみませんビールひとつ」
男は気分が悪そうだった。酔い止め薬の残骸がが膝の上で光っている。CAはにこやかに『かしこまりました』とだけ返事をして去っていった。面倒事には関わりたくない、という空気がひしひしと伝わってくる。
「まさか席も隣なんて。運命かも、って思わない?」
積極的に身を乗り出し、腕を絡める。同時に慌てて乗り込んだのだから席が近いのは当然のことだ。身体を密着させれば多少の誤魔化しが効くことも、計算ずくだった。
「そうですね。俺、こういう者です」
男は気分が悪そうなまま、胸ポケットから名刺を取り出した。ダミアンはそれを受け取り、素早く視線を走らせる。
「カウンセラー? ふーん」
面白みのない肩書きだった。オースティン・スレイターと無機質に印字されていた。距離を置いてまじまじと顔を見上げる。二十代半ばだろうか。疲れきった顔つきのせいで、おそらく実際より老けて見える。
「あなたは?」
オースティンはちらりと横目でダミアンを盗み見た。緊張を孕んだ息遣い。いや、ただ単に気分が悪いだけなのかもしれない。ダミアンは首を傾げて目をぱちくりさせた。たしかに、年齢相応の無邪気さがそこにはあった。
「俺は……無職?」
「職業ではなく、名前を聞いてるんです」
オースティンの言葉に、ダミアンはすぐにいつもの作り笑いを浮かべた。修羅場を幾度もくぐり抜けてきた若者の顔をしていた。
「ダミアン・ダグラス。じゅうきゅーさいです♡」
指でハートマークを作ってみせる。歳上に好かれる媚び方を熟知していた。飛行機のゴゥゴゥという音も、気圧の変化も、ダミアンの前ではなんの意味も持たなかった。
オースティンはダミアンの名前を聞いた瞬間、ハッと小さく息を飲んだ。明らかに動揺している。前方の液晶画面を見つめていた視線が横に向く。目が合って、ダミアンは嬉しそうにニコニコ微笑んだ。
「じゃあ、あなたが……あの。たしかに似てる」
「似てるって?」
「チェスター・クラウンに、です」
その名前を聞いて、ダミアンの表情が曇った。金持ちにろくな人間がいないことは周知の事実だった。揃いも揃って薬物中毒者で、権力を手放そうとしない。
特に、チェスターは女の趣味が悪いとダミアンは常々思っていた。似てるだなんてとんでもない。しかし、チェスターの若い頃の写真をGoogleで検索すると、それなりに女性に人気そうな外見がヒットすることは知っていた。賢くて、経営者には必要不可欠な冷徹さを持っている脳みそ。忌々しい遺伝子だ。ポケットからモンローに貰ったニューヨーク行きの航空チケットを取り出して指で弾く。
「オースティンさん、は? モンローさんの友達?」
強引に手の平を重ねてぎゅっと握る。見せかけの嫉妬やブラフはダミアンの得意分野だった。おどおどして、神経質そうで、それでいてサイフを盗られても気がつかないオースティンなんて簡単だった。
「クラウン家の人はみんな頭がおかしいから。俺みたいなカウンセラーを雇ってるんです。今は、休暇の帰りで……」
「それでチケットを手配してもらった」とボソボソ呟いた。ダミアンは不思議そうに息を吐いた。カウンセリングに通っている知り合いは何人かいたが、専属のカウンセラーを雇っているなんて話は初めて聞いた。
「お金持ちって変なところに課金するね。モルヒネとか、マジックマッシュルームとか。カウンセラー、は初めて聞いたけど」
ぼそぼそ呟いて手を離す。シートに体重を預けて、浮いた足をぶらぶらさせる。小柄で、率直に言えばゲイにウケるような外見ではない。
「あの家に住むなら、あなたのことも診てあげますよ」
「え~、それはアリかも」
あの家――クラウン家がどんな場所か、好奇心をそそられる。きっと広くて、プールとかもついてるんだろう。オースティンは緊張感の欠片もないダミアンを苦々しく見つめていた。
「本当に、気をつけてくださいね」
「なにが?」
「オリヴィアの交通事故」
「ハリウッド女優の? ニュースで見たけど」
それとなんの関係がある。ダミアンは機内食として配られたナッツに手を伸ばした。本当はビールが届いてから口にしたかったのだが仕方ない。おもむろに、オースティンが顔を近づけてきた。ひそひそ、耳打ちをする。
「公表してないけど、彼女はチェスター氏の一人娘なんです」
「あ?」
ナッツが奥歯に挟まった。ダミアンの賢そうなグレーの瞳が鋭く光る。そりゃ、ハリウッドで大活躍中の女優ともあれば、悪名高きチェスター・クラウンの娘だなんて公表しないだろう。
オリヴィアは金髪碧眼の、正統派美人女優として映画やテレビ番組で頻繁に目にする機会があった。
ダミアンは眉をひそめた。画面の向こうで眺める分には構わないが、現実では基本的に女性とは関わり合いになりたくなかった。ハリウッドで生活しているのなら、杞憂に終わるだろうが。
「チェスターの二人目の妻――オリヴィアの母親はパパラッチに追われて亡くなった。あの交通事故と状況が似てる」
オースティンは細かく瞬きをしながら呟いた。腕を組み、飛行機の現在地を示す地図を睨んでいる。ニュースでは派手な事故だったと報じられていたが、命に別状はないと言っていた。それ以降の言及はない。
「それって――」
「お待たせしました、ビールです」
CAが不自然な笑顔を貼り付けてビールを持ってきた。わざわざ手を伸ばしてオースティンの前に置く。オースティンは口をつぐみ、会釈すらしなかった。CAが一礼して踵を返し、姿が見えなくなった頃、やっとダミアンはビールに手を伸ばした。
「ぷは、やっぱ飛行機ではビール飲まないと始まらないよな!」
「話聞いてました?」
オースティンはイライラと答えた。ダミアンは首を傾げ、賭場でみせる余裕の笑みを復活させている。肩に手を置き、耳に酒臭い息を吹きかけた。
「俺に話聞いて欲しいの? カウンセラーなら、俺の話を聞いてくれるべきなんじゃない?」
おちょくるセリフばかりを吐くダミアンにオースティンが屈することはなかった。サイフを盗られた、可哀想な神経質な男の目はもうしていない。挑発するようにニヤッと口角を上げる。
「俺はモンローさんと違うから。嫌いじゃないです。そういうの」
飛行機が揺れたが、機内の誰も気に留めることはなかった。ピコン、とシートベルト装着のマークが光る。スーツ姿のビジネスマンも、外国人旅行客も、CAも、誰も彼らを気にしない。公共の場でイチャついてさえいなければ、ゲイなんて今どき、珍しくもなんともないのだから。
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