ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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十一章 ゲルミーナ編

呪い

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「それで?」

 パチパチ燃える暖炉の炎が次第に小さくなる。ハインリヒは隙間風に思わず身を震わせた。ゲルミーナのほうへ顔を向けたが、やはり目を瞑ったままで、ひどく疲れた様子でソファに沈んでいる。

「おぇ゛……」

 ゲルミーナは突然嘔吐えずき始めた。弱りきっていて、その素晴らしい戦歴、大魔法使いとしての輝かしいキャリアは見る影もない。ゲルミーナは弱々しく笑顔を作った。

「ごめんごめん、ちょっと気分が……」
「……」

 ハインリヒは黙って立ち上がった。空になったワインボトルを回収する。床に落ちている毛布を拾ってゲルミーナの膝にそっと広げる。
 明らかに飲みすぎだ。そうは思ったが、指摘の言葉はなんとか飲み込んだ。そんな余裕はなさそうに見えた。

「お茶を淹れてきます」

 小さく呟いてキッチンのほうへ向かう。顔には出さなかったものの、頭の中は大忙しだった。混乱していた。
 今の話が本当なら、ゲルミーナは立派な戦争犯罪人だ。西の諜報部がはるばるスパイを寄越すのも頷ける。ニュルンベルク裁判に引っ張りだされて、数年もしないうちに死刑判決がくだることだろう。銃殺か、ギロチンか、絞首刑かくらいは選ばせてくれるのかもしれない。

 空のワインボトルをキッチンに置いた。お湯を沸かす魔法は朝飯前だ。魔法というものは慣れればそんなに難しくない。実際練習してみると、頭であれこれ考えるより、感覚でなんとかなる部分も多くあった。
 戸棚からアールグレイの茶葉を取り出して慣れた手つきでティーカップに注いでいく。できるだけ急いで、しかし慎重にカップを運んだ。暖炉の炎は、もうほとんど消えかけていた。薄暗い室内を注意深く進む。

「どうぞ」
「キミはさ、やっぱりベラに似てるよね」
「……」

 テーブルに置いた紅茶に、ゲルミーナが手をつけることはなかった。薄い黄色の瞳は見開かれ、ハインリヒを射る。

「私にとって、イザベラとすごした時間だけが救いだった」

 縋るような視線になんとか耐える。死んだ母親の話なんて、本当はあまり聞きたくなかった。母、イザベラの死について、責任を感じない日などない。それこそ毎日慰霊碑に黙祷を捧げるゲルミーナと同じ人種だ。いたたまれなくなって、奥歯を噛み締めた。

「別に、俺にはなんの才能もない」
「いいや、キミには魔法の適正がある。必ず強くなる」

 ゲルミーナの断定的な返答にハインリヒは面食らった。そんなことを言われたのは初めてだった。弱い、無能、第二種混血。自分に向けられる言葉はせいぜいそんなものだった。
 長く伸ばした髪がはらりと垂れる。本当に邪魔で仕方がない。女みたいな不快な髪、バッサリ切ってやりたい。

「ね、私もハイネって呼んでいい?」
「はぁ?? なんでそれを――」

 つい声を荒げた。文句の一つや二つ、言ってやりたくて口を開いた。けれど頭に思いついた言葉たちはこの世に放たれることはなかった。ゲルミーナがふわりと笑った。酒びたりで、過去ばかり振り返って、後悔と絶望を振りまいている普段の様子とはまったく違った。未来に対する希望を抱いている。

「ずいぶんカワイイあだ名だね、ハイネ」
「……」

 ハインリヒは眉をひそめた。おかしい。なにかがおかしい。けれど、なにがどうおかしいのか上手く表現できない。異様な空気が部屋を満たした。とても寒い。ゲルミーナはソファから上体を起こし、身を乗り出した。なぜか身体がこわばって少しも動かすことができない。

「これはね、魔法使いにのみ通用する“呪い”なんだ」
「なに、を――」

 両手を握られて目が合った。喉の奥で言葉が詰まった。さっきの話と同じシチュエーション。だとしたらこのあとに続く言葉は――。

「ねぇ、私のこと可哀想だと思った?」
「え、それは――」

 返事に窮しているうちに、ゲルミーナは満足げに微笑んだ。消えかかっていた暖炉の炎が一瞬大きく青く燃え上がり、そして消えた。

「えへへ、ごめんね」

 なにが起きたのかすぐには理解できなかった。ゲルミーナの身体から力が抜け、握られていたはずの手がするりと滑り落ちた。身体はソファに沈み込み、それからピクリとも動かなくなってしまった。

 ――もう死にたい。

 ほとんど毎日のように唱えていた彼女の願いが叶えられた瞬間だった。カーテンの隙間から朝日が射し込んで、夜明けの訪れを伝えている。気持ちの良い鳥の鳴き声も聞こえてきた。
 ハインリヒは静かに冷めた紅茶を見つめていた。朝だ。
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