ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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十三章 バナナフィッシュの亡霊編

飲みの席では本音の応酬になるという典型例

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乾杯プルースト!」
乾杯チアーズ!」

 とっぷり日が暮れ、酒を飲むには最適の時間だった。ハインリヒは大量のビール瓶を持ち込んでいた。この学校にはほとんど校則がない。夜更かしも、たとえ法律違反になるような集会でも咎められることはない。

「外国人は国に帰れ! この売国糞野郎!!」

 ハインリヒが大声を出したが、リドルはまったく気にしなかった。軽く指を動かし、超常的な力でビール瓶の蓋を開け、イッキに傾ける。
 アルコールの力でふわふわ視界が揺れ、ハインリヒの大声にもあまり反応できなかった。気づかなかった。

 いつの間にか転校生のセシル・フォーサイスが秘密の酒盛りに参加していた。ハインリヒの怒声で周囲が騒然としている。すべてモヤのかかった、遠くの出来事のように感じられる。
 瞼が重い。いつもリドルの世話を焼いてくるエルマーもハインリヒをじっと見つめている。リドルはテーブルに並べられているアルコールをさらに飲み、とろんと目を閉じた。

「なんてな」

 先ほどまで聞こえてきた怒声は冗談っぽい温和なものに変わっていた。セシルの挑発する声が聞こえる。

「そんなんだから負けたんだろ」
「あ゛ 殺す」

 テーブルが揺れたので、リドルは悠長にうつらうつらしているわけにもいかなかった。「殺す」という言葉に完全に酔いが醒める。殺戮や虐殺といった言葉はリドルの大好物だった。顔をあげるとセシルとハインリヒが睨み合っていた。火花が飛びそうなほど殺気を放っていた。

「二年前、虚偽の報告書を上げましたよね」
「知らない」

 セシルの言葉に、ハインリヒは少々動揺した様子だった。視線を彷徨わせ下唇を噛み締める。セシルは勝ち誇ったように、唇の端を吊りあげた。リドルにはよくわからないが、弱みを握っていることは明白だった。

「まぁ、この際それはどうでもいい」

 リドルは目の前のビールを傾けた。どうでもいいのはリドルも同じだった。難しいことなどよくわからない。のどごしを楽しみ、空になったジョッキをドンと机に置く。

「お前らうるせーぞ! 俺が息の根を止めてやろうか?」

 ハインリヒの冷たい視線がリドルに向けられた。エルマーもセシルも、リドルの言葉が冗談でないことくらい理解していた。張り詰めた緊張がこの場を支配する。沈黙を破ったのは、意外にもハインリヒだった。コホンと咳払いをしたのち、落ち着いた声で言う。

「殺しはナシだ」
「あ゛? 指図すんなよ」

 リドルは声を荒らげた。部屋の電気が不自然に点滅する。指を鳴らすのはフェイク。本当はそんなことをせずとも、“能力”を発揮することができる。ハインリヒは涼しげな目で、ちらりと頭上を見ただけだった。余裕綽々な様子がなんとも腹ただしい。
 感情に任せて食ってかかろうとしたが、リドルの前にセシルが立ちはだかった。外国人だから、なにを考えているのかよくわからない。ニコニコ笑っているのがまた不気味だった。

「リドルくん、指名手配犯なんだろ? それからジュネーブ条約違反、ジェノサイド条約違反、あと――」
「いくらフォーサイスくんでも、その言い方はないんじゃないんスか」

 エルマーが身を乗り出して口を挟んだ。ピリピリ、イラついている。ハインリヒに興味を示したのは束の間の出来事で、リドルの傍から離れようとしない。ハインリヒと同様、酒には一切手をつけていなかった。

「何コイツ、一回新聞に載ったからって英雄気取りってわけ?」
「別に、そんなんじゃないっスけど」

 エルマーはメガネを押し上げながら気まずそうに呟いた。リドルやハインリヒと違い、軍を名誉除隊したのち気球で国境を越えた事件は当時新聞にも取り上げられた。
 セシルの言葉は、目立つことが得意でないエルマーが萎縮するには充分なものだった。セシルはフッと笑って立ち上がった。酒を飲んだわりにはしっかりした足取りで部屋を出ていく。

「俺、アイツ嫌い」

 扉が閉まった瞬間リドルがそうぼやいた。ハインリヒは酒の代わりに水の入ったジョッキをぐいぐい傾けたのち、ニヤッと笑う。

「お前の友達外国人ばっか」
「あ? 友達じゃねーし」

 再び頭上の電灯が点滅した。今度は激しく、バチバチ火花を散らす。エルマーは怯えて下を向いたが、ハインリヒは一切動揺しなかった。吐き捨てるように続ける。

「しかも、よりにもよって大英帝国ブリカスとか」
「はぁ゛? もっと言うことあんだろ!」

 リドルはドンと机を叩いた。空になったビール瓶が床に転がる。電灯の不具合は解消されたが、今度は部屋中に一触即発の空気が流れた。
 ハインリヒは立ち上がり、コツコツブーツを鳴らしてリドルに近づいた。腕を組んで見下ろしてくる。しばらく黙ってリドルを観察し、おもむろに口を開いた。

「机に足を乗せてない」

 リドルの瞳が大きく見開かれた。張り詰めていた空気が和らぐ。いつもの、性格の悪そうな笑みを浮かべてみせる。

「いーだろ、習ったんだ」
「それは、もっと早く実践して欲しかったな」

 ハインリヒは呆れたように肩をすくめた。もっと褒められると思ったのに。リドルは不満げに唇を尖らせた。
 なにか言い返そうと口を開いたが、部屋の扉が乱暴に開かれたのでなにを言おうとしていたのか忘れてしまった。

「やっほー、なにしてんの? パーティ?」

 リドルは舌打ちをした。エルマーのたくさんいる姉たちのうちの二人、結合双生児のフィーネ、フローラだった。
 とにかく美しい双子だった。綺麗とか美人とか、ありきたりな言葉では表現しきれない。ストロベリーブロンドの艶やかな髪は以前よりさらに伸び、今や腰よりも長い。二十一歳の若々しい輝きは他の追随を許さない。二人は下半身を共有し、いつも上半身を向かい合わせていた。

「私たちも混ぜろ!」

 フィーネは明るく快活に笑った。親しげにフローラに腕を回している。フローラは妖艶に微笑んで机上のビール瓶を手に取った。呆気にとられて立ち尽くしているハインリヒに当然のように手渡し、椅子に座った。

「いや、俺酒は……」
「なに、私の酒が飲めないってか?」

 フィーネがすかさずそう言った。透明度の高い肌、四つの魅力的な瞳がキラキラ輝いている。ハインリヒはビール瓶を握ったまま立ち尽くしている。

「少しくらいいいじゃない」
「……そこまで言うなら」

 瓶に直接口をつけて一気に飲み干した。フィーネが「飲み足りないから持ってんの~♪」なんて囃し立てる。リドルの隣で、エルマーが縮こまっているのがわかった。フローラがずっと、意味ありげな視線をハインリヒに送っている。

「フローラの言うことは聞くんだ」
「あ゛?」

 酒を飲んでも顔色ひとつ変えないハインリヒにフィーネが退屈そうに呟いた。それから机の上の酒瓶を適当にジョッキに注いで酒を作る。ほぼ原液のウォッカ――ハイボールと言い張るには無理があるだろう――をハインリヒに押し付ける。

「おまえつよいな! もっとのめ、ほら! ハイネの、ちょっといいとこみってみたい♪」

 フィーネは再び手を叩きながらコールをした。ハインリヒは双子の四本の手で順番に渡されるまま、立て続けに何本も酒瓶を空けた。その場にあるほとんどの酒を飲み干してもなお、一切酔っ払った様子はない。空になったジョッキを机に戻し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……飲んだぞ」
「つまんなーい。ね、フローラ」

 フィーネは退屈そうにフローラに抱きついた。ちびちび飲んでいたビールは半分も減っていない。にも関わらずとろんと目が微睡んでいる。フローラが頬を赤く染め、頭を抱えている。

「フィーネ、あんまり飲まないで。私まで気分が悪くなるわ」
「ごめんごめん。じゃ、行こっか」

 フィーネは明るくそう言って、フローラと共有している下半身は椅子から立ち上がった。ハインリヒの手を取って扉のほうへ引っ張っていく。

「行くって、どこに……」

 困惑するハインリヒの声はすぐにたち消えた。フローラの瞳が魅力的に輝いてハインリヒを射る。百人が百人振り返る。それは、二人は結合双生児だからではない。人を惹きつける不思議な力があった。

「姉さんに会いにきたんでしょ」
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