ドランリープ

RHone

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1章 D Dream of Tail

-3- 『静かなるソコへの潜行』

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「魔物だよなぁ、ウワサって」
「全くですね、」

 一体全体『竜動』なんてどっから、どこで何時始まったんだ?

 ディザーの何気ない一言に、たわいもない意見の交換が始まったのを私は聞きながら……私は龍の事を考えてた。
 そもそも発端は二人が冗談めいたやり取りを繰返しているのに、一番後ろを歩いていたクオレから、ちょっと皮肉の混じった意見が飛んだからだ。

『その噂こそが連中の求めるもので、実体だ。竜なんて所詮そんなものだろう』

 それで……ディザーが苦笑いを込めての返答したのが先の言葉という事みたい。
 ディザーの意見に同調して答えたのはラーンだ。
「ラスハルトの言葉はとっても皮肉たっぷりでしたけど、ディザー君、分かりましたか?」
「バカにすんなよ、そりゃ一応分かってるって」
 龍を求める声こそが『龍』……それが龍の実体みたいなものだ、とクオレは言いたいんだろう。
 実在などしない、幻だ……って。という事は……クオレは反竜動派だよね?

 なのにどうして竜探索になんて来たのだろう?

 先頭を歩くディザーがラーンに向け、引き続き文句を言おうと振り返った。それに、アズサの手が伸びる。彼の頭を前に強制的に向け直させてしまった。

「先頭は振り返らないで前に集中」
「……へぇい」
 そうしながらアズサも雑談に加わる。
「にしても、言い方と例えがちょっと大人げないんじゃないのクオレ」
 そうやって、背後を付いてくるクオレに意見を求めたけれど。
 クオレから返答は無かった。
 私はそっと、背後を振り返ってみる。
 まだ、遠く後ろに外界の光が窺えた。
 下へ微かに傾いた闇への入り口は、真っ直ぐに百メートルほど続いているだろうか。足下には先程の雨が小さな川となっていて静かな水音を立て流れている。
 ジメジメとした洞窟には苔が広がり、わずかな光に露がきらめく。水が、比較的流れ続ける洞窟なのかもしれない。じめじめとしてはいるが不潔な感じは無くて空気もどこか澄んでいる。
 それでも洞窟の、人の足が入る事を拒否している道は足場が悪いし雨と苔で滑りやすい。
「ところで、ディザー?その、ディザーっていうのは」
 私は足元を見る為にすぐ前に顔を戻す。
 アズサの問いかけに先頭を行くディザーは振り返る事なく応答していた。
「ああ、俺の名前の事か?」
「あら、やっぱり気にしてる事?」
 ディザー、そういえばディック公務員はD3Sで……ディザーと読む事が多いんだった。私の国での発音ではジィサンエィシだからあまり気にしていなかった。
「天命みたいなもんじゃね?名前がたまたま同じディザーだ、なんて」
「まさか、それだけの理由でD3Sになった、なんて言うんじゃないでしょうね?」
「まさかって、その通りだけど」
「……呆れた」
 ラーンも少し笑ったのが背後から聞える。
 それで思わず文句を言おうと振り返ろうとしたディザーの頭は、察知したアズサの手で押さえられている。
「いいから、前向いてなさい」
「笑うなよな、俺は遊び半分じゃねぇんだから」
「それはすみません、気に触ったのなら謝りますよ。ただ、面白い事例もあるものですね、と思っただけです」
「ホントか?」
 さっきから二人は和気あいあいと会話しているけれど……実は私、この急勾配な洞窟を歩くに精一杯で会話には混じれそうにない。
 みんな凄いな、ディザーなんかよくこの悪路で、ましてや先頭を歩きながらおしゃべり出来るなぁ。
「……両親もD3Sか?」
 どこか冷たく聞こえる、クオレの質問が背後から飛んできた。
 何気ない、でもどこか……感情を押し殺した様な声だと感じる。
 だからだろうか?私は彼がどうしてそんな質問をするのか、一瞬よく分からず考えてしまった。
 ようするに両親から……D3Sに成る事を強要されたんじゃあるまいな?という懸念が含まれているんだと気が付く。

 ディザーの都合の事ながら、思わず私は自分の事を考えていた。
 私の故郷では貧困から、D3Sを目指す人が少なくなかった。私の両親はそう云う風潮とは逆で私にD3Sに成るようになんて一切勧めなかったけど、村の友達の中には……。

「あ、別にそんなんじゃないよ。親の影響とか別にない、逆に危険な職業だろうって反対されて、そんで家飛び出ちまったくらいだから」
 やけに明るく笑うディザーの声に私ははっとなって顔を上げる。
「それはいけませんねぇ、」
 少しトーンを落としてラーンの言葉に……悪い事なのかと、私は漠然と考えてしまった。

 私も、どちらかと云えばD3Sになると言って家を飛び出してきて方だ。
 それで、ますます会話に加わるタイミングを逃して口を閉じてしまっている。

「……悪いとは思ってるよ」
 ディザーは、多分これが本当の気持ちだというように答えた言葉が、他人事のようには聞えない。
「俺、自分で言っちゃうけど運動神経だけは飛び抜けてて自慢なんだわ。何やっても大抵一番だし、勝っちまう。でも、どうにも競合ってのが好きじゃなくて」
 少しだけ振り返って白い歯をだしてディザーは笑う。アズサから怒られるのを知っているのですぐ顔を前に向け直したみたい。
「何より公務員って給料安定してるじゃん」

 彼だって龍を目指してここに来たんだ。多分、それだけじゃない。理由はあると思う。
 だから、彼は何かを誤魔化しているのかもしれない、あたしはそんな風に思ったけど彼があまりに屈託なく笑うからそれに、見事に流されてしまう。

 アズサはやっぱり溜め息をついて呆れてるみたい。
 私の後ろを行くラーンが笑いながら言った。
「今時珍しいしっかりとした青年じゃぁないですか」」
「そうかしら?何も目的もなく給料安定してるからD3Sになった、なんて……最近の若い子は夢がないのね」
「いいじゃんか、俺はこれから夢を探すの」

 ゆっくりと、ディザーが歩みを止める。
 それに倣い私達も滑る洞窟を下る足を止めた。

 外界の光はもはや心許ない、ディザーはD3S専用のトーチライトにスイッチを入れて掲げてみせる。
 するとそこに巨大な壁がある事に私はようやく気が付いて息を呑んでしまった。
「行き止まりかよ、」
 ディザーは冷たく濡れる壁に手をついてぼやいている。
「横道があるはずだ」
 行き止まりは狭い洞窟の中、少しだけ幅がある。
 殿からクオレが降りてきて辺りを手で探り始めた。私は何をするべきか……見回すと、ラーンは荷物の中から防水加工された地図を取り出している。私も補助ライトを付け、ラーンに差し出した。
「ああ、ありがとうございます。……事前に調査されているという洞窟の、地図を持ってきたんですがね」
 クオレは手で探るのをやめてラーンを振り返った。闇の中に暗視スコープの微かなグリーン蛍光が浮かんでいる。
 暗視とはいってもそれ程頼もしいものでは無いみたい。光を調節し、増幅および抑制するだけなので外部の光は有る程度必要だと言っていた。
「そういうものは早く出してくれ」
「そう責めないでください。内部図しかないんですよ。今改めて確認しましたが……やはり、入り口近辺についての記載は見つかりません」
 ラーンは悪びれた様子もなく笑っっている。
 アズサとディザーが同時に溜め息を漏らしたのが、狭い空間に僅かに響いていた。
 私は……静かな空間の中、水の流れと水滴の落ちる音、それらが響き合うのに集中し少し目を閉じてみる。
 少し長めの髪を後ろで束ねているのだけど、零れている長い前髪の一房が乾いて、額を擽る感覚に目を開けた。
「下じゃないかな」
 全員が私を振り返る、それに気後れしないように急いで、防水加工された鞄の中から手帳を取り出す。
 もちろん、これも完全な防水加工が施されている。
 挟み込んであった鳥の羽を慎重に取り出してみせた。手を拭って水気を払い乾いた細い鳥の羽毛をつまみ上げると……微かに揺れているのをみんな確認出来たと思う。
「空気が水にそって動いている。水に従えばいいんじゃないかなと、思う」
 私の言葉に一同、小さく頷いてくれた。
 大丈夫……私、役に立っている。
 少しだけそれに安心した。
「少し、耳を澄ませてみよう」
 クオレの言葉に合わせ、一同息を潜め沈黙の中に流れる水の音の行方を探った。
「……あ、こっちだ」
 沈黙を破ったのはディザーで、ライトを持ったまま右の闇に潜ってしまった。その先にまだ奥があった事さえ気が付いていなかったので私は、突然彼が消えと思い慌てた。
 残っていたのは私の補助ライトだけだったので一気に様子を照らす光は少なくなり……すぐにラーンがもう一つのライトを付けてくれた。

 狭い、縦穴が開いている。
 ほどなくして、闇の穴からディザーのくぐもった声が届いた。

「あった、下に水が流れ落ちてる……ちょっと狭いけど……ああ、下は結構……結構広いぜ、こりゃ」
「耳がいいのね」
 あたしにはよく判別つかなかったわ、と肩をすくめアズサはぼやく。それをしっかり聞きつけたらしいディザーの声が、闇の広がるだけの下方から響いた。
「言ったろー、身体能力はずば抜けなんだよ俺ー!それしか取り柄ないんだー」
 ライトが少し揺れた、ラーンが笑ったからだ。
「そこまで自分で言ってはいけませんよ、ディザー君」
 クオレは微かに苦笑している、行こうと私達の肩を無言で叩いた。



 ディザーが見つけた通路は確かに狭い、ライトで相互から照らしても状況がよく分からない、水が流れている事もあり足場の確認も難しそうだ。
 幸い、距離はあまりないようだった。
 ロープを張り、アズサが先に降りて次に私に降りるように、指示が出される。
 私は正直、洞窟探査はこれが初めてだから少し、緊張している。
 横幅半径2フィートも無さそうな少し急な下りシュート。防水加工を施された専用服を身に付けているから水の流れる場所でも大丈夫。
 指示通り、滑り台を流れ落ちる要領で足場の少ない道を私は慎重に降りた。
 途中道は緩くなり、僅かに右に捻って再び急勾配。
 ようやく向う先にディザーの明かりが見えて来て私は、安心して一気に最後の下りを滑り落ちる。
 と思ったら、プール構造があってもう一段下りる必要が有るみたい。
「苔は生えてないけど、岩が丸まってて滑るから……」
 気をつけて、とディザーが言い終わる前に私は、腰を落としていた所立ち上がろうとして足を踏み外し、転びそうになってしまった。
 バランスを崩し、勿論辺りは様子の見えない暗闇。
 手を付く事も、何かに掴まる事も出来ず一気に、身長程の高さはあっただろう岩を滑り落ちてしまった。
 闇に吸い込まれるようで、驚きの声も出ないままに。しかし、落下は力強い力によって不意に止まっている。
「気をつけろって、ね」
「あ……ありがとう」
 水飛沫を頭から被って、私はようやく終点の足場に半分倒れ込む形でたどり着いていた。
 ディザーが足下にたまった水に半分漬かりながら、落ちた私が水の中に完全に落ち込む前に捕まえてくれたたんだ。
 おかげで変な尻餅は付かずに済んでいる。
「大丈夫か?」
 その後、クオレが乱暴に飛び下りて来る。
 下がある程度安定した水場である事を確認したみたいだ。最後にラーンも同じく落ちるようにたどり着くと、ライトを上に掲げて確認する。
「左側に足場がありますね、帰りはここから登れそうです」
「あとは水がこれ以上増水しなければいいが」
 二つのライトが翳されて、洞窟の一帯が私達の目にようやく写し出された。

 天井はドーム型、安定した岩盤の洞窟が前後に深遠の闇となって開けていた。脛辺りまでの水は、奥へとゆっくり流れがある。
「空気は、澄んでいますね……洞窟の形状からして、どこかで外に顔を出している風穴の類でしょうか」
「だとしたらこの洞窟についてはもう少し調査は進んでいるものと思うが」
 クオレの言葉にラーンは苦笑して肩をすくめた。

 確かに。
 私達はディックで定めた『龍探索』の、いくつもあるルートの内この洞窟を選んだ訳だけれど……ほぼ未調査と云う事で大した事前情報は集める事が出来なかった。地図にしてもそう。
 洞窟があるという報告だけを頼りに山を登り、樹海を踏破してここまで来た。
 洞窟の幅はおよそ二メートル、高さは二メートル強、十分に広いといえる。こんなに広い洞窟が未発見未調査なんて、私の国の山岳地帯でならありそうなものだけど、ニホンにおいてそんな事はあるのかしら?

 この樹海にある洞窟、結構な数が報告されていて調査は極めて進んでいると聞いている。規模的にもさほど広くはない。だからこそ、危険生物との遭遇率が低いという事もアナウンスされていた。
 これだけ大きな洞窟がまだ未調査で認識されていない、というのは珍しい事だ。
 私は足下を緩やかに流れていく水を見ていた。
「穏やかだけど、まだ下ってるね……水に行く手を塞がれていなければいいけど」
 私の心配に、ラーンも神妙な顔で先の地図を睨んでいる。
「……その地図、どうやって見つけたんですか?」
 地図は……無かったはずだけれど。
「どうでしょうね、どこから入るか、等の情報もないですし。この地図、本当にここの洞窟のものかどうかもはっきりしないのですよ」
「ええっ?」
 ラーンはにっこり笑って私に言った。
「なので、私はこの地図が本物なのかどうなのか確かめに来たと言う訳です」
 今の所これを当てにはしないでくださいねと笑い……視線を私と同じく水の流れゆく先に向けた。
「これだけの水、地下水脈にでも流れ込んでいるのでしょうか」
「地底湖かも知れないじゃない」
 アズサの問いに、ラーンは顎に手をやる。
「いえ、……私が調べた所、この近辺に地底湖と呼べる規模のものがあるという情報は見つける事が出来ませんでしたよ?」
 クオレもすこし鼻を鳴らして同意する。
「この地下水脈の豊富な地理で、地底湖のない洞窟というのも珍しいが」
「そういわれてみればそうなのですが……ここ、地震大国とか呼ばれているでしょ?私らの知る大陸型の地形とは色々異なるんですよ。割と近年に大規模な地殻変動もあったそうですし……もしかすればそれで外界と繋がった未発見の洞窟なのかもしれません」
 確か、実際外界……海まで洞窟が繋がっている、っていう伝説もあるんじゃなかったっけ?
「よく調べてきているな」
 クオレはラーンを見やって言った。
「貴方はどうなんです?」
 秘密だ、そういう風に笑ってクオレはそっぽを向いてしまった。
 ふいにしびれを切らしたようにディザーが足下の水をけり上げて喚く。
「めんどくせーなーッ!とにかく先行くしか無いじゃん!行こうぜ!」
 その声は洞窟の中で反響し、響き渡った。
 遠くで少し騒がしい気配がして……小さな蝙蝠の一団が頭上を飛んでいったのを見送る。私は思わず首を竦めたけれどどうやら、害のない普通の蝙蝠だったみたいだ。他は気にも留めず、肩を竦めて進む方向を決める話し合いになっていた。


 方位や歩いてきた方向、ディックから事前に得ている情報等を参照し、ひとまず水の流れる先に向かう事になった。

 こういう洞窟は水が溜まって行き止まりになっている事が多いらしい。今持ち寄っている装備では水の中を潜って洞窟を探査する事は出来ない。
 だから恐らくは、引き返す事前提にしての決定みたい。

 洞窟に入り込んだ順番で引き続き、深い闇の中へと歩き出す。

 水滴の音が、水を渡る私達の乱雑な足音と重なり合って幾重にも響く。前後から照らす光は足下の水面で緩やかに揺れて乱反射して、遠い水面に写って揺れている。
「天候に限らず、ここはいつも湿っているようだな」
 クオレが、壁に手を付きながら言う。
「って事は、もしかしてスライムちゃんの宝庫って事かい?」
 慎重に先頭を行きながらディザーは返す。
 ライトで行く先の足下を照らして警戒しているディザーに、私は逆に天井を見上げながら言った。
「こういう地形だとスライムに限らず障害は天井に潜んでるものだよ」
 スライム、正式な名称や分類は様々だけれども、自然摂理から飛び抜けて殺傷能力の高い不定形単純細胞生物、および粘菌類の事をそのようにディックでは総称している。
「へえ、そういうもんかい?俺の国だと最悪な奴で『スライム溜まり』ってのがあってなぁ」
「冗談は止してよ、アイツだったらもうとっくにあたし達は足を食いちぎられてるわ」
 私もそれの噂は聞いた事がある。
 めったに動かない沼地に多い種で、はまり込んだあらゆる有機物を栄養としてしまうという……スライム類では最悪の部類に分類されるモンスターだ。
 『死の泉』『ブラッディプール』等の悪名で通っていて、生態サイクルの都合完全駆除は難しい厄介な種で、発見次第除去して良い事になっている『第一種危険魔種』に認定されている。
 ディザーは、私の忠告を受け入れてライトを上部にかざした。
「確かに、水の中ではスライムも動きにくいだろうしな」
「甘いな、世の中には水の中を泳ぐ種もいるぞ」
 クオレの言葉にディザーは肩をすくめる。
「うげ」
「安心しなさい、海月の一種変異で海に繋がる大型の海水洞窟に多い種だから。この辺りは完全に溶岩流洞窟だからまず居ないでしょ」
「とはいえ、油断は大敵ですよ」
 ラーンの言葉にアズサは、それもそうねと同調している。
 脅かさないでほしいなぁ……泳ぐスライムなんて、そんなのも居るんだ。
 アズサもライトを取り出して変異を見逃さないようにと壁を調べ始めた。私も補助ライトで天井を引き続き伺う。

 ディザーがぴたりと足を止めた。
 野生動物の動作のような無駄のない動作だ、私は半歩遅れて足を止める。
「……ユーステルのアドバイスが効いたぜ、見ろよ」
 ライトを高くかかげれば、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 水が、天井にも満ちている。

 よく見ればそうではなくて、……水の滴が滴り落ちる事無く蠢いているのが分る。透明ではない、やけに青い幻想的な光を反射していた。沈滞色素からスライムの特徴は有る程度割り出せたはず……確か、
「ユニスライム、かな」
 私の言葉にアズサも頷いて振り返る。
「そのようね。『血滴』や『肉饅頭』なんかに比べれば大した奴等じゃ無いけど」
 本当にもう、怖い事を言わないで欲しい。
 先のブラッディプールと同等かそれ以上に恐れられている最強最悪のスライムの名前列挙にあたしは苦笑を漏らしてしまった。
 ディザーに並び前に出て、アズサは様子を伺う。
 肩越しに一同を振り返り、彼女は溜め息を付いた。
「ザコだけどちょっと、量が半端じゃ無いわね」
 光に反応はしないらしい。襲いかかってくる心配は無しと判断し、ライトをロングモードにして掲げて見せるアズサ。
 天井はもう一つの水面の様に、青白い光がどこまでも反射を返して来た。
 ディザーが顔をゆがめて思わず後ず去ったくらい。私も襲いかかってこないと知って安心はしているけど……。
 こんな所、踏破はしたくないなぁ……。
「まじかよ」
「相手にするのは時間と労働力の無駄ですねぇ」
 のんびりとした口調でラーンが言った脇で、逆にクオレが前に出る。
「だが、ここを進まなければ他に道はない」
 小型のバッテリー接続式、折りたたみヒートソードに電源を入れた微かな虫の様な羽音が洞窟に響き渡る。
「げ、いくの?引き返さないのかよ?」
「あら、人生は障害があるから楽しいのよ?」
 アズサも、同じようなヒートソードを取り出しながら言う。
「いい装備してんじゃん」
 笑いながらそう言って二人に先頭を譲ろうとしたディザーだが、無言でアズサからスペアを渡されてる。
「そうよ、ちゃんとあんたの分もあるんだから」
 ラーンが肩をすくめて苦笑するのに、クオレもスペアを取り出しているのが見える。私も、戦わないとだめかな?戦闘系の装備なんて何もないんだけど。
 ラーンがアズサから武器を手渡される気配を感じてか手を振った。
「あ、私は自分の装備でなんとかしますからお構い無く。ユース、貴方は?」
「ええと……お借りしてもいいですか?」
 クオレから無言で柄を渡されて、私はジェスチャーに習い慣れないヒートソードを組み立て、電源を入れた。
 噂には聞いていたけど、軽い……。ディザーがおもしろがって少し振り回している、その気持ちはよく分かる。
「俺、こんな装備使ったの初めてだ」
 使用コストも高いのよね。
 使いこなす局面を見極めないと即座荷物になるだけの代物で、時には使い捨てにするリスクとも向き合わなければ行けない。値段も安くはないので初心者には手の出せないD3S装備だ。
「不定形種には物理攻撃が効かないでしょ?だから、こういう装備も必要になるって訳」
 立派な両手剣を背負っているアズサはそれがこの場合役に立たない事を示し、笑いながらさぁ行くわよと戦陣を切って歩き出そうとする。
 それをラーンが止めた。
「何よ?」
「ああ、不慣れなお二人に少し、野暮な事をご説明差し上げようかと思いましてね」
 こういう実戦って、多分知識だけでは上手く対処出来ないんだろう。単核ユニスライムなんてさほど強敵という部類のモンスターではないけれど、実際初めて遭遇すると正直怖さが勝って足がすくんでいる。
 有りがたい事だと私は頷いていた。アズサも、そうねぇ若い子はちゃんと教育してやるのも年長者の務めかしらね、と大人しくラーンに前を譲る。
「ユニスライムは洞窟の掃除屋です。こういう物を投げ込むと……」
 ラーンは、薄い大きな紙のような物を丸めてスライムの蠢く方へ軽く放る。水に落ちて沈まず浮かんだまま、スライムの蠢く方へ流れていく。
「!」
 いきなり、天井から『水滴』がずり落ちて来た。大きな水滴がぼとぼとと落ちては水面に消える。
 水中に落ちた事でユニスライムの行方を見失った、私は驚いて一歩後ず去り、ディザーもライトを足下に向けて警戒する。
「大丈夫、この流れです、流れに逆らって泳ぐ能力は連中にはありません」
 ラーンの示す通り、水中に落ちたスライムの多くは『水に浮いてしまって』流され、なんとかうねりながら洞窟の壁に寄ってはじわじわと壁を昇り、再び天井に戻ろうとしている。
 青い水の固まりのようなものが水に浮き、流されていく。ラーンが投げた何かにユニスライムが群がっているんだ。
「食いついてやがるのか……ラーン、あの紙なんなんだ?」
「医療用蛋白質のシートです。連中、単純生物ですから敵の強弱など考えません。つまり、威嚇は効きません、遠慮は無用。比較的安易な単細胞ですので細胞膜が破れれば極めて弱体化します。クラゲのように死んでも針袋を有する事もない、核を焼いてしまえば完全に無力化出来ます……とはいえディザー、ユース。これだけの数です。もし直に吸い付かれでもしたら火傷程度では済みませんからね」
「……遊びじゃねぇ、と」
 ディザーが苦笑を漏らすに、私は神妙な顔で頷いていた。
 クオレは、自ら先頭に出てヒートソードをかまえている。
「そう言う事だ、行くぞ!」


 激しい炎が風を作って吹き抜けた。
 ラーンが放った火炎放射に、いくつものスライムが縮み上がって、ゴムの様に水に水面に落ちる。
 熱で溶けて核が弾け、水中で四散したスライム達の断片で足下はどろどろだ。耐水性のブーツ越しだから多少、生きている個体が居ても安全だというのは今現在の経験で持って理解した所だったりする。D3S装備はとりわけ頑丈な作りだから、スライム類の出す各種消化液にもある程度の耐性がある。
 なるほど、D3Sが皮靴を始め、皮製品を支給しない理由はこれなんだね……。
 D3Sの装備は自然素材をなるべく使わないか、あるいは完全に特殊化学繊維等で包んだ構造になっている。もしかしたら、ものすごい初期段階の授業で教わったかもしれないけど、基本的な事過ぎて私、ちゃんとその辺り理解していなかったのかも。
 もし、私のブーツが牛皮で出来ていたらユニスライムに解かされてしまっていたかもしれないんだ。
 光の軌道を描きクオレのヒートソードが舞う。
 天井から落ちてくるスライムを、もれる事無く切り捨てる動作の滑らかさに私は、少し見とれてしまっていた。
「流石ね、ドイツで個人探索一人者として送り出すだけの事はあるわ」
 アズサが感心気味に言う。でも、アズサのフリースタイルレベル6だって相当のものだよ?
 私は改めてクオレをみやった。
「……」
 クオレは、無言で片付け終わった事を示すようにヒートソードを下ろしている。
「いやでも凄いよ、マジ」
 ディザーは、まだ動いているスライムの核を片っ端から潰す作業をしながら言う。私もその作業を割り振られている。
 私達には上から落ちてくるのを切り伏せるなんて無理。
「こんな狭い洞窟内で、こんな危ないもの平気で振り回せるんだもんな」
「なんだか軽すぎて、逆におっかないよ」
 熱兵器のため少し近づけただけで服も髪も焼けてしまうんだ。使い続けるに熱は段々と持ち手の所まで伝わってくる。使用時間制限があるみたい。割高ながら使い捨て品として、リミッターはあえて付いていないのだとか。

 なんとか、スライム蠢く天井区域は抜ける事が出来た。
 私はヒートソードの電源を切りながら一息付く。
「ああ、しばらく持っていて、十分くらいで熱が引くから」
 クオレとディザーも電源を切り、最後にアズサも電源を切る。
 途端に、洞窟は沈黙を返してきた。そうだ、最初はこんなに静かだったんだと思い出す。
 ラーンはライトをかざして今来た道を振り返り笑っている。
「やぁ、随分と始末したようですねぇ」
 私達はその言葉に釣られ、ゆっくりと後ろを振り返っていた。
 ようやく元の静けさを取り戻した水面には、幾つものスライムの死骸が浮いている。薄いブルーのゼリーが美しくも揺れていて、足下をゆるやかにその死骸が流れていく。
 動いている個体は見受けられない。
 もしいるとすれば必死に水を嫌って壁に張り付いて、逃げ出しているだろう。直接肌に張り付いたりしなければ害は無いので、足下を死にかけが流れている分には大丈夫。
「さて、こんな所に長いは無用だ……先に進もう」
 クオレの言葉に、ラーンは頷いた。
「そうですね、スライムはまだまだ湧いて出てくるでしょうし、ユニスライムは単純生物ですから下手をすると数時間で復活しますしね」
「冗談じゃねぇぜ、引き返す事になったらまた退治かよ、さっさとここをぬけよう」
 ディザーがライトを灯す。
 自主的に先頭に立って微かにライトを振った。
「この先に、……この地図が正しのであれば広いホールに出るはずですが」
 ラーンは地図を確認しながら言った。
「ホントか?」
「それを確かめる為にも先を急ぎましょう」
「そうね、まぁどっちみち洞窟降りて随分立ったわ、もし休めそうな場所があるならそろそろ休憩を入れるべきよ」
 ディックの規定で、余り長時間動き廻る事は緊急時以外では推奨されていないんだ。私は時間を確認して頷いて返していた。
「で、ラーン。あると仮定して……そのホールってどれくらいの広さなの?」
 アズサの問いに、ラーンは、地図を畳みながら答える。
 道は一本道だからだろう今は不要と判断したみたい。
「広さですか?まぁそこが非常に問題なのですがそうですねぇ、例えて……ベースボールスタジアムは軽く一個はいるらしいですよ」
 その言葉にクオレとアズサの表情が険しくなる。
「え?」
 何かまずい事でもあるのだろうか、二人の剣幕につられ、私は不安な顔をラーンに向けてしまった。
「スタジアム!広いなんてもんじゃないじゃない!」
「そんな巨大地下を持つ洞窟は限られているぞ、その地図、当てに出来ん代物だと言っているようなものだ」
「そうよ、地下空洞があるですって?その地図偽物確定なんじゃない?」
 ラーンは怒るかと思ったけど逆に、冷静に進みましょうとジェスチャーしながら言う。
「ええ、私もそう思いました。地下にそれだけの空間を持つ洞窟が存在するなど……指で数えられる程しか確認されていない事です。もちろん、この国にそのような洞窟がある事は確認されていない。それゆえ、この地図は今まで全く相手にされていませんでした。真実は確かめられる前に、常識と理論の導き出した答えによって……封じられてしまったのです。この地図は全くの空想から成り立ったまがい物なんだ、とね」

 空想から成り立つ紛い物。
 その言葉に、私は……自然と龍を思っていた。

 今世界に蔓延る『空想から成り立つ』ドラゴン。

「お似合いでしょう?」
 ラーンはおどけるように肩をすくめてみせる。
 彼の言いたい事を察しているようにクオレは鼻で息をついた。


 とにかく行ける所まで言ってみるしかない。
 再び私達は歩き始めた。


 道は短調と思わせて、そうでもない。
 いつの間にか幅が狭まくなって来ているのが今ではよく分かる。所々上下のうねりもあって、水が堰き止められたり深くなっていたりする。

 水は今や、足下を急流となって流れ落ちていた。スライムの断片がたまりになった所から零れて流れていくのが見える。水の流れが……早くなっているような気がするけれど、気のせいかな?
 私達は……確実に地下深くへと降りていた。

 気が付けば壁が両端からせまっている。
 手を広げても壁に手が届かない程広かったのに、今は肩がぶつかろうかという程に狭くなっているんだ。
 私達は壁に手をつきながら、足下を水にさらわれない様に気を付けて歩いている。すっかり水かさは増えて太ももの当たりまである。
 私は……少し恐怖が迫り上がってきていた。
 このまま進んでも大丈夫なのだろうか?
「うはー、俺、こんな冒険初めてだからなんか、怖いの通り越してワクワクするな!」
 私とは逆にディザーは無駄にはしゃいでいる。ううん、本当は怖いからそうやって明るく振る舞っているだけなのかも。
「初めてなの?」
「言ったじゃん、D3Sに受かったばっかりだって」
「それなのになんでこんな所に来たのよ」
「だって、手っ取り早く実績上げたかったし。なんか面白そうだったし」
「あきれた。ほんとに素人……とんだお荷物を抱えちゃったわね」
 興奮にうわずった声でディザーは返す。
「悪かったなぁ」
 言葉ほどに悪いようには言っていない気がする。
「本当に迷惑と思っているなら、貴方に先頭なんて任せてませんよ。みんな貴方の身体能力に期待してますから」
 ラーンが笑いながらフォローする言葉が後ろから届く。
「お互い苦手な事はあるものだ」
 低い、クオレの言葉に私は少し背後を振り返った。
「知識面は俺たちで十分にカバーできる。パーティーチームを組む事の利点は、それぞれの得意面に大きく力を注げる事にある。ましてやここは洞窟だ……身軽なお前の助けが大いにいるだろう」
「本当か、いやぁ、クオレにそういわれると自信出てきちゃうなぁ、俺」
「ラスハルト。おだて過ぎるのも考え物ですよ」
「うぁっ!」
 その声に私は立ち止まり、アズサが手を伸ばす。 
 先頭を歩くディザーが少しバランスを崩している。
「あっぶねー……すげぇ、こっから物凄い下りだ!下が見えない」
 アズサが咄嗟に腕を掴んでくれた事に、ディザーはありがとうと断りながら振り返る。
「様子を見たい、俺を前にいかせてくれ」
 クオレが、狭い道をどうにか通り抜け先頭に出た。
 ライトを二つかざして、ディザーが立ち止まった洞窟の先を照らしている。
 水の流れる音がいつの間にか激しくなっていて、私達は結構大きな声で話をしていた。

 洞窟は急激に下へ向かっているみたい。

 私もライトに照らされた洞窟の先を覗き込んでみた。水が激しく滝さながらに流れ落ちている。
 防水ライトをロープに吊し、ゆっくり水の流れに乗せて下ろす。
「どうだ、下が見えるか?」
 クオレがディザーを窺う。
 ディザーは目を凝らし、僅かな光をじっと見つめている。
 私には……水飛沫による光の乱射が酷くて何がなんだかよく分らないけれど。
「急だけどそんなに長い距離じゃなさそうだ」
 彼は本当に身体能力だけはズバ抜けていいみたい。暗視スコープをつけているクオレより、はっきりと状況を把握している。
「水飛沫の音が……近い。下に空間があるのは音からして間違いないな。たぶんあそこで一旦下りは終わってる」
 あそこ、とディザーは洞窟の先を指さしている。
「ふむ……とはいえ、16フィートはあるようだが」
 クオレはスコープを何やら弄りながら少し唸り声をあげた。
「垂直じゃないし、なんとか降りれるんじゃないか?」
「水が流れているのがな、もしかしたら足場もない様な下りかも知れない。再び戻る事ができるかどうか……」
 と言って、クオレは私とディザーを振り返る。
 足を引っ張ってるのかなと思って私は咄嗟に視線を逸らしてしまった。そうやって足下に視線を逃がし……違和感に気が付く。
「みんな……!」
 私は降ろしていた顔を跳ね上げていた。
「水かさが増えてる!」
 水は、いつの間にか腰の高さまで迫ろうとしているし、間違いなく水の流れる早さが強い。だって、私気が付いたら壁に手を付いて流されないようにふんばっている。
「これは……まずいですね」
 ラーンが苦笑してややのんびりと言った。
 学者の人って、どんな場合でも冷静さを失わない特徴でもあるのかしら?少なくともアズサとディザーには彼の悠長な苦笑いが理解出来ない様だ。
 ラーンを思わず睨み付けしまっている。
 アズサは即座クオレに視線を投げて指示を仰いだ。
「ここは一旦引き返しましょうか」
 それに答えのはクオレではなくディザー。
「いや、」
 苦笑して首を振った。
「もう手遅れかもな、水の音が近い!」
「引き返しても流されます……か。どうしますラスハルト」
「……ここを降りよう」
「おい、マジにか」
 クオレは無言でロープを取り出す。アズサは黙ってそれに従い、ロープガイドをセットしはじめる。やや遅れてラーンもそれに倣った。ここでは彼らに従うしかないんだ。
 ディザーはそんな私達に大袈裟なジェスチャーで半ば叫ぶ。
「水が迫ってきてるってのに何で更に下に降りなきゃいけないんだよ!」
「あら、引き返すのには手遅れだって、そういったのは貴方じゃない」
「けど!」
「進むしかないんですよディザー君……この下に空気のある、広い空間があることを祈ってね」
「ここで水をやり過ごすって手もあるじゃないか!」
 ディザーは納得が行かず叫ぶ。水の音が一層激しく耳を叩いた。叫ばないと会話が出来ないんだ。
「流されればこの狭い道を下り落ちる羽目になるんだぞ、その方が命の保証がないだろう。水飛沫、聞えるんだろ?」
 確認されて、ディザーはそれは確かだと無言で頷く。
「なら、下に空間は間違いなくある」
 クオレがロープガイドを、ディザーに無理やりにぎらせている。諭す様にアズサが言った。 
「これはルールよディザー。貴方は知識と経験の面で、私たちより劣っているのは確かな事よね?その場合チームとしては優位な者の決定に従う。これは大切なルール、そう思わない?」
 言い聞かせる様な少し強い言葉に、ディザーは口を閉じた。
 私は、ディザーに向かって深く頷いていて見せる。

 大丈夫。
 きっとクオレ達の判断は間違ってないよ。

 私達はそれを信じる事をD3Sに成るに当たり教えられたはずだよ、と……ちょっと無理に笑って見せた。
 すると強くディザーはロープガイドを握り締めて少し頭を下げた。
「先頭、お願いできる?」
 アズサの半分挑戦的な言葉に、ディザーは顔を上げて不敵に笑う。
「まかせろよ……!」



 轟々と鳴り落ち行く水、流されないように、それでいて流れに身を任せて。
「聞こえてるか!」
 遥か遠くからディザーの声が……聞こえる。ただ、何と言っているかは私には殆ど判別出来なかった。
 クオレは、周りの音に負けないように叫び返す。
「聞こえたぞ!どうだ、下に着いたか!」
 手を付いている壁越しに何か、圧迫感を感じて流れる水の表面がびりびりと振動しているのを見やった。
「鉄砲水がすぐそこまできてる!?」
 私の言葉に、クオレは冷静にロープに身をくくり付けるように指示してディザーの返事を待つ。
「下は深いたまりになってる!滑り落ちても大丈夫だ!」
 ディザーの声は、半分かすれて聞えた。精一杯叫んで答えているんだ。お陰で今回は十分聞き取れる。
「聞きましたかラスハルト、」
「ああ、どうやら今のところは運がついているらしいな!」
 水が、一気に増えていく。私達はそれぞれに頷き合ってロープをしっかり握った。
 クオレはアズサ、ラーンと無言で目配せをした。何をするのか、と思ったら……小さなナイフを指に添え、岩にくくりつけて固定してあったロープの片方を切落とす。あまりにも一瞬の事で声を上げる暇もない。
 流れる衝撃に足が一気に持って行かれた。
「身をかがめろ!」
 水が、闇へと私達を誘った。
 私はロープガイドをしっかりと握り息を吸い込み、口を閉じた。
 流される、その体を何か大きなものが抱え込んでくれたのを感じた。
 恐らくクオレだろう。
 縮めた体が、固く滑らかな石の表面を水の勢いに任せ滑り落ちている。ロープを掴んだまま、クオレに抱きかかえられているのを察して驚いているのもつかの間の事。

 突然水が頭までを攫う。

 流れが急激に早くなったのを感じた。石の上を滑り降りていたはずなのに体全体が水に浮き、今どこにいるのかが全く分らなくなった。
 その、何とも言えない恐怖。
 クオレと思われる、私の体を抱いている何者かの感覚がなければ、私は今まで感じた事のない恐怖に飲み込まれパニックに陥っていたかもしれない。

 思わず目を見開き、そこが水の中である事を知る。
 何も見えない、闇があるだけだ。
 驚いて口を開けようとしてしまったのだろう、誰かの手が私の口を押さえ込んでくれた。

 そうだ、ここは水中だ!息をしたら溺れてしまう!

 恐らく鉄砲水に流されている、ようやく水の流れを感じて、意識して息を止めた。目も閉じる。
 流されているのか、落下しているのか。
 しかし不意に流れが減速した。
 本当に……不思議な感じだ。
 ゆっくりと大きな何かに抱き抱えられるような感覚。
 その衝撃に私はロープから手を離し、私を抱きかかえていたはずの何者かの気配も離れ……自由になる。
 止めていた息を吹き返そうとして途端、水の重苦しさが蘇って体を押さえ付けてくる。
 息が、できない、その当たり前な現状に体と心が焦る。
「!」
 体が引っ張られた感覚に私は、今度こそ我に返った。
 またしても目を見開き、暗闇を見てしまう。
 でも自分を引っ張り上げる感覚があって恐怖感は去っていた。
 誰か居る、誰かが……私を呼んでいる。
 体に巻き付けられたロープがきつかった、なんとか姿勢を変えてロープを掴み、私は大きく足を泳がせる。
 深い……耳の奥が痛い。
 早く水から出なければと、思い切きって水を蹴り上げた。

 瞼を閉じていても分る光が、揺れているのを感じるその方へ。
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