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5章 際会と再会と再開 『破壊された世界へ』
書の4後半 思い出せない?『誰だ、俺を氷付けにしやがった奴は!』
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■書の4後半■ 思い出せない? why, can not recall?
当たり前だが、王族と会食なんてするもんじゃねぇよな。
今更気がついても遅いんだが……うう、テーブルマナーなんてそんなお上品な知識がこの俺にあると思うか?闘技場育ちの元剣奴に?リアル-サトウハヤトにだってねぇよ!
ナイフは右手でぇ……フォークは左手……という初歩マナーについての知識は辛うじてあれども、これで上手く食べれるか自信無い。
「切り分けてしまって、フォークを右手に持ち替えればいいのよ」
「え?」
俺の向かいに座っている庭師のおばあちゃん、サワさんはニコニコ笑って自分の皿の中身を一口大に切り分けている。
「食べにくければ口で引きちぎっても構わないよ」
と言ったのはミスト王だ。パンを手に取り……何をするのかと思ったら突然かぶりついて食いちぎる。
「こんな風にね」
「……」
「じゃぁ、箸とか貸してくださる?」
アベルの言葉に俺は驚いてナイフとフォークを構えていた手をおろした。
「ええッ?箸ッ?」
「イシュタル国はハシ文化の国よ?」
む、リコレクトしてみたら確かにそうだ。エズでの食事ん時はフツーに箸を使ってたっけ。アベルは遠東人、イシュタル生れイシュタル育ちだ。
「用意してあげてくれ」
ミストの指示で、給仕が畏まって出て行った。あ、ご丁寧に俺の分も用意されている。
肉を切り分けるのはともかく……たしかにこの豆みたいな物体を摘まむのは箸のご登場を願いたいと思っていた所だ。遠慮なく使わせてもらおう。
そんな事をきっかけにミスト王と庭師のサワさん、俺とアベルの話は弾み、そうこうしている間に吟遊詩人と楽士連中がやってきて謳を歌いだした。
適度にアルコールが体に回って、どうでもいいような話を慇懃無礼に振っていた俺だが、それはミスト王も同じだ。改まった言葉が無くなって、外見相当の話し方になってちょっと俺を驚かせている。
「ウチの家系は堅苦しいのダメなんだよ」
「家系って、カルケードの家系?」
「そう、ルーンザードの家系」
ミストは襟を緩めながら苦笑してワインを飲み干した。
「先祖っからして嫌ったらしいよ、」
「って事はテトアシュタ王っスか?」
「そうそう、記録とか読むと酷い事が書いてある。形式ばったのが大嫌いだから結婚式も身内だけでやったとか、会食敬語禁止だったとか……」
「マジですか」
「俺の父は堅苦しい人だったけど、おじい様は物凄く飄々としてる人でさ、あの方を見てるとああ、それは本当の事なのかもって思ったものだよ。大人になったら父みたいに立派な王にならなきゃいけないとか気負ってたけど……でもやっぱり苦手なものは苦手だなぁ」
爽やかに笑って……多分、間違い無く酔ってる。ミスト王はやけに饒舌になって来たけど……こ、これも家系の血の所為だろうか。
「こんな若輩で王になっちゃって、でもそれで清々した部分も正直あるよ。君やサワさんとこうやって話せる機会が出来て嬉しい」
「有言実行な所も亡きベラール陛下にそっくりですわね、」
「おじいちゃん子だって散々言われたよ」
庭師のサワさんは元々、王位を息子のアテムートに譲ったベラール先々代王の隠居先で働いていたのだそうだ。そこで庭師をやっていたという。ミスト王の祖父に当たるベラール王は、息子アテムートに出来た孫であるミストをそりゃもう、可愛がったのだろう。子供の頃によく隠居先に遊びに行った話をミスト王から聞かされた。その頃からサワさんとは面識があったらしい。
そういや、なぜ双子の弟であるアテムートが王さまになったのか……なんだが。先のアイジャンの魔王騒動もあるので聞き辛いけど気になるなぁと思ってたらどうにも顔に出でていたんだろうか?
アイジャンには子供が居なかったんだよ、とミスト王は小さな声で素っ気なく答えてくれたのだった。
ははぁ、……そういう事情であろうというお答えか。しかし、アイジャンの話はそれ以上、したくないっぽい気配はしっかりキャッチしたのでそっか、と返答して終わらせるのだった。
「あたしは庭師ですけどそれは、植物のお医者様だと勘違いなされていたみたいなの。それでミスト様が小さい頃にね、こうおっしゃったんですよ。城の庭にある林檎の木が枯れそうだからいつか診に来てね……って。それで本当にお城の庭師として呼び寄せるんですもの」
「俺はただ……王子の林檎がみすぼらしい状態なのが嫌でさ、でも切って抜くのも憚られるからどうにかしないと、と思ってて……」
「いつかお城でお食事しようよって、あたしを誘ったのも覚えてらっしゃらない?」
「あれ、そんな事言いましたっけ?」
快い談笑、その背景で音楽が変わる。
「あ、これ……」
厳かに悲しい口調で吟遊詩人が謳いだした。曲にあわせている訳ではないが、独特の言葉の伸ばし方が俳句の読み上げに似ている。しかも南方訛りを強化したような特殊な発音をするから、さっきから俺はホースイヤー念仏で良く聞いてなかったりした。何言ってるかサッパリ。
「北神の恋」
「何それ」
アベルがすっかり酔っ払って、眠そうな目で聞いた。静かだと思ったらお前陥落寸前じゃねぇか!そういえば、コイツはアルコールに弱いのだった。食前酒以降、何もアルコール類は飲んでいないはずなのに……。
「詩の題名、愛する神が眠りについたのを見届け、彼が再び目を醒ますまで待ち焦がれた北神の説話。有名な説話なんだよ、カルケードでは……南神ルミザにまつわる行事が多いのもあってね、舞台でも繰り返し演じられてる」
「へぇ……」
ぶっちゃけ舞台とかって……興味ねぇけどそういう態度取るわけにはいかねぇし。
「でも、悲しそうな詩じゃない?」
確かに……曲調が悲壮だ。
「それはそうさ、悲恋詩だもの」
「結ばれない愛だとか」
「そうだね、結ばれないというより報われないのかなぁ。そういう悲壮な恋愛話だから人気があるんだ、とか言われているよ」
ぐえ、ますます興味ないんですけど……王族ってそういう女子が好きそうな演劇とかも嗜まないといけないもんだろうか。
「南国ではね、眠る事は死ぬ事を意味するだろう」
何気ない、当然の事を口にする様なミスト王の言葉に俺はやや驚いた。いや……確かに南国で『眠る』とか『寝る』というのには『亡くなった』『死ぬ』という意味が含まれている場合がある。それは、知ってる。今のカミサマの恋バナに関係ある話とは思えなかったので、いきなり何を言い出すのだと思ったのだ。
「南神ルミザは一度眠りについた。その後、長い長い眠りからいずれ醒めるのだけど……目を醒ました時にあんまり長く寝ていた所為かな……昔の事を全部忘れてしまうんだね」
興味無いはずだったのに、なぜだか俺は無言でミスト王の話に耳を傾けてしまっていた。
「逆に北神イン・テラールは南神ルミザが寝ている間、ずぅっと覚醒していて彼が起きるのを待っていたと謳われいるんだよ。愛する人が目を醒ますのをずっと待ち続けていたんだ」
「それなのに、南神はそんなの覚えてないんだぁ」
ぐでりとテーブルに突っ伏し気味になって、アベルはやや管を巻く調子で俺を見上げる。
「今のアンタとおんなじね……」
「え?」
こてり、という具合にアベルが落ちた。
スースーと息を立てて……寝てしまいました。ああもう、こいつアルコール弱いって自覚してる癖に、どうして飲んじまうかなぁ。ちょっとなら大丈夫などと言わずに食前酒も断って、素直に水でもジュースでも飲んでりゃいいのに。
「すいません、」
「寝かせてあげなよ」
ミスト王はにっこり笑い、少しだけそれを苦笑に変化させながら言った。
「彼女は君が起きるのをずっと待っていたんだよ」
俺はその『北神の恋』という説話にどぎまぎしながら、やや慌てて返す。
「一ヶ月……俺が氷漬けにされてそれが、溶けるまで?……あ」
俺は肝心な事を考えるのを忘れていた。
そうだ、一ヶ月氷漬けになった理由はいい。
それで結局、誰が俺を解凍したんだ?
思わず席を立ち上がりミスト王を向く。
「誰が俺の氷を溶かしたんですか?」
「誰も何もしていないよ」
ミスト王は手を組んで静かに返して来た。
「誰も何も……って……」
それってつまり自然解凍?……まさかレッドの奴、南国なら暖かいからいずれ溶けるだろう……とかいう理由で俺をここに送りつけたんじゃぁあるまいな?いやまさか。
「時が来れば自然に『解ける』と、彼はそう言っていた」
「って、誰ですか」
「分からない、名前は告げて行かなかった」
という事は少なくとも俺達のパーティーの誰かでは無いという事か?レッドじゃないのか……。
「君を王子の林檎の木の下に発見したサワさんが……」
そのサワさんも歳の所為か、すっかり音楽に聞きほれて小さく船を漕いでいる。
「驚いて俺に報告しに来た。君があそこの転位門を潜ったのは二度目なのだろう?送られて来た人物が、誰であるのかサワさんはすぐわかったから真っ直ぐ俺の所に来てくれたんだ。勿論すぐに駆けつけたよ、そうしたら――見かけないローブの男が君を見下ろす様に立っていて……」
ローブの男?まさか、カオスか?
「この氷は魔法の仕業、誰にも解く事は出来ないだろうと……言った。ただし、時が来れば自然に解ける。それを待つがいい、と言い残して……どこかに行ってしまったよ」
何がなんだか……結局の所訳が分からないと俺は、呆然となりながら小さく頷いた。
「……そうだったんスか……。じゃぁアベルはその後に?」
「……そう。ふらりと南国に帰って来た」
一瞬俺は躊躇ってから顔を上げる。ちらりと横目で窺うとアベルは……やはり寝ていた。こいつは俺と一緒に転位門で、南国に来ていた訳じゃないのか。……何も、アベルは教えてくれない。
「一人で?」
俺はゆっくりそう尋ねながらミスト王を振り返る。悲しい物語を見るように、ミスト王はゆっくり肯定して首を縦に振った。
「それで、彼女は君が起きるのをずっと待っていた」
「……一ヶ月……」
俺は、その空白の期間の『重さ』をずっしりと感じる。
「今の彼女を見ていると……まるで『北神の恋』みたいだなぁと思ってね」
俺はびっくりして目をしばたき、ミスト王をまじまじと見つめる。
「……はぁ?」
「あれれ、想定外?」
ちょっと待て、ちょおっと待てィッ!にやにや笑ってるよ王様、楽しそうだな王様ッ?
「こいつがどう思っているのかは知りませんが少なくとも俺はですね、コイツの事は……」
女と認識すらしてませんッて!
「もしかしたら覚えていないだけかもしれないよ。ルミザみたいにね」
「か、からかわないでくださいよもう!」
「ははは、赤くなるって事はまんざらでもないって事じゃないのかい?」
「冗談じゃないスよ!俺、殺されちゃいますよ!」
ミスト王は今だ茶化すように笑いながら慌てる俺を挑発する。絶対この王様酔っ払ってるぞ、間違い無い!
「そんなにアベル君から嫌われてるの?」
「嫌われてるっつーか、馬が合わないっつーか」
「……うん……」
「ひッ」
寝返りを打っただけのアベルに、俺は過剰に反応して悲鳴らしきものを上げてしまった。それを見てしきりに笑いを堪えている王様。ひ、酷いよ王様~!
なんか俺もアルコール回ってる所為かな、泣きたくなって来たよ。別に泣き上戸じゃないのに……。
「とりあえず謝ってみたらどうかな」
ミスト王の言葉に、俺は何でですかと怪訝な顔で返答してしまう。
「ご機嫌斜めみたいだからね。君が『知らない』と云う事に腹を立てているんだと思うよ」
「そ、そりゃ仕方ないでしょ?俺氷漬けにされてたんスから」
「そうだよねぇ、彼女もそれは分かっているはずなのに。でも、そういう理不尽な理由で腹を立てて機嫌を損なうのが可愛らしい、女の子じゃないか」
「へぇッ?」
何その、可愛らしい女の子、って?それってコイツの事か?怪力遠東方人、アベルのドコが可愛いとノタマいますか王様。
「明日彼女が目を醒ましたら……一ヶ月も寝ててごめんって謝ってごらんよ」
「俺の……所為じゃないスよそれ」
多分、俺じゃなくてアイツの所為だ。アイツ。黒髪のメガネのアイツ。
「そんな事は彼女には関係無いんだよ。男は結局女性の機嫌を取るのにあくせくしなきゃいけないものさ」
何これ。いつの間にそんな恋バナ相談室と化してンのこの会食。
俺は額を抑えた。よく分からん流れだ、それもこれもログが壊れてて俺の記憶がトんでる所為なのか?
でもちょっと待て。忘れそうになっているが今、目の前に居るのは気の良い野次馬な青年じゃなくて、南国カルケードの王様だ。いかんいかん、すっかり砕けた調子になっていた。
「……わかりました、謝ってみます」
「結果報告してくれよ」
「え?何で」
結局王様であろうとそれこそ神であろうと、どんな役職がついて後にどう呼ばれる存在になろうとアレだ。
結局人間というのは恋だ愛だという修羅場は避けて通れない問題で、割とそういうのを覗き見したいという願望を捨てきるのは難しいのかもしれない。
酷いや王様。職権乱用!
「これはすっかりダメね」
葉が変色しすっかり落ちてしまってる……無残な林檎の木に俺は唖然とし、思わずその場に膝をつき頭を下げた。
その後俺は腑に落ちない思いを抱えつつ寝落ちたアベルを背負って運び、与えられた部屋に戻り寝てしまったらしい。気になったのだろう、氷漬けの俺が届いてしまったという薔薇園を訊ねていた。
「すいません」
「貴方の所為じゃないわ」
「……でも、俺の氷漬けがここに一ヶ月もあったから枯れちまったんだ」
元々散々な状態であった王子の林檎は……死にそうになっていた。いやもう多分、死んでいる。氷漬けの俺をどこかに運び出せればよかったのだろうが、どうにも動かせなかったとの事だ。俺は、転位門の目印である紋を塞ぐようにこの庭に凍り付いていたらしい。
庭師のサワさんはちりとりで丁寧に、落ちた枯れ葉を拾い集めている。
「そろそろ寿命だったのよ、枝を折られたり幹を傷つけられたりで散々だったでしょ?抜くって話も出てたんだし」
「でも……」
「いいの、安心して」
サワさんはにっこりと笑い、俺を手招きする。
「ほぅら、見て」
大きな鉢植えに……小さな木の苗が育っているのをサワさんは大切そうに撫でた。
「これはあの木の子孫よ。王子の林檎はね、一本じゃないの。何年も何百年もこの庭にある木よ?枯れるたびに新しい苗木が植えられて、カルケードの王子はこの林檎の木の下で育つのだから」
「……そう、なんですか」
でもやりきれない、本当に泣きそうなくらい俺は、悲しかった。人を一人殺すのと木を一本枯らしてしまうのと、大差ない事の様に思えるのだ。ましてや大切な木なのに、レッドの転移紋の刻まれている木なのに……。
俺ががっかりして再び枯れた林檎の木を眺めていると、ようやくアベルがやって来て声を掛けて来る。たった一杯の果実酒で二日酔いに陥るなら酒なんぞ飲むなよ、まったく。
「何、ヤト……話って」
「この木、俺が枯らしちまった」
「それが話?」
「いや、そうじゃなくて……」
俺はアベルを振り返り……やや照れて頭を掻きながらミスト王に言われた事を実践する。
「……ごめん。一ヶ月も寝ほろけてて」
「……」
「あ、いや……俺が謝ったってどうしょうもない話なのかもしれないけど、」
ふっと慌てて目を逸らした隙を見逃さなかった様に、俺の身体に何かがぶら下がったような感覚が襲う。俺は彼女の体温がすぐそこにある事に驚いて、言葉通りそのまま固まった。
「……ヤト……」
いかん、この展開はイカん……!
必死に視界を泳がせたがサワさん、いつの間にやらお邪魔虫かしら的な配慮で姿を眩ませておりますッ!
「な……」
俺の胸の当たりを掴むようにして蹲り、しがみついているアベルがすすり泣くのに……泣くな、と何時もの様に茶化しては言えず……多分言ったらそのまま殴られるか、投げ飛ばされそうな幻視を抱いて行動に迷う。
俺の両手が宙をさまよい、どこに収めるべきか迷っている。
どうすればいいのか散々迷ったあげくその手を、俺は、細かく震えている彼女の肩にそっと乗せた。
*** *** *** *** *** ***
エピソード 『北神の恋』を開放しました
当たり前だが、王族と会食なんてするもんじゃねぇよな。
今更気がついても遅いんだが……うう、テーブルマナーなんてそんなお上品な知識がこの俺にあると思うか?闘技場育ちの元剣奴に?リアル-サトウハヤトにだってねぇよ!
ナイフは右手でぇ……フォークは左手……という初歩マナーについての知識は辛うじてあれども、これで上手く食べれるか自信無い。
「切り分けてしまって、フォークを右手に持ち替えればいいのよ」
「え?」
俺の向かいに座っている庭師のおばあちゃん、サワさんはニコニコ笑って自分の皿の中身を一口大に切り分けている。
「食べにくければ口で引きちぎっても構わないよ」
と言ったのはミスト王だ。パンを手に取り……何をするのかと思ったら突然かぶりついて食いちぎる。
「こんな風にね」
「……」
「じゃぁ、箸とか貸してくださる?」
アベルの言葉に俺は驚いてナイフとフォークを構えていた手をおろした。
「ええッ?箸ッ?」
「イシュタル国はハシ文化の国よ?」
む、リコレクトしてみたら確かにそうだ。エズでの食事ん時はフツーに箸を使ってたっけ。アベルは遠東人、イシュタル生れイシュタル育ちだ。
「用意してあげてくれ」
ミストの指示で、給仕が畏まって出て行った。あ、ご丁寧に俺の分も用意されている。
肉を切り分けるのはともかく……たしかにこの豆みたいな物体を摘まむのは箸のご登場を願いたいと思っていた所だ。遠慮なく使わせてもらおう。
そんな事をきっかけにミスト王と庭師のサワさん、俺とアベルの話は弾み、そうこうしている間に吟遊詩人と楽士連中がやってきて謳を歌いだした。
適度にアルコールが体に回って、どうでもいいような話を慇懃無礼に振っていた俺だが、それはミスト王も同じだ。改まった言葉が無くなって、外見相当の話し方になってちょっと俺を驚かせている。
「ウチの家系は堅苦しいのダメなんだよ」
「家系って、カルケードの家系?」
「そう、ルーンザードの家系」
ミストは襟を緩めながら苦笑してワインを飲み干した。
「先祖っからして嫌ったらしいよ、」
「って事はテトアシュタ王っスか?」
「そうそう、記録とか読むと酷い事が書いてある。形式ばったのが大嫌いだから結婚式も身内だけでやったとか、会食敬語禁止だったとか……」
「マジですか」
「俺の父は堅苦しい人だったけど、おじい様は物凄く飄々としてる人でさ、あの方を見てるとああ、それは本当の事なのかもって思ったものだよ。大人になったら父みたいに立派な王にならなきゃいけないとか気負ってたけど……でもやっぱり苦手なものは苦手だなぁ」
爽やかに笑って……多分、間違い無く酔ってる。ミスト王はやけに饒舌になって来たけど……こ、これも家系の血の所為だろうか。
「こんな若輩で王になっちゃって、でもそれで清々した部分も正直あるよ。君やサワさんとこうやって話せる機会が出来て嬉しい」
「有言実行な所も亡きベラール陛下にそっくりですわね、」
「おじいちゃん子だって散々言われたよ」
庭師のサワさんは元々、王位を息子のアテムートに譲ったベラール先々代王の隠居先で働いていたのだそうだ。そこで庭師をやっていたという。ミスト王の祖父に当たるベラール王は、息子アテムートに出来た孫であるミストをそりゃもう、可愛がったのだろう。子供の頃によく隠居先に遊びに行った話をミスト王から聞かされた。その頃からサワさんとは面識があったらしい。
そういや、なぜ双子の弟であるアテムートが王さまになったのか……なんだが。先のアイジャンの魔王騒動もあるので聞き辛いけど気になるなぁと思ってたらどうにも顔に出でていたんだろうか?
アイジャンには子供が居なかったんだよ、とミスト王は小さな声で素っ気なく答えてくれたのだった。
ははぁ、……そういう事情であろうというお答えか。しかし、アイジャンの話はそれ以上、したくないっぽい気配はしっかりキャッチしたのでそっか、と返答して終わらせるのだった。
「あたしは庭師ですけどそれは、植物のお医者様だと勘違いなされていたみたいなの。それでミスト様が小さい頃にね、こうおっしゃったんですよ。城の庭にある林檎の木が枯れそうだからいつか診に来てね……って。それで本当にお城の庭師として呼び寄せるんですもの」
「俺はただ……王子の林檎がみすぼらしい状態なのが嫌でさ、でも切って抜くのも憚られるからどうにかしないと、と思ってて……」
「いつかお城でお食事しようよって、あたしを誘ったのも覚えてらっしゃらない?」
「あれ、そんな事言いましたっけ?」
快い談笑、その背景で音楽が変わる。
「あ、これ……」
厳かに悲しい口調で吟遊詩人が謳いだした。曲にあわせている訳ではないが、独特の言葉の伸ばし方が俳句の読み上げに似ている。しかも南方訛りを強化したような特殊な発音をするから、さっきから俺はホースイヤー念仏で良く聞いてなかったりした。何言ってるかサッパリ。
「北神の恋」
「何それ」
アベルがすっかり酔っ払って、眠そうな目で聞いた。静かだと思ったらお前陥落寸前じゃねぇか!そういえば、コイツはアルコールに弱いのだった。食前酒以降、何もアルコール類は飲んでいないはずなのに……。
「詩の題名、愛する神が眠りについたのを見届け、彼が再び目を醒ますまで待ち焦がれた北神の説話。有名な説話なんだよ、カルケードでは……南神ルミザにまつわる行事が多いのもあってね、舞台でも繰り返し演じられてる」
「へぇ……」
ぶっちゃけ舞台とかって……興味ねぇけどそういう態度取るわけにはいかねぇし。
「でも、悲しそうな詩じゃない?」
確かに……曲調が悲壮だ。
「それはそうさ、悲恋詩だもの」
「結ばれない愛だとか」
「そうだね、結ばれないというより報われないのかなぁ。そういう悲壮な恋愛話だから人気があるんだ、とか言われているよ」
ぐえ、ますます興味ないんですけど……王族ってそういう女子が好きそうな演劇とかも嗜まないといけないもんだろうか。
「南国ではね、眠る事は死ぬ事を意味するだろう」
何気ない、当然の事を口にする様なミスト王の言葉に俺はやや驚いた。いや……確かに南国で『眠る』とか『寝る』というのには『亡くなった』『死ぬ』という意味が含まれている場合がある。それは、知ってる。今のカミサマの恋バナに関係ある話とは思えなかったので、いきなり何を言い出すのだと思ったのだ。
「南神ルミザは一度眠りについた。その後、長い長い眠りからいずれ醒めるのだけど……目を醒ました時にあんまり長く寝ていた所為かな……昔の事を全部忘れてしまうんだね」
興味無いはずだったのに、なぜだか俺は無言でミスト王の話に耳を傾けてしまっていた。
「逆に北神イン・テラールは南神ルミザが寝ている間、ずぅっと覚醒していて彼が起きるのを待っていたと謳われいるんだよ。愛する人が目を醒ますのをずっと待ち続けていたんだ」
「それなのに、南神はそんなの覚えてないんだぁ」
ぐでりとテーブルに突っ伏し気味になって、アベルはやや管を巻く調子で俺を見上げる。
「今のアンタとおんなじね……」
「え?」
こてり、という具合にアベルが落ちた。
スースーと息を立てて……寝てしまいました。ああもう、こいつアルコール弱いって自覚してる癖に、どうして飲んじまうかなぁ。ちょっとなら大丈夫などと言わずに食前酒も断って、素直に水でもジュースでも飲んでりゃいいのに。
「すいません、」
「寝かせてあげなよ」
ミスト王はにっこり笑い、少しだけそれを苦笑に変化させながら言った。
「彼女は君が起きるのをずっと待っていたんだよ」
俺はその『北神の恋』という説話にどぎまぎしながら、やや慌てて返す。
「一ヶ月……俺が氷漬けにされてそれが、溶けるまで?……あ」
俺は肝心な事を考えるのを忘れていた。
そうだ、一ヶ月氷漬けになった理由はいい。
それで結局、誰が俺を解凍したんだ?
思わず席を立ち上がりミスト王を向く。
「誰が俺の氷を溶かしたんですか?」
「誰も何もしていないよ」
ミスト王は手を組んで静かに返して来た。
「誰も何も……って……」
それってつまり自然解凍?……まさかレッドの奴、南国なら暖かいからいずれ溶けるだろう……とかいう理由で俺をここに送りつけたんじゃぁあるまいな?いやまさか。
「時が来れば自然に『解ける』と、彼はそう言っていた」
「って、誰ですか」
「分からない、名前は告げて行かなかった」
という事は少なくとも俺達のパーティーの誰かでは無いという事か?レッドじゃないのか……。
「君を王子の林檎の木の下に発見したサワさんが……」
そのサワさんも歳の所為か、すっかり音楽に聞きほれて小さく船を漕いでいる。
「驚いて俺に報告しに来た。君があそこの転位門を潜ったのは二度目なのだろう?送られて来た人物が、誰であるのかサワさんはすぐわかったから真っ直ぐ俺の所に来てくれたんだ。勿論すぐに駆けつけたよ、そうしたら――見かけないローブの男が君を見下ろす様に立っていて……」
ローブの男?まさか、カオスか?
「この氷は魔法の仕業、誰にも解く事は出来ないだろうと……言った。ただし、時が来れば自然に解ける。それを待つがいい、と言い残して……どこかに行ってしまったよ」
何がなんだか……結局の所訳が分からないと俺は、呆然となりながら小さく頷いた。
「……そうだったんスか……。じゃぁアベルはその後に?」
「……そう。ふらりと南国に帰って来た」
一瞬俺は躊躇ってから顔を上げる。ちらりと横目で窺うとアベルは……やはり寝ていた。こいつは俺と一緒に転位門で、南国に来ていた訳じゃないのか。……何も、アベルは教えてくれない。
「一人で?」
俺はゆっくりそう尋ねながらミスト王を振り返る。悲しい物語を見るように、ミスト王はゆっくり肯定して首を縦に振った。
「それで、彼女は君が起きるのをずっと待っていた」
「……一ヶ月……」
俺は、その空白の期間の『重さ』をずっしりと感じる。
「今の彼女を見ていると……まるで『北神の恋』みたいだなぁと思ってね」
俺はびっくりして目をしばたき、ミスト王をまじまじと見つめる。
「……はぁ?」
「あれれ、想定外?」
ちょっと待て、ちょおっと待てィッ!にやにや笑ってるよ王様、楽しそうだな王様ッ?
「こいつがどう思っているのかは知りませんが少なくとも俺はですね、コイツの事は……」
女と認識すらしてませんッて!
「もしかしたら覚えていないだけかもしれないよ。ルミザみたいにね」
「か、からかわないでくださいよもう!」
「ははは、赤くなるって事はまんざらでもないって事じゃないのかい?」
「冗談じゃないスよ!俺、殺されちゃいますよ!」
ミスト王は今だ茶化すように笑いながら慌てる俺を挑発する。絶対この王様酔っ払ってるぞ、間違い無い!
「そんなにアベル君から嫌われてるの?」
「嫌われてるっつーか、馬が合わないっつーか」
「……うん……」
「ひッ」
寝返りを打っただけのアベルに、俺は過剰に反応して悲鳴らしきものを上げてしまった。それを見てしきりに笑いを堪えている王様。ひ、酷いよ王様~!
なんか俺もアルコール回ってる所為かな、泣きたくなって来たよ。別に泣き上戸じゃないのに……。
「とりあえず謝ってみたらどうかな」
ミスト王の言葉に、俺は何でですかと怪訝な顔で返答してしまう。
「ご機嫌斜めみたいだからね。君が『知らない』と云う事に腹を立てているんだと思うよ」
「そ、そりゃ仕方ないでしょ?俺氷漬けにされてたんスから」
「そうだよねぇ、彼女もそれは分かっているはずなのに。でも、そういう理不尽な理由で腹を立てて機嫌を損なうのが可愛らしい、女の子じゃないか」
「へぇッ?」
何その、可愛らしい女の子、って?それってコイツの事か?怪力遠東方人、アベルのドコが可愛いとノタマいますか王様。
「明日彼女が目を醒ましたら……一ヶ月も寝ててごめんって謝ってごらんよ」
「俺の……所為じゃないスよそれ」
多分、俺じゃなくてアイツの所為だ。アイツ。黒髪のメガネのアイツ。
「そんな事は彼女には関係無いんだよ。男は結局女性の機嫌を取るのにあくせくしなきゃいけないものさ」
何これ。いつの間にそんな恋バナ相談室と化してンのこの会食。
俺は額を抑えた。よく分からん流れだ、それもこれもログが壊れてて俺の記憶がトんでる所為なのか?
でもちょっと待て。忘れそうになっているが今、目の前に居るのは気の良い野次馬な青年じゃなくて、南国カルケードの王様だ。いかんいかん、すっかり砕けた調子になっていた。
「……わかりました、謝ってみます」
「結果報告してくれよ」
「え?何で」
結局王様であろうとそれこそ神であろうと、どんな役職がついて後にどう呼ばれる存在になろうとアレだ。
結局人間というのは恋だ愛だという修羅場は避けて通れない問題で、割とそういうのを覗き見したいという願望を捨てきるのは難しいのかもしれない。
酷いや王様。職権乱用!
「これはすっかりダメね」
葉が変色しすっかり落ちてしまってる……無残な林檎の木に俺は唖然とし、思わずその場に膝をつき頭を下げた。
その後俺は腑に落ちない思いを抱えつつ寝落ちたアベルを背負って運び、与えられた部屋に戻り寝てしまったらしい。気になったのだろう、氷漬けの俺が届いてしまったという薔薇園を訊ねていた。
「すいません」
「貴方の所為じゃないわ」
「……でも、俺の氷漬けがここに一ヶ月もあったから枯れちまったんだ」
元々散々な状態であった王子の林檎は……死にそうになっていた。いやもう多分、死んでいる。氷漬けの俺をどこかに運び出せればよかったのだろうが、どうにも動かせなかったとの事だ。俺は、転位門の目印である紋を塞ぐようにこの庭に凍り付いていたらしい。
庭師のサワさんはちりとりで丁寧に、落ちた枯れ葉を拾い集めている。
「そろそろ寿命だったのよ、枝を折られたり幹を傷つけられたりで散々だったでしょ?抜くって話も出てたんだし」
「でも……」
「いいの、安心して」
サワさんはにっこりと笑い、俺を手招きする。
「ほぅら、見て」
大きな鉢植えに……小さな木の苗が育っているのをサワさんは大切そうに撫でた。
「これはあの木の子孫よ。王子の林檎はね、一本じゃないの。何年も何百年もこの庭にある木よ?枯れるたびに新しい苗木が植えられて、カルケードの王子はこの林檎の木の下で育つのだから」
「……そう、なんですか」
でもやりきれない、本当に泣きそうなくらい俺は、悲しかった。人を一人殺すのと木を一本枯らしてしまうのと、大差ない事の様に思えるのだ。ましてや大切な木なのに、レッドの転移紋の刻まれている木なのに……。
俺ががっかりして再び枯れた林檎の木を眺めていると、ようやくアベルがやって来て声を掛けて来る。たった一杯の果実酒で二日酔いに陥るなら酒なんぞ飲むなよ、まったく。
「何、ヤト……話って」
「この木、俺が枯らしちまった」
「それが話?」
「いや、そうじゃなくて……」
俺はアベルを振り返り……やや照れて頭を掻きながらミスト王に言われた事を実践する。
「……ごめん。一ヶ月も寝ほろけてて」
「……」
「あ、いや……俺が謝ったってどうしょうもない話なのかもしれないけど、」
ふっと慌てて目を逸らした隙を見逃さなかった様に、俺の身体に何かがぶら下がったような感覚が襲う。俺は彼女の体温がすぐそこにある事に驚いて、言葉通りそのまま固まった。
「……ヤト……」
いかん、この展開はイカん……!
必死に視界を泳がせたがサワさん、いつの間にやらお邪魔虫かしら的な配慮で姿を眩ませておりますッ!
「な……」
俺の胸の当たりを掴むようにして蹲り、しがみついているアベルがすすり泣くのに……泣くな、と何時もの様に茶化しては言えず……多分言ったらそのまま殴られるか、投げ飛ばされそうな幻視を抱いて行動に迷う。
俺の両手が宙をさまよい、どこに収めるべきか迷っている。
どうすればいいのか散々迷ったあげくその手を、俺は、細かく震えている彼女の肩にそっと乗せた。
*** *** *** *** *** ***
エピソード 『北神の恋』を開放しました
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