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10~11章後推奨 番外編 縁を持たない緑国の鬼
◆BACK-BONE STORY『縁を持たない緑国の鬼 -6-』
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◆BACK-BONE STORY『縁を持たない緑国の鬼 -6-』
※ これは、実は隠し事がいっぱいあるナッツ視点の番外編です ※
緑国の鬼を捕らえたのなら、それと話をする機会が欲しいと僕は願っていた。
どういう理由で姫を攫って行ったのか、お金になると思ったのだろうか?そういう価値では図れないと知ったはずだ。ならばそれから……滅ばずの姫をどうしたのか。
いや、彼女が今どうしているかなんて事を知りたいんじゃないんだ。
僕が知りたいのはそんな事じゃない。
本当に知りたいのは彼女が……何って言っていたか。ただそれだけ。
自由になった事を彼女は、理解しているだろうか?
唐突に開け放たれた籠の外、空の眩しさを感じて飛び出して……それが自由だと彼女は知っているのだろうか?
「……君の封印はうまく行ったんだよね?」
大捕り物の準備を聞き、僕はこっそり今更ながらそれを聞く。
「間違いなく、上手く行きましたね」
ワイズは小さくうなずいた。
「相手が相手なのに……僕は君の魔法が本当に相手に通じたって事を疑ったりするんだよね。本当にうまくいったのかい?」
魔法使いの祖先に極めて近い存在であるテラールの姫相手に、封印魔法など通用するのか。それを僕はワイズに今更ながら訊ねている。
滅ばずの姫を滅するには、まず彼女自身が『滅ばない』という事を忘却しない事には始まらない。その為にワイズは彼女の記憶を封じる必要が在る。そして、その魔法は彼女に届いたのだという。
……本当だろうか?
「……彼女が望めばその通りになるんですよ、」
「望めば?……そうか、忘れたかったのか」
僕は、それは盲点だったなぁと天井を仰いだ。
自由になる事よりも、彼女が望んでいたのは全てを忘却する事だった……なんて。
「なら、自分で物忘れの魔法でも掛けてしまえばいいのに」
「それじゃぁダメなんですよ、途端に抑えている衝動に負けてしまう」
テラールが抱えるという、破壊衝動だったっけ?
本当にそんなものがあるのか、正直半信半疑だけど……。まぁそこを疑ったら、滅ばずの姫の存在自体を疑う事になるんだよね。
「だから、誰かが忘れさせてやらないといけないんです」
「君は彼女の望みをついに引き当てたんだね。誰もが分からなかった彼女の望みを……正直僕も自由だと思っていた。誰もが自由だと勘違いするのだろうに」
しかしワイズは苦笑して小さく首を振る。
「いいや、僕も自由だと思っていますよ」
ワイズは年に一度の天使教における大行事、降臨祭の段取りが詰まったファイルを胸に抱いて踵を返す。
「僕は彼女を、自由にしてやりたいと願っています」
ハクガイコウは基本的に外には出ない。
僕が外出を許される時、その時僕はハクガイコウという肩書を『基本的には』名乗らない。……前に言ったね。
……名乗ると色々都合が悪いらしく、一度の失敗で怒られて行動制限されてしまった今の通り。
僕は天使教における翼ある神の御使いだ、偶像崇拝を禁止しているから神そのものではない。実際、そこら辺を取り違えて僕が神だと考える人は多い。
それは仕方が無いんだ、長らく西方大陸にあった宗教は偶像崇拝が主だったからね。
これを淘汰し、なんとか天使教に塗り替えようとファマメント国は必至なんだけど……教義が色々違うからそう簡単には行かないんだよ。
西方大陸に長らくあった宗教すなわち、西教は未だ根強く人々の心の中に居座っている。
そこで、ハクガイコウという偶像崇拝みたいなまねごとをする事になったようだ。
西方人の心の中にある、長らく大きな支えであった神シュラードを、翼ある神に置き替える為にハクガイコウという職は作られた。
これはうまく行ったようだね、だから今もこの制度は続いている。
西教の行事をなぞりながら天使教に塗り替えるという方法は今も続いていて……降臨祭というのもその一つ。
天使教において実は、翼ある神は地上に降臨したりはしていない。その御使いが来た、という伝承はあるそうだけど……俗に空想宗教と分類されるものだから殆どが作り話だろうと思う。それに準ずる出来事はあったのだろうけど、僕はいまいち――天使教の教義は信じられない。
ありもしない出来事をでっち上げ、支配する階級の者が民衆を動かしやすくするための詭弁。それが天使教と呼ばれるものの正真正銘、正体だ。
これは事実、かもしれないなどという曖昧な過去の物語じゃない。現在進行形、僕がそれに属しているのだからよく知っている。
ディアス国が掲げている西教も同じじゃないかと言う人もいる、だけどあっちの方が一概に人が作ったとは言えない事実が多いし……何より長らく人の心の中にとどまったという実績がある。歴史がうんと古い分、僕は西教が天使教と同じく空想の産物だとは言いきれないな。
今は同じだとしても、過去からそうだったとは言い切れないだろう?
じゃぁ僕は西教信者かって云うと……そうでもないけどさ。
ともかく、僕はこの降臨祭というものにハクガイコウとして出席しなきゃいけない。
唯一ハクガイコウが、民衆の目の前に現れるんだ。
おそらく『緑国の鬼』はこの時を狙って現れるだろう。だから普段より厚く警備体制を整えてこれを待ち受ける。
勿論こっそりと『緑国の鬼』が現れる事を煽っている。
相手がなかなか捕らえられなくてね、この際大事の舞台も利用してはどうかという……怖れ多い案件は勿論僕から提出しておいた。
僕が言い出しっぺじゃ、魅力的な案である為に何とも言えないだろう。
もっとも、その案をハクガイコウに唆したのが誰なのかはみんな、分かってるみたいだけどね。でもそれをハクガイコウが了承して、何も言えないようにハクガイコウ自らが推進したんじゃもう、誰も何も文句が言えないってワケだ。
「失敗したらどうなるんだろうね」
楽天的に僕は、ハクガイコウの正式な衣装を着せられながら控えているワイズに聞いた。
「それはどういう意味での失敗を指しているんでしょう?」
「んー……最悪な場合だよ」
軽い化粧が施され、長い髪を結えて重い装飾品を編み込む作業に頭を固定されている。だから僕は彼の方に振り返って顔色を窺う事は出来ない。
このセッティングがヒマなんだよね、寝ててもいいらしいけど……ちょっとした緊張はある。今回ばかりは。
「その時は、一緒に僕の首も飛ぶだけです」
「うーん、それじゃぁ何の解決にもならないのに」
「仕方ないですよ、連中はアホです」
おいおい、僕以外にも人がいるんだからそういう物騒な事は言うなよワイズ。
全く……一番緊張しているのは彼か。
僕が何気なく最悪な場合と言った通り、もしかすれば本当に『緑国の鬼』が現われて、捕らえ損ねて……更にはあっさりと、僕はソレに殺されてしまうかもしれない。
ワイズはその、最悪な場合を恐れているんだろう。
気にする事はない、僕は選んで君の案に乗ったんだから。でもどんなに口でそう言ったって、相手の気持ちを抑える事は難しいよね。
僕がそこまで全てを『許している』事を、どうしてか誰も信じてくれない。
滅ばずの姫の望みを誰も、理解できないの同じに……と。
僕はそう思って目を閉じた。
ああ、もしかすれば『緑国の鬼』と本当に会えるのかもしれない。
そんな予感に少しだけ気持ちが高揚してくる。
ここの所、すっかり彼の悪行の噂は聞かなくなった。
ワイズ家の家宝すなわち、テラールの滅ばずの姫を攫って行ってから……『緑国の鬼』の仕業という事件がぷっつり切れている。
ファマメント政府から睨まれてすっかり、やり辛くなったのだろうか。
ワイズ曰く、何度か追い詰める事に成功しているそうだ。しかし都度返り討ちにあって……政府が組んだ討伐隊に多くの被害者が出ているとか。
もちろん、これはあまり公に出来る話題でもないので秘密にされているみたいだね。新聞には載ってない話題だ。負けっぱなしというのが不名誉だからかもしれない。
おかげで色々分かってきている。
『緑国の鬼』というものがどうやら『一人』であるというのが。
そのたった一人に見事に国が振り回されている様だ。
彼は何の為に殺戮を繰り返すのだろう?
殺さなければ殺される、だから殺すのか?
噂に聞く手口を見るとどうも、そうは思えない。
『緑国の鬼』は明らかに、殺しを楽しんでいるように思える。次々と標的を定め、尽く縁を切るように殺しまくる。
しかもただ殺すのに留まらない、目撃者一人残らず女性も子供も関係なく、少なからず蹂躙された遺体も多いというし……とにかく尋常じゃない殺しが多いそうだ。
連動して思い出す、テラール一族が抱くという人に対する憎悪、嫌悪。
破壊衝動。
ようやく整ったと言われ、うとうとと寝ていた僕は女官にやんわり起こされた。
全体を整えるから立ってくれと言われ、その通りにする。
「ハクガイコウ、そろそろお時間です」
閉じられた塔の扉を開け、誰かがそのように告げたのに耳が行く。
「ん?ちょっと早くないか?」
ワイズがそのように惚けた言葉に、わずかな興味を引いて僕は、視線を投げた。
光が格子から差しこむ塔の中、異形の影が伸びあがったのを見て僕は目を見開いた。
僕の衣装を整えていた二人の女官が悲鳴を上げ、それを僕は背後にかばう。
大きな翼を室内で広げ、途端僕を飾り上げていたの硝子玉が弾け飛んだが構わない。彼女たちを背後に遮りながら……手を広げる。
武器は無い、そもそも剣を振り上げる様な腕力が僕には無い。体力的な事は自慢できるものじゃないのだ。
でも……あの日を境に僕は、力が無い事を知った。
籠の中の小鳥が空に飛び立ち、恐らく大空で力尽きて失速する、そんな幻想に自分を重ねて。
僕は短期間で少しの、護身する為の魔法を習得した。政府にバレるとまた封印だとか言われるからこっそりと。ハデな攻撃魔法は取得していない、あくまで守りに徹する形で相手を圧倒する方法を模索したんだ。
魔法行使の素質は高い、覚えようって気さえあれば魔法の新規取得は何とかなる。例えば悪魔召喚の扉を開けるように、興味がある魔法を構築する事は難しい事じゃない。
ただ……魔導師と違って僕は、原始的な魔法の使い方になるんだよね。感情でトリガーを引く魔法の使い方は、精神的な事に能力が大きく左右されるんだ。
慌ててはいけない、冷静を保ち平穏を維持する。
僕が得意とする事だ。
明らかに異形で、この場にそぐわない賊だと分かってもこちらから仕掛ける事はしないよ。相手にこちらの手を知らせる必要はないさ。魔法発動が相手に悟られないように、自分の羽にそっと手を触れて予備動作を終えて置く。
まず、今不法侵入してきたあの影が『緑国の鬼』だとは決まっていない。相手を確かめてから、更に必要な魔法を構築すればいい。
もし、『緑国の鬼』だとするなら、僕は彼と話がしたいと思っている。一応、聞くべき事を訊ねておこうか。本来それをするはずの護衛兵が仕事をしていないのだから……通用しないのだろうけど。
「誰かな、ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
しかし相手はこちらとの会話をするつもりはないようで、僕の声に反応したように容赦なく攻撃を開始した様だ。
何かがこちらに飛んでくるのを察知するより速く、僕は自分の目の前に魔法の壁を作ってこれを防いだ。
自動的に障壁を作る魔法を自分の羽に仕込んでいたんだよ。大きな羽は、盾として機能するようにさっきの予備動作で設定済みだ。
鋭い音で床に落ちたのは……鋭い針のような手裏剣だね。
ワイズもその壁の中に居る、僕が防御壁で自らの身を守る事は、こうなる事態を予測してワイズが僕に勧めた事だ。ふむ、中々使い勝手は良いよ。
『驚きだ、お飾りの神官殿が自ら魔法を使うとはな』
小馬鹿にするように笑った声がして、大きな影になっているものが何かを引きずる音がする。
背後で女官達が再び悲鳴……あっという間にこの塔の中を侵す、鉄臭い血の匂い。
時間だと告げて扉を開けた神官がまず、殺された。
正しくはすでに『殺されていた』。
だがそれを嘆いたり、悲観している場合じゃない。
巨大な影が壁に張り付いている。
「……ワイズ、あれは何だろう?」
「分かりかねますねぇ……死霊の類じゃぁなさそうですが」
その影の前に俯いて血を吹いた神官がゆるりと起き上がった。
額と喉に開けられた穴から血をとめどめなく流しながら、明らかに事切れている神官は護身用の剣を抜き放った。
死霊ではない、とワイズは言ったね。今死んだばかりのものが死霊化するにはそれ相応の縁が必要だ。死霊化っていうのは少なからず時間のかかるものなんだよ。僕もあれが死霊だとは思えない。だとすると……死体操り(アニメート)かな?それにしては……魔法の気配を感じないのはなぜだろう。
死霊調伏の構えを取ったワイズに、僕は視線でそれは止めろと伝えた。
違う、これは死霊術じゃない。
目の前で怪しい足取りでこちらに向かってくる死体は『死体』以外の何物でもない。死霊の理屈で動いているなら調伏魔法は効くだろうが多分……そうじゃないと僕は判断した。
この場合、恐らく有効なのは幽体への攻撃ではなく……物理。肉体への直接攻撃。
僕は空気を操り、辺りが散らかるのも気にせず風を舞い起こす。
塔の中を飾り付けていたものが吹き飛ばされて舞う、多くの燭台が倒れ、布を絡ませながら壁際に除けて行く。すっかり空気を追い出して、作り上げた真空を……足取りあやしく迫ってくる神官に向ける。いや、その手前にそっと置いてやればいいんだ。発生した真空は片足と、片腕を切り落とした。風の中に血が舞って壁を汚す。僕が張ったままにしている物理壁に血飛沫が付いた。
『ククク……容赦ないな、酷い事しやがる』
やはりだ、錯覚じゃない。
この声は目の前の神官の男の声じゃない……その背後にある巨大な影から聞こえてくる。
本体が影と悟ったワイズが手を組んだ。魔法詠唱、それが自分にとって害だと悟ったように影が逃げ出す。
しかし死霊調伏を止めていたお陰でワイズの詠唱終了が早かった。
『縛り』とワイズによって宣言された魔法に、影が一瞬ぎこちなく揺れたのが見える。
しかし、完全に足を止めるには至らなかった様だ。
「待て!君が……緑国の鬼なのか?」
僕が叫んだ質問は届いたようだ。
『はぁ?何だそれは?』
笑い声だけを後に残し、影は消えてしまった。
しかし相手が影となると……またどこから現れるとも知れない。
緊張を維持してワイズを窺う。
「どう思う?」
緑国の鬼か、それとも全然関係の無い、偶々この日にハクガイコウ目当てに忍び込んできた別の賊なのか、どっちだと思うと聞いている。
「間違いなく、僕らが求めているモノに関係はあるでしょうね……追います」
「あれを捉えられるのか?影……のようだったけど」
「良いヒントを貰いました、物理的な縛りは『直接は』効かないようですね」
どうやら何か、捕まえる手だてを思い立ったのだろう。
「……気をつけて」
彼を止めるわけにはいかないよねぇ。
僕はワイズを魔法壁の向こうに送り出した。
「分かっているとは思いますが……ハクガイコウ。ここから動かないでくださいね?」
ワイズは僕の意図を悟った様で、それでも一応釘をさしてきた。
「ああ、分かっているよ?」
と答えておいてちょっと視線を逸らした。
それを言うならワイズだって、僕の傍から離れるのはルール違反だろ?君はハクガイコウを守る最後の砦だ、本来なら僕の傍に居て、事態に気が付いたであろう他の部隊が到着するまで待つべきだ。
ワイズは困った様に少しため息を漏らしてから顔を上げる。
「……僕は言いましたからね」
「だね、聞いたね君たちも」
背後で震える女官達は、僕の確認の意味も分からず小さくうなずいた。
「と云う事で、いってらっしゃい」
僕の傍にいて、僕を守らなきゃいけない所……ワイズはさっきの影を追い掛けたくてたまらないのだ。ようやく目の前にした『緑国の鬼』、彼は出来るなら……自分の手で家宝たる破壊の姫がどうなったか、その結末を知りたいと願っている。多分、僕以上にね。
僕はその気持ちに気が付いているからこのように、わざとけしかけているんだ。
お目付け役さえいなければ僕も自由にできる事だし。丁度いいじゃないか。
さぁ。さっさと行きたまえ。
そのように笑っているだろう僕にちょっとだけ悪態をついて、ワイズは塔を出て行った。それを見送り、僕は震える女官達の肩を抱いて……真面目な顔を作る。
「ここにいると危険だろう、なるべく人の多い所に逃げるんだ。僕も安全な所に逃げるから」
「し、しかしハクガイコウ……」
「ここはまるで逃げ場が無いだろう?」
なんたってハクガイコウの部屋は『鳥籠』だ。
塔から出る扉以外に人が出られる様な窓がない、あったとして飾りに見立てた鉄格子が嵌っているんだ。ここは袋小路なんだよ。どん詰まりな上に入口は内側からは開けられない構造で、外からは自由に開けられるんだもの。多分昔に、ハクガイコウが祭りの直前になって逃げだした事でもあるんだろう。それを学んでこういう鳥籠がハクガイコウの控室になっているに違いない。
ここは逃げ込む所じゃない。逃げ出すべき場所なんだ。
安心させる為に僕は笑い、塔の外に彼女たちを連れて出る。
今しがた跨いできた神官の無残な死骸に、すっかり恐れをなした女官が僕の手にすがって震えている。
僕はいつでもこの手を差し出す方で、僕は誰かにすがって震える事は出来ない。
正直、僕は今怖くない訳ではない。
出来るなら、誰かに怖いと縋りつけたらと……ふっとそんな事を思う。
長らく、僕はそう云う事をしていないな。出来ないんだ。出来ない立場に長く居過ぎた。
「さぁ、急いで。……分かって、狙われているのは僕なんだ。君たちを巻き込むわけにはいかない、僕からは離れていた方がいい……分かるね?」
騒ぎに駆け付けた他の神官たちが白眼をむいて僕を見た。
そりゃぁそうだ、ハクガイコウが自ら塔を出てるんだもんなぁ。昔あった不祥事を思わせた事だろう。僕が、逃げようとしているとでも思ったに違いない。
「賊が出た、彼女達を安全なところに連れて行って」
僕の、状況に慌てる事の無い冷静な言葉に……無残な姿で転がっている死体を発見して神官達が悲鳴を上げている。
ああもう、全く。
そんな事にいちいち動揺するからあの賊を捕まえられないんじゃないかと、僕は内心ため息を漏らす。
ファマメント国首都、レズミオってそう言えば、一度も他国から侵略された事無いんだよね。標高が高い所にあるから、他国の兵士が攻め込めないんだって。
おかげで政治は遊戯板の出来事になり、こういう実際に血が流れる事に疎くなってるんじゃないんだろうか?
僕が慣れ過ぎているのが問題なのかな?
そう思いながら、すっかり混乱している神官達の目を盗んで僕は、まんまと現場から離れる事に成功した。
非常事態だもの、後で良いように言い訳をするよ。
……僕は支える為の偶像で、その様に育てられた。いかなる時でも誰かを支える、その様にふるまうように育てられて、その様に生きる事に慣れている。
すなわち、全てに無関心を貫く事に慣れているんだ。今目の前で起こっている出来事、全てを僕とは関係ないと、縁を切って冷静に眺める事が出来る。
何かに傾いた見方をしてはいけないと教えられている。
均しく世界と付き合い、波の立たない世界にいる事は……まず自らが全てと等しく付き合う必要がある。
投げかけられた気持ちを受け止める事はいい。だけど、僕から石を投じてはいけない。
僕は動かざる水鏡。
神の偶像、それは……神を見ようとする者を映し出す鏡のように静かな湖面。
非常事態に、ちょっと興奮している自分を落着けと言い聞かせる。いつもの様に、心掛けている事を思い出しながら、人に見つからないように、人気が無い方へ歩みながら深呼吸する。
中庭から、レズミオでは常に吹いている風を背中の羽根で捕らえて飛びあがる。
何が起こっているのかは、空から眺めた方が早いだろう。割と人は空など不要に眺めない事も知っている。僕は白っぽい羽を持っていて目立つからね、地上に居るより空に近い方が案外見つからないで行動できるはずだ。
屋根の上に出て、その影に隠れて動く。
案の定、騒がしい一角を見つけて視線を投げれば……鷹の瞳の様に遠くを見通す僕の瞳の中に、赤い鮮血が吹いた様子が映った。
光の中にあり、それは影ではなかった。
影と等しく大きな男が剣を乱暴に振るう度に神殿兵が切り伏せられて行くのが見える。
あの大男は誰だろう?さっき影との関係性は何だ?そう思いながら……うわさ通りの凄まじい殺しの現場を遠くから目撃してしまう。
突き出された槍を薙ぎ払い、運悪く伝令に通りかかった騎馬兵を……躊躇なく男は蹴り落とす。そうしておいて、落ちた兵士の首に剣を突き刺しておくことを忘れない。
余りにも無駄の無い動き、迷いのない行動に目を見張ってしまう。
嘶き抵抗する馬に飛び乗り、一回腹を蹴っただけで手なずける。
馬を恐怖で支配した、僕にはそれがよく分かる。
一目算逃げるのかと思いきや、逆に男はまだ槍を構えていた神殿兵に襲いかかった。
……うわさ通り。
目撃者を一切逃さない、徹底的な殺戮劇。
きっと兵士たちは相手が逃げてくれる事を願っていたに違いない。血に慣れていない彼らはすでに疲れ果て、馬を手に入れた相手が一目算に逃げる事を望んでいたはずだ。
しかしその目論見は外れて……抵抗する間もなく、悲鳴を上げるヒマもなかったようだ。
望みが外れ、成す術もないうちに残った兵士たちの首が飛んだ。
流石にこれは……きついな。
僕は、その瞬間を予測できただけに顔を顰めて首を縮めていた。
そっと元の所に視線を戻す。
僕の予想を裏切って……男はまだそこにいた。
苛立つ馬にまたがり、男は血に濡れた剣を肩に担いで……事もあろうか―――僕を見ていた。
まっすぐに、間違いなく……遠くの屋根から様子をうかがう僕を見ている。
どうして僕がここにいると分かったのだろう。
はるか遠くに居るのに、向けられている視線に貼り付けにされた様な錯覚に動けない。
殺すべき相手を探し、空を仰いだ時にでも屋根の上に僕がいる事に気が付いた?
僕は、視力が抜群に良い。それをさらに魔法強化する事も可能だ。ただし夜は鳥目になってしまってダメになるけどね。
とにかく……僕とあの修羅との間には相当な距離があるんだ。
普通の人がまっすぐ僕の存在に気づく事はない、それくらいに遠い。
……普通じゃないって事?
間違いなくあの男は、僕がここから見ている事に気が付いたからその様に視線を投げたのだろう。そのように理解する。
自分に注ぐ全ての繋がりを察知し、そして……それを悉く壊す。
動けない、そのままあの恐怖に支配された馬が空に駆けあがり、男がまっすぐ僕に向って来るのではないかという幻想に取りつかれた。そんな事は無い、僕とあの男との間にはいくつもの建物がある。
僕は背中を壁に押し付け、ずるりと斜めになった屋根で足を滑らせていた。
殺される、実はすぐ目の前にいるのではないかと云う幻想、次に飛ぶのは僕の首だろう。
目撃者を一人残らず殺すという……緑国の鬼。
今当てられているものが『殺気』というものだ、と気が付いた時……男は馬の腹をもう一度蹴っていて、僕の視界から姿を消していた。
※ これは、実は隠し事がいっぱいあるナッツ視点の番外編です ※
緑国の鬼を捕らえたのなら、それと話をする機会が欲しいと僕は願っていた。
どういう理由で姫を攫って行ったのか、お金になると思ったのだろうか?そういう価値では図れないと知ったはずだ。ならばそれから……滅ばずの姫をどうしたのか。
いや、彼女が今どうしているかなんて事を知りたいんじゃないんだ。
僕が知りたいのはそんな事じゃない。
本当に知りたいのは彼女が……何って言っていたか。ただそれだけ。
自由になった事を彼女は、理解しているだろうか?
唐突に開け放たれた籠の外、空の眩しさを感じて飛び出して……それが自由だと彼女は知っているのだろうか?
「……君の封印はうまく行ったんだよね?」
大捕り物の準備を聞き、僕はこっそり今更ながらそれを聞く。
「間違いなく、上手く行きましたね」
ワイズは小さくうなずいた。
「相手が相手なのに……僕は君の魔法が本当に相手に通じたって事を疑ったりするんだよね。本当にうまくいったのかい?」
魔法使いの祖先に極めて近い存在であるテラールの姫相手に、封印魔法など通用するのか。それを僕はワイズに今更ながら訊ねている。
滅ばずの姫を滅するには、まず彼女自身が『滅ばない』という事を忘却しない事には始まらない。その為にワイズは彼女の記憶を封じる必要が在る。そして、その魔法は彼女に届いたのだという。
……本当だろうか?
「……彼女が望めばその通りになるんですよ、」
「望めば?……そうか、忘れたかったのか」
僕は、それは盲点だったなぁと天井を仰いだ。
自由になる事よりも、彼女が望んでいたのは全てを忘却する事だった……なんて。
「なら、自分で物忘れの魔法でも掛けてしまえばいいのに」
「それじゃぁダメなんですよ、途端に抑えている衝動に負けてしまう」
テラールが抱えるという、破壊衝動だったっけ?
本当にそんなものがあるのか、正直半信半疑だけど……。まぁそこを疑ったら、滅ばずの姫の存在自体を疑う事になるんだよね。
「だから、誰かが忘れさせてやらないといけないんです」
「君は彼女の望みをついに引き当てたんだね。誰もが分からなかった彼女の望みを……正直僕も自由だと思っていた。誰もが自由だと勘違いするのだろうに」
しかしワイズは苦笑して小さく首を振る。
「いいや、僕も自由だと思っていますよ」
ワイズは年に一度の天使教における大行事、降臨祭の段取りが詰まったファイルを胸に抱いて踵を返す。
「僕は彼女を、自由にしてやりたいと願っています」
ハクガイコウは基本的に外には出ない。
僕が外出を許される時、その時僕はハクガイコウという肩書を『基本的には』名乗らない。……前に言ったね。
……名乗ると色々都合が悪いらしく、一度の失敗で怒られて行動制限されてしまった今の通り。
僕は天使教における翼ある神の御使いだ、偶像崇拝を禁止しているから神そのものではない。実際、そこら辺を取り違えて僕が神だと考える人は多い。
それは仕方が無いんだ、長らく西方大陸にあった宗教は偶像崇拝が主だったからね。
これを淘汰し、なんとか天使教に塗り替えようとファマメント国は必至なんだけど……教義が色々違うからそう簡単には行かないんだよ。
西方大陸に長らくあった宗教すなわち、西教は未だ根強く人々の心の中に居座っている。
そこで、ハクガイコウという偶像崇拝みたいなまねごとをする事になったようだ。
西方人の心の中にある、長らく大きな支えであった神シュラードを、翼ある神に置き替える為にハクガイコウという職は作られた。
これはうまく行ったようだね、だから今もこの制度は続いている。
西教の行事をなぞりながら天使教に塗り替えるという方法は今も続いていて……降臨祭というのもその一つ。
天使教において実は、翼ある神は地上に降臨したりはしていない。その御使いが来た、という伝承はあるそうだけど……俗に空想宗教と分類されるものだから殆どが作り話だろうと思う。それに準ずる出来事はあったのだろうけど、僕はいまいち――天使教の教義は信じられない。
ありもしない出来事をでっち上げ、支配する階級の者が民衆を動かしやすくするための詭弁。それが天使教と呼ばれるものの正真正銘、正体だ。
これは事実、かもしれないなどという曖昧な過去の物語じゃない。現在進行形、僕がそれに属しているのだからよく知っている。
ディアス国が掲げている西教も同じじゃないかと言う人もいる、だけどあっちの方が一概に人が作ったとは言えない事実が多いし……何より長らく人の心の中にとどまったという実績がある。歴史がうんと古い分、僕は西教が天使教と同じく空想の産物だとは言いきれないな。
今は同じだとしても、過去からそうだったとは言い切れないだろう?
じゃぁ僕は西教信者かって云うと……そうでもないけどさ。
ともかく、僕はこの降臨祭というものにハクガイコウとして出席しなきゃいけない。
唯一ハクガイコウが、民衆の目の前に現れるんだ。
おそらく『緑国の鬼』はこの時を狙って現れるだろう。だから普段より厚く警備体制を整えてこれを待ち受ける。
勿論こっそりと『緑国の鬼』が現れる事を煽っている。
相手がなかなか捕らえられなくてね、この際大事の舞台も利用してはどうかという……怖れ多い案件は勿論僕から提出しておいた。
僕が言い出しっぺじゃ、魅力的な案である為に何とも言えないだろう。
もっとも、その案をハクガイコウに唆したのが誰なのかはみんな、分かってるみたいだけどね。でもそれをハクガイコウが了承して、何も言えないようにハクガイコウ自らが推進したんじゃもう、誰も何も文句が言えないってワケだ。
「失敗したらどうなるんだろうね」
楽天的に僕は、ハクガイコウの正式な衣装を着せられながら控えているワイズに聞いた。
「それはどういう意味での失敗を指しているんでしょう?」
「んー……最悪な場合だよ」
軽い化粧が施され、長い髪を結えて重い装飾品を編み込む作業に頭を固定されている。だから僕は彼の方に振り返って顔色を窺う事は出来ない。
このセッティングがヒマなんだよね、寝ててもいいらしいけど……ちょっとした緊張はある。今回ばかりは。
「その時は、一緒に僕の首も飛ぶだけです」
「うーん、それじゃぁ何の解決にもならないのに」
「仕方ないですよ、連中はアホです」
おいおい、僕以外にも人がいるんだからそういう物騒な事は言うなよワイズ。
全く……一番緊張しているのは彼か。
僕が何気なく最悪な場合と言った通り、もしかすれば本当に『緑国の鬼』が現われて、捕らえ損ねて……更にはあっさりと、僕はソレに殺されてしまうかもしれない。
ワイズはその、最悪な場合を恐れているんだろう。
気にする事はない、僕は選んで君の案に乗ったんだから。でもどんなに口でそう言ったって、相手の気持ちを抑える事は難しいよね。
僕がそこまで全てを『許している』事を、どうしてか誰も信じてくれない。
滅ばずの姫の望みを誰も、理解できないの同じに……と。
僕はそう思って目を閉じた。
ああ、もしかすれば『緑国の鬼』と本当に会えるのかもしれない。
そんな予感に少しだけ気持ちが高揚してくる。
ここの所、すっかり彼の悪行の噂は聞かなくなった。
ワイズ家の家宝すなわち、テラールの滅ばずの姫を攫って行ってから……『緑国の鬼』の仕業という事件がぷっつり切れている。
ファマメント政府から睨まれてすっかり、やり辛くなったのだろうか。
ワイズ曰く、何度か追い詰める事に成功しているそうだ。しかし都度返り討ちにあって……政府が組んだ討伐隊に多くの被害者が出ているとか。
もちろん、これはあまり公に出来る話題でもないので秘密にされているみたいだね。新聞には載ってない話題だ。負けっぱなしというのが不名誉だからかもしれない。
おかげで色々分かってきている。
『緑国の鬼』というものがどうやら『一人』であるというのが。
そのたった一人に見事に国が振り回されている様だ。
彼は何の為に殺戮を繰り返すのだろう?
殺さなければ殺される、だから殺すのか?
噂に聞く手口を見るとどうも、そうは思えない。
『緑国の鬼』は明らかに、殺しを楽しんでいるように思える。次々と標的を定め、尽く縁を切るように殺しまくる。
しかもただ殺すのに留まらない、目撃者一人残らず女性も子供も関係なく、少なからず蹂躙された遺体も多いというし……とにかく尋常じゃない殺しが多いそうだ。
連動して思い出す、テラール一族が抱くという人に対する憎悪、嫌悪。
破壊衝動。
ようやく整ったと言われ、うとうとと寝ていた僕は女官にやんわり起こされた。
全体を整えるから立ってくれと言われ、その通りにする。
「ハクガイコウ、そろそろお時間です」
閉じられた塔の扉を開け、誰かがそのように告げたのに耳が行く。
「ん?ちょっと早くないか?」
ワイズがそのように惚けた言葉に、わずかな興味を引いて僕は、視線を投げた。
光が格子から差しこむ塔の中、異形の影が伸びあがったのを見て僕は目を見開いた。
僕の衣装を整えていた二人の女官が悲鳴を上げ、それを僕は背後にかばう。
大きな翼を室内で広げ、途端僕を飾り上げていたの硝子玉が弾け飛んだが構わない。彼女たちを背後に遮りながら……手を広げる。
武器は無い、そもそも剣を振り上げる様な腕力が僕には無い。体力的な事は自慢できるものじゃないのだ。
でも……あの日を境に僕は、力が無い事を知った。
籠の中の小鳥が空に飛び立ち、恐らく大空で力尽きて失速する、そんな幻想に自分を重ねて。
僕は短期間で少しの、護身する為の魔法を習得した。政府にバレるとまた封印だとか言われるからこっそりと。ハデな攻撃魔法は取得していない、あくまで守りに徹する形で相手を圧倒する方法を模索したんだ。
魔法行使の素質は高い、覚えようって気さえあれば魔法の新規取得は何とかなる。例えば悪魔召喚の扉を開けるように、興味がある魔法を構築する事は難しい事じゃない。
ただ……魔導師と違って僕は、原始的な魔法の使い方になるんだよね。感情でトリガーを引く魔法の使い方は、精神的な事に能力が大きく左右されるんだ。
慌ててはいけない、冷静を保ち平穏を維持する。
僕が得意とする事だ。
明らかに異形で、この場にそぐわない賊だと分かってもこちらから仕掛ける事はしないよ。相手にこちらの手を知らせる必要はないさ。魔法発動が相手に悟られないように、自分の羽にそっと手を触れて予備動作を終えて置く。
まず、今不法侵入してきたあの影が『緑国の鬼』だとは決まっていない。相手を確かめてから、更に必要な魔法を構築すればいい。
もし、『緑国の鬼』だとするなら、僕は彼と話がしたいと思っている。一応、聞くべき事を訊ねておこうか。本来それをするはずの護衛兵が仕事をしていないのだから……通用しないのだろうけど。
「誰かな、ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
しかし相手はこちらとの会話をするつもりはないようで、僕の声に反応したように容赦なく攻撃を開始した様だ。
何かがこちらに飛んでくるのを察知するより速く、僕は自分の目の前に魔法の壁を作ってこれを防いだ。
自動的に障壁を作る魔法を自分の羽に仕込んでいたんだよ。大きな羽は、盾として機能するようにさっきの予備動作で設定済みだ。
鋭い音で床に落ちたのは……鋭い針のような手裏剣だね。
ワイズもその壁の中に居る、僕が防御壁で自らの身を守る事は、こうなる事態を予測してワイズが僕に勧めた事だ。ふむ、中々使い勝手は良いよ。
『驚きだ、お飾りの神官殿が自ら魔法を使うとはな』
小馬鹿にするように笑った声がして、大きな影になっているものが何かを引きずる音がする。
背後で女官達が再び悲鳴……あっという間にこの塔の中を侵す、鉄臭い血の匂い。
時間だと告げて扉を開けた神官がまず、殺された。
正しくはすでに『殺されていた』。
だがそれを嘆いたり、悲観している場合じゃない。
巨大な影が壁に張り付いている。
「……ワイズ、あれは何だろう?」
「分かりかねますねぇ……死霊の類じゃぁなさそうですが」
その影の前に俯いて血を吹いた神官がゆるりと起き上がった。
額と喉に開けられた穴から血をとめどめなく流しながら、明らかに事切れている神官は護身用の剣を抜き放った。
死霊ではない、とワイズは言ったね。今死んだばかりのものが死霊化するにはそれ相応の縁が必要だ。死霊化っていうのは少なからず時間のかかるものなんだよ。僕もあれが死霊だとは思えない。だとすると……死体操り(アニメート)かな?それにしては……魔法の気配を感じないのはなぜだろう。
死霊調伏の構えを取ったワイズに、僕は視線でそれは止めろと伝えた。
違う、これは死霊術じゃない。
目の前で怪しい足取りでこちらに向かってくる死体は『死体』以外の何物でもない。死霊の理屈で動いているなら調伏魔法は効くだろうが多分……そうじゃないと僕は判断した。
この場合、恐らく有効なのは幽体への攻撃ではなく……物理。肉体への直接攻撃。
僕は空気を操り、辺りが散らかるのも気にせず風を舞い起こす。
塔の中を飾り付けていたものが吹き飛ばされて舞う、多くの燭台が倒れ、布を絡ませながら壁際に除けて行く。すっかり空気を追い出して、作り上げた真空を……足取りあやしく迫ってくる神官に向ける。いや、その手前にそっと置いてやればいいんだ。発生した真空は片足と、片腕を切り落とした。風の中に血が舞って壁を汚す。僕が張ったままにしている物理壁に血飛沫が付いた。
『ククク……容赦ないな、酷い事しやがる』
やはりだ、錯覚じゃない。
この声は目の前の神官の男の声じゃない……その背後にある巨大な影から聞こえてくる。
本体が影と悟ったワイズが手を組んだ。魔法詠唱、それが自分にとって害だと悟ったように影が逃げ出す。
しかし死霊調伏を止めていたお陰でワイズの詠唱終了が早かった。
『縛り』とワイズによって宣言された魔法に、影が一瞬ぎこちなく揺れたのが見える。
しかし、完全に足を止めるには至らなかった様だ。
「待て!君が……緑国の鬼なのか?」
僕が叫んだ質問は届いたようだ。
『はぁ?何だそれは?』
笑い声だけを後に残し、影は消えてしまった。
しかし相手が影となると……またどこから現れるとも知れない。
緊張を維持してワイズを窺う。
「どう思う?」
緑国の鬼か、それとも全然関係の無い、偶々この日にハクガイコウ目当てに忍び込んできた別の賊なのか、どっちだと思うと聞いている。
「間違いなく、僕らが求めているモノに関係はあるでしょうね……追います」
「あれを捉えられるのか?影……のようだったけど」
「良いヒントを貰いました、物理的な縛りは『直接は』効かないようですね」
どうやら何か、捕まえる手だてを思い立ったのだろう。
「……気をつけて」
彼を止めるわけにはいかないよねぇ。
僕はワイズを魔法壁の向こうに送り出した。
「分かっているとは思いますが……ハクガイコウ。ここから動かないでくださいね?」
ワイズは僕の意図を悟った様で、それでも一応釘をさしてきた。
「ああ、分かっているよ?」
と答えておいてちょっと視線を逸らした。
それを言うならワイズだって、僕の傍から離れるのはルール違反だろ?君はハクガイコウを守る最後の砦だ、本来なら僕の傍に居て、事態に気が付いたであろう他の部隊が到着するまで待つべきだ。
ワイズは困った様に少しため息を漏らしてから顔を上げる。
「……僕は言いましたからね」
「だね、聞いたね君たちも」
背後で震える女官達は、僕の確認の意味も分からず小さくうなずいた。
「と云う事で、いってらっしゃい」
僕の傍にいて、僕を守らなきゃいけない所……ワイズはさっきの影を追い掛けたくてたまらないのだ。ようやく目の前にした『緑国の鬼』、彼は出来るなら……自分の手で家宝たる破壊の姫がどうなったか、その結末を知りたいと願っている。多分、僕以上にね。
僕はその気持ちに気が付いているからこのように、わざとけしかけているんだ。
お目付け役さえいなければ僕も自由にできる事だし。丁度いいじゃないか。
さぁ。さっさと行きたまえ。
そのように笑っているだろう僕にちょっとだけ悪態をついて、ワイズは塔を出て行った。それを見送り、僕は震える女官達の肩を抱いて……真面目な顔を作る。
「ここにいると危険だろう、なるべく人の多い所に逃げるんだ。僕も安全な所に逃げるから」
「し、しかしハクガイコウ……」
「ここはまるで逃げ場が無いだろう?」
なんたってハクガイコウの部屋は『鳥籠』だ。
塔から出る扉以外に人が出られる様な窓がない、あったとして飾りに見立てた鉄格子が嵌っているんだ。ここは袋小路なんだよ。どん詰まりな上に入口は内側からは開けられない構造で、外からは自由に開けられるんだもの。多分昔に、ハクガイコウが祭りの直前になって逃げだした事でもあるんだろう。それを学んでこういう鳥籠がハクガイコウの控室になっているに違いない。
ここは逃げ込む所じゃない。逃げ出すべき場所なんだ。
安心させる為に僕は笑い、塔の外に彼女たちを連れて出る。
今しがた跨いできた神官の無残な死骸に、すっかり恐れをなした女官が僕の手にすがって震えている。
僕はいつでもこの手を差し出す方で、僕は誰かにすがって震える事は出来ない。
正直、僕は今怖くない訳ではない。
出来るなら、誰かに怖いと縋りつけたらと……ふっとそんな事を思う。
長らく、僕はそう云う事をしていないな。出来ないんだ。出来ない立場に長く居過ぎた。
「さぁ、急いで。……分かって、狙われているのは僕なんだ。君たちを巻き込むわけにはいかない、僕からは離れていた方がいい……分かるね?」
騒ぎに駆け付けた他の神官たちが白眼をむいて僕を見た。
そりゃぁそうだ、ハクガイコウが自ら塔を出てるんだもんなぁ。昔あった不祥事を思わせた事だろう。僕が、逃げようとしているとでも思ったに違いない。
「賊が出た、彼女達を安全なところに連れて行って」
僕の、状況に慌てる事の無い冷静な言葉に……無残な姿で転がっている死体を発見して神官達が悲鳴を上げている。
ああもう、全く。
そんな事にいちいち動揺するからあの賊を捕まえられないんじゃないかと、僕は内心ため息を漏らす。
ファマメント国首都、レズミオってそう言えば、一度も他国から侵略された事無いんだよね。標高が高い所にあるから、他国の兵士が攻め込めないんだって。
おかげで政治は遊戯板の出来事になり、こういう実際に血が流れる事に疎くなってるんじゃないんだろうか?
僕が慣れ過ぎているのが問題なのかな?
そう思いながら、すっかり混乱している神官達の目を盗んで僕は、まんまと現場から離れる事に成功した。
非常事態だもの、後で良いように言い訳をするよ。
……僕は支える為の偶像で、その様に育てられた。いかなる時でも誰かを支える、その様にふるまうように育てられて、その様に生きる事に慣れている。
すなわち、全てに無関心を貫く事に慣れているんだ。今目の前で起こっている出来事、全てを僕とは関係ないと、縁を切って冷静に眺める事が出来る。
何かに傾いた見方をしてはいけないと教えられている。
均しく世界と付き合い、波の立たない世界にいる事は……まず自らが全てと等しく付き合う必要がある。
投げかけられた気持ちを受け止める事はいい。だけど、僕から石を投じてはいけない。
僕は動かざる水鏡。
神の偶像、それは……神を見ようとする者を映し出す鏡のように静かな湖面。
非常事態に、ちょっと興奮している自分を落着けと言い聞かせる。いつもの様に、心掛けている事を思い出しながら、人に見つからないように、人気が無い方へ歩みながら深呼吸する。
中庭から、レズミオでは常に吹いている風を背中の羽根で捕らえて飛びあがる。
何が起こっているのかは、空から眺めた方が早いだろう。割と人は空など不要に眺めない事も知っている。僕は白っぽい羽を持っていて目立つからね、地上に居るより空に近い方が案外見つからないで行動できるはずだ。
屋根の上に出て、その影に隠れて動く。
案の定、騒がしい一角を見つけて視線を投げれば……鷹の瞳の様に遠くを見通す僕の瞳の中に、赤い鮮血が吹いた様子が映った。
光の中にあり、それは影ではなかった。
影と等しく大きな男が剣を乱暴に振るう度に神殿兵が切り伏せられて行くのが見える。
あの大男は誰だろう?さっき影との関係性は何だ?そう思いながら……うわさ通りの凄まじい殺しの現場を遠くから目撃してしまう。
突き出された槍を薙ぎ払い、運悪く伝令に通りかかった騎馬兵を……躊躇なく男は蹴り落とす。そうしておいて、落ちた兵士の首に剣を突き刺しておくことを忘れない。
余りにも無駄の無い動き、迷いのない行動に目を見張ってしまう。
嘶き抵抗する馬に飛び乗り、一回腹を蹴っただけで手なずける。
馬を恐怖で支配した、僕にはそれがよく分かる。
一目算逃げるのかと思いきや、逆に男はまだ槍を構えていた神殿兵に襲いかかった。
……うわさ通り。
目撃者を一切逃さない、徹底的な殺戮劇。
きっと兵士たちは相手が逃げてくれる事を願っていたに違いない。血に慣れていない彼らはすでに疲れ果て、馬を手に入れた相手が一目算に逃げる事を望んでいたはずだ。
しかしその目論見は外れて……抵抗する間もなく、悲鳴を上げるヒマもなかったようだ。
望みが外れ、成す術もないうちに残った兵士たちの首が飛んだ。
流石にこれは……きついな。
僕は、その瞬間を予測できただけに顔を顰めて首を縮めていた。
そっと元の所に視線を戻す。
僕の予想を裏切って……男はまだそこにいた。
苛立つ馬にまたがり、男は血に濡れた剣を肩に担いで……事もあろうか―――僕を見ていた。
まっすぐに、間違いなく……遠くの屋根から様子をうかがう僕を見ている。
どうして僕がここにいると分かったのだろう。
はるか遠くに居るのに、向けられている視線に貼り付けにされた様な錯覚に動けない。
殺すべき相手を探し、空を仰いだ時にでも屋根の上に僕がいる事に気が付いた?
僕は、視力が抜群に良い。それをさらに魔法強化する事も可能だ。ただし夜は鳥目になってしまってダメになるけどね。
とにかく……僕とあの修羅との間には相当な距離があるんだ。
普通の人がまっすぐ僕の存在に気づく事はない、それくらいに遠い。
……普通じゃないって事?
間違いなくあの男は、僕がここから見ている事に気が付いたからその様に視線を投げたのだろう。そのように理解する。
自分に注ぐ全ての繋がりを察知し、そして……それを悉く壊す。
動けない、そのままあの恐怖に支配された馬が空に駆けあがり、男がまっすぐ僕に向って来るのではないかという幻想に取りつかれた。そんな事は無い、僕とあの男との間にはいくつもの建物がある。
僕は背中を壁に押し付け、ずるりと斜めになった屋根で足を滑らせていた。
殺される、実はすぐ目の前にいるのではないかと云う幻想、次に飛ぶのは僕の首だろう。
目撃者を一人残らず殺すという……緑国の鬼。
今当てられているものが『殺気』というものだ、と気が付いた時……男は馬の腹をもう一度蹴っていて、僕の視界から姿を消していた。
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